第106話 気狂いのポール

 お姉さんがおじさんに声をかけて、僕はその小屋に通された。


 中に入ると狭い小屋の中に数人が座っていて、その一番奥にお婆さんが腰を下ろしてこちらを見ていた。


 いや、見ていない。その黒目は白く濁り明らかに僕を映してはいなかった。


 お姉さんは「狭いところですが、どうぞ」そう言って微笑むと、バンバンと敷物を叩いて、お婆さんの向かえに置いた。僕はそれに「ありがとうございます」と言ってから座る。


「アルフレッド様、お初にお目にかかる。とびきりの美少年だと孫娘から聞いておりますから、見れないのが残念ですよ」

「目が悪いのですか?」

「はい。ですが、歳を取ると皆こうなりますからお気になさらずに」


 お婆さんはそう言うと「カッカッカッ」と楽しげに笑った。


「それで、ポールの親族をなぜお探しなのですか?」

「昔ポールさんに蜜を渡したドリアードのドロリスさんに頼まれたのです」

「ドロリス様は、なんとおっしゃっていましたか?」


 お婆さんはそう言うと、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「ポールさんを連れてきて欲しいと、なぜ約束をやぶったのか、その理由を知りたいと言っています」


 僕がそう言うとお婆さんは顔をしかめた後で、その場にひれ伏すように体を床に投げ出した。


「おぉ、やはりドロリス様はお怒りか? 天罰じゃ、この疫病はやはり天罰なのじゃ」


 隣の男性が「婆ちゃん、アルフレッド様が驚いているよ。今は天罰の話はいいから、ポール爺さんの話の続きを話してくれ」とお婆さんの体を起こす。


 お婆さんはその男性に「すまないね」と頷くと、こちらに顔を向けた。


「アルフレッド様、申し訳ございません。私の叔父であるポールは最後の瞬間までドロリス様との約束を守ろうとしたのです。しかし、仲間の冒険者達によって投獄されてしまい、約束を守ることが出来なかった」

「投獄ですか?」


 僕が聞くとお婆さんは「さよう」と頷く。


「100年ほど前、疫病の薬を取りに行った4人の冒険者がおりました。のちに、その4人のうち3人は英雄となってタウロの街の貴族の家に婿入りし、残り1人は気狂いのポールと呼ばれました」


 お婆さんはそう言うと、何も映らなくなった目で空を見た。


「ポールおじさんは、当時冒険者の中で1番若く美少年だった為にドリアードの蜜を取りに行く担当になりました。そして、ポールおじさんは蜜を取りに行ってドリアードのドロリス様に恋をしたと言っておりました」

「恋ですか?」

「そうです。牢の中でポールおじさんはいつもドロリス様がどれほど美しいのか? と話して聞かせてくれました。そして、いつも約束を守れない事を嘆いて、泣いておりました」


 お婆さんは一度悲しそうな顔をした後で気を取り直したのか? 表情を戻す。


「集めた素材を使った薬により疫病が終息すると、ポールおじさんはドロリス様との約束を守る為に、タウロの町の周囲から隣のウロスの街まで広がる、スグノキの森のスグノキを全て切ろうと言い出したのです」

「スグノキの森とは何ですか?」


 僕が聞くとお婆さんの小さく頷く。


「スグノキの森とは、人族が植林して作った森です。しかし、ウロスの街の林業が廃れたせいで人族は森の手入れを行わなくなった。そのせいで森にはスグノキがひしめき合うようにうっそうと立ち並んで、その地表には日の光が届かなくなり、スグノキの森はいつからか、他の植物の生えない、魔獣もいない森となりました」


 僕が「えっ?」と驚いて聞き直すと、今度はお婆さんの隣に座る先程の男性が頷いて、それを補足した。


「スグノキは間引かないと並んでたくさん生えます。たくさん生えると、周りに邪魔されてどの木も下葉に日が届かなくなる。するともちろん下葉が枯れてなくなりますから、下葉がなくなった木は少しでも日の光を得ようと周囲と競うようにヒョロヒョロと背ばかり伸びて上葉をたくさん生やす。当然そうなれば、地表には全く日の光が届かなくなり、他の植物は皆枯れて、土も枯れて、水も蓄えなくなり、最後は魔獣も住まなくなるのです」


 男性の説明に僕が「難しい事はわからないけど、そんなのが良い訳ない」と言うと、お婆さんが頷く。


「そうです、だからドロリス様はポールおじさんに蜜を分ける代わりに、そのスグノキを切るように頼んだのです」

「つまりドロリスさんは人族が作った死の森を元の森に戻して欲しかったって事ですね」

「はい、そうだと思います。だいたい我ら人族も元は魔獣なのですから、死の森が我らにとっても良い訳がないのです」

「それは、なんとなくわかります。でも、なぜそれでポールさんが投獄されると言う話になるのですか?」


 僕が聞くとお婆さんは項垂れるように首を垂れた。


「死の森を魔獣が嫌うからです」

「えっ?」

「この地の周囲に広がる死の森のおかげで、この地には魔獣が寄り付かない。だから、安心して農業を行えるのです」


 お婆さんはギュッと歯を食いしばった。


「タウロの街付きの貴族は大農家でもあるので、死の森を無くす事を許さなかった。だから、ポールおじさんをドリアードに魅了された気狂いであるとして、ポールおじさんの仲間の冒険者達に捕らえるように命じたのです」

「なぜ仲間の冒険者達はポールさんを裏切ってまでそれに従ったのですか? 領主に訴え出れば良いのではないですか?」


 僕の言葉にお婆さんは再び「カッカッカッ」と笑う。


「アルフレッド様、失礼ながら王都から遠く離れたこんな辺境に領主様が来てくださると思いますか?」


 僕は「それは……」と言いながら周りの人達を見た。


 そうだね。お爺様がここまで来ていれば、こんな事にはなっていないはずだ。いくら農民が大事だと口で言ったとしても、その為の領政を敷いたとしても、農民の人達は苦しんでいる。


 残念ながら、それが現実だね。


 僕が眉間にシワを寄せて「クッ」と奥歯を噛むと、お婆さんはまるで見えているかのように微笑んだ。


「アルフレッド様、領主様を責めている訳ではありません。ただ、こんな辺境まで来てくれるはずない事を我らはわかっているのです。だから誰もタウロの街付き貴族である3つの大農家に逆らおうと思わない」


 お婆さんはそこまで言った後で、一度ギュッと顔をしかめた。


「それに冒険者達はそれぞれ街の英雄として貴族の家の娘との婚約も決まっていました。つまりは自分達が貴族となる為に、ポールおじさんを気狂いのポールと呼んで貶めて捕らえたのです」


 お婆さんはそう言うと手探りで、隣のおじさんの腕を掴む。そして「あれをアルフレッド様に」と言った。おじさんはそれに頷くと小屋の奥に行ってからそれを持って戻ってきた。


 2つの木箱だね。


「アルフレッド様、まずはポールおじさんが獄中で書いたドロリス様への謝罪の文です。毎年2通ずつ書いて、全部で108通あります」


 お婆さんがそう言うと、おじさんは1つの箱を僕の前に置いた。


「それからもう1つはポールおじさんの骨です。おじさんは死んだら俺をドロリス様の木の根元に埋めて欲しいと言っておりました。ですが、冒険者でない我らにはドロリス様のところまで森を歩いて骨を持っていく事は叶いません」


 お婆さんのそこまで言うと、また身を投げ出すように深々と頭を下げた。


「ポールおじさんをドロリス様のところに連れて行ってあげてくださいませんか?」


 僕がそれに「わかりましたから、顔を上げてください」と言うと、おじさんが僕の前にその骨の入った箱を置いた。


 そして、おじさんが元の場所に座ると、その部屋にいた人達が全員「お願いします」と僕に向かって深々と頭を下げた。

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