(1)

 鹿島と青貝の出会いは、二人が産まれた時まで遡る。


 記憶を抜かすような歳でも無いが、さすがに赤ん坊の頃までは覚えていない。ただ住んでいた町や入院していた病院の部屋までが同じおかげで、互いの両親が親しくなったのだけは知っている。


 俺達が双子以上に双子っぽかったのは、両親が似た者同士だったせいもあるのだろう。親父は互いに似たような思いを胸に仕事をしていたし、母も気丈で姉妹のような仲だった。家も近いから学区も一緒で、そうなると当然利用するスーパーやレジャー施設も同じでどこへ行っても出くわし続けた。


 似た者同士の夫婦の子供が同じ歳と性別で産まれたのなら、俺たちが似たり寄ったりなのも運命なのかもしれない。体格も趣味も知能も殆ど同じくらいで、同じくらいに大した事が無かった。勉学よりも外遊びを好み、スカした千円越えのランチプレートよりもチェーン店の牛丼の方がコストパフォーマンスも腹持ちも良いと喜び、交際経験は無いけど理想は高いという典型的な童貞思想。この腐れ縁は一生変化を見せぬまま、腐って死んでいくのだろうと思わせた。


 だが思わぬ所で歯車はズレた。八年前の空から天人が降りてきたあの日、青貝の父が死んだ。


 彼は天人の精神攻撃によって初めて死亡した、五人の内の一人だった。犠牲者は肉眼では確認出来ない程に小さな空の穴を観測に向かった者達だったが、青貝の父は不運にも職場が穴の真下にあったので巻き込まれてしまったのだ。


 彼らの死を機に被害はどんどんと広まり、世界中に絶望の因子が拡散した結果、八億の人類が死亡した。自分の父もここで死んでいる。


 地球全土が自殺体で溢れるという悪夢のような状況に人々は気が触れ始め、国は精神安定維持プログラム薬品「アンチ・デストルド・システム」を開発した。二次自殺者が最も多かった天穴の被害中心地から配り、改良型を現場で働く職員達に配った後に一般で流通し始めた。


 当然、理解の及ばぬ技術と新製品への忌避感からアンデスを拒む者はいた。致死の病が流行ろうとも、得体の知れない薬に縋るには人間性を棄てられない。


 混沌と化した世界でアンデスを内蔵した人間は〝新人類〟と呼ばれるようになり、そうでない者は〝旧人類〟と区分されるようになった。


 結果を見ればアンデスは非常に効果的な薬品であり、宗教に変わる人類繁栄には欠かせない存在となった。


 多くの人間に〝人生〟というものを改めて認識させた審判の日も、結局は科学の力によって神に反訴して逆転勝訴の日になったのだ。



 三分前に研究室へ入ると、既に鹿島らを除いた全ての学生が着席していた。反応した全員にぎこちない笑みで会釈して後ろの席へ座ると、顔を上げた時には全員が鹿島らに何の興味も示さなくなっていた。


 学友とはいえ陰気臭い奴らだと、内心で愚痴る。教授も来ていないのだから談笑でもしていればいいのに、思考思案を好む余りに皆むっつりと黙り込んでいる。見れば院生やゼミに関係の無い受講生など、知らない顔も多くいた。


 青貝と談笑する暇も無く、立て付けの悪い止まり気味な引き戸の音が鳴り響いた。扉の先には水谷教授がいた。どうやら間一髪だったようだが、教授は鹿島らの顔をちらと見ると寂し気な眉を垂らした。


 四限はゼミ生と大学院生を交えた合同発表会だ。旧時代の文豪に対するアプローチがテーマで青貝は地元に石碑を持つ文豪を綿密に調べあげ、鹿島は適当に名前が浮かんだ近代文学者の経歴をインターネット事典からコピーアンドペーストして纏め上げた。


 ゼミが始まると同時に周囲を見渡した鹿島は、一人の存在に気付いた。暇そうに壁際の本棚に並んだタイトルを眺めていた青貝の肩を突くと、端に座る彼女を指差した。


「青貝、ほら……」


 指し示した先にいたのは、最近ゼミで見かけるようになった女子学生だ。ゼミ生でもないのに何度かこのゼミを聴講している。整った顔立ちながらも平野とは違う水のように流れる長髪と切れ長の目は、何者をも受け付けない拒絶のような印象を受ける。


 あの凛々しさは文系というより、理系や体育会系の面に近い。とっつき難そうではあるが綺麗な子ではあるので、鹿島は一度だけ青貝を焚き付けて彼女を飲みに誘った事があった。初心うぶな中学生のようにドキドキしながら勇気を振り絞った青貝に、彼女は一言「無理」と二文字で突っぱねた。


 それ以来青貝は心に掠り傷を負い、鹿島は酒の席での鉄板ジョークとしてレパートリーに加えた。彼に意中の女性が出来るまでは、このネタで絞れるだけ笑いの出汁ダシを搾り取ってやろうと思っている。


「また来てるな。今日はゼミ生の発表日なのにだぜ?」


 少女はゼミの間何も喋らず、誰かが発表している間もただじっと水谷教授を見つめていた。教授を見る目も尊敬や学習意欲、ましてや恋心でもない珍奇な昆虫の観察のように視線を揺らしている。


「二回生の子だろ? きっとウチだけじゃなく、他のゼミも見回ってるんだよ」


「にしてはお前に対する視線に、熱いものを感じるぞ。遂にお前にもモテ期が来たか?」


「うるせえバカシマ! だったらお前だって……」


 青貝の言葉に、彼女は教授に向けていた顔を二人に向けた。少女はじっと目を細めてこちらを見る。思わず「やべっ」と呟き、視線を降ろした。


 だが目が合うと少女は眉を潜め、振り払うようにそっぽを向いた。本屋でいつまでも新刊コーナーを陣取る本を見てうんざりとしたような、飽き飽きとした目だった。


 その視線になんだか猛烈に恥ずかしくなって、鹿島は横に座る友を見た。目を合わせた青貝はプッと息を漏らした。


「お前も振られたなあ、バカシマ。お前こそ狙ってたんじゃないか?」


「うるせえ、アホガイ。いいんだよ、俺はショートヘアが好みなんだよ」


 吐き捨てるように言ったが、言葉とは裏腹に何の怒りも湧いていない。火花を見ただけで水をかけてしまうアンデスの存在は、完全なる平和と同時に人の個性も削減しているのかもしれない。


 真向いの男子の発表を聞いていると、扉がガタつく音がした。教授も生徒も皆揃っているの中で、わざわざここに入って来る者はいない筈だ。時間の空いた先生や副手が、資料でも取りに来たのだろうか。


 扉の方に振り向いた瞬間、二人の時間が停止した。鼻でも口でもないどこからか空気が漏れ出していき、その音が耳に轟いている。肉体の限界とアンデスが悲鳴をあげる底根まで、空気が失われていくのが分かった。


 そこには鹿島も青貝も忘れた、意識の底へと沈められたアンデスの検閲禁止処置を受けた者の姿があった。


 水谷教授が、彼女の姿を見て言う。


「おや東雲しののめくん、今日は休みじゃなかったのか?」


 そこにいたのは、食堂前で自縊死していた女性だった。繭からはみ出ていた服装も鏡餅の蜜柑のように飛び出ていた頭も、全てがさっきの死体のもので間違いない。


 唯一変わっていたのは、彼女の顔には〝生気〟が宿っていた。紫がかっていた筈の顔には朱が差し、二の腕から生える産毛が蛍光灯の光を反射して風にそよいでいるのが見える。


 彼女が一歩前に歩いた瞬間、花のように優しい香りが流れた。傍にいるだけで強制的に安らがせるような、安寧の暴力の香りがした。


 鹿島は思い出す。この女性は水谷ゼミに時折やって来る、文学部の院生だった。あまり目立たない大人しい女性で、講義の際や客員教授の講演時に小間使いをし、平野みたいな陽気過ぎる学生に対してオドオドと対応していた記憶があった。


 鹿島は青貝を見た。彼もまた驚き、同時に怯えているようだった。鹿島の視線に気付いて何かを訴えようとするが、一目で頭が現実に追いついていないのが分かる。


 教授と他のゼミ生らは、この歪な状況に平然としていた。まさか彼女が死体だとは思わないだろう。ゾンビにしては水々みずみずしく幽霊にしてはクッキリとした彼女の姿には、変異や蘇りをイメージするには圧倒的に物足りない。


 例えるならそれは〝進化〟だった。あの白い毛糸の繭に包まれていた少女は殻を破り、新たな自分へと羽化したのだ。


「東雲君? どうかしたかね」


 東雲は教授の言葉に振り向くと、小さく笑みを浮かべた。見ているだけで笑い返したくなるような、赤ん坊のように屈託の無い笑みだ。


 動作の一つ一つがあまりにも自然過ぎて、鹿島は自分の記憶を疑い始めていた。不自然な状況がどんどんと自然に変わり、アンデスによって過去の記憶が歪なモノとして正されていく気がする。


 あれは見間違いだったのかもしれない。こんな見ているだけで癒されるような少女が、絶望に巻かれて死ぬ筈がない、と。


 そんな中で鹿島は、それに気付いた。誰もが呆けた笑みを浮かべる中でただ一人、あの気の強そうな少女だけが彼女を見て身体を強張らせていた。


「東雲くん? 一体どう──」


 隙間風のような音が響くと同時に、教授の声はそこで途切れた。


 白で統一された無機質な教室に、紅が差し込まれた。突如現れた白色のセロファンのような物体が教授の体を通り抜け、背後のホワイトボードまで突き進んでいた。


 羽だった。白いセロファンは東雲の左肩から飛び出し、教授の喉を貫いていた。音も兆候も無かった突然の光景に、教室の音まで掻き消された。


 無機質な蛍光灯の光が、窓から射し込む陽の光が、彼女の羽を輝かせる。それはあまりにも静かすぎる、別次元からの攻撃だった。貫かれた教授の体は次第に小刻みに揺れ始めた。


「あグっ、ぐ……」


 それはもはや声というより音であり、ズルルと何かを引っ張り出すような不快音が鳴り響いた。東雲の羽が教授の体から引き抜かれると、教授の口元からアーアーとマイクチェックのような声が発せられ、ぽつぽつと動き始めた。


『水谷ショットがあります。私の名前は妻の死に園芸ガーデニング興味を作った荒縄で、バスルームにトイレからの彼の妻の自殺がハングしたときの時間から侵攻時に疲れて次元の女性10が放棄をロック可能性があります。死は、だから私は古い男を作ったようになります』


 理解出来ない日本語らしき言葉を、教授はポッカリと開いた喉から流暢に喋る。不気味極まりない無機質な音程に、鹿島の体はガクガクと震え始めた。


「な、なんだ……。どうなってんだこれは?」


「それよりも鹿島、あれ……」


 一文字も理解出来ない羅列の中を泳いでいると、〝それ〟は教授の内側から飛び出てきた。


 糸だ。荒縄状の糸が、水谷教授の内側から飛び出して来た。それがあっという間に彼の全身を包み込み、繭のようにグルグルと巻いていった。


 もはや頭は思考を拒否していた。あまりにも常識を逸脱した現状と現象に、鹿島の中に神が降臨した日が蘇ってきた。


 あの日も誰もが、ただの日常を送っていた。現れた十次元の神は物理的な破壊をするでもなく、ただ死へと導くように人々に囁き続けた。囁かれた神託は死の伝言ゲームとなり、多くの人間が自壊した。


 だがこれは違う。目の前に現れたのは神託を発する神ではなく、間違いなく意志を持って攻撃を加えに来た怪物モンスターだった。

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