第8話 油断禁物

 それからというもの、学校生活はほとんどその友人とともに過ごした。されども、あちらは実家通いで、こちらは寮暮らし。夜遅くまで遊び倒せるという訳ではなかったが、それでも僕の学校生活は幸せに傾きつつあった。


 いくら周りから『最弱』のレッテルを貼られようが、罵られようが、僕にはどうでも良かった。その友人と共に過ごせれば僕はそれで満ち足りていたのだ。


 次第にイジメは鳴りを潜め、ようやく普通の学校生活を送り始めたその頃に。さらなる転機は訪れた。


 幸福と不幸は平等に起こるという言葉をあれほど実感した瞬間はない。

 実家からの届いた一通の手紙。僕を幸福の絶頂から引きずり下ろすには十分すぎるものだった。


 ◇


「どうしたんですか!?その怪我!?まさかユニークモンスターですか!?」


 血だるまになりながらギルドに入ってきた僕に受付嬢、リーナがそう声をかける。顔の皮膚が消え去り筋肉すら覗かせている僕の姿を見て引くことがないのは流石と言ったところだろう。しかし、今の僕にはその質問に答える余裕はない。すぐさまポーションを飲まねば、今日の仕事に差し支えが出てしまう。


「いや、そういう訳じゃないんだ。取り敢えず回復ポーションを売ってもらえるかい?その紙とペンを置いてさ、ね?」

「すいません!ど、どうぞ、ポーションです!」

「どうも」


 100リアを払い、手に取るや否やすぐさま飲み干す。その瞬間前身真っ赤に染まった僕の皮膚は再生を始め、ものの数秒で元通りだ。


「ユニークモンスターでないなら、その怪我はどういう訳ですか?」


 紙とペンを戸棚に戻して、すっかり落ち着きを取り戻したリーナはそう僕を問いただす。普通受付嬢がこうやって事細かに聞くことはないのだが、何も一日二日の関係ではないのだ、答えるぐらいは何でもない。


「笑わずに聞いてほしいんだけどね?」


 チョイチョイと耳を貸すよう合図を送る。とてもじゃないが大声で話せるような内容ではない。まだ朝も早く冒険者がほとんどいないのが幸いだが、どこで聞き耳を立てているか分かったもんじゃない。注意しすぎて悪いことはないだろう。


「何故そうなったのか理由は省略するけど、顔面からスライディングをかましてね。御覧の有様だよ」


 ひそひそ声でそうリーナに打ち明ける。まあ笑われたところで大して痛くもない。そこまで浅い関係という訳でもないのだ。


「なーんだ。そんなことですか。心配して損しましたよ。では今日の依頼表をお渡ししますのでよろしくお願いしますね?」

「え?」


 予想外の反応。笑い上戸という訳ではないが、それでも人並みに笑うことはあるリーナだ。大笑いはせずとも吹き出すぐらいはするだろうと思っていたのに、肩すかしを喰らった気分だ。無理やり手に握らされた依頼書を片手に僕は再び質問する。


「面白くない?顔面からスライディングだよ?ヘッド()スライディングだよ?」

「……ええ、確かに面白いでしょうね、冒険者の皆さんにとっては」

「君は違うのかい?」

「人の失敗を笑う趣味は生憎私にはありませんので。では今日もお願いしますね?グレンさん?」


 何故そこで怒る。心配して損したとまさか本気で思っているのだろうか?それはいわゆる挨拶的な立ち位置のものじゃないのか?


「えっ、ちょ」

「あらまたいたんですか?後が支えてますから早く仕事に出てほしいのですが?」

「え、でも後ろは誰も居ないよ?」


 有無を言わさぬ表情。顔は確かに笑っているが、目が笑っていない。これは完全に怒っている時の表情だ。流石の僕でも何度も同じ失敗はしない。この状態になったリーナは放っておくのが最適だと僕の経験が示している。


「そ、そうだね。確かに他の冒険者の邪魔になりそうだし、仕事に行ってくるよ」

「はい。お気をつけて」


 逃げ帰るようにギルドを後にする僕。他の人間が居なくて幸いした。こんな醜態酒のツマミにされるのがいいところだろう。もっともリーナが怒る時は決まって人のいない時だから気にする必要はないのだが。


 時たま鬼神を思わせるリーナではあるが、キレイどころの受付嬢の中でも一、二を争う人気を誇る。なんでも、ツリ目がちな気品ある目と、高く整った鼻が高貴さを感じさせて良いのだとか。

 可愛い系よりも綺麗系が冒険者界隈で人気があるのはうなずける話ではあるのだが、僕に言わせてみれば鬼に憧れる阿保が何処にいるのかというところだ。

 だが、先程言った通りリーナは僕以外の人間に、その姿を見せたことは一度もない。人気が出るのは当然だった。


 まぁ?確かに?人気受付嬢が僕にだけ特別な態度をしてくる、という字面だけ見れば?憧れないこともないのだが、僕はゴミを見る目で見られて喜ぶという特殊性癖を持ち合わせていない。


 しかし、僕と打ち解けてくれている証と考えれば、嬉しくないこともなかった。


「今日の依頼は2パーティか。これじゃあゆっくり実験もできやしないな」


 意図はしてないが、かなり体を張ったギャグも不発に終わり、僕は依頼表を確認してトボトボと顔なじみのダンジョンへ向かう。今度は決してまともな装備なしに空を飛んだりしないと固く心に誓って。


 そんなしけた空気を纏う僕とは裏腹に、街は活気を見せ始めてきた。


 そのうち人通りも増え始め、僕はある異変に気付いた。すれ違う人すべてが僕の方を見たかと思えばすぐ目をそらすのだ。「見ちゃいけません」とか言って子供の目を塞ぐ母親もいる始末だ。


 僕ってそんな変な格好してたっけ?と水面に映る僕の姿を見る。


「!?!?」


 声にならない悲鳴を上げてしまった。感の良い人ならもうとっくに気づいているだろうが、言わせてほしい。

 有り体に言って僕は裸だったのだ。局部がまだ隠れていたのは不幸中の幸いだろう。


「なんで言ってくれなかったんだよ!」


 意味のない叫びをあげながら僕は、最寄りの服屋へと駆け込む。店員は固まっていたが気にしない。その場にあるものを掴み、お買い上げ。

 お値段は300リアとそこそこのお値段がしたが、僕の体裁は多分、保たれたので良しとしよう。


 どこからかリーナの笑い声が聞こえた気がした。

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