(3)
天人が地球侵略にやって来るよりも五年前。青貝の父は警備員ではなく、町の駐在所に勤める警察官だった。階級は巡査部長。平穏な町の人々に愛される、立派なお巡りさんだった。
だがあるカルト教団にのめり込んだ一家から始まった集団自殺、俗に言われる「
「天穴の確認の為に向かった連中と違い、父さんは運悪く穴の真下にある薬品工場跡の警備を担当していただけだった。著名な被害者らが英雄と言われる中で唯一、話題性を持たないただの犠牲者だった」
「そうだったの」
「いや、それだけならまだいいさ。でもな、父さんは本当に英雄だったんだよ」
そう言うと青貝は、ジーパンのポケットから携帯電話を取り出した。今となっては見る事も無い、旧型の折り畳み式携帯電話だ。
彼は携帯電話を操作すると、通話の画面に切り替えた。そこからボタンをプッシュして、通話の録音機能に切り替える。スピーカーからはブツブツとノイズが混じりながらも、鹿島にとっても懐かしい声が聞こえてきた。
『もしもし
ノイズの混じった録音はそこで途切れ、青貝の父の言葉は途絶えた。通話を終えると流れる無機質な音が、嫌でも三人にリアルな〝死〟を連想させる。
「これが父の最期の言葉だ。父さんは五人の中で最後まで生き延びて、近隣の人々の避難に尽力して死んだ。……でもその事を、世界中の誰もが知らない」
悔しそうに携帯電話を握る青貝からは、今すぐ握り潰してしまいたい程の怒りと決して潰してはならない想いが均衡しているのが分かる。電話会社のサポートも終わった彼の機種では現行機種へのデータ転送も出来ないので、彼が少し力を強めるだけで父の言葉は永遠に消え去るのだ。
「……避難した人は助かったの?」
「全員助かったよ。怪我も無く無事に生き延びて、朝四時に叩き起こされた事に不満を漏らす奴が殆どだったらしい」
「そう」
「だがそいつらも、今では父が助けてくれた事を誰一人として覚えていない。大半は天人からの二次攻撃で自殺しちまったし、生き延びた奴らもアンデスの力で父の記憶を消してまった。悪夢の発現地から命を救われておいて、連中は父さんの行いを『癒え難いトラウマ』として処理しちまったんだ。当事者である奴らに記憶が無ければ、この録音もただの戯言だ」
その言葉に少女は目を伏せ、鹿島は舌打ちをする。アンデスは心を平穏に保つ為なら何でもする。平穏の為なら人の深層にも土足で踏み込み、躊躇なく記憶から誰かを消す。天人が人々に与えた恐怖は、青貝の父の英雄行為を無にしてしまう程の苦痛を示してしまった。
「あれから八年が経つ。今でも父は英雄ではなく、ただの被害者その一だ。歴史の教科書でも父の名は省略され、ネット事典にすら項目が存在しない」
そう言って青貝は、自虐的な笑みを浮かべる。
「実は俺が何度も作ったんだがな。ただ何も知らない野郎相手に編集合戦したせいで閲覧規制、アクセス拒否されちまった。今じゃページを見る事も出来ないから、レポートを纏めるのに難儀してるよ。……結局この国の表の歴史に記されたのは、国を守る公務員や名の知れた著名人だけだった。それに比べりゃパートタイマーの警備員では給与も立場も話題性も社会的価値すらも違う。笑えるよ。父さんは職業差別されて歴史から消されたようなもんだ」
「やっぱりお前、まだおじさんの事を?」
「ああ。俺はまだ、あの日の時間に縛られたままだ」
そう言って青貝は自嘲的に嗤うが、鹿島も少女も彼を悲しそうな目で見る。冷たかった少女の目に温かみが宿り始めていた。
「だから俺は歴史やジャーナリズムを学び、父の本当の軌跡を歴史に記す為に今を生きている。例えこの身にアンデスを宿そうとも、俺は父が俺にくれたものを一つとして忘れはしない。俺は父さんが残してくれたものを、何としてもこの世界に繋ぎ留めたいんだ」
青貝がそう言った瞬間、鹿島は驚いた。仏頂面だった少女が、ほんの少しだけ笑みを零したのだ。
「素敵ね。応援するわ」
少女の言葉に、鹿島も頷き返す。
「こいつが素敵なのは産まれた時からだ。産まれた時から早起きで大声で、俺は何度こいつに素敵な体験をさせて貰った事か。もっと早くに知っておけばよかったのによ」
鹿島の含んだ茶化しに、少女はまた仏頂面を浮かべる。青貝とのファーストコンタクトを思い出し、苦くなっているのだろう。
「因みに鹿島、貴方はどうなのよ?」
「ん、俺か?」
「正直に言って、貴方にはそんな感じのものは無さそうだけど?」
「言ってくれるじゃねえか。まあでもそうだな。俺は……」
鹿島は一つ咳をしてから言った。
「俺は、こいつが信じているものを信じているだけさ」
「鹿島……」
「おいやめろ青貝、潤んだ目で俺を見るな」
「あ、誰が潤んでるだバカシマ!」
「声がでけえぞアホガイ! ……ま、この通りただの腐れ縁だよ」
「ぷっ、ふふふ……」
二人のやり取りを見ていた少女は顔を震わせ、声を漏らした。
「気に入ったわ。いいわ、力を貸してあげる」
「本当か?」
「ええ。元々私達、いえ人間にとっても天使は邪魔な存在。いてくれたら心強い」
「でも言っといて何だけどさ、俺達はそのウニョウニョしたもんは使えないぞ?」
鹿島がそう言った時、少女のメンタルフォルスの糸は蛇のように蠢いていた。黒蛇はまるで少女に全幅の信頼を寄せているかのように、少女の肩や首回りを這いまわっている。
「さっき一つだけ嘘をついたわ。天使の最優先攻撃対象は旧人類って言ったけど、本当は違うの。一番躍起になって向かって来る攻撃対象は私のような能力者、イモムシと呼ばれるメンタルフォルスの糸の操者なの」
「え?」
少女はニヒルな笑みを浮かべる。
「元々絶望を孕んでいる死に損ないで、アンデスの精神汚染防護機能が完全停止し、自分達を完全に殺せる存在が目の前にいたら貴方ならどうする? 私が天使なら、お腹抱えてトイレに向かっている途中でも殺すでしょうね」
「馬鹿な。君にも危険が及ぶじゃないか!」
「ええそう。だからこそ、貴方達にいて欲しいの」
少女の言葉に疑問を感じ、鹿島と青貝は互いに顔を見合わせた。
「奴らが宿主の絶望を操るように、メンタルフォルスは各々のトラウマが具現化した殺傷の為の武器。糸の操者には常に過去の記憶が纏わり付き、耐えようが無い程に精神が摩耗していく。能力を行使する為には、それを癒してくれる存在が必要なのよ」
「それが俺達だと?」
「ええ。貴方達は既に持っている。生きようとする強い精神と、挫けない心をね。……多くは望まない。でももし私が天使と戦い己の絶望に負けそうになったら、その時はせいぜい笑い話でもして私に『まだ生きたい』と思わせて」
鹿島は少女を見た。「まだ」生きたいと言った少女の言葉は、裏を返せばいつでも「死にたい」という想いがあるという事だ。
この時始めて鹿島は、少女の事が気になった。この少女の小さな胸の中には、どれだけの絶望があるのだろう。その味は恐らく、この新時代の人類には到底知る由も無いモノなのだろう。
突然、窓から女性の叫び声が聞こえた。声色は明らかに歓声や嬌声ではない絶叫だ。方角からして聞こえてきたのは、構内で一番大きな建物である1号館だ。学生課や相談窓口、そして学生向けの保健室がある教務棟だ。
「どうやら、アテは当たったみたいね」
「ああ、早く行こう!」
人よりもワントーン大きめの青貝の言葉と共に、鹿島らは猛スピードで階段を駆け下りて行った。
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