お題:猿 【さよなら人類の危機!地球から来たSOS!】


                    ◇



 広大な宇宙空間。人類が有する版図は、その中のごくごくわずかしか存在しない。

 けれどもそれを広げていくのがこのフロンティア・スピリッツを持った生命体の偉業である。

 月軌道に基地をつくり、火星と金星をテラフォーミングし、そして今日は人類が初めて木星に有人でつこうとしていた。


「ア・カンベー。木星に到着すると言えるまであと何日じゃろうかのう」

『ハイ、リッチマン宇宙飛行士。当AIの計算によりますと、残り三日ほどですね』


 小柄で少し髪の毛に不安が残る男だった。

 エイプス・リッチマン。国際的宇宙開発組織の実質的No.2にいる傑物だ。

 新しもの好きで派手なものも好きな彼は、自分が目立つためならばどんな努力も惜しまない。

 組織のNo.2でありながら自ら宇宙船に乗り込み名誉を掴みにいったことは、同乗者たちもはじめは驚きを隠せなかった。

 しかしその戸惑いもほんの数日、リッチマンは生来の人たらしの才能で、宇宙飛行士たちとすぐに打ち解けた。

 そして数ヶ月の旅を経た今では、すっかり同じ船に乗る仲間として心を通じ合わせているのである。


「我々の悲願、歴史に名を残すことが遂に叶うのですね、リッチマン宇宙飛行士……!」

「ふほほ、これもワシの名采配のおかげじゃが、それ以上に君らの助けのおかげじゃよ」


 自分の功績を威張りつつも、部下への感謝を忘れない。これがリッチマンの人望の秘訣だった。

 数ヶ月の航海……準備の期間を含めれば数年の努力があと数時間で報われる。

 乗員たちが喜びと興奮に湧いている中で、一人だけ沈んだ顔をしている者がいた。

 他人の機微に敏感であるリッチマンが、それを見逃すはずはない。


「どうしたのじゃアンジー。浮かない顔をしておるが」

「ああ……リッチマンさん。私は恥ずかしいのです。

 地球は今大変なことになっているのに、私たちはこうやって無邪気に栄冠にきゃっきゃしようとできている。

 文字通り地から足を離してしまっている己のことが、急に許せなくなってしまったのです」


 アンジーの言う通りである。

 今の地球の環境は前世紀よりももっと汚くなっている。

 リッチマンたち上流階級がこうやって人類初の偉業を掴もうとしている裏で、

 スラムでは野生の力を試すかのように野良犬が人の骨を咥えて歩き回り、

 曇天模様の空の下は、人間たちが吐き出し年々増加する二酸化炭素濃度で温暖化が進んでいる。

 そんな闇の部分の存在を意識してしまったならば、光の中にいることを罪だと思っても仕方あるまい。


「ふほほ、アンジー。ワシはお前の思っておることもわかるぞ。

 じゃがな、だからこそワシらが必要なんじゃよ。夢を見せることができる者がな」

「夢……ですか?」


 アンジーの目に光が灯る。


「そう。夢じゃ。人類はすごいことが出来るのだから、問題に立ち向かうこともできるのじゃという夢。

 ただ人類が大変じゃー大変じゃーと言ったところで、マイナスをゼロに戻すためだけの努力を誰が喜べるじゃろうか。

 マイナスをゼロに戻すだけではなく、その先に大いなるプラスが待っているのじゃと、そう信じさせることは、決して無駄でも無意味でも現実逃避でもないのじゃと、ワシはそう思っておるのじゃ」


 言っているリッチマンもこれが欺瞞込みであることはわかっている。

 この木星の有人接近計画も、彼自身の目立ちたがり名誉欲の部分が相応に含まれている。

 しかし、これを達成することで人類に夢を見せられるのだと言う思いだけは本物だった。

 それが伝わってきたのだろう、アンジー宇宙飛行士も目をちょっとキラキラさせ始めた。


『皆様! 大変です!』


 そこに水をさすかのように、宇宙船のAIア・カンベーが派手なアラートを鳴らした。


「どうした!? まさかこのタイミングで宇宙船に故障でも見つかったのか!?」

『いえ違います、この船に問題はないのですが、地球から緊急連絡が入ってきました!』


 息を呑む一同。


『報告します。我らが宇宙進出機関のNo.1、ノッブ・ニューオーダー氏が暗殺されました!』


 その報告に宇宙飛行士たちが一気に崩れ落ちていく。

 ノッブ・ニューオーダー氏は、現代の地球で最も影響力がある一人である。

 その彼が暗殺されたとなっては、どれだけの問題が起きるかわからない。

 彼だけが抱えていた情報の消失、後継者争いによる混乱、考えるだけでも恐ろしい。

 No.2であるエイプス・リッチマンが今すぐ地球に戻らなければ、人類社会に大きな混乱が予想されるだろう。

 だが、今彼らがいるのは地球を離れた木星圏である。数ヶ月は戻れまい。

 人類社会は突如として滅亡の危機に瀕していた。

 このままでは社会はめちゃくちゃになり、宇宙船の乗組員が帰る頃には文明は崩壊し、猿のような暮らしを強いられることになるだろう。

 猿にはなりたくない! 猿にはなりたくない!

 ほんの少しの刺激があれば、宇宙船の中で地球よりも一足早く混乱が爆発するだろう。


「諦めるでないわ!!」


 そこに叫びをあげたのもまたエイプス・リッチマンだった。


「今より急いで木星へ向かう! 燃料を一気に吹かして加速するのじゃア・カンベー!」

『その判断理由をお聞かせ願えますか? リッチマン宇宙飛行士?』


 凡百の人間であれば狂ったかと思うだろう。

 宇宙船の燃料は有限だ。一気に吹かしてしまえるだけの余裕などあるはずがない。

 人類社会が混乱に陥るのが見えているのであれば、そうなる前に名誉を掴むだけ掴んで片道切符で死んでやる気なのかと、そう思われても仕方がないものである。

 だが彼はただの名誉欲の化身ではない。名誉のためならあらゆる努力を惜しまず頭を回転させる人たらしなのである。

 そんな彼は即座に今できることを思いついた。


「木星には宇宙船の燃料となるヘリウムがたくさん存在している!

 そこで燃料を補充し、急加速で一気に地球に帰るのじゃ!」


 その発想に船員一同の顔が明るくなる。


「この船には念の為のコールドスリープ装置もある。それがあれば急加速のGにも耐えられるじゃろう。

 いいか、ワシらが木星一番乗りの名誉を得たとしても、それで終わりではないのじゃ。

 地球を救った男の称号も、ワシは獲りにいくつもりじゃが……着いてきてくれるよの!!」


 船員たちの鬨の声がこだまする。

 リッチマン!

 リッチマン!

 我らが船長、エイプス・リッチマン!



 そしてエイプス・リッチマン率いる宇宙船の乗組員たちは、見事その困難なミッションを達成し、

 片道7ヶ月かけた道のりをわずか十日で戻り、地球の混乱を見事に収めてのけた。


 そしてこの高速帰還を後の歴史書は、エイプス・リッチマンの星間大返しと呼んで、偉業として称えたそうな……



【お題:猿!!!】

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