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 八年前の九月一日。世界中の人間が一斉に自殺する事件が起きた。人種、性別、職業、年齢の全てが絶妙にバラけていて、赤ん坊から老人まで数多の人間が死亡した。後に〝審判の日〟や〝人類存亡の機〟。欧米なんかでは発祥国から〝切腹の日ハラキリ・デイ〟などと呼ばれた日だ。


 人口から見れば最も犠牲者を生んだのは米国だが、割合で見れば発祥国である我が国が一番人民を失ったという。尤もそのデータも、多くの人間の突然死に世界中が狂乱状態になっている中で記録されたモノなので信憑性に欠けると友は言う。今存在している記録は全て終息後に纏められたモノであり、夏休み最終日に慌てて書いた観察日記のような代物に過ぎないらしい。


 生き残された人々は一人残らず、あの時の情景を魂の最底にまで刻み込まれた。様々な場所、様々な方法で大勢の人間が一斉に首を吊り、首の骨が〝ゴグッ〟と折れて軋む音が地球全土に広がった。吊る環境が無かった者は壁なり地面なりに頭蓋骨が割れて脳味噌が飛び出て機能停止するまで打ち続け、赤ん坊や身動きの出来ない老人らはで死ぬまで息を止めた。トイレブラシで目玉を貫いて、脳味噌をほじくり出して死んだ者もいたという。


 あの日、生き残った全ての人類が〝自殺の音〟を聞き覚えてしまった。命の終わりは全く美しいモノではなく、自殺という死因は実在するという事を知った。人の死は生物学の範疇で、フライドチキンの軟骨を噛み砕いた時の音に似たジャンクで不健康な汚らしいモノである事を知ってしまった。


〝死〟は薄汚くて痛々しく、他者の意志など無関係に発生するという事実は、人の奥底にある何らかをひらいてしまったらしい。公園や校庭を臨時火葬場にしても足りない程の臭気と、彼らが死の間際にまき散らした汚物の臭いに多くの人間が狂った。二次災害的に自殺をする者や心中を図る者らで臭いは一層濃くなり、疫病まで発生して更に大勢が死んだ。


 それでも人類は一致団結して、どうにか滅亡を免れた。かといってそれで世界が平和になる程、人の一生は甘くない。


 その光景を空から見下ろして、ほくそ笑んでいた者がいたのだ。空にポッカリと開けた穴の中から滲み出てきた元凶らに対し、混乱した人々は呼び名を統一する事は出来なかった。


 宇宙人、異世界人、別次元の支配者、透明人間、形状概念生命体、テンズウォール人。若者は己の感性で、年寄りは築いた常識と黴臭い幼心で、学者は立派な著書の形式で、国は民意を統合してその名を呼んだ。


 だが最も人々にとって呼びやすかったのはそれだった。


 漢字なら一文字で、


 ひらがなでも二文字。


 英語でも三文字で書ける、この世で一番凄いヤツ。


 八年前の九月一日。


 この世に神が舞い降り、世界をブッ壊した。

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