(2)

 指定された待ち合わせ場所は、1号館に併設された情報センター内の喫茶店だった。一階は講演会等に使う大ホールで二階は図書館となっており、目的の喫茶店は地下一階にある。


 店内に入ると、半分近くの席が埋まっていた。昼飯時なのである程度混むのは予想出来たが、それにしては学生が多い。青貝曰く、喫茶店のマスターが凝り出したラテアートの写真を撮る為に多くの女子学生が来ているのだという。


 そんな中で二列に並ぶテーブルの一番奥、店内で一番陽当たりの悪い場所に彼女はいた。机の上にはアートの無いラテが置かれ、彼女の他には誰も座ってはいない。


「久しぶり。元気してた?」


 青貝がフランクに少女に話しかけるのを、鹿島はじっと見守る。変わらず仏頂面ではあるが、少女は初対面の時からは考えられない程に警戒心を解いていた。


 少女は青貝に目を向けると、小さくふんと鼻を鳴らした。


「イモムシに〝元気〟なんてモノは無いわ。慢性的な不眠と悪夢、己を非難する幻聴に毎日悩まされているわよ」


「それは、その……、ご苦労様」


 慰めたいのか馬鹿にしたいのかも分からぬ言い草に、思わず少女も鹿島も吹き出す。


「冗談よ。私はこれでもマシな方だし、むしろ普段より調子が良いくらい」


「そうなの?」


「ええ。酷い人は正気を失って暴れ叫んだり、夜尿を繰り返したり、悪夢が続いてご飯を食べる事も出来なくなったりするらしいわ」


 少女の言葉に、鹿島は動揺を抑える。


「今日来る人もそう。いつ見ても無理していてこっちが滅入っちゃうような人だから、そこは覚悟しておいて」


「その人ってもしかして……」


「ええ、私と同じイモムシよ」


 薄々感付いてはいたが、やはり彼女以外にも意識を保って糸を操る者はいるのだ。絶望から死に損ない、メンタルフォルスの糸と呼ばれるモノを操る異形の能力者が。


「彼はここより遠くに住んでるんだけど、今日はちょっとヤバそうだから出張して来て貰ったの」


「ヤバそう?」


「そうね。まだ時間もあるし、先に見て貰った方がいいかもね」


 そう言って少女は隣の椅子に置いた鞄をゴソゴソと引っ掻き回すと、中から何かを取り出した。モノが婚約指輪を入れるような箱に入れられていた為に二人は一瞬動揺したが、中身を見てからは違う動揺に誘われた。


 ケースの中に入っていたのは、何の変哲も無い小さな石ころだった。小粒な飴玉ほどのサイズで、砂利道を歩いたスニーカーの爪先をほじれば出てくるような鈍色の小石だった。


「何だこれ?」


「東雲さんの体内から出てきたモノよ。あの時、彼女の中から取り出したの」


 彼女が指す「あの時」とはつまり、メンタルフォルスの糸で東雲天使のどてっ腹に大穴を開けた時の事だろう。相川の財布といい、どうも手癖が悪いようだ。この場合は髪癖か。


「前に草野くさのさん、今待ち合わせている人に聞いた事があるの。東雲さんみたいに自然羽化した天使の中には、こういったモノが体内に潜んでいる事があるらしいの」


「それがその石ころだと? ただの骨か血の塊か、東雲さんの胆石か何かじゃないのか?」


「さすがにあの若さで胆石は無いでしょう? それに石自体には何の問題も無いの。問題は中身よ」


「中身?」


「よく見て。石の中に、なにかスジみたいのが見えるでしょう?」


 言われて見ると確かに石ころの中には、細い繊維のようなモノが張り巡らされていた。石に神経が通っているようにも見えるし、子供の頃に恐竜図鑑で見た虫の入った琥珀のようにも見える。


「草野さんが言うには、これが天使の〝核〟とも言える存在らしいの」


「核だと? 何て言うんだ、それ」


「名称は色々あるわ。十次元の切れ端、神の肉片、ちょうちょ細胞……。私は単純に『天使の血』と呼んでいる。これが体内に入る事によって、人間は天使になるらしいわ」


 言われた瞬間に血の気がサッと引き、手に持っていた石ころをピョンと青貝に投げ渡した。青貝は小さく「ギャア」と言いながらそれを受け取り、物凄い速度でケースにしまった。


 一連のやり取りを見て、また少女は笑う。


「安心して。私もよくは聞かされてないけど、別に毒とかウイルスみたいなモノじゃないみたい。なんなら食べたって害は無い筈よ」


「だが、食ったら天使になっちまうんだろう?」


「宿主である東雲さんを斃したから、既に無害化されてるわ。それもう何の効果も無いまさしくただの石ころで、本命がどこかに存在する」


「本命だと?」


「ええ。これよりも遥かに大きな、原石を持った奴がこの大学にいる。そいつは東雲さんを天使に羽化させ、相川君や水谷教授を変貌させ、大学構内の人々全てを天に送ろうとした」


「つまり、黒幕って事か」


 黒幕と言い切る青貝の言葉に、胸の鼓動が早まる。天人との戦いはあれで終わりでは無かった。未だに尾を引く天使との攻防の記憶は、まだ彼の心の片隅に引っ掛かっている。


「そういう事。しかもそいつは人間だった東雲さんに全く怪しまれる事無く、その石を手渡すか注入する事が出来た。そんな事は自我の無い羽化天使には出来やしない。そいつは間違いなく自意識と害意を持った人間として、この大学のどこかに潜んでいる」


 みるみるうちに、青貝の顔が義憤に駆られた男の面構えになる。恩師とゼミ仲間を殺され、何の罪も無い学生も大勢自死させられた。そんな悪魔の所業をやった人間が、この大学の何処かにいるという。


 何より彼の心を痛ませるのは、彼らの死を悲しみ慈しむ事の出来る人間がこの世にいない事だろう。天人の攻撃は単に命を奪い、人を悲しませる訳では無い。自縊死体となり、耐えようの無いトラウマとして刻まれた彼らはアンデスによって書き換えられ、人々の心の中の何処を探しても存在しなくなる。死ぬだけでは飽き足らず、全ての人々から忘れられてしまう。


 だからこそ彼は怒るのだろう。悲しめない人々に代わって青筋を立て、涙を流し、手を合わせ、この世界で確かに生きていたのだと繋ぎ止めようとする。英雄だった彼の父と同じく、彼もまた真っ直ぐで曲がる事を知らない。


 鹿島はそんな友の姿を見て、ばれないように小さく笑う。こんなにもいい奴にどうして恋人の一人や二人出来ないものかと、ある意味で神とやらを糾弾したくなる。


 ピリリリリと、誰かの携帯電話が鳴った。無機質なデフォルト音の先は、少女の掌から流れ出ていた。


「もしもし。……ああ、ええ。今一緒よ」


 口調からして、相手は例の草野さんとやらだろう。フランクな関係のようだが、所々に遠慮や配慮のようなものを感じる。


「本当に? 分かった、直ぐ向かうわ」


 通話を切ると同時に、少女は立ち上がった。


「黒幕の正体が分かったわ。人間を誑かす悪魔とでも言いましょうか」


「ど、何処にいたんだ。やっぱり大学の構内か?」


「場所は6号館の〝首吊り煙突〟。悪魔の正体も、草野さんが写真に撮ってくれている」


「それは丁度いいな。人に見られずに済む」


 6号館といえば文学部棟のある8号館の近くだ。あの館は人気の無い立ち入り禁止区域だが、逆を言えば何かを企むにはうってつけの場所だ。


「それで、その悪魔とやらはどんな奴だ」


 少女は草野から送信された画像を見ると、一瞬だが目を大きく見開かせた。超人とも言える彼女が驚いた姿に、二人の恐怖が助長される。


「この人よ。貴方達も……、いえ、よく知っているよね?」


 画面に映った姿を見て、二人は言葉を失った。そこに映っていたのは自分達も良く知っている、文学部の同期にして友人。


 平野愛里の姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る