あさの玲二の復活

あお

第1話

◆あさの玲二


【ダークエルフ珍道中】あさの玲二先生を応援するスレ48【現在5巻】


『スレ建ておつ』

『おつ』

『おっつー』

『なんだかんだでここももう48か。最初からいる俺としては感慨深い』

『デビューから二年でスレ48もなかなか』

『さすがデビュー当初は天才って言われてたあさの玲二先生www』

『ディスるの禁止やで』

『できるだけ穏便に』

『でも正直玲二先生最近不調やん?』

『最近っていうか2巻辺りから』

『禿同』

『完全に編集のテコ入れかな?』

『そうでしょ。さすがに新人にあの路線変更はできない。1巻がバリバリ尖ってた玲二先生に昨今の商業主義の展開をベタに書くことはできない』

『だからディスは』

『ディスじゃないって。ぶっちゃけ若いのに20年ぐらい前のテイストを今風にアップグレードして書いてくるのはさすがでしょ。どんな他の作家にだってできない。キャラ設定、展開、コメディとしての面白さは最近のハーレムモノや異世界転生モノにはなかったやん』

『それな。今は長文タイトルや◯◯な件、転生って文字入ってるだけで手に取るのやめるわ』

『そう考えると今世代のおじさんたちはホント楽しいラノベ読んでたんだよな』

『お? おっさんの若者騙りか?』

『いや俺二十歳だし』

『あやしいぃ』

『吊ろうよ』

『今日はID114514を吊ります。遺言ある?』

『人狼始めるなよ!』

『でもだからこそ編集には屈しないで玲二先生には書きたいもの書いて欲しい。せっかく今の作家にない良いもの持ってるんだし』

『5巻まで出てるから今更書きたように書かせてくれるかわからんで? 編集は大手やし』

『一巻が至高にして最高だったか。いい作家をなくした』

『スレチで申し訳ないんだけど最近だと玲二先生以外には誰おすすめ?』

『二筆先生』

『まぁ二筆先生やろなぁ』

『正直センスの塊』

『この街にいるのは偽りの友ばかり、はマジ神作品』

『アニメ化もしたしな』

『二期はよ』

『原作ストック大丈夫?』

『お、二筆先生の速筆を知らない新参か? ま、肩の力抜いていけよ』

『あの人やばいって』

『そうそう。玲二先生が一冊出す間に二冊だして自分のピクシブで短編連作も書いちゃう』

『しかも美少女なんでしょ?』

『玲二先生と歳が近いらしい』

『うわ、玲二先生きっついなぁ』

『同年代でデビューした作家ならミツルギ刄(じん)もいるだろ』

『あーwwwww』

『あれは化物じゃね? いろいろ噂あるし』

『噂?』

『編集に新企画を頼まれ数日後に送られてきた添付書類を印刷したら企画書じゃなくて原稿だったとか』

『三巻のプロットを頼んだら完成原稿と十巻までのプロットが送られてきたとか』

『締め切りのはるか前に原稿が完成して担当が「どうしてこんなに早いのか?」と聞いたら「趣味で他に書きたい小説があるから」と言われ編集が驚きながら「それって出版できますか?」と聞いたら「趣味で書いてるので無理。でも別のならいい」と返答し、現行作品、趣味小説と並行して別のシリーズをスタートさせて一年後にアニメ化したとか』

『なにそれwww』

『ほんとにデビュー二年目?』

『出版した本の数で言ったら玲二先生の三倍ぐらいはあるんじゃない? アニメ化も二つあるし』

『デビューして二年でアニメ化ってこわ』

『出来レースじゃないかと思うぐらいのトントン拍子だよな』

『なんでも編集者が複数人付いてるから出版速度も他の作家と違うみたい』

『出版枠どうなってるの?』

『専門家じゃないからわからん。でも稲妻文庫は面白ければ出すってスタンスだからそこはやっぱり実力勝負じゃね? 売れたら勝ち』

『才能あるやつはすごいよな』

『もちろん玲二先生もすごいんだけどこの二人と比べると見劣りしちゃうよね』

『それはどの作家でも一緒だろうけどな』

『まぁミツルギ先生の異常さは置いておいて、ダークエルフの6巻と二筆先生の新作、どっちが先に出版されると思う?』

『『『二筆先生』』』


◆あさの玲二と明日見愛依


 四月ももう下旬に差し掛かろうとしていたとある土曜日の夕方のことだった。

「あれ?」

 高校最後の年を迎えた緊張感も流石に緩んできたこともあってか自室の鍵をかけ忘れてしまっていた。

 仕事場のマンションへ戻る。玄関には靴があった。あの人遠慮なしに入るなぁ。

「安西さん。勝手に入らないでくださいっていつも言ってるじゃないですか。原稿やプロットはちゃんとメールで送ってるので」

 俺の担当編集の安西さんは時々こうして不法侵入してくる。俺が実家で執筆をしていると気が散るからと仕事場としてこの一室を借りたん。ただ俺は一応稲妻の大事な作家ということもあり、なにかあった時のために彼女が合鍵を持ったのだ。しかし最近では休憩所代わりに使ったりと、仕事に集中ができない。はぁ……。

 靴を脱いでリビングに行こうとすると話し声が聞こえる

「あの……これは……」

 リビングの椅子に座りテーブルを挟んで向かい合う安西さんと……誰だ?

 一度も会ったことのない女の子がいた。

 よく聞こえなかったけど風呂やらリビング、Wi-Fiのパスワードの話してなかったか?

「あら玲二先生おかえりなさい」

「えっと、安西さん。この女の子は?」

 制服を着ているその女の子は多分俺と同じかあるいは少し下といった印象を受ける。肩の上でキレイに切りそろえられた黒髪。前髪は眉に掛かる程度。うつむくとちょっと目にかぶるぐらいだろうか。身長は高校三年生の俺より十センチは下かな? いやそれよりどうして俺の部屋に女の子がいるんだ。

「この子は明日見愛依ちゃん。中学一年生よ」

「いや、そうじゃなくてですね!」

「玲二先生は今回の新人発掘コンテストはもう目を通した?」

「え、はい。いつも通りチェックしてますけど……」って相変わらずこっちの話はスルーするな。

 正式名称を『稲妻文庫新人発掘コンテスト』という。

 稲妻文庫が去年から始めた新しい試みだ。

 従来新人発掘の手段は完成原稿を送って編集が読んで受賞させるのが一般的だ。ほんの数年前までは紙で応募してもらいそれを編集が必死に読んで受賞作を決めていた。しかし昨今は小説投稿SNSが増えてそこからデビューする人も増えてきた。その形態だと印刷して郵送する手間も省けるし、最近では投稿作に指定されたタグをつけておけば編集が読んで受賞させる形式も増えてきている。双方にメリットのある現代ならではの方法だ。

 本屋に溢れているラノベはだんだんネット発のものが多くなり、大手出版社もうかうかしていられないというわけだ。

 そしてこのコンテストの最大の特徴は持ち込みの権利をゲット出来ることだ。

殆ど全ての出版社が持ち込み原稿を見ることはしない中、その権利は投稿者には魅力的だ。デビューできるかは別としてプロの視点からアドバイスが貰えるとあっては応募者も必死になる。

「愛依ちゃんね、新人発掘コンテストで今回の二位なの」

 今月の応募者は確か全体で三百近く。持ち込み権利獲得者は五名だった。

 一位の人は学園都市のバトルモノでかなり完成度が高かったのを覚えている。

 二位は確か……

「えっと、男子バレー部と女子マネの話……でしたっけ?」

「そうです!」

 安西さんの代わりに愛依ちゃんが元気よく答えてくれた。

「この子、玲二先生のファンなの」

「あ、ありがとうございます」

 正直嬉しかった。ファンレターをもらうのも本が売れるのも嬉しいけどこうして直接ファンって言ってくれると本当に書いていて良かったって思う。

「って! この状況を説明してくださいよ」

 おっと忘れかけていた。俺は安西さんの正面に座る。彼女のとなりに座る愛依ちゃんは気後れしているのか、今の元気はどこへやら。

「愛依ちゃんね。玲二先生の弟子にするから」

 ん?

「必要な書類には全部記入してもらったから。愛依ちゃんのご両親にも了承済み」

 おい。

「弟子ってなんの、ですか?」

「何って、作家としての弟子に決まってるじゃないですか」

「新人発掘コンテストにそんな副賞ありましたっけ?」

「ないわよ」

「じゃあなんで!」

 だが次の瞬間、いつもの編集顔に戻ると、

「強いて言えば玲二先生のためです」

 急に中一女子が弟子って言われてもまったく理解できない。

 安西さんは鞄の中から資料を取り出し俺に渡してきた。

 一枚ずつめくって目を通す。俺にも見覚えのあるもの、俺の作品『ダークエルフ珍道中』の売上データだ。二年前のデビュー時から現在まで五巻が発売され、その売上部数がグラフになって現れている。……正直今は低迷していて何度見てもため息が出るし、出版社にも申し訳なく思ってしまう。そんな心情をよく理解している安西さんは、

「玲二先生の作品は面白い。担当の私が言うんだから間違いない。でも数字が嘘をつかないのも事実よ。二巻から緩やかに下がってきていて、ネットでの評判は先生も知っての通り。私はね、玲二先生にまた復活して欲しいと思ってるの」

 この二年間、安西さんと一緒にがんばって本を作ってきたつもりだ。だけど現状は厳しくて、俺自身焦っているのも本当だ。そんな俺が弟子を取る?

「愛依ちゃんはまだまだ駆け出し。というよりデビューしていないから言い方は悪いけれどただの小説が趣味の一般人。でもね、この作品は磨けば光ると判断した。それに彼女が小説を書き始めたのは玲二先生のデビュー作がきっかけなの」

「俺の?」

 その一言が、これまで感じたことのない喜びとなり、ゆっくりと自分の中へと入ってきた。

「そうよ。愛依ちゃんの作品には確かに先生の影響が見えるわ。だからあなたの目でしっかり愛依ちゃんを見てほしい。デビューした時、どんな思いで小説を書いていたかを。そうすれば先生の復活の糸口になるかもしれない。私はそう考えるわ」

「つまり初心に戻れ……ってことですね」

 この業界は甘くない。

 今はネット投稿もある時代で、以前よりも早いサイクルでラノベが出版される。人気がなくなれば容赦なく淘汰され、人気作は次々とメディアミックスされる。右肩下がりを続けている俺の席なんていつ無くなってもおかしくない。安西さんだって毎回この数字に頭を悩ませているに決まっている。二人で本を作っているとはいえ、書くのは俺だ。

 だから俺は安西さんの言う通り、もう一度考えるべき時に来ているのかもしれない。俺の作品の影響を受け、ファンだと言ってくれた愛依ちゃん。

 読んだ限りでは素人とはいえ、しっかり小説としての体をなした文章を書いている。何を指導するかはわからないが、確かに彼女の作品、思考、思想に触れることは作家としてのインプット作業として大事なことかもしれない。

 だけど受け入れれば環境は大きく変わってしまう。それが吉と出るか凶と出るかなんて、まったく予想のつかないことだ。

「それでは仮、ということでどうです?」

「というと?」

 すぐの決断は厳しいと判断したのか、安西さんは一つ提案してきた。

「確かに先生の言うこともわかります。突然女の子を連れてきて、はい今日から弟子です。二人で切磋琢磨してくださいっていうのもぶん投げすぎよね……でもどのみち愛依さんには読みコンに参加してもらおうと思ってるわ」

「読みコンですか!?」

 稲妻文庫読み切りコンテスト。

 これは新人発掘コンテストと同じ時期に企画されたもので、発掘コンテストに優秀な作者がいた場合、その上位者の作品を文庫本やアンソロや小説誌の一部に掲載するなど、媒体はともかく日の目を見てもらうための試みだ。愛依ちゃんは今回二位になった。発表された順位は五位まで。その五人でコンテストを行い、編集のお眼鏡に適った作者たちの作品が世に出る。

 流れで言うと、

 一.新人発掘コンテストで入賞者の有無の発表

 二.入賞者がいる場合、彼らを対象に読み切りコンテストを開催

 三.読み切りコンテストに提出された作品を編集がチェック。その中から出版しても良さそうな作品がある場合、作品をブラッシュアップして作品として出版。

だから今回のケースだと、五人全員かもしれないし、もしかしたら一人だけかもしれない。場合によってはゼロということもあり得る。出版となるとやはりシビアにならざるを得ない。

 これは編集側、作家側にとってもかなりの冒険だ。

 なにせ発掘コンテストの上位者は確かに編集には認められているものの、設定された賞を受賞しているわけではないのでプロの作家、というわけでもない。その反面毎回コンテストで上位者が発表されるわけではない。力作がなけば「今回の優秀作品はありませんでした」となるのだ。今回のように五位まで発表されてしまえば、編集に半ば認められたことになる。その流れで商業誌に書くチャンスを獲得してしまえば実質的にはプロといってもいいだろう。

 だが本来は年に一回の大賞に応募しそこで受賞するのがプロへのルート。その分母は数千人。年に一回の応募原稿を頑張っている人からすればショートカットと見られ、それを実施している出版社も発掘コンテストで上位になった愛依ちゃんたちも叩かれかねない。人の醜い部分が垣間見えるシステム、とも言える。

 だがそこは“面白ければなんでもあり”の稲妻文庫。

 ネット発の小説だってある編集の目にとまれば文庫化が決まる。有能だとわかれば作家のピックアップ方法だって多岐にわたって良いと考えている。

「玲二先生も知っての通り、毎回開催されているわけじゃないわ。順位がついた時も出版にレベルに達している作者がいなければ行わなかったしね」

 俺は愛依ちゃんに視線を戻す。

 きっと初めて編集の人に会って作品を読んでもらって、安西さんからの無茶振りに答えて彼女は今俺の部屋にいるんだろう。まだ小説の世界を知らないから、俺達の話の流れにイマイチついてこれてないのか、それとも遠慮して発言できないのか。

「ちょっと待ってください」

 俺は台所から新たに麦茶とお菓子を持ってきて愛依ちゃんの前に置く。

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 麦茶を一口飲むと少しリラックスしたのか部屋の緊張が少し解ける。

「さっきも言ったけど読み切りコンテストは上位者全員が出版できるわけじゃないわ。だけど私たちが認めた才能であることには変わりはない。だから最終的に“面白かった作品だけに絞る”予定よ。もちろん面白い作品がなければ出版は見送りね。私はそれを愛依ちゃんの第一目標に頑張ってほしいと思っているの。どうかしら?」

 安西さんのその言葉は俺だけでなく愛依ちゃんにも向けられていた。

 新人発掘コンテストで新たに見つかった明日見愛依という才能。

 そして低迷中のプロ作家のあさの玲二。

 もし俺が愛依ちゃんをうまく指導すれば一人の小さな作家が誕生する。そして俺も復活の糸口が見つかれば人気も戻るだろう。

 仮に安西さんのこの作戦が失敗して業界から消えても、変わりの作家はいくらでもいる。悲しいがこれが現状だ。

 俺はこの二年間で同じような光景を目の当たりにしてきた。

 授賞式でしか見ることのなかった新人。コミケにはいるのに続編のでない人。バイトのシフトを増やして体を壊した人もいた。

 代わりの作家も変わりの作品もすぐに見つかるこのご時世。だから安西さんは俺と愛依ちゃんに確認しているんだ。本当にプロへ向かって小説を書く気があるの?

 本当にこのまま人気が落ちて消えてしまっていいの? と。

 迷って立ち止まっているうちにすぐに誰かが追い抜いていく。振り向いている暇があったら走り続けないといけないし、もし愛依ちゃんも本気で書きたいと思っているなら、その厳しさも伝えていかなければならない。

 俺は胸に秘めた想いを言葉に出したかった。でも愛依ちゃんは本当はどう思ってるんだろう?

「安西さん、すみません。やっぱり即答はできないです」

「まー、そうよね。いきなり新人発掘コンテストの上位者連れてきて読み切り目指してみない? って話は納得出来ないわよね」

「それもですけど弟子とかそういうの、わからなくて……なので一旦保留で、しばらく愛依ちゃんと話させて貰えませんか?」

「つまり弟子はダメだけど小説を教えたり、仕事場に出入りするのはおっけー?」

「簡単に言えばそうです」

「愛依ちゃんはどう?」

 もう用は済んだとばかりに安西さんは鞄を肩にかけて立ち上がり椅子を戻している。

「私は……先生にご指導いただけるチャンスがあるならここに通いたいです!」

 安西さんにそう宣言してから彼女は俺を見る。くりっとした丸い瞳の奥からは小柄な中学一年生とは思えない程の熱量を感じる。

「決意は硬いみたいよ? まあ玲二先生も弟子の件以外はおっけーなんでしょ? だったらしばらく二人で仕事してみるといいわ。彼女は学校があるから基本的には夕方からね。あとさっき勝手に借りた玲二先生の判子使って関係書類を親御さんに届けておくわね」

「勝手に捺印しないでください! あと俺も高校生だから学校はありますって!」

「それと愛依ちゃんが可愛いからってくれぐれも間違いはしないでちょうだいね? 玲二先生の人生がどうなろうと知ったこっちゃないけど『ダークエルフ』の続きを書けるのは玲二先生だけなんだから。もし警察沙汰になったら書店から全巻回収の費用負担はお願いしますね」

「適当なこと言わないでくださいよ!」

「愛依ちゃん気をつけてね。どん詰まりした作家は何をするかわからないから」

「風評被害だ! ってかあんたはもう用事が済んだんだから帰ってくださいよ!」

「はいはい。じゃあ玲二先生、原稿はいつも通りしっかりお願いしますね。あ、もちろん他のコンテスト上位者も読み切りコンテストに出場する予定だから。じゃあ頑張ってね、愛依ちゃん」

 完全な初対面。女子中学生という未知の生物。そして何より一対一。

 よくあるお見合いの空気感ってこういうのなんだろうな?まるで安西さんが「あとは若いもの同士で」と言って去っていった親戚の人みたいに思えた。まずは何を話そう。俺のファンだってね、ありがとう。どうして小説を書き始めたの?どんなお話を書くの? 一日何文字ぐらい書いてるの? そんなことが頭をよぎったが、これじゃあ小説馬鹿が小説馬鹿にする質問だった。こういう時に常識力ってのが試されるんだろう。まだ慣れない場で固まっている愛依ちゃんを見下ろして、俺はようやく一つの答えへとたどり着いた。

「お茶飲む?」


 安西さんが帰ってからどのぐらいの時間がたっただろう?

「えっと、ごめん。ちょっと俺もまだ状況がよく飲み込めてないんだけど一応自己紹介するね。知ってると思うけどあさの玲二。これはペンネームで本名と一緒なんだ。浅野をひらがなにしてるだけ。投稿する時にいいのが思いつかなくて、実名で応募してたんだ。」

 対して愛依ちゃんはそれ程緊張した様子もなく、

「私と一緒ですね! 名字は明日見です。中学一年生です。まだペンネームはなくて投稿も実名です。漢字では“明日見愛依”って書きます」

 彼女はノートを出して名前を書いてみせる。どことなく筆の動きは軽やかなのは、ペンネームの付け方が一緒とわかったことが嬉しかったんだろうか。

「へえ。明日見愛依ちゃんか。綺麗な名前なんだね」

「あ、ありがとうございます!」

 彼女は顔を赤くして少し緊張が混じった声音でお礼を言ってくる。ハキハキと返事をするその様子もまた可愛らしかった。よしよし、なんとかさっきまでの硬い空気感は払拭できてきたぞ。この流で小説の話に持っていこう。っていうか俺、小説の話以外なんにもできないもんな。

「えっと俺もさっき始めて事情を聞いたばかりなんだけど、愛依ちゃん作品、読ませてもらってたよ」

 稲妻文庫の新人発掘コンテストでは荒削りだけどたまに尖った作家の才能を見せる人がいるから俺も注意深く読んでいる。

「愛依ちゃんの作品、バレー部の主人公と女子マネの心情描写がよく書かれていて関心したよ。ラノベって結構キャラ物だったり可愛い女の子でゴリ押しするパターンが多いけど、愛依ちゃんの作品は特に女子マネの気持ちの移り変わりが読んでて印象的だったよ」

「本当ですか!?」

「うん。もちろん他の登場人物の気持ちもしっかり描いていて、それでいて文書のバランス感覚は良かったと思う」

「それ、安西さんにも言われたんです! 嬉しいなあ」

 今度はひまわりが咲いたように顔がぱぁっと明るくなる。表情がコロコロ変わる愛依ちゃんは一緒にいて暖かく、楽しくなりそうな雰囲気の女の子だ。ただ俺はさっきまでの安西さんの言葉を思い出す。あの人は俺と愛依ちゃんに覚悟があるかを問いかけていた。確かにこの子の作品の完成度は高かった。その部分を褒めるというのも大事な評価の一つだろう。……でもこれだけだとダメだ。俺だってデビューする前は家族や友達に見せて当たり障りのない感想を貰って喜んでいた。だからネットや掲示板に投稿してからズタボロに言われて始めて創作の厳しさに気づく。

もし愛依ちゃんが本当に作家になりたいのだと思っているのなら多分最初に超えないといけない山場はここだと思う。

 初めて会ってまだ何十分も経っていない子に言うのは躊躇われるが、だけどここで折れてしまっては多分この先続かないだろう。それに読み切りコンテストに参加するのであれば作品に対する評価を受け止めるメンタルは必須だ。現に何ヶ月もかけて書き上げた、自分では渾身の出来だと思っている作品をズタボロに言われて心が折れてそれ以降書かなくなってしまう人もたくさんいる。才能やセンスももちろん大切だが、心に蓋をすることなく書ききってボロボロになってもなお筆を取る力がまずは必要だ。俺は言葉を選ぶ。自分が言われて傷ついた言葉やドキッとしたフレーズを思い出しながら、それらをできるだけ避けつつも、この作品に対する本当の正直な気持ちを彼女へそっと投げてみようと。軽い投球モードへ入る。


――心情描写はすごくいいよ。その上でテンポ感があればもっと良かったかな。それと序盤での展開が少し弱くて読者が入り込むところまでちょっと時間がかかっているから、そこをもう少し考えて、それと――


 俺はゆっくり振りかぶったが、その球を投げることは結局できなかった。

 昔言われたいろんなことを思い出したというのもあるが、まだはっきりと言う必要もないんじゃないかと思ったからだ。新人発掘コンテストで安西さんの目に止まったということは、もちろん褒められたこともあっただろうが、指摘もあったはずだ。それにもし俺が彼女にそういう言葉をかけるタイミングがあるとしたら、また別の作品を書き上げた時、それこそ読み切りコンテストへ出す作品を見せてくれた時のアドバイスとしてとっておくべきなのではないだろうか?

「あの……玲二先生。どうかされました?」

「いや、なんでもないよ。その、」

 俺は改めて愛依ちゃんに向き合うと正直に打ち明ける。これから彼女と一緒に小説を書くことになりそうだ。だったら隠し事や嘘は言いたくない。

「実は、俺こういう状況始めてでさ。学校でもあまり友達いないし、部活も入ってなくて。帰ってきたらすぐにここにきて小説を書いてばかりだから、いざ女の子と一緒になると何を話していいかわからないんだ。それに俺、小説の話しか出来ないし」

 年上なのに恥ずかしいカミングアウトをした俺の顔はちょっとだけ赤かったかもしれない。頼りない先輩だと思われただろうか? でも予想に反して、

「ふふっ。そうなんですか。全然気にしなくていいですよ。私も学校じゃあまり友達がいなくて休み時間はノートに小説を書いているタイプの女の子ですから」

 とふんわり笑いながらそう言ったのだ。

「ほんとにそうなの? 友達いそうな感じするんだけど」

「全然そんなことないです。学校の先生にも『明日見、小説ばかり書いてないのでたまには友達と遊びに行くんだぞ』なんて言われちゃいます」

「それ俺も中学の時あったよ」

「そうなんですか?」

「うん。俺はデビューが高校一年の時でまともに書き始めたのは中学に入ってからだったかな。小学校の頃は原稿用紙に落書きするみたいに適当に冒険ものとか書いてたんだけど、たまたまそれを読んだ席の近い女の子が面白いって言ってくれてさ。それで調子に乗ってたくさん書いてクラスメートに見せまくってたんだけどだんだんみんな見てくれなくなって」

「小説あるあるですね」

「それな。見せたがりでだんだんウザがられるやつ。んで、中学に入ってからは一人でこっそり書いてたんだよ。それで父親から古いノートパソコンを貰って本格的に書くようになって、何本か投稿したら『ダークエルフ珍道中』でデビューしてさ。そのタイミングが高校一年だったんだけどみんなが新しい環境で友達作ったり部活に入ったりする中、俺は編集に顔出したり真っ赤な原稿を直しまくったりで高校デビューなんてする暇もなかったよ。結局学校生活はそのままずるずる……って感じかな」

「やっぱりお仕事しながら学校って大変なんですか?」

「大変というか学校と小説の二つしかできなくなる感じかな。例えば釣りやアウトドアなんかの時間のかかる趣味を持ってる学生が作家になったら、多分その趣味は一旦辞めないといけないと思う」

「それは確かに大変ですね」

「愛依ちゃんって何か趣味あるの?」

 もし小説以外で大切な趣味があったのだとしたら、ちょっとマズったかなと思いながら恐る恐る聞いてみる。

「実はこれと言って打ち込めることが今までなかったんですよ。強いていうなら小説を書くこと、ですかね。実は毎回のように新人発掘コンテストには応募してたんです」

「そうなんだ」

 これは凄いことだ。いくら好きとは言え分量も〆切も決まっているものにコンスタントに応募するのは凄く労力のいることだ。俺だけかもしれないけど創作意欲の七不思議の一つに学校に行っている間は凄く書きたいのに帰ってくると書きたくなくなるという謎減少がある。さっきまであんなに書きたかったのに、どうして今俺は動画を見たりゲームをしたいりアイスを食べているのだろうと。そんな感じになるのえ俺はコンスタントに書くための作としてこの仕事部屋を借りている。環境を変化させて書くためのスイッチを入れるのだ。

 それにプロの作家になったってさっきの安西さんの話のように〆切から逃げるため海外逃亡をする作家もいるぐらいだ。

 それに比べたら〆切に合わせて応募ができるというのはすごい才能だ。書ききることは何より大切なのである。

「だから私も学校以外の時間は全部小説につぎ込んでいいと思ってます」

 真剣な瞳で楽しそうに語る愛依ちゃんの言葉には熱が籠もっている。

「でも体を壊さないように気をつけてね?」

「はい! 私、がんばります!」

 俺も二年前まではこんな無垢な目でがむしゃらだったんだろうか? それが今じゃ数字とネットの評価にビクビクしながら一行一行を埋めていく作業になっている。ここで主人公がこう発言したら感想や掲示板ではなんて言われるだろう。

 このセリフを入れたい、ヒロインとこう絡ませたい。

 デビュー前は自分の考えたキャラクターたちが楽しく絡む場面ばかりが想像できてそれを頑張って文字にするのが楽しかったけど、今じゃこう書いたらきっとネットにこう書かれるかもしれない。だから無難にこうしよう、という逃げの姿勢。

 そこに愛依ちゃんのような熱の入り具合も一巻を書いた時の勢いもすでに残ってはいない。打ち切りの宣告を先延ばしにするためのモラトリアムを本という形に積み上げて俺はこの先どうしたいんだろうか。

 暗澹たる思いにかられながら、せめて彼女には自由に書いてもらいたいとそう願いながら話を戻そうとすると、ポツリポツリと雨が降ってきた。ガラスに打ち付けられる雨粒は次第に強く大きくなりあっという間に土砂降りへと変わっていく。遠い空まで分厚い灰色雲が空を覆っていてすぐに晴れそうにはなかった。

 まるで今の俺の気持ちを代弁してくれるようなタイミングの大雨に俺は小さくため息を吐きながら愛依ちゃんに、しばしの雨宿りを提案すると共に、帰りが遅くなる場合のことも考えて自宅に電話をさせた。

 どうやら一足さきに安西さんが先程のあやしい書類を持って愛依ちゃんの自宅へ行っていたらしい。ご両親に作家先生の家で定期的に小説を教えてもらう話が通っていたので、帰宅が遅くなる件はすぐに理解してもらえた。そしてなぜか俺も愛依ちゃんから電話を渡されご両親に『娘さんはしっかりと預かりますのでご心配なく』と強盗の言いそうな台詞を丁寧に話す羽目に。どんな状況だよ。

「ありがとうございます。助かりました。私、傘持ってきてなくて」

 ペコリとお辞儀をした愛依ちゃんはスマホを鞄にしまいながらお礼を口にする。

「いや、問題ないよ。それより理解のあるご両親なんだね」

「そうかも知れません。といっても理解があるというか、私が昔からこうだったからかもしれませんが」

「こうだった?」

「私、一人っ子で両親は共働きで小さい頃からいつも一人でした。周りの子たちを見てお兄ちゃんやお姉ちゃんがいたら楽しいだろうなって思いながら、でもそんなこと考えてもしょうがないってのは分かっていたので、寂しさを紛らわすためにずっと絵本を読んでいました。……と言ってもいつも新しい絵本を買ってもらえるわけではありませんから、ずっと同じものばかり読んでましたけど」

 小さい頃の自分を話す愛依ちゃんはどこか寂しそうで儚さをまとっている。さっきまでのしっかり者の愛依ちゃんがまるで何かに甘えるような、弱みを見せるようなそんな雰囲気を突然に纏ったような気がした。

 そういえば俺も一人っ子で小さい頃は何をして遊ぶのも試行錯誤の繰り返しだった。友達がいなかったわけじゃないけど、内向的で一人で遊ぶのが好きだった俺は、どうやって寂しさを紛らわせて楽しいことができるか考える日々と戦っていた気がする。

「特に私は不思議の国のアリスが大好きだったんです。お母さんが誕生日に買ってくれた絵本っていうのもあったんですけど、もし自分がアリスだったらどれだけ毎日が楽しいだろうなって。あわてんぼうのウサギさんについていったり、太った猫さんと遊んだり、トランプさんに追いかけられたり。

今思えば“いつもとは違ういつも”に憧れて、それが現実になればいいなって思いながら絵本をめくっていたのかもしれないです。捲ってもめくっても結末はいつも同じだけれど、もしかしたら自分だけは違うかもしれない。両親がまだ帰らないお家のドアを空けたら、そこにはいつも見かける道路も電柱もなくて、抜けるような青空、綺麗な生け垣、その中でお茶会をする私の好きな登場人物たち。そんな風景が広がっているかもしれないって思っていました。

……だけど何度捲ってもどれだけドアを開けてもなにも変わらなかった。当たり前ですよね。だってそれは絵本の中のことですし。……ただそれがようやく理解できた私は、せめて私が楽しめる世界を作りたいって思うようになって、それからはずっと物語を書くようになったんです。そんな私を見て両親も、ああ、この子はこういう子なんだなって思うようになったんだと思います。だから小説家の先生のご自宅にいるって話して安心したんでしょう」

 愛依ちゃんの物語への想いや書くきっかけを、思いがけなく知ることが出来たのはこれから一緒にやっていく上での収穫ではあった。ただ彼女がどこか寂しげに語るその様子からは、もしかしたらご両親は小説を書くことを応援していないのかもしれない、いや、もしかしたらあまり関心がないのかもしれない。そういえば電話でも「娘の作品はどうですか?」「才能はあるでしょうか?」といった話題は一つも出なかった。まるで保育園に子供を預けるような、そんな淡々とした事務的な通話。だけどどこかホッとしたような息遣いも感じた。

 それより問題はこの天気と、時間的に夕食だ。

この雨天時に注文するのは少々気が引けるが、俺はピザ屋に出前を頼むことにした。

「うわ、雨足これからどんどん強くなるって。愛依ちゃんの家ってどの辺り?」

「電車で三駅です。そんなに遠くはないです」

 後片付けを申し出てくれた彼女はピザの箱を畳んでゴミ箱に捨ててからスマホを取り出す。

 指で何度も画面をスクロールしてから困り顔で、

「あの……玲二先生」

「どうした?」

「電車、全部止まっちゃいました」

「マジか」

 こうなるとバスやタクシーを使っても帰れる保証はないし、最悪足止めを食らって一晩乗り物の中で過ごすことになるかもしれない。

 時刻は夜の八時を過ぎた。

 いくら両親に電話をしたとはいえ、女子中学生はもう帰らないといけない時間だ。

 すると愛依ちゃんが俺には思いつかない斬新なプランを提案してきた。

「あの、大変ご迷惑かと思うんですけど……今晩泊まっていってもいいですか? 明日は学校も休みですし」

「いやいやいやいや! ダメだって! 女子中学生が一人で知らない男の人の家に泊まるってダメでしょ? ……本当に泊まるの?」

「別に私個人としてはこの豪雨に打たれて濡れ鼠になっても構いません。でも先生が女子中学生を雨天の中に放り出したことが編集さんや私の両親の知るところとなれば、先生も後味が悪んじゃないかなと。それに公共の交通機関は完全麻痺、ニュースじゃ落雷の情報もあります。私を中学生や女子という属性を抜きに考えた時、玲二先生ならどうしますか?」

「……ぜひ泊まっていって下さい……」

「ありがとうございます。鞄の中の原稿が濡れなくてよかったです」

「それじゃあ早速両親に連絡しますね。もう寝てる時間なので電話じゃなくてメールにします。うちの両親寝るの早いんです」

 愛依ちゃんはスマホをポチポチ打ってはうーんと唸り、またポチポチやっている。なんどかそれを繰り返すとおもむろに画面を俺に見せてきた。

「実はお泊りって初めてで両親になんて言えばいいのかわからなくて、文面みてもらえます?」

 小説の添削じゃないんだからと思いながらスマホの画面に目をやる。


 今日は一晩玲二先生と一緒です。今夜は帰りません。


「ちょっとまて。絶対に送信ボタンは押すんじゃない。絶対だぞ」

「分かりづらいですかね?」

 小首を傾げるな。可愛いけど今は逆に怖い。

「いや、不穏すぎだ……」

「今日は(大雨で交通機関が泊まってしまったのでご無理を言って)一晩玲二先生(の仕事場で)一緒(に大雨をやり過ごすつもり)です。(ですのでお父さんとお母さんには心配をかけますが)今夜は帰りません(安心してください)って感じの文章を短くしたのですが」

「いや! 大事なところを省略しすぎでしょ! それ括弧はずしてそのまま書いて送ってくれよ! 安西さんにもお願いしましたって書いてくれ。それだけは絶対書いてくれ! 俺以外の大人が了承したと書いてくれ。それが一番大事だから!」

 この子、最初はおとなしい感じだったけどとんだ爆弾娘だなぁ。まだ愛依ちゃんの性格を掴みきれないまま、気づけば彼女のペースに振り回され、今後もこんな調子で毎日が進んでいくのかなと少し先の未来のことを考えると気が重い。とりあえずこの状況をメールで安西さんに連絡しつつ、訂正された愛依ちゃんのメール文章に合格を出す。

 まさか弟子候補の最初の添削がお泊りメールのチェックとはホントどんな状況なんだろう。ソファにもたれ掛かると一気に疲れが襲ってくる。

「玲二先生。両親の許可、出ました」

 ほんと心の広いご両親だなー。

「なんて?」

「先生のご迷惑にならないようにするんだぞ、ですって」

「普通で助かったよ」

「それで私はどこで寝ればいいんですか?」

「んー、そうだな」

 部屋は2LDKでリビングを応接と食事で使っていて一つは書斎。もう一つは寝室だから、書斎で寝てもらう。予備の布団も一式あるし。

「書斎を自由に使っていいよ。押し入れに布団も入ってるし。そんなに使ってないからちょっと湿っぽいかもしれないけど」

「いえ、助かります」

「それと洗面所にバスタオルなんかも揃ってるからシャワーも自由に使っていいよ」

「玲二先生は?」

「俺は愛依ちゃんのお泊りの件で安西さんに送ったメールの返信待ち」

「なんか、本当に申し訳ありません」

「いや、いいよ。確かにこの天気の中一人で女の子を帰すのは危ないしね。それに仕事のメールもいくつか送ったからどのみち俺はもう少しリビングにいることになるだろうし。だから愛依ちゃんはお風呂に入ったら休んでいいよ。俺のことは気にしないで」

 書斎、洗面所、お風呂、トイレの場所や電気スイッチの確認を一緒にすると俺はリビングでノートパソコンを開く。『ダークエルフ珍道中』の6巻の原稿もあるし、他にも仕事のメールがいくつかある。

 それにしても今日は本当にいろいろあったなぁと振り返る。

 考えれば考えるほど答えからは遠ざかり、まだ起きもしていない不安なことばかりが頭を巡る。

 ネガティブな思考をどうにか胸に押し込めて、俺は眼の前の仕事に没入する。

 カタカタというキーボード音にシャワーの音が混じったのはいつ頃だろうか。

 俺以外の人間がほんの数メートル先でシャワーを浴びている。

 しかもそれは女子で中学生で今日あったばかりの可愛い女の子。

 打つ指が止まり、ついつい耳を済まし、目を閉じる。

 想像するな、と言ってもそりゃ無理な話である。

 さっきよりも水音を強く感じているのは多分気のせいだ。

 俺は考える。

 ほんの数メートル行けば、今まで俺の知るよしもなかった世界がある。

 女子で中学生で愛依ちゃんが全裸でシャワーを浴びている。

 だが俺は、高校生で小説家だ。もし何か間違いでもあってみろ。

 新聞記事には“都内在住高校生作家の闇”“中学生少女を監禁”などのゴシップ記者により好きな見出しが踊るとともに、家族からは勘当され愛依ちゃんを失い苦労してニ年間書いた本はすべて回収。その費用は自己負担。一気に人生終了のお知らせだ。

 べ、別に興味がないわけじゃないんだからねっ! 自分の人生の方が大事なだけなんだからねっ! 煩悩に勝利した俺はゆっくり目を開ける。あれはただの水音だ。雨と一緒だ。深呼吸して仕事に戻ろうとした時、パソコンの通知音がなり驚く。見ると安西さんからだった。

「驚かすなよ……」

 メールを開封すると、

『愛依ちゃんのシャワー覗いたらだめだよ』

 の一文。

「するかっ!」

 ってかこの人エスパーかよ。メールをスクロールすると、愛依ちゃんのお泊りの件了解しましたの文字があったので、とりあえず事情が伝わったことがわかりほっと胸をなでおろす。だが最後に、

『ちなみに本の自主回収費用は○○万円です。もし6巻が初版でいつもの部数発行した場合プラス○○万円です』

 の文字が事務的に書かれていた。

「だからしねーって!」

 全部のメールに返信して原稿に戻ろうとしたが、安西さんのおちょくりメールですっかり疲れてしまった俺はパソコンを閉じるとソファに横になる。

 急激に眠気が襲ってきて完全に寝落ちする時の心地よさが全身を包む。

 あれ、書斎に着替えあったかな……あったような……おふくろが泊まりに来た時になんか着るものあった……よう、な……。


◆あさの玲二と明日見愛依2


 味噌汁の香りが鼻をくすぐって爽やかに起床する……なんていうのは小説の中だけの話かと思っていたが、それはどうやらそのようで、実際にはリビングでガタガタいう音がして目が覚めた。

 寝起きの悪い俺の意識は徐々に覚醒し始めたものの、まだ何が起きているのか把握出来ていない。どうにか重い体を起こして音の方へ目をやると、そこでは少女が食事の準備をしていた。驚きの一瞬あとに鮮烈に昨日の記憶が脳を巡る。そうだった。昨日、突然明日見愛依ちゃんという作家のたまごが家にやってきたのだった。

 記憶の糸を手繰り寄せて愛依ちゃんがシャワーを浴びている最中に自分はソファで寝落ちしたところまでを思い出す。

すると愛依ちゃんがこちらに気づき「玲二先生、起きたんですね。昨日はありがとうございます。助かりました。今、朝ごはんができるので少し待っていてください」とテキパキ体を動かしている。

 どうにも体がまだだるく、俺はその言葉に甘えてまたソファに体を沈めた。時計を見ると朝の九時。時計の針が一周するぐらいぐっすり眠ってしまったようだ。

 愛依ちゃんの朝食が何か考えていたらまた微睡みの中に誘われる。

 ああ、春の陽気は心地良なぁと繰り返される二度寝を楽しんでいると「玲二先生朝ごはんが出来ました!」という声が遠から元気よく聞こえた。

 一宿一飯の恩義という言葉がある日本に生まれてよかったと思いながら体を起こそうとするも、まだ寝起きの体は言うことを聞いてくれない。体を支えようとする腕にも力が入らず、つまり自力で起きるのが困難な状態になっていた。こんなに疲れが溜まってるのはいつ振りだろうか。今度からはメールもあまり溜めずに平日にこまめに返そうと反省していると、愛依ちゃんがこちらへやってきて俺の手を引っ張りながら「玲二先生、起きてください」と声をかける。

 ああ、女子中学生の手、ちっちゃくて暖かくていいなと思いながら、さすがに起きないと申し訳ないと思い、今度こそ覚醒しようと腕に力を入れて上体を起こそうとしたその瞬間。

 ドンッ!

 ソファからその手がずり落ち、俺はバランスを崩して床へと仰向けのまま滑り落ちる。その反動で愛依ちゃんも引っ張ってしまい、彼女もまた俺に覆いかぶさるように倒れ込む。

「だ、大丈夫?」

 怪我でもさせたら大変だと俺は慌てて彼女に声をかけた。

「は、はい。大丈夫です。玲二先生がクッション代わりになったみたいで……その私の方こそすみません、怪我はありませんか?」

 見上げた先、至近距離に愛依ちゃんの顔。

 改めて見るとサラサラとした艶のある髪にくりっとした瞳。小さい鼻頭に、あどけない唇。無条件にドキドキしてしまう。ってかこの密着感、やばい。太もも同士は触れているし、愛依ちゃんの手のひらは床に付いてるんだけど考えようによっては90度傾いた逆壁ドンだし。急な女子との接近に心拍数は上がる一方だ。

「あ、あの……愛依ちゃん、その――」

「あわわわっ……ごめんなさいっ! すぐどきます!」

 しかし今度は慌てた彼女がバランスを崩し、傾き逆壁ドンを支えていた腕の力が抜けて今度こそ、本当の意味で俺に覆いかぶさってきた。

 さっきよりも距離の近い密着感。鼻をかすめる女子中学生の髪、匂い、柔らかい体の感触。愛依ちゃんの体の情報が急速に脳へと伝播する。

 もう何がなんだかわからないこの状況。本当ならもっとドキドキしたり興奮してそれこそ漫画や小説にあるような展開になったかもしれない。しかしこんな状況下でも本能的に我に戻る声音が玄関から聞こえてきた。

 ガチャリと音がしたかと思うと、

「おーい、れいじー。いるかー?」

 聞き間違いのないその声が足音と共に近づいてくるのを感じると、俺は頭の中で貯金残高を思い出したのだった。


◆二筆流(にふでながれ)、襲来!


「いやー、ついに売れなくて自暴自棄になっちまったんじゃないかと思ったよ」

 二筆は俺の隣に座って、ちゃっかり愛依ちゃんが作った手料理を食べている。

 味噌汁や焼き魚、卵焼きが次から次へと消えてきて、それを見た愛依ちゃんは「美味しいですか? おかわりもあります」といそいそとごはんをよそったりおかずを追加で作ったりと、うん、まぁ楽しそうだ。

 それにしてもあんなアクシデントのタイミングで人が来るなんて心臓が泊まるかと思った。二筆に見られたのもまずかったがこれが安西さんや、まして両親とかだったら完全にアウトだったろう。……まぁ二筆もだいぶ面白がって写メ撮りまくったり「この写真、本屋にばら撒いたらどうなるかなー」なんて俺をおちょくっていたが、こいつあまり他人に興味ないから不幸中の幸いだ。

「はー食った食った。ごちそうさま。ありがとう愛依ちゃん。美味しかったよ」

「はい、お粗末さまでした」

「ところで二筆さんってあの二筆流(にふでながれ)さんなんですよね。『この街にいるのは偽りの友ばかり』でデビューした」

「ピンポーン。その二筆ちゃんです」

 勝手に水道をひねって水を組んできた二筆は愛依ちゃんの前に座ると、

「自己紹介が遅れたね。あたしは二筆流。こいつとは同期で二つ上のおねーちゃんだ。玲二は高一でデビューしてあたしは高三。そっからお互いちょうど二年、作家生活をしてるってわけ。その頃の同期は少ないからあたしがこうしてたまに玲二の家に遊びに来てやってるんだ。それにしても今朝はスゲーモンみれて楽しかったぜ? 愛依ちゃん」

「……そ、その話はもうやめてください」

 顔を真っ赤にして目をそらす愛依ちゃんに「わりーな」と白い歯を見せながら頭をナデナデする。

 背中まで伸びた黒髪に黒い浴衣に足袋に雪駄。そして天気に関係なく真っ赤な番傘をさすこの女作家は、掴みどころがなくて飄々としていて、それで少しだけかっこいい。悔しいけど。あと番傘を室内に持ち込むな。

 それに俺より速筆でアニメ化もしているしシリーズも多く、ラノベ界ではスター的存在と言っていいだろう。凄く悔しいけど。

 俺はコメディ路線のラノベが得意だけど、二筆の場合は何でも書く。コメディも社会風刺もラノベっぽくない小説もとにかく何でも書く。シリーズ化している作品はそれほど多くはなく、稲妻文庫の一般向けの枠で一冊完結の話を書くことが多い。なので中高生よりは大学生から社会人のファンが多いのが特徴だが、もちろんラノベ作家なので幅広い支持を受けている。さらに文体も特徴的で難しい内容もそう感じさせない文章力に定評がある。

「それでなんで俺の仕事場に来たんだよ」

「ちょっと編集に渡すものあって」

「原稿?」

「そう。まぁ打ち合わせも兼ねてるよ。原稿渡すだけならメールでいいしな。あと昨日安西さんからメールが来て、朝玲二の事務所に行くと面白いものが見れるかもってあったから」

「あの人……」

「まぁまぁそう怒るな。これも編集なりのエンターテイメントってことで。それより折り入って頼みがある」

 急に声のトーンが改まり、二筆は浴衣の崩れを直すと椅子から降りて正座すると、深々と頭を下げ、こう言った。

「お金を貸してください」

「金、あるだろ。売れっ子作家だし」

「こっちに来て、帰りの交通費を使ってしまいました」

「何に使ったんだよ」

「パチンコ」

「歩いて帰れ」

「バカ言うなよ。岐阜まで何キロあると思ってるんだ」

「ノンストップで歩けば八十時間弱とグーグル先生は言ってるぞ」

「人でなし!」

「あんたが無計画なだけだろ! ってか普通切符は往復で買うだろ!」

「切符じゃパチンコは打てないぞ?」

「頭を打ったんだろ?」

「頼む金を貸してくれ。明日には振り込むから」

「新手の詐欺にあった気分だな」

 めんどくせぇ……ん? そうだ。いっそのこと切符をチラつかせて二筆も巻き込んでしまおう。別に制限は設けられていないことだし。

「わかった。切符の件は考えてやる」

「本当か?」

「ただ俺たちの相談に乗ってくれないか?」

 俺は二筆にどういう状況なのかを説明した。

 一通り聞き終わった二筆は愛依ちゃんが淹れてくれたお茶をすすっていたが、

「愛依ちゃん、読み切りコンテストではどんな作品で行くか決めてるの?」

「いえ、まだ考えてません。ただ発掘コンテストの時に書いた作品の改稿かまったく新しいジャンルにしようかなとは思ってますが」

 いきなり痛いところをついてきたな、二筆。

 俺もそれに関しては愛依ちゃんにどう考えているか聞こうと思っていた。……ただまだ出会って一日の彼女にそれをどう伝えたらいいかを迷っていた。せっかくいい成績を出せたのに、その心が折れてしまわないか、それが心配だった。

 でも二筆はそういうところで空気を読まない。必要なことはズバッと言うし、自分に足りなければ傷口に塩を塗られるような痛い意見も聞き入れる。そこは本当に俺以上にプロだと思う。

「愛依ちゃんは一位だった人の作品読んだ?」

「読みました」

「あれより面白い作品書けそう?」

「……無理だと思います。あの人の作品はその、なんていうか次元が違いました。私や他の投稿者とはまったく別次元の面白さ、世界観……そんなのを感じました」

 それは遠回しに「お前の作品は明らかに一位の人のよりつまらないよ。それを改稿して読み切りコンテストでものになると思ってるの」と言っているようなものだった。

 正直俺も二筆と同じことを感じたし、それを愛依ちゃんに伝えようかとも思った。ただ、一位の作品はあまりにも強烈で、もしかしたらプロ作家ですら霞んでしまうんじゃないかと思うぐらいの出来だった。

 だから二筆は単に読み切りコンテストで実績を残すためにどうするかを聞いているのではなく、この先そのバケモノがいる世代で生き残る覚悟も出来ているのか? と聞いているのだ。

 だけど俺も二筆も今の愛依ちゃんにそれを理解しろとは思ってない。ただ目の前にある〆切、そしてライバル。この二つと戦うためにどんな準備をする必要があるか。愛依ちゃんが今考えるべきはそこなのだ。

「だよねー。あたしもありゃ強いなーって思ったよ」

 努めて明るく振る舞う二筆に俺も同調して首を縦にふる。

「それで愛依ちゃんがどうやったら読み切りで勝てるか相談に乗ってくれってことでいいんだよな?」

「いや、勝ち負けとかじゃなくて編集に認められるレベルになれば十分――」

「いいや、勝ち負けだよ」

 二筆は真剣な眼差しで俺の瞳を射抜くように見据える。喉元に突きつけられた番傘はまるで強者を椅子から引きずり下ろす、下剋上の刃のようで、今のラノベ界を象徴していた。

「わからないか? それじゃあもう少しわかりやすい例え話をしてやるよ。この町にとてもお客の入るコンビニがある。仮にA社としよう。B社もこの町にコンビニを建てようとA社のコンビニが流行っている原因を調べたところ、凄く良い立地にあることがわかった。……さて愛依ちゃんに問題だ。B社がこの町でA社のように流行るコンビニになるにはどこに出店するのがいいと思う?」

 突然の問答に愛依ちゃんは目を白黒させていたが、なんとか答えをひねり出す。

「え、ええと……A社のお店の近く、ですかね。立地で流行ってるならその側に建てるのがいいんじゃないか――」

「0点だ。A社の勝因が立地ならB社はA者のコンビニを潰してその場所に建てるのが正解だ。多少商品は違ってもコンビニはコンビニだ。客だって三日もすれば受け入れて、一ヶ月もすれば慣れ親しんで、一年もすればそこにA社の店があったことさえ忘れてしまう……。あたしたちはそういう世界に生きてるんだ」

 それから彼女は少し優しさを引き戻すと、ようやく番傘をおろして愛依ちゃんへと向き直る。

「愛依ちゃん。本屋の数は決まってる。棚の数だって決まってる。だけど作家は毎年毎年生まれるんだ。そりゃ本屋だって棚だって増えるかもしれない。だけど人目に止まるいい場所ってのは本当に少ないんだ。そこには読者が面白いと思った本だけが置かれる。さっきのコンビニと同じ。紛れもない事実だ。だけど来月もそこに自分の本があるとは限らない。その座を狙ってたくさんの作家がペンという剥き身の刃を振り回して追いかけてくる。だから私たちが生き残るには勝たなきゃいけない。愛依ちゃんがどういう気持ちで物語を書いているのかは知らない。だけどそれだけじゃだめだ。もしプロとして本を出そう、自分のストーリーを読んでもらいたいって思っているなら、その源が優しい気持ちであったとしても、他を押しのけ蹴落とし切り捨てて勝ち取らないといけないんだ。“書きたい気持ち”と“書き気残ることは”は全くの別物なんだ」

 一息にそこまで言ってから二筆は立ち上がり荷物をまとめる。

「すまないな、ちょっと話がとっちらかっちまった」

 玄関で雪駄に履き替え「じゃあな」と白い歯を見せて笑った彼女の後ろ姿に、俺は手を伸ばしかけていた。

 彼女の姿が見えなくなって、俺は改めて二筆が言ったことの意味を考える。俺はもっと具体的な話ができると淡い期待を抱いていたが、二筆はそうは考えてないみたいで、結局愛依ちゃんに具体的なアドバイスをしてあげることは出来なかった。でもよく考えればそれはそうだ。だってそれをやるのは俺の仕事だったんだから。安西さんが愛依ちゃんを俺の仕事場につれてきた意味をもっと考えないと行けなかった。

 そして愛依ちゃんは少し前とは違って、何かを考えているような、そんな表情だった。

 確かにその感情や考え方はプロになってからは必要だ。いや、投稿者としても大賞という大きな一つの椅子を勝ち取らねばいけないのだから、プロもアマも勝負して勝たなければいけないのは一緒だろう。だけど自分が投稿者だったころはそんなことを考えただろうか? 一生懸命ひねり出した自分では最高だと思いこんでいる駄作かもしれない言葉の束を願いを込めて必死に送り続けた、ただそれだけだったのではないか。そして愛依ちゃんもきっと新人発掘コンテストに毎回応募していた時はそうだったに違いない。

 だとしたら俺が教えるべきは二筆のように勝つための作品作りなのか?

 ……いや、でもまだそれを直接教えるには早い気がする。それに勝つための作品ってどういうのか俺にもピンと来ていない。なのにそれを愛依ちゃんに教えるなんて俺には出来ない。

 結局あれは二筆の考え方だ。言っていることは正しいがまだ愛依ちゃんには早い。ただそれだけだ。だからやっぱりシンプルに次の作品をどうするか。既存の改稿で行くか新しいことに挑戦するか。彼女の中にあるストーリーと相談しながら決めていくしかないだろう。

 俺は愛依ちゃんのいるリビングに戻りながらもう一つ、気になっていることに思考を巡らす。

 あいつ、新幹線代どうするんだろう。


◆読み切りコンテスト


 愛依ちゃんが俺の事務所に初めて来た土曜日から一週間が経っていた。

 愛依ちゃんは新人発掘コンテストで『コネクト』という作品で二位になっている。

 この作品は高校の男子バレーボール部が舞台で大会の成績やチームメートとの関係に悩むキャプテンと、それを支える女子マネージャーの様子が書かれた作品だ。

 部活や人間関係の「繋がり=コネクト」というタイトルで、女の子ならではの視点で丁寧に女子マネの気持ちやキャプテンの苦悩を描いている。文章に拙さはあるものの、その文面からキャラクターの喜怒哀楽が伝わってくる。愛依ちゃんの強みはそこにあると思わせる作品だ。

 だが勿論欠点もあって、それは昨今のラノベ業界で上に行くにはどうしても克服しなければならないところもあった。厳密に言えばそれをしている作家さんもいるけど本当に一部の大御所さんだけだし、とにかく一般的な視点で俺は愛依ちゃんにその部分について意見を出していた。

「これはよく言われているんだけどやっぱり主人公は男の方がいいと思うんだよ。ほら、ラノベって男性読者の方が多いからその人たちが感情移入できるように作らないと読みてに魅力が伝わりづらいし。もちろんコネクトがダメだって言ってるわけじゃない。主人公のキャプテンも魅力的だったと思う。だけど女子マネの描写の比重も結構多くて、どっちが主人公かわからないってところもあったのが正直な感想なんだよね。……かと言って女子マネを主人公にすると別にバレー部の話じゃなくても良くなるし」

「安西さんにもそこは言われました。確かにそうですよね」

「かと言って女子マネの心情描写を減らすとその他大勢のモブみたいになっちゃう可能性もあるし、愛依ちゃんがどうしても女子マネを活かしたいって考えるともっと主人公を男性読者が感情移入するようにカスタマイズするしかないと思う。でもそれをやってしまうと多分分量が増えて読みコンの字数をオーバーすることにもなる」

「ですね。コンテストや賞には色々と制限がありますしね」

「さてどうするかね……時間も無いんだよね。なんだかんだもう五月になっちゃって来月末が〆切だから、理想で言うなら二週間ぐらいでプロット書いて一ヶ月で原稿を書く。それで残りで微調整って感じなんだけど。愛依ちゃんとしてはどう思う? ストレートに聞いちゃうけど『コネクト』をなんとか改変するかそれとも新作を書くか」

 愛依ちゃんは俯いて少し考えてから、

「玲二先生は女性主人公でかつその心情描写が多いとラノベ向きじゃないという判断なんですよね?」

「正直に言ってしまえば」

「私、発掘コンテストで一位になった人の作品、何度も読みました。あれは絶対に自分じゃ届かない……次元が違うって。それでもあの作品だって主人公は男の子でヒロインがいて、そこは普通のラノベキャラの構成だったなって思いました。それに読んでいてちゃんと主人公に感情移入できました。だから私もこの先小説を書き続けるんだったらそれは必要になってくるかなって、そう思いました」

「完全新作でいく、でいいんだね?」

「はい」

「どんなの書くとか大雑把でいいけど決まってるの?」

「前から書きたいなと思ってたのがあるんです」

「どんなの?」

「異世界転生モノです。本屋さんにもこの手のものはたくさんあるので、二番煎じってのはわかります。でも私小さい頃から不思議の国のアリスが大好きで、日常とは違う世界に憧れてて。だからこういうのもいつか書いてみたいなって思ってたんです」

「ほー。異世界転生モノねぇ」

「うあっ! 二筆!? なんでお前がいるんだよ。ってか窓勝手に開けるなよ!」

「鍵が開いてたんだよ。なんか真剣な顔して愛依ちゃんに話してるから愛の告白でもしてるのかと思った」

「するかよ」

「ちぇ。ライバルが一人減るかと思ったのに」

「すでに売上でめちゃくちゃ負けてるから客観的に見ても俺はお前のライバルって言えるほど凄くないんだが」

「そうか? あたしも『ダークエルフ珍道中』はすげー評価してるんだけどな」

「へいへい。そりゃどうも。ところで中に入れてくれないか? このままじゃ怪しい人で通報されちまう」

「通報されて岐阜へ帰ってしまえ」

「そりゃ無理な相談だな」

「なんでだよ」

「だって引っ越してきたもん」

「はぁ!? どうして!?」

「入れてくれたら教えてやるよ」

「もうめんどくせぇやつだな……今鍵開けるからちょっと待ってろ」

 俺は玄関に周ると鍵を開けた。

「なんでスーツケース持ってきてるんだよ……」

「なんでってあたしの引越し先住所、礼二と一緒だもん」

「はぁ!? 別に同じマンションじゃなくてもいいだろ」

「でも毎日のように愛依ちゃんが来てるんだろ? だったらうまい飯も食えるじゃん。それにお前は勘違いしているようだが同じマンションじゃないぞ」

「じゃあどこだよ。住所が同じってこのマンションしかないだろ」

「となりのアパートだよ。お前の部屋からも見えるだろ?」

「リビングから見えるあれか? 結構なボロアパートだけど」

「そ。そのボロアパート。おかげで家賃も安いしごはんは愛依ちゃんが作ってくれるしWi-Fiはお前のルーターに乗っかる」

「最悪だ」

「意見するのか? あたしが浴衣をはだけさせて大声を出せばすぐに人は来るぞ? ここは一階だ。女性の声を聞いて駆けつけた先に着衣が乱れた女と女子中学生がいて、お前はどう反論できるんだ?」

「……くっ、卑怯な」

「その代わり私はお前と愛依ちゃんにいろいろ協力してやるからそれでチャラにしてくれよ」

 俺は愛依ちゃんをちらりと見て意見を伺う。

「私はかまいません。二筆さん、面白い人ですし」

「お、そうか。見る目あるなぁ」

 そう言いながら二筆は愛依ちゃんの頭をわしゃわしゃする。

「んじゃさっそく買い物いくぞ」

「なんのだよ」

「そりゃあたしの引越し先で使う家財や電化製品を買うのに決まってるだろ。お前は荷物持ちな」

「断る」

「まぁまぁそう言うな。実はこれ、読みコンの対策も兼ねてるんだよ」

「本当かよ」

「もちろんさ。本屋を巡ってラノベを買って研究するんだ」

「どうせそれもお前が読みたい本だろ」

「いかにも! ……だけど真面目に対策もする。お前も愛依ちゃんも新人発掘コンテストの一位の作品は読んだよな」

「ああ」

 愛依も首を縦にふる。

「あれはミツルギ刄の匂いがするな」

 ミツルギ刄。今、飛ぶ鳥も落とす勢いの大人気作家だ。科学、魔法、学園都市、能力者、といったジャンルが大得意の作家だ。アニメ化作品もあるし書く速度も俺や二筆以上に早い。一言でいえばバケモノだ。

「その一位の子の作品に対抗するにはミツルギ刄の作品に対抗できるものを書くつもりで挑まないと大怪我をするとあたしは思う」

 さっきまでのふざけた雰囲気はなくなり、そこにはライバル作家を冷静に分析する一人のプロが立っていた。そしてその意見には俺も同意だ。

 新人発掘コンテストの一位の作品はあまりにも格が違う。そして今の愛依ちゃんでは結果は見えている。だから二筆の言う通り、対策は必要だと俺も思っていた。

「二筆さん、よろしくお願いします。私その……ライバルの対策とか考えて書いたことなくて。だから玲二先生や二筆先生に教えていただけて本当に心強いです」

「愛依ちゃん……」

 俺はそんな彼女の言葉にウルっと来てしまった

 対して二筆は、

「ま、頑張るのは愛依ちゃんだけどねー」

 といつもの調子だ。

「じゃあ善は急げだ。玲二、スーツケース置かせてくれ」

「自分のアパートに持っていけよ」

「すまん、まだ鍵貰ってなくて」

「計画性はないのかよ」

「プロットは書かない主義でね」

「それが本当だからお前もバケモノなんだよなぁ」

「天才作家さんが何を言う」

「デビューした時しか言われてねぇよ」

「否定はしないんだな」

「だれだって自分で自分のこと天才だって思ってないとこの仕事やっていけなくないか?」

「それは同意だ。おーい、愛依ちゃん。出かけるよ。今日はちょっと遅くなるからお家にちゃんと連絡するんだぞー」

 こうして突然引っ越してきた二筆の提案で、俺たちは愛依ちゃんが次に執筆する作品のヒントを探しに街へ繰り出したのだった。


 ◆街、三人、本屋と電化量販店とラノベコーナーで


 やってきた街は秋葉原。

「じゃああたしはこっちだから二人はしっかりラノベの研究してこいよ」

「一緒に来るんじゃねーの?」

「あたしは洗濯機や掃除機を買いに先に電気屋に行く。荷物持ちも手伝ってもらうけどまずは二人で行ってこいよ」

「どうした急に真面目になってお前らしくない」

「普段のあたしをどう見てるんだよ」

「帰りの新幹線代をパチンコに使っちまうろくでもないやつだと思ってる」

「それは反省してる。でも三人でごちゃごちゃ話すよりも二人で集中して本を見るほうが能率はいいと思う。あたしも買い物終わったらちゃんと合流しておすすめの一冊を教えてやるよ」

 そう言うと二筆は俺たちとは反対側の改札へと歩いていった。

「じゃあ行こうか。愛依ちゃんはどこか行きたい本屋はある?」

「行きたい本屋は特に無いですけど、そもそもこの街って大きな本屋ありませんよね」

「あー、言われてみれば確かに。秋葉原ってオタクの街だからラノベを買うとしたらとらの○なやアニ○イトのラノベコーナーに行くのが正解だよな。そこだと流行りの本も平積みしてるし流行がわかりやすい。異世界転生系のコーナーももしかしたらあるかもしれないし」

「それだと助かりますね。私、今日はたくさん異世界モノ買おうって思ってお小遣い全部持ってきました」

「そこまで!?」

「はい。だっていいお話書きたいですから」

「気合入ってるね」

「勿論です! ここで絶対に認められて掲載勝ち取りたいですから。……私、発掘コンテストの時も何度も何度も落ちちゃって、やっと今回認められたんです。だからどうしても、残りたいです」

 その気迫と真っ直ぐな瞳の奥に、俺が忘れていたモノが見えたような気がした。

 ……話を逸らすように俺は、

「そういえば読み切りコンテストの申し込み用紙は持ってきたよね? 帰りに郵便局に寄って提出していこう」

「大丈夫です。ちゃんとあります。名前も作品ジャンルも記入してます」

 必要事項はしっかりと記載されていた

「よし、大丈夫だな。作品名や終了予定文字数なんかはあとからメールで送ればいいみたいだからこれで行こう」

「なんだか緊張しますね」

「なんだか応募原稿を出す時の気持ちに似てるのかもね」

「そう……なんですかね?」

「多分そうだと思う。がんばって原稿を書き上げて、エントリーシートに名前や住所、タイトルなんかの必要事項を書いてさ。それで印刷して郵便局に持っていったっけ。枚数が凄く多いから、印刷し終わった時は凄い達成感があったなあ。封筒に詰めて出す時なんか両手合わせてお祈りしちゃったよ。普段神さまなんて信じてないのに」

 俺は何年か前を思い出して苦笑いする。

「じゃあ私もお祈りしようかな。原稿を出すわけじゃないですけど」

「だったら俺も一緒にお祈りするよ。愛依ちゃんがいい作品を書けますようにって」

「それにはまず異世界モノの調査、ですね」

「そうだな。――お、そろそろつく頃だ」

 俺たちは足取りも軽く、一店舗目のとらの○なの入り口をくぐってラノベコーナーへと向かったのだった。


 秋葉原のとらの○なは七階建てで地下を入れて合計八フロア。

 俺たちが向かうのは四階なのでエスカレーターで上に向かう。四階で降りるとそこには所狭しとラノベが並んでいる。奥には漫画もあるが、このフロアはどちらかというとラノベが多い。レジ横にも新刊発売の予定表がびっしり並んでいて、店員さんは会計で大忙しだ。

「何買うか決まってる?」

「特に決めてないですけど主人公が転生した先でスライムになるやつを買おうかなって思ってます」

「あー、あれか。有名だよね」

「はい。私が知った時は結構巻数も出てて追うのが大変だなって思ってたんですけど、ちょうどよく最近アニメ化したので」

「だったら平台に積まれてるな」

 愛依ちゃんが言った作品はやっぱり『転生したら異世界でスライムだった件』通称『転スラ』の新刊だった。それが山積みになっている。

「アニメ化記念で一巻からも置いてあるし、同じ異世界転生モノの小説も少しあるな。これはちょうどよかった」

「ですね……」

「どうしたの?」

 祝! アニメ化のポップを見つめながら固まっている愛依ちゃんの顔を覗き込む。

「いや、凄いなぁ……って思って。それに、」

「それに、私に本当にこんなのが書けるのかなかって急に不安になってきちゃって」

 二桁の巻数まで続く面白さ。アニメ化する人気。○○万部突破の文字。現役作家の俺が見たって凄いって思う。だけど愛依ちゃんは、今『転スラ』の作者と同じジャンル・世界観で小説を書いてコンテストに臨もうとしてるんだ。眼前の成功者の前に萎縮してしまうのも無理ないだろう。

「気持ちわかるよ。俺だってこんな成功者と同じフィールドでこれからも戦っていくんだって思うと気が重くなる時がある」

「玲二先生もですか?」

「そりゃそうだよ。だから愛依ちゃんのその感情は至って普通なんだ。すごい作家、有名な作家を見て、自分にはこんな人になれない、こんな面白いモノは書けないって大半の人が諦めちゃう。だけどそれは……言い訳をしてるんだ」

「言い訳ですか?」

「そうさ。失敗すると誰だってショックだし悲しいし否定された気持ちになる。その時人間は『自分には才能がなかったから仕方ない』って逃げ道が欲しくなるのさ。だから取り組む前に言い訳を作る。この人は凄い人だ、だから凡人の自分は努力して負けても当たり前なんだって……でも創作をするならそれはもったいないと思うよ。だってもしかしたら俺や愛依ちゃんがこれから書こうとしている物語は、本当に唯一無二で、明日誰かが読みたい物語になる可能性があるんだ。そりゃ失敗は怖いけど、書かないと始まらないよ。書いて書いてダメ出しを食らって、今までの経験が全部否定されるようなことがあって寝込んでも……それでも明日はまたパソコンを開いてキーボードを叩く。プロになったら尚更ね。……ってごめん。逆にプレッシャーだったかな」


 愛依ちゃんの表情からはまだ良くわからない、といったような雰囲気が伝わってくる。まぁ俺も最近は調子があまり良くないから突っ込んだことを言ってしまったかもしれない

「とにかくさ、まだ始まったばかりなんだから好きなように書いたらいいんじゃないかな」

「そうですよね。私、ちょっと深く考えすぎちゃいました。まだデビューもしていないのにこんなに凄い先生と自分を比べようだなんて。身の程を知れ……って感じですよね」

 ちょっと言い過ぎたかなと思いなにか話題を探していると、平台の棚の奥から目を引く少女が現れた。その姿に他の客も買い物の手を止めてその女の子に視線を向ける。

 身長は愛依ちゃんと一緒ぐらい。顔つきもまだ幼さが残っているから中学生ぐらいだとは思うが目を引くのはその容姿だ。

 整った顔立ちにぱっちりとした瞳が印象的だ。髪は綺麗な黒で肩より少し下辺り。そしてクールな表情がその美しさを際立たせている。

 そしてなんと言っても彼女の服装。黒のゴシックロリィタ衣装に身を包み、胸元とスカートのフリル部分は白いレースがあしらわれている。そして狭い店内にも関わらずこれまた黒に白のフリルのついた日傘と黒い鞄を持っていた。

 彼女は店内の視線を集めていることも気に留めず、棚にあるラノベを片っ端から籠へと放り込んでいた。そして俺たちのいる異世界モノの平台まで来ると『転スラ』の一巻をかごへ入れる。

 買い物かごをちょっと覗くといろんなラノベの一巻だけが入っていた。

「何よ。女の子の買い物を覗き見するなんてキモいオタクね。通報するわよ」

凍てつく一言を貰った俺は反応に困った。

「あ、いや……その、たまたま目に入ったっていうか」

「ふーん。まぁいいわ。どいて」

 彼女は『転スラ』の横に置いてある別の異世界モノの一巻に手を伸ばした。それはちょうど愛依ちゃんも買おうとしていて、彼女たちの指先が触れ合った。

「あなたも買うの?」

「は、はい!」

「じゃあどうぞ。別に最後の一冊ってわけじゃないし」

「ありがとうございます」

 愛依ちゃんは小さくお礼を言うと、その一巻をかごへとしまう。

「あ、あの!」

「何よ。私、買い物で忙しいんだけど」

「ご、ごめんないさい。ただ、ライトノベル、好きなのかなって。そんなにたくさん買ってるから」

 愛依ちゃんの言葉に、そのゴスロリ少女は少し考えてから、

「好きか嫌いかで言えば好きね」

「どういうことなの?」

「別にいいじゃない。貴女に話すことではないわ」

 ゴスロリ少女は平台にある一巻を全部かごに入れるとレジへ向かった。

 その時だった。長身の男性客が突然横切るように彼女へぶつかる。

「きゃっ!」

「あ、ごめん」

 男は謝罪の言葉を述べるとすぐにその場から消えてしまったが、体格差からかゴスロリ少女の持っていたかごと鞄の中身は床に散乱してしまう。

「手伝います!」

 愛依ちゃんがすぐに駆け寄り鞄の中身を拾ってあげる。

「大丈夫か? 邪魔して悪かったな。じゃあ俺たちもそろそろ行こうか」

 転んだ彼女を中心に店内はちょっとした騒ぎになりかけている。早く店を出て次の本屋に向かったほうが良さそうだ。

「愛依ちゃん、行くよ」

 俺は彼女へ声をかけるが、珍しく反応がない。

「おーい、大丈夫か。そろそろ帰るぞ」

 心配になり覗き込むと、一枚の紙を両手で握ったまま、愛依ちゃんはゴスロリ少女を見つめていた。その紙には見覚えがあった。さっき俺たちが提出するために確認した紙。稲妻文庫読み切りコンテストへ応募するためのエントリーシート。

 まだそのシートは未記入だったが、これを持っているということは。

「なによ。さっさと返しなさいよ。それ大事な書類なんだから」

「あ、あの!」

愛依ちゃんも鞄から同じシートを出すと、彼女の眼前へと突き出した。

「わ、私……明日見愛依です。発掘コンテストで今回二位だった!」

 ゴスロリ少女はシートと愛依ちゃんの顔を、視線で何度か往復する。そして、

「へぇ……!」

 にんまりと、面白いおもちゃでも見つけたかのような笑みを浮かべた。

「そっかそっか。こんなこともあるんだね。まさかここで読みコンに応募する人と会うなんて思わなかった。ってことはあなたたちもここには”資料”を買いに来たのね? 察するに次に各ジャンルは初挑戦だから、かしら?」

 一方的に喋り続ける彼女の話を、愛依ちゃんはただただ黙って聞いている。

 だけどどうにもその口調から弱者を小馬鹿にしている感じがにじみ出ていて、俺にはどうにも気に食わなかった。

「おい、ゴスロリ少女。言っておくけどな、愛依ちゃんの作品は凄いんだからな」

 我ながら作家とは思えない語彙力だ。

「あんた誰よ」

 名乗っても良かったが個々で名乗るのは流石にまずい。俺はとっさに、

「……兄貴だ」

「似てないわね。似てない上にシスコンなんて」

「シスコンじゃねーよ。それよりお前こそ誰なんだよ。愛依ちゃんが名乗ったんだからお前も名乗れよ」

「妹にちゃん付けとかガチシスコンじゃない。でもいいわ。ライバルに名乗らないのは無礼よね……私は……」

右手で自分の右目を覆い隠しポーズを決める。今にも「俺の目が……疼く!」と聞こえてきそうな中二病全開のポージングだ。

 ゴスロリ少女は愛依ちゃんからシートを掴み取ると達筆な字で名前を記入し、今度は俺たちに見せつけてきた。まるで「知ってるでしょ?」と言わんばかりに。

「……五百雀凛(いおじゃくりん)」

 その名を見た愛依ちゃんは今度こそ五百雀と名乗った少女へ釘付けになる。

 圧倒的世界観で発掘コンテストにおいて一位をもぎ取った人物。

「大方私の世界感に対抗するために異世界モノを選んでここに来たんでしょうけれど、そんな心持ちじゃ全然ダメね。まぁ私がまたぶっちぎって実力を知らしめるのを見てると良いわ。これからのラノベ界に君臨する女王の名が世に羽ばたくのを見せてあげる」

 そう宣言した直後だった。背後から店員に注意され、普通に謝り普通に会計をし、普通に退店していった彼女だったが、その正体がまさかこれから戦うべき相手というのには俺も愛依ちゃんも心底驚いた。あまりの衝撃で俺たちは次の本屋へ行く気力も使い切り、結局ここで数冊のラノベを買うと、二筆と合流したのだった。


 俺たちは駅と電気屋の中間点に位置するコーヒーショップに入った。

「私、ちょっと甘く考えてたかもしれません」

 ミルクと砂糖を入れたコーヒーを半分ぐらい飲んで、愛依ちゃんはそう口にすると俺の目を見て話を続ける。

「私、自分に才能があるなんて思ってません。でも好きだから一生懸命書いてなんども投稿して、それがようやく認められて嬉しかったです。それに玲二先生と普段からこうして色々教えてもらうなんて本当ならありえないことです。そんな特別な環境にもちょっとなれてきちゃって、二筆先生とも知り合って、周りの人が小説家で自分も書いているから多分大丈夫だろう……ってどこかそんな気持ちでいたんだと思います。だから『転スラ』を見た時や、五百雀さんを目の前にして竦んじゃったんだと思うんです。本当なら気を引き締めて頑張ろうって思わないといけないのに、どこか自分に甘えがあるから、気持ちの土台がしっかりしていないから、本当に覚悟を持った人たちの前に出た時にふらふらーってしちゃうんです……」

 俺からみると愛依ちゃんはしっかりしている。小説の勉強だって出会ってから頑張ってるし、元々いいものは持っている。だけど大人気作品や自分よりすごい人物に会った時のことは本人にしかわからない。だとしたら今愛依ちゃんに必要なのは五百雀に勝つための対策より、どれだけ本気で作品を書けるかってことなんだろう。

 だけどそれは一朝一夕で身につくものでも理解できるものでもない。

 好きで書いて、何度も放り出しそうになって、それでもやっとの思いで完成させた原稿が何度もなんども落とされる。それでも向かい続けないと覚悟なんて生まれない。だからと言って今愛依ちゃんに「最初はみんなそんなものだ」なんて言葉をかけれる状況でもない。

 結局のとろこ、書いて進むしか無いのだ。それはプロもアマも同じだ。

 だから現状、愛依ちゃんにとっての最善策はやはり決めたものを書き上げるしか無いのだ

「だったらやっぱ書くしかねーよ」

 パフェにがっついていた二筆が一言放つ。俺が一番いいたかった言葉。だけど今はかけられなかった言葉。やはり二筆の感性は鋭かった。てっきりそれは小説を書く時だけかと思っていたが、日常でアンテナを張り続けているからこそ独特の作風に仕上がるのだろう。そう考えると、二筆は人の観察やアドバイスに向いているのかも知れない。

「異世界モノでも学園都市モノでもラブコメ、冒険モノ……なんでもいい。とにかく面白いをぶつけて突き抜けた方が勝つ。相手の戦力を分析したところで向こうの面白さが下がるわけじゃない。だったら今持てる自分のエンタメをどーんってぶつけて後はお祈り。届かなかったら自分を分析、研鑽、そして何より書く。書いて書いて書いて書いて、途中でこれ面白いのか? って思ってもプロットに着手しようとした瞬間を思い出して書く。自分が面白いと思ってそのプロットを立てたんだからその時の自分を信じる。書き進める自分を信じる。そして面白いものが出来上がった未来を信じる。結局のところあたしたちにはそれしかできねーんだ。面白いものが書けるって信じることしかよ。……だって本当に面白いかどうかを決めるのは読者だからな」

「二筆さん……」

「あー、だからな? ぐだぐだ色々言っちまったけど、愛依ちゃんは今自分の中にある異世界モノは面白いって思ってるんだろ? だったら五百雀に会ったことなんて忘れて計画通り書いていきゃいいんだよ。そうやってしか上手くなれねーしな」

「二筆……お前……」

「なんだよそんな顔して」

「いいこと言うな」

「なんだよ。本当はお前がしっかり言うことだろ? あたしは玲二たちがなんか面白そうだから引っ越してきたただの隣人なんだ。愛依ちゃんのことはは安西さんに頼まれたんだろ? だったら責任持ってちゃんと育ててやれって」

「あはは……だよな。でもさ、俺も正直、愛依ちゃんにどういう風に書いて欲しいか決まってないのかも知れない。もし、愛依ちゃんにこういう作家になって欲しい、こういうことを学んで欲しいって思ってたらそれを教えると思う。……だけど今の俺にはそれがない。なんとなく一緒に小説書いて、ごはん食べて、普通の生活をしちゃってる。だから俺もふらふらしてるんだ」

「そ、そんなことないですよ! 私、玲二先生の仕事場に来てから色々と勉強になってるんです!」

「え、そうなの?」

「はい」

「どのあたりが?」

「えーっと……仕事に向かう姿勢、とか?」

「なんで疑問形なの?」

「おい玲二。年下の女の子に気を使わるんじゃねーよ」

「す、すみません。玲二先生。でも、私も一人で書いていた頃よりは刺激を貰えてるのは確かです。それに二筆先生の言う通り、くよくよしててもしょうがないですよね。私、帰ったらさっそく今日買った本を読んで、明日からプロットを書きます」

 ぱっと笑顔になった愛依ちゃんを見ると、二筆もにかっと笑って、

「そうかそうか。それがいい。じゃあモヤモヤしたことは忘れて今はしっかり食べないとな。あたしが食べてたジャンボチョコバナナパフェがうまかったぞ。愛依ちゃんも食べるか?」

「ジャンボサイズはちょっと……普通のでよければ!」

「じゃあ注文するね。あ、おにーさん、こっちにチョコバナナパフェ二つ!」

「二つですか?」

「美味しいからもう一個食べようかなって」

 さすがにさっきの食べっぷりを見て俺も、

「おい……お前食べすぎだろ。大丈夫なのかよ」

「大丈夫だって。金の心配はしてないから」

「いやそっちじゃねーよ。仮にも女子なんだから程々にしないと色々気になるんじゃないか?」

「仮にもとはなんだよ仮にもとは。失礼なやつだな。大丈夫だってあたしのスタイルは抜群にいいからな」

 その場で椅子から立ち上がり何やらセクシーポーズ的な感じで腰に手をやり髪を掻き上げるが、服装がアレなんで恥ずかしいからやめて欲しい。まぁでもスタイルは本当にいいんだよな。帯で体を締めてるからその辺りの曲線はしっかりと目立つし。……でもなんだろう。二筆を見てるとそういう気持ちになれないんだよな。年の近い姉貴って感じがして。

 そうこうしているうちにパフェが到着。

 追加された伝票はどんどん下に長くなっていく。ファミレスかよ。

 俺なんてケーキセット一個しか頼んでないのに。それにしても愛依ちゃんも美味しそうにパフェを食べている。ノーマルサイズとはいえ結構大きい。向かい合って座っている愛依ちゃんの顔がパフェですっかり隠れてしまっている。食べ進めるとまた顔が見えるんだろうかと考えていると、二筆がすでに食べ終えて満足そう腹を抱えて椅子の背もたれにだらしなく寄りかかっている。あー女子力が低下するー。

 そこから二十分ほどで愛依ちゃんも食べ終わると最後にお茶を飲んでコーヒーショップを後にする。

 戦いの前には美味しいものを食べないと、と誰かが言ったらしいが覚えていない。

 でも二筆も愛依ちゃんも本当に美味しかったと言ってくれて俺も凄く嬉しかった。二筆が会計を俺に押し付けたことを除けばな……だから金の心配はしてないと言ったのか。あいつの新刊が出たら原稿料から差っ引いてやる。無駄だとは思いつつも、俺は領収書の但し書きのところに打ち合わせと入れてもらうと、彼女たちを追うように店を出たのだった。


 ◆明日見愛依、始動


 先日秋葉原のオタクショップで五百雀凛と会ってからさらに数日が経過していた。今日から本格的に愛依ちゃんのプロットづくりが始まる。

 ただ……。

「おい、なんでお前までここにいるんだよ」

「だって色々強力するって約束したじゃん」

「それはありがとう。でもこれから執筆するってのに人がいたら邪魔になるだろ。俺も愛依ちゃんが書き始めたら書斎に籠もるし……」

「まぁそんな硬いこと言うなよ。あたしはリビングでしっかり愛依ちゃんの作業を監督するからよ」

「それが迷惑だって言ってんだろ。どうしてもここにいるってんなら、俺と同じ書斎にこい」

「密室に女を連れ込んでなにする気なの……?」

「密室じゃねーし、お前を愛依ちゃんから避難させるだけだし、するのは俺が一人で原稿を書くだけ。お前は部屋の隅で体育座りでもしてアイスでも食ってろ」

「いや……ちょっと玲二の書斎だと……あたしはやっぱりリビングに……」

「おい、なんでそんなにリビングにこだわる……」

「だって!」

 急に大声を出して立ち上がると、

「だってあたしの部屋、まだ冷房がついてないんだもん! 五月なのに東京暑すぎでしょ! 電気屋の店員にも「工事予約が入っているのでしばらくお待ち頂くことになります」って言われたし。だから寝る時は扇風機で我慢するけどそれ以外はお前の仕事場で生活することにした」

「ふざけるなよ! だったら水道光熱費払え!」

「体でいい?」

「いい訳あるか! どうせそうやってケチった金でパチンコ行くんだろ?」

「パチンコ行かなかったら体で払っていいのか?」

「パチンコじゃなくて病院に行ったらどうだ?」

 俺はだんだんイライラしてきたが、そこに愛依ちゃんが助け舟を出してくれる。

「あの……私は二筆先生がいても平気ですね。もともと実家で書いていた時も周りに親がいましたので。だから執筆する時に人がいるのには慣れてるんです」

「まぁ愛依ちゃんが良いって言うなら」

「ほら大丈夫じゃん」

「おまえは本当に邪魔しないでろよ」

「わかってるって」

「本当かよ。心配になるな。じゃあ俺はとなりで仕事してるけどなんかあったら呼んでくれよ」

「あいさー」

「二筆、お前には言ってない」

「なあ玲二」

「なんだ、まだなにかあるのか」

「プロットの書き方教えてやらなくていいの?」

「んー。最初は教えない。っていうかプロットって人によって書き方全然違うだろ。だから最初のうちは思うように書くのがいいのかなって思って。それで上手くまとまらなければちょいちょいアドバイスすればいいし。それこそ人によっては下書きみたいに丁寧に書いたり、箇条書きだったり、マインドマップ使ったり色々だろ? そういう二筆はどう書いてるんだ?」

「イオンモール各務原店のチラシの裏」

「そういうことだ」

 愛依ちゃんに目配せで「頑張れよ」とエールを送ると今度こそ俺は書斎で原稿を開始した。


 ◆明日見愛依の五月二十日


 あの日から結構な日数が経った。

 思ったよりプロットが早く仕上がって、今日は最終段階。結局玲二先生からはプロットの書き方を最後まで教えてもらうことはなかったけれど、私の場合はプロットでも感情移入してついつい小説のように書いてしまうので「もっと完結に箇条書きで」と言われてそう直したぐらいだ。

 ちょっと手間はかかったけど、発生するイベントがフロチャートになっているのはわかりやすくて、なんだかゲームの攻略本を見ている感じになってくる。

 今回の読み切りコンテストも絶対にいい結果を残すんだ。

 私はあわよくばデビューするシナリオを妄想して少しニヤけてしまった。

「どうしたんだ。ニヤニヤして」

 はっ!? つい妄想をして二筆先生に変に思われちゃったかな?

 二筆先生は引っ越しも無事に完了したんだけど、エアコンのお金がかかるとか、こっちの仕事場の方が集中しやすいとか言って、いつも玲二先生の仕事場に押しかけてきて仕事をしている。だいたいは本を読んだりゴロゴロしてるんだけど。この人が本当にあの速筆で有名な二筆流先生って時々忘れそうになってしまう。……それにこの人、私が帰る時もまだ玲二先生の仕事場に残ってることがある。もしかして先生のこと……。

「おーい。愛依ちゃん。大丈夫? エアコンの温度下げる?」

「あ、大丈夫です! ちょっとプロットの最終確認してたので」

「そんな真剣にやらなくても大丈夫だって。大体書いている途中でプロットから大きくハズレて半分書く頃には別の話になって、書き上がった頃にはプロットいらなかったなーってなるから」

「ええ!?」

「んなわけないだろ。愛依ちゃん、二筆の書き方は特殊なんだからいちいちこいつの言うこと真に受けるんじゃない」

「でも本当の話、あまりプロットにとらわれない方がいいよ。プロットを守るのは書く上で凄く大事だ。大海原に出た時の羅針盤のようなものだから。だけど目的地にたどり着くまでに予想もしていないことが必ずおこる。そんな時はインスピレーションに従うんだ。そうやって登場人物たちが悩んだり考えたりして、そして愛依ちゃんもちょっと苦しんでなんとかその課題をクリアしてコマを先に進める。その繰り返しが小説を書くってことだ。だから時には予定していた航路を大きく外れそうになる。でもそんな時プロットに立ち戻ればちゃんと舵取りを修正することができる。まぁそのぐらいに思っておけばいいよ。だけど玲二の言う通りプロットは大事だ。だから愛依ちゃんが迷った時に戻ってきて、ああプロットを書いてて良かったって思えたなら、そのプロットは成功だと思うよ。あたしなんか立ち戻ろうとして探してもチラシの裏だから捨てちまってもう無いってこともあるけどね」

「すごいですね。でもありがとうございます。私、ちょっと下書きや自分で作った設定に囚われて書けなくなることあったんですけど、少しだけ気が楽になりました」

「ならよかった。小説は自由に書いたほうが楽しいからなー。書け書けー死ぬまで書け~」

「それはちょっと」

「作家ってそういう生き物だから。すくなくともあたしは死ぬまで書くね」

「二筆先生は凄い覚悟ですね」

「だってそれしか生きる方法しらないから。想像できる? あたしが朝九時からOLの格好して事務仕事してる姿」

「あはは……それはできませんね」

「だろ。生まれてこの方浴衣以外着たことないからね」

「二筆先生、素敵ですね」

 プロットを印刷した紙束を横に置き、私はついに読みコンの応募原稿の一文字目をタイプした。


 ◆明日見愛依の五月二十三日


 今日は仕事場に顔をだすと珍しく玲二先生はまだ書斎に籠もらずにリビングにいた。

「今日は書かないんですか?」

「いや、書くよ。これから忙しい時期になるし」

「今ってかなり忙しいんですか?」

「うーん。個人としてはそれほど忙しくないんだけど九月に『稲妻文庫作家連弾コンテスト』っていうイベントがあるんだ」

「連弾コンテスト?」

「うん。これは作家が小説投稿サイト上で小説を書くコンテストなんだ。ただ一人だと参加できない」

「どういうことですか?」

「ピアノを二人で弾くことを連弾っていうだろ。つまり二人一組で出場しないといけない。これが基本的なルールになる」

「なんだか面白そうですね」

「だけどこれが結構大変らしい。俺も参加したことがないからわからないけど、一つの作品を二人で書くってのが大前提。例えば俺と愛依ちゃんがこれに参加したとするだろ。書く物語を仮に『桃太郎』にする。俺がトップバッターとして、桃が流てきておばあさんが桃を拾ったところまでを投稿サイトへアップする。その続きを愛依ちゃんが書くんだ。勿論続きは事前に打ち合わせしてもいいけど、実際に書くと予期しない方向に物語が進むから、参加した作家さんからはプロットや方向性を共有しても続きを書くのは大変って聞いたね」

「それは確かに大変そうですね」

「自分の作品でさえプロット通りに進まなかったり途中でアドリブを入れたりですっちゃかめっちゃかになる時があるのに、他人の感性を受け取って、その人が次に書きたいことを予想したり、自分に返ってきた時の展開を考えたり、まるで見えないキャッチボールなんだ」

「そんなコンテストがあるんですね」

「実は自分も今年は参加しようと思ってるんだ。最近、仕事の調子も良くないから見識を広めるためにね。そうなると準備も夏終わりからしないといけないから、前もって出来ることを進めてて。何かあったの?」

「いえ。ただ最近凄く忙しそうだったので」

「そっか心配かけてたんだね。ごめん」

「い大丈夫なら安心しました。今日の晩ごはんは久しぶりに私が作ります」

「おお! いいねぇ! 愛依ちゃんのご飯久しぶりだなー!」

「二筆。お前こういう時に限ってタイミングいいな」

 びっくりして窓を見ると、いつものように二筆先生が窓から顔をのぞかせていた。それからバタバタと回り込んで十数秒後には玄関に。雪駄でも早く走れるんだ。

「愛依ちゃん。あたしハンバーグがいいなぁ」

「あ、えっと、その……構いませんが」

 私はすり寄ってきた二筆先生にせがまれながら、だけど視線は玲二先生へ。

「俺もハンバーグがいいな。運動した後だから肉を食べたい気分だったし。あと二筆いつもタダ飯なんだからせめて愛依ちゃんの買い物に付き合ってやれ」

「そのぐらいならお安い御用だ」

「じゃあ行こうか愛依ちゃん」

「はい。じゃあ行ってきます」


 スーパーに到着。入り口では二筆先生の格好に驚いて視線を集めちゃってる。見られているのは私じゃないのに、なんだか恥ずかしいし逆に二筆先生は全然気にしてないみたい。

「野菜は仕事場の冷蔵庫にこの間買ったものが入っているので、今日はハンバーグの材料だけ買いましょう」

「おっけー。私はひき肉持ってくるから、愛依ちゃんは玉ねぎとか他の材料よろしく!」

「わかりました。お願いします」

 それから私が玉ねぎやパン粉を買っていると、両手いっぱいにお肉を抱えた二筆先生が戻ってきた。

「随分と持ってきましたね」

「冷凍しておけばしばらく買い出しに行かなくてもいいしな」

「そんなに買って大丈夫ですかね」

「大丈夫だいじょうぶ。超売れっ子作家二筆先生のおごりだから」

「玲二先生からお金預かってきてるんですけどいいんですか?」

「あたしは生活面で玲二や愛依ちゃんに頼り切ってるところあるしな。だから二人の力になりたいって思ってるのは本当だよ」

「二筆先生!」

「いやいや、そんな尊敬を込めた視線で見ないでくれ! あたしなりに二人を応援してるし悩みがあったら聞いてやるつもりだよ」

 久しぶりに二筆先生は白い歯を見せてニカッと笑った。

 正直、玲二先生とは編集の安西さんを通して弟子になるならないって話から、仕事場で半分生活するように転がり込んだこともあって、そういう面では気を使っちゃう。だから聞きたいことも全部聞くのはなんだから厚かましいというか、失礼というか、すごくお世話になっているからこそ言えないこともいくつかあって。

 でも二筆先生はそういうしがらみのようなものがないから、なんでも話せるお姉さんって感じがする。だから私はここ最近悩んでいたことを聞こうと決意した。

 会計が終わってスーパーから出ての帰り道。私は、

「二筆先生。こういうことって聞いていいのかわからなくて、もし失礼に当たったらと思って今まで相談してこなかったんですけど」

「なんでも言ってみな」

「ありがとうございます。その……玲二先生には言わないでくださいね」

「りょーかい」

「玲二先生って今新刊書いてるんですけど」

「書いてるね」

「調子悪いんでしょうか? 確かに本人も『調子は良くない』って言ってたんですけど、最近はずっと書斎に籠もって書いていて。私は直接お仕事しているところを見たわけじゃないんですけど、部屋から出てくるといつも思いつめたような顔で、疲弊していて、何を言っても大丈夫って。だんだん口数も減ってきてますし、私に心配かけないようにしてるんだってのが伝わってきて、だから余計に聞きづらくて」

 私の中でここ二週間ぐらいモヤモヤしていたことをついに口に出すことができたが、それに二筆先生は、

「そりゃあいつ今好きなこと書いてないもん」

 と即答してきた。私には二筆先生の言っている意味がよくわからなかった。

「あいつはここ何冊かはずーっと仕事として小説を書いている。もちろんあいつは小説家だ。だからそれは当たり前。でも今は義務で書いているんだ。わかり易く例えると……うーん、愛依ちゃんって何か学校で自主的にやってることある?」

「私は部活も委員会もやってないんですけど、お花が好きで美化委員のお手伝いをしてます。と言っても種を巻いたりお水をやったりするぐらいですけど、綺麗に咲いてくれるのが楽しくて。だから土日も学校行くときもあるんですよね」

「じゃあ学校で嫌なことは? 友達の好き嫌いとかじゃなくて、先生からの頼まれごととかそういうので」

「そうですね……それだったらこの間ありました。私が美化委員の友達から貰ったお花を教室に飾ったんです。そしたら先生が、教材の邪魔になるからこういう置き方はしないでって。それで教室の隅っこの方に置くようにって言われて。それはちょっと残念でした。見やすい場所のほうがみんなの気持ちが和らぐと思ったんですけど……」

「それ」

「……それ?」

「愛依ちゃんは進んで美化委員の仕事を手伝ってるって言ったよね?」

「はい」

「でもよく思い出してみて。それってある程度自分の好きなように自由にやらせて貰ってる部分がなかった? もちろん委員会の仕事をちゃんと手伝ってるから好きにさせてくれてるんだと思うんだけど」

「言われてみればそうかも知れませんね。植える花も任せてもらってる時ありますし」

「でしょ。対して先生に言われたことって、愛依ちゃんがこうしたい、こうした方がいいって思った行動を否定されたわけ。ちょっと乱暴な言い方だけどね。もちろん先生には授業の都合もあったかもしれないけど、でもその大義のために愛依ちゃんのやる気や気持ちが削がれたわけだ」

「そんな大げさなものでも」

「でもそういうことだよ。実際次から教室にお花を飾る時って、その時のことを思い出して先生の反応を伺ったり、事前に確認したり、荒事にならないように立ち回るんじゃない?」

「……確かにそうかもしれません」

「それは普通のことだよ。悪いことじゃない。むしろ世の中が円滑に周るためには必要なことだ。組織が上手く周るために尖った個人を均して波風立たないようにする。先生が尖った個性のバランスを取って、学級を上手く回していくんだ。面白みはなくなるけど、その方が運営としては調整がしやすいからね。でも」

「でも?」

「玲二はそれで苦しんでる。あいつのデビュー作『ダークエルフ珍道中』は勿論知ってるよな?」

「はい。大ファンですから」

「あの一巻は今じゃ異彩を放つ。なにせ異世界とかハーレムとかそういうジャンル分けが難しい。強いていうなら冒険ものだけど、主人公の勇者が魔王を倒す旅の途中で仲間にしたダークエルフの女を見世物にして金を稼ごうとする。対する女エルフも主人公の外道な金稼ぎに負けずに仕返しをする……それでいて冒険はちゃんと進んで仲間もみつけて最後には敵をやっつける。冒険モノの王道を組み込みながら、だけどハチャメチャでどこに着地するかわからない展開は、読んでるほうも予想がつかない。それにあたしたち作家にはわかるんだ。玲二がこれを凄く楽しんで書いてるんだなって。ともすれば本人にも展開が予想できないようなぶっ飛んだ構成。それが主軸になってあの面白さは成り立ってるんだ」

「でも二巻からはその……ちょっとおとなしいというか、展開やオチが予想できたっていうか」

「それは編集がテコ入れしたからさ。今の話が美化委員の仕事をのびのびとやっている愛依ちゃんとするなら、これから話すことは組織の安定を優先する先生の一言で萎縮しちゃった愛依ちゃんが葛藤する話になる」

「どうして編集はそんなことしたんですか?」

「その方が売上げが伸びるって踏んだんだろう。玲二の書く話はたしかに面白い。だけど慎重な人間からすると、その変幻自在のアイディアがちゃんと最後まで持続できるのか不安になる人間もいる。出版社は企業だから利益をあげないといけない。一巻は爆発的な人気で売れたけど作品があまりにも異彩を放っているものだから二巻以降もその売上げが維持できるか不安だったんだろう。だったらこれまでの稲妻文庫の経験をもとに、爆発的には売れなくても“そこそこ売れてメディアミックス出来るような内容”を提示して書いてもらうほうが企業としては安定する。一巻で一気に知名度もあがったから“あのあさの玲二の本なら面白い”って思う読者も出る……と編集は考えたんだろうな」

「そんな……それじゃあ……」

 玲二先生は書きたいものを押し殺して編集や企業に気を使って作品を書き続けてきたんだ……。

「ひゃっ!?」

「そんな顔で玲二の前に戻るなよ?」

「玲二もしょうがない部分があるってわかって多分今の仕事をしてるんだろ。もっと自分に才能があればこんなことにはならなかったんだろう、って。でもそれはしかたがない。作家であれサラリーマンであれ仕事ってそいういうものだからさ。でも少なくともあたしにはそういう書き方は無理だし、多分玲二にも無理だ。今のあいつは飛びたいのに両羽を押さえつけられて、つまらないコンパスと折り合いをつけながら日々を消化しているに過ぎない。作家として死にはしないだろうけど、“活き”もしないだろうな。残酷なことだよ」

「……そんな……なにか私、力になれることって無いんですか……」

「今はないと思う。いたたまれない気持ちもあるかもしれない。だけどプロで書いている作家にはそういう人がたくさんいる。たくさんいて、それでも書いて毎月本屋に並ぶんだ。ただ愛依ちゃんは今まで知らなかっただけ。そして今日それをたまたま知ってしまっただけなんだ。ちょっと不運だったのはそれが玲二だったってことさ。愛依ちゃん、本当に力になりたい?」

「はい」

「だったら笑顔で帰ってとびっきり美味しいメシを作ってあげることだよ。いいかい? 間違っても玲二に今の話をしちゃダメだからね? どんなに辛くてもあいつはプロだ。嫌なことも乗り越えて今まで書いてきたプライドがある。それだけは絶対に傷つけちゃいけない」

 それから私たちは仕事場へと戻ってご飯を作った。

 今日のハンバーグは自分でも納得のいく最高の出来だった。


 ◆明日見愛依の六月十五日から七月下旬


 あの日からずっと二筆先生の言っていることが頭をよぎる。

 今日は六月十五日。あれから約三週間、モヤモヤと戦いながら迫る締め切りをギリギリ躱すかのように文字数だけを重ねていく。だけど自分で異世界モノを書くと決めたのは確かだ。「これで、いいんだよね」

 私の勇者が魔王の胸に剣を突き立てて、闇が払われて世界に平和が訪れた。

 エンドマークを打ってファイルを保存。エントリー用のメールにペンネームとプロフィール、あらすじを添付して私は送信ボタンをクリックした。

 初めて書いた冒険もの。初めて本に載るかもしれない原稿の提出。

 発掘コンテストの時とは比べ物にならない達成感に気分が高揚する。

 ああっ――完成させるってこんなに楽しいことだったんだ! 楽しい!

 すごく楽しい! 好きなお話を書いてこんな気分になって、それでもし本に載ったりしたら! 喜びに爆発しそうな私は部屋の中で小躍りする。

「……どうしたの?」

「玲二先生! 出来ました! 完成です! メールしちゃいました。小説ってすごいですね! 書き切るとこんなの幸せな気分になるんですね。私、読み切りコンテスト以外の応募ってこれが初めてだったのでもうなんか、えっとやばいです!」

「語彙力落ちてるぞー。でも気持ちはわかるかな。俺も初めて応募原稿書ききって投函した時そんな気持ちだったもん。とにかくおつかれ」

「はい! おつかれさまです! 色々とありがとうございました!」

 私は玲二先生が掲げた両手のひらのハイタッチをすると、その勢いのまま、

「今日は記念日です。ごちそうにしちゃいますのでお買い物に行ってきます。たくさん作らないといけないから荷物を持つ人が必要です。ちょっと二筆先生を誘ってスーパーに行ってきますので、玲二先生はゆっくり待っててくださいね!」

「あ、おい! 気をつけるんだぞ!」

 ああ、今日はなんていい日なんだろう!


「愛依ちゃん。まだ七月になったばかりなんだから気長に待とうぜ。出しちまった物はもうどうしようもないんだからパソコンカチカチするよりも神社でお参りでもしたほうがよっぽどマシだって」

「どうしても気になって」

「でも気持ちはわかるなあ。俺もそうだったもん。俺が出した時は結果待ちまで三ヶ月もあってめっちゃ毎日の過ぎる時間が遅く感じたよ。それで出してから一ヶ月ぐらいすると編集者がツイッターで応募作品についてツイートするの。ただそれだけ読んでも絶対に特定できないように。主人公の活躍が斬新でしたとか、ヒロインの魅力を引き出せてて引き込まれましたとか」

「あーあれな。あたしも見てて、これ自分のじゃね? って思ったもん。あれが一ヶ月以上も続くと心臓に悪いよな」

「発表まで不安な気持ちはわかるけど、しっかり書けたんでしょ?」

「はい。一応は」

「しっかしよー、この五百雀って子、改めて作品見ると凄いよな。発掘コンテストで書いた『S.T.A.C・Guardian』なんて文体をもう少し調整すればほぼ確実にデビューできるレベルだよ。まだ中学生ってことで経験も浅いだろうから文章全体のバランスが悪かったり、明らかに背伸びした部分が目立ってるけど、あたしはこの作品、大賞に応募するボリュームで読みたいなって思った。何より尖ってていい」

「俺もそう思う。近未来の日本で、特区がある超科学学園都市。そこは実験的に科学技術が進んでいる。そこは進歩した科学技術を研究することで世界に貢献するためと謳っている。だけど外部からは技術の独占や反乱を企てているのではと疑う者たちから日々狙われている。それを守る有能な学園の生徒たち。通称ガーディアンが学園都市を守るって話。設定は結構見かける感じだけど、ガーディアンの生徒たちが全員個性的で、戦闘の描写がスカッとするんだよな。正当な主人公ってポジションのキャラが一人も見当たらなくて、代わりに個性全開のガーディアンたちの活躍がこう、男の子の心をくすぐるんだよな」

「わかる! あたしなんか傘振り回して一人ごっこ遊びしちまったよ」

「お前ホント子供だよな」

「でもでもそのぐらいの勢いがあっただろー。ぶっちぎりの一位なのもうなずける」

「私、あれに勝たないといけないんですよね」

「いやいや! 急にそんなに落ち込まなくても」

「わかりました。それじゃあ毎日近くの神社にお参りしてきます。お賽銭は……ごひゃ……百円で!」

「いや、毎日百円のお賽銭って大変だから。それで愛依ちゃん。結果も気になるところだとは思うんだけど話があるんだ。俺が前にチラッと話した連弾コンテストって覚えてる?」

「はい」

「俺は参加したことなかったけど今回参加しようと思って」

「言ってましたね」

「それで俺の初参加の相方なんだけど、愛依ちゃんにお願いできないかなって」

「えええええええっ!? 私ですか」

「驚きすぎだよ」

「ほ、本気ですか?」

「本気だよ」

「本気って……でもそういうのってプロの先生と組むのが普通なんじゃないですか? それこそ二筆先生と一緒に組んだ方がいいと思うんですけど」

「それは無理。俺、こいつのプロット理解できないもん」

「そんなことねーって。ただちょっと頭の中の情報の九割を書き忘れるだけで最終的に書き上がるから問題ない」

「それはお前が一人で書く時だろ。俺は知ってるんだからな。この間の新刊のプロットたったの一行だけだったらしいじゃないか。安西さんがめっちゃ困ってて電話で俺に愚痴ってきたぞ。『二筆先生のプロットは短すぎるか意味不明かの二極で困ってるのよね。最終的にいいものが出来上がってくるからいいんだけど、それまでハラハラしながら待ってるからまるで賞に応募した人の気分になるわ。応募したことは無いけどね』って言ってたぞ」

「それってあたしが天才ってことじゃん」

「だから凡人の俺にはお前のプロットが理解できない。故に連弾は不可能。以上、証明終了だ」

「お前だって天才って言われてたろ」

「それとプロットの有無は別だ。わかっただろ、愛依ちゃん。こいつはプロットを書かない上に協調性がない。だから連弾には向いてないんだ。それに比べて愛依ちゃんとはもう二ヶ月ぐらい一緒に生活している。なんとなく得意なことも苦手なこともわかってきたから一緒ならいいものが書ける気がするんだ。どうだろう? 発表まで一ヶ月以上はあるから愛依ちゃんが発掘コンテストの時に書いた『コネクト』の改稿でもいいかなって思ってる。読みコンで何書くかの時、コネクトと異世界モノで少し迷ってたよね? だったらこの機会にまた書いてみるのもいいんじゃないかな。実際俺もコネクトは気になってたから愛依ちゃんのプロットで書いてみたいって気持ちもあるし」

「仕事の調子が悪いからって人のプロットで楽しようなんて見損なったぞ」

「違うって。愛依ちゃんをこうして預かれるのっていつまでかわからないじゃん。安西さんが、はいこれまでって言ったらおしまいなんだし。だったら一緒にいる期間、愛依ちゃんには出来る限りのことを教えておきたいなって思ったんだ。今回はプロットの共有だからわかり易いプロットも求められてる。これはデビューしてから書く時に、編集に提出しやすいし、自分でも把握しやすいって利点がある。一度書いた物語を改稿する時、プロットから書き直す機会なんてあまりないと思うからさ」

「ふーん。結構ちゃんと愛依ちゃんのこと考えてんだな、おまえ」

「そりゃな。一応頼られてるわけだし。というわけでどうだろう」

 嬉しい申し出だ。今回、新作にするかどうかで迷っていた部分があるし。

 だからまたコネクトが書けるなんて願ってもないことだ。自分の中でも一番思い入れがあるし、設定もキャラもしっかり作り込んだ自信がある。

 またコネクトに出てくる彼らが日の目を見る機会を得れるなら私は書きたい。

 ただ……どうしても一つだけ、

「聞いておきたいことがあります。玲二先生」

「なに?」

「どうしてコネクトなんですか? 玲二先生ならもっといい作品のプロットが書けると思うんですけど」

 コネクトじゃないといけない理由。私は先生の瞳を見据える。

 答えが出るのを静かに待つ。それは思いの他、迷いなくすぐ訪れた。

「それは俺が愛依ちゃんのプロットで今自分がどこにいるのか確かめたいって思ったんだ」

「どういう……ことですか?」

「えっとどこから話そうかな。知っての通り、俺、今はちょっと調子を落としてる。もう隠しても無駄だって思うから言っちゃうけど続刊を書くのが大変なんだ。だから俺は変わらなきゃってずっと思ってた。……そんな時『コネクト』を読んで、確かに荒削りな部分はあるけど伸び伸び楽しく書いてるはことが伝わってきたよ。もちろん他にも褒めるところはたくさんあるけど、俺にはそれが一番伝わってきた。だからそんな作品を書ける人のプロットで書いてみたい。今は売れ行きや情勢の関係もあって、本当の意味で好き勝手に書けていない。ただ誤解はしないで欲しい。自由に書いている人のプロットで、仕事じゃないから好き勝手に書けるとかそういう理由じゃないんだ。……一言で言えば、自分のルーツの再確認になる、と思ってる。せっかく愛依ちゃんが一生懸命書いた作品の地図だってのはわかってる。だけど俺はそこでもう一度自分を見つけることが出来るんじゃないかって思ってるんだ。プロなのにこんな情けないことを言ってがっかりさせたかも知れない。でも愛依ちゃんさえ良ければ、愛依ちゃんの引いた地図で俺だけじゃ見れない世界を歩いてみたい。そこから見える景色が今の俺にどう写るのか。その時の自分を見つめ直すのはもしかしたら勇気のいることかもしれないけど、今の俺は自分一人だけじゃダメだと思うんだ。もちろん愛依ちゃんのプロットからみんなに喜んでもらえるいい作品を書くことが一番大事だと思っている。だから俺は、愛依ちゃんを含めみんなのためと、俺のためにコネクトを一緒に書きたいと思っている。だめかな?」

「ようやく……話してくれました」

「え?」

「玲二先生が不調で大変なことぐらいとっくに知ってましたよ。先生、私のコネクトで試したいことがあればぜひ使ってください!」

「本当か!?」

「先生が頼んだんじゃないですか。いいですよ。私もコネクトで次の挑戦が出来るなんて嬉しいですし」

「ありがとう。それになんだかプレッシャーになるようなことを言ってしまって」

「大丈夫です。……それにちょっとだけ嬉しかったです」

「嬉しかった?」

「はい。今まで私に悩みとか全然話してくれなかったじゃないですか。何か聞いても大丈夫って。だから初めて先生の力になれるんだなって思うと俄然やる気が出てきちゃいます」

「じゃあ連弾コンテストの詳細はメールするから愛依ちゃんはプロットをお願いするよ。キャラ表とか事前にもらえるものがあったら送ってほしい。俺なりに解釈を深めておくよ。今日が七月一日でコンテストの応募……これはネット上へのリアルタイム投稿っていう形式になるから、正確には投稿スタート日だけどそれは九月三十日。プロットは月末に欲しいかな。そこから理解を深めて書く準備を進めていく」

「これって事前に原稿を完成させたのを分割して投稿しちゃダメなんですか?」

「明文化されてないけど、しない方がいいだろうね。このコンテストのテーマって、作家の独自性を見出すとともに、自生台の作品へのアイディアや手法を生み出すための実験的なコンテスト、ってのが売りだから。読者に楽しんでもらうのももちろんだけど、どちらかと言えば作家の新たな可能性を引き出す試みの方に重きを置いている。だから相手の投稿を見たあとにプロットをもとに続きを考える。相方も同じことをする……ってのを繰り返すわけなんだけど、書いている人が違うからちょっとずつ解釈も違ってくる。けどそこに作家の個性が見えるのが楽しいんだ。だから完成品を分割して投稿したところで、整合性が取れすぎてて逆に目立つ。だからすぐに審査の対象外になると思うよ。ま、それ以前にそんなインチキじみたことするやつなんていないけどね。それこそなんの収穫にもならないし」

「なるほど」

「だからプロットのわかりやすさが重要になってくるんだ。そんなわけで愛依ちゃんは今月末までプロットづくりに集中してくれるといいかな。合間で他の資料を俺は見ておくから適当にすり合わせして理解を深めてければって思う。仮にプロットが今月末まで完成すれば書き出しまで二ヶ月あるから色々相談もできるしね」

「わかりました。じゃあさっそく今日から書きます」

「今日から!? 別に無理しなくてもいいんだよ」

「なにかやっていないと落ち着かなくて」

「わかった。それじゃあ完成を期待してるよ。あまり今詰めて疲れないようにね」

「ありがとうございます!」


 ◆明日見愛依のプロット制作奮闘記その一。七月五日。


 今までなら学校から帰るなり玲二先生の仕事場に行ってはノートパソコンで更新されるはずもない結果ページをロードし続けていた私だったけど、学校が終わると家にダッシュ。もちろん基本的には仕事場に行くんだけど、どうしても書きたいことがあるとLINEで一言「今日は家で作業します」とメッセージ。カタカタとキーボードを鳴らして、時折メモ帳データごとゴミ箱に投げ入れ、煮詰まると仕事場に顔を出して玲二先生と二筆先生のご飯を作ってと気分転換する日々になった。

 それは今まで以上に充実した日々で、誰かとなにかを成し遂げるために頑張るのは、また一人で小説を書くのとは違う楽しさがあるんだなってわかった。

 一ヶ月前までもう使うことはないなと思っていたプロット、キャラ表、ネタ帳……とにかく次の『コネクト』に繋がりそうなものを発掘して、全部玲二先生に送った。もしかしたらキャラやテーマについて私と解釈が違うかもしれない。でもそれがこのコンテストの目的だし、それが面白さに繋がるなら、そこは正面から先生とぶつかって意見交換をしたいと思う。


 ◆一方その頃……玲二と二筆の七月七日


 今日は七夕だけど、最近愛依ちゃんは仕事場に来る頻度も少なくなった。たまには夕食を一緒に、と思ったけど最近は作業が順調なんだろう。

「だからってなんで二筆がいるんだよ」

「可愛い愛依ちゃんと一緒に夕飯を食べる機会が減ってきた玲二を思ってあたしが来てやってんだぞ? どうだ可愛い年上女子と食べる夕飯はうまいだろ」

「気遣いありがとうな。一つでも手作りがあればお前の評価もちょっとは変わっただろうにな」

「最近のコンビニ弁当は良く出来てるぞ。それに温める時は心を込めている」

「それはどうも。ま、でも今日のところは感謝しておくよ。お前がおごってくれるなんて珍しいし。俺は愛依ちゃんが書いたキャラ表の主人公を把握しないといけないから、正直自炊に割く時間がなくて困ってたんだよ」

「難しいことでもあるのか?」

「得にはないよ。ただ俺がバレーやったことないのと、主人公とその親友でありライバルである男の子との心情描写の理解がちょっと大変かな。愛依ちゃんはどう考えてこのキャラを配置したんだろうって思うとね」

「まあお前も難しく考えるなよ」

「いざ他人の図面を見ると困惑はするよ……これはしっかりディスカッションしないと……」

「なんだ。あたしを見つめて。結婚はしてやらんぞ」

「付き合いもしないで結婚はしないだろ」

「お前!? あたしと付き合いたいのかよ!? はっ! だから愛依ちゃんのいない日にあたしを呼び出して……」

「お前が勝手に来たんだろ。あと俺が言いたいのは、他人の考えを人に理解させるのが大変だってこと。だからお前も安西さんに提出するプロットやキャラ表ももっと丁寧に書いてやれよ。自分の思ったことが文章に落とし込まれるのって二割ぐらいって言うだろ。だから五倍丁寧に書いて提出しろよ?」

「じゃあ五行書けばいいわけか。簡単だな」

「お前の一行が今の話の二割だったらそれでいいんだろうよ。お前がそう思うならな」

「はいはい。わかったよ。ま、あたしも目の前で同期や可愛い後輩ちゃん? が苦労する姿を最近はずっと見てきたからね。わかりました、玲二先生。今後は安西さんへ提出プロットはきちんと書きます」

「わかればよろしい」

「お、温め終わったみたいだ。あたしが取ってくるよ」

「悪いな。あと冷蔵庫にお茶が入ってるから二つ持ってきてくれ」

「あいよー」

 今日は珍しく二筆は俺の邪魔もせずにせっせと身の回りのことに気を遣ってくれている。

「おまたせー。玲二はハンバーグ弁当でいいよな」

「ありがと。お前は何食べんの?」

「あたしはエビフライ弁当」

「エビ好きなの?」

「普通かな。だけどちょっと思い入れがあってね。だから機会があったら食べるようにしてるんだ。そうするとなんだか気持ちも引き締まるし」

「じゃあ、俺もなにかある時はゲン担ぎでエビフライを食べるようにしようかな」

「愛依ちゃんの読みコン発表日とか?」

「そういうのもいいかもな」

「なあ玲二」

「どうした」

「なにかあったらあたしも頼れよ? 作品への口出しはしないけど、愛依ちゃんと同じ女ってところで玲二の役に立てるかもしれないからさ」

「……お前……」

「な、なんだよ。そんなに感激することかよ」

「変なやつって自覚はあったんだな!」

「てめぇ! メシ代よこしやがれ!」

「わぁぁぁ! ウソウソ、冗談だって! ほんと二筆には感謝してるんだってば!」

「ホントかよ」

「ほんとだって。実際愛依ちゃんに色々アドバイスしたり仲良くなって買い物行ったりしてるだろ? もしお前がいなくて俺一人だったら、未だにどういう距離感で接していたか想像するだけでも怖いよ」

「コミュ障だしな」

「だろ。だから本当に感謝してるんだって」

「だったらアイス食っていいだろ?」

「それとこれは別だろ」

「えー」

「ただ、愛依ちゃんの言う通り人の冷蔵庫を勝手に開けて食べるって行為は行儀わるいからな。……だからたまになら断ってからなら食べてもいいぞ」

「おおおっ!」

「そんなに嬉しいのかよ」

「なんか今あたしに対する好感度上がったよな! ギャルゲだったらこう、ハートマークメーターにピンク色のゲージが溜まった感じ?」

「知るか。やったことないし。高感度上げたかったら今度は手作りのエビフライを食わせてくれよな」

「そのうち勉強しておきまーす! さ、冷めないうちに食べようぜ」

 こうして七夕の夜、天の川どころじゃない程短い距離に住む隣人と俺はコンビニ弁当を食べたのであった。


 ◆明日見愛依のプロット制作奮闘記その二 in 夏休み。ラストスパートの七月二十七日。


 今月に入ってからは仕事場に行く回数は減ったけど、今日は久しぶりに事務所で打ち合わせ。あと四日でプロット仕上げの目標日。そして今日がそれに関して最後の相談日。いつもどおりリビングの椅子に私と玲二先生が向き合って、二筆先生はアイスを食べている。今日は自分で買ってきたみたいだ。

「大体話のオチまでは引けたけど、主人公の太陽と女子マネの朱音が意見の食い違いで合わなくなるシーンの描写が難しいよな」

「ですね。基本的には太陽の一人称の予定ですけど、朱音が主人公の練習方法に疑問を持ってもっと体を大事にしてくれ、ってお願いするところから、お互いの感情が昂ぶってすれ違ったり喧嘩したりする時期。ここは朱音も一人称の視点が欲しいです。そうすれば朱音が友達や先輩に相談するシーンもすんなり賭けそうですし。それは太陽側も一緒だと思います。なのでこの辺りに入ったらそれぞれが一人称で投稿するのはどうですかね?」

「なるほど。つまり全体は太陽の一人称だけど転の部分に関してはそれぞれの主張をぶつける一人称の応酬ってことだね」

「そうですね。それと連弾コンテストは投稿形式で今回も全体のボリュームは低めに設定されているので序盤は軽めでいいんじゃないかと」

「了解。そこはシーンごとに交代して書くことにしたはずだから、クライマックスへの余力を残しつつテンポよく書くよ」

「はい。それと太陽のライバルで相棒のセッター、叶人の描写も大事です。叶人は猪突猛進の太陽とは違って、冷静沈着で状況を分析する頭脳派です。練習も合理的で、ガムシャラにランニングや筋トレ、みたいな脳筋スタイルの太陽とは違って効率よく練習メニューをこなします。そんなところもあるから性格の不一致でよく喧嘩をしますが、お互いバレーへの情熱は認めている。だからライバルで相棒……というのは全体を通して伝えていきたいです」

「俺はスポーツやったことがないから、愛依ちゃんの思う通りに書けるかわからないけど頑張るよ。キャラ表がしっかりしてるからだいぶ助かってる」

「よかった! ちょっと勉強したんですよ。それこそジャ○プのバレー漫画を一巻から買って読んだりアニメみたり」

「それで仕事場にもなかなか顔出せなかったり?」

「あはは……そのせいで夏休みに入る前は、寝坊して学校で怒られちゃいました」

「愛依ちゃんも結構わんぱくなところあるね」

「そうかもしれませんね」

 こうして最終の詰めをしていると今まで黙って聞いていた二筆先生が、

「いやー。玲二にも困ったもんだよ。愛依ちゃんがいない日はあたしに電話で『今日も愛依ちゃんが来なくて寂しい。だから一緒に晩ごはんを食べてくれないか。できれば二筆の手料理が食べたい』って連日電話してきてさ」

「そうなんですか!?」

「全部二筆の嘘だ。ってか愛依ちゃん。ちょっと目が怖いって」

「す、すみません。……でも晩ごはんだけでも良ければ作りにきたのに」

「それだけのために呼ぶの悪いよ。夜からの外出は危ないし」

「これが終わったら玲二先生が好きなもの作ります。何がいいですか?」

「そうだなぁ…………やっぱりハンバーグで」

「……? はい。いつものでいいですか?」

「うん。愛依ちゃんのハンバーグは美味しいからまた食べたいな」

「わかりました。そのためにもプロットを完成させて準備をしないとですね!」

 今、二筆先生がチラッと玲二先生を見たような……こう、なにかを牽制するような視線だったけど気のせいかな?

 ダメだダメだ。愛依、集中しろ。今はハンバーグのことは後回し。まずはプロットを完成させて連弾コンテストの準備がしっかりすることが最優先。

 それからしばらくポイントの確認をして最終確認は終了。あとは私がそのとおりに仕上げて三十一日に持ってくればスタート出来る。その日は読みコンの結果発表もある。ちょっと気になるな……その時、仕事場のインターホンが鳴った。

「誰だ? こんな時間に。もう夜の七時回ってるんだけど」

 私が玄関に向かう途中で、二筆先生が、

「あたしのおごりだ。今日は寿司の出前。お前らが頭突き合わせてる時に電話しておいたんだ」

「マジか!?」

「マジだ。勿論あたしの金だぞ? 受け取ってくるから二人は皿やら色々準備を頼む。前祝いといこうぜ!」

「二筆先生、ありがとうございます! すごく嬉しいです。私、家に電話してきます」

 こうして思いがけず二筆先生の豪華な差し入れでその日はたくさん美味しいお寿司をお腹いっぱいまで食べた。プロットもほぼ完成して準備も順調。

 ちょっと雨が降ってきたけどこのぐらいなら駅から走れば大丈夫。そんな天気すらも気にならないぐらいに今夜は楽しくて、いつもより長居した私を二筆先生が家まで送ってくれた。夏休みとはいえ過去最長の二十三時帰宅に、さすがに怒られるんじゃないかと思ったけど、そこは二筆先生がしっかり両親に説明してくれた。最後はお父さんとお母さんが頭を下げて「今後も娘のことをよろしくお願いします」と言ってくれた。

 いつものちょっとだらしのない二筆先生とは違って、大人だなーって思った瞬間だった。

 今日はいろんなことが終わって、いろんな発見がある一日だった。

 あと二日でプロットを仕上げて三十一日には玲二先生のところに完成形を持っていく。読みコンの結果を気にするのはそれからだ! お風呂に入って着替えて部屋に戻る。ベッドの上に転がしてた携帯が光っている。お二人からだった。

『愛依ちゃん、しっかり休んでね。協力していい物語を書こう!』

『愛依ちゃんが作家になったら今度はギロッポンの高級シースーをおごってな!』

「ふふっ……!」

 私は机の読書灯をつけると、ノートパソコンを開いた。

 世界のすべてが味方している。そんな気にさえなって、私は日が昇るまでキーボードを叩き続けた。


 ◆あさの玲二の七月三十一日


「おはようございます」

「おはよう、愛依ちゃん」

 約束の時間ピッタリの十時に愛依ちゃんは仕事場に到着。いつもより膨らんでいる鞄は完成したプロットだろう。俺はテーブルにお菓子とお茶を準備して最終確認の態勢に入る。愛依ちゃんも椅子に座ると鞄の中からプロットを取り出す。

「今朝、ようやく仕上がりました。細かい部分の修正は昨日のメールの通りなので、基本的には誤字脱字がなければオッケーかなと思います。一応確認をお願いします」

「うん。それとこっちも昨日の夜に安西さんから連絡が来て、連弾コンテストの申し込みが完了したって。これから投稿フォームの準備をするみたいだから、なにか動きがあれば随時俺にメールが来るからその都度共有するね」

「ありがとうございます。……それで他の参加者の情報ってあるんですか?」

「まだ秘密みたい。このコンテストは投稿した作品を一般の人も見ることが出来る、オンタイムのイベント性も兼ねてるから、参加者は直前まで伏せるみたいだよ。その方が盛り上がるって言ってたし」

「そうですか」

「五百雀さんが気になる?」

「少しは。でも気にしてもしょうがないので自分の作品に集中します」

「うん。それがいいよ。じゃあ最終確認しようか」

 数十分、紙をめくる音、ペンが走る音、エアコンの風の音、最低限の「うん」とか「はい」という相槌のみで時間が進んだ。

 そしてお昼過ぎ。ついに。

「よし! オッケーだ」

「ありがとうございます!」

 俺と愛依ちゃんはハイタッチをする。緊張に支配されていた時間がまたゆっくりと日常の柔らかさへと戻っていく。

「まだ作品を書いたわけじゃないのに、なんだか一仕事やりきった気分です」

「本当にお疲れ様。今回は二人のコンテストなのに殆ど愛依ちゃんに頼り切りでごめんね。でも本当に『コネクト』で書けるなんて俺も嬉しいな」

「そう言ってもらえると嬉しいです。現役のプロ作家の先生に、自分のプロットで書いてもらえるなんて」

「でもよく考えたらなんだか不思議な状況だよね」

「ですね。それもみんな玲二先生と安西さんと二筆さんのおかげです」

「二筆も入ってるの?」

「もちろんです。……正直、今だから言うんですけど、……私、年上の男の人ってお父さんしか知らなかったから、最初は先生とどう接していいかわからなかったんです。前からファンで、編集部の特例でこうして一緒に勉強させていただけるって、本当に会ったその日から嬉しくて心では小躍りしてたのに。……だから玲二先生に最初の頃は大人しい上にやる気のない子なんじゃないかって思われてたらどうしようって不安だったんです」

「そうだったんだ。気が回らなかったよ。だけど俺も同じだったんだ」

「玲二先生もですか?」

「うん。仕事が不調、ってのもあったけど安西さんがそんな時だから一緒に頑張れる存在がいた方いいって。だけど中学一年生の女の子なんて、それこそ俺にはどう接していいかわからなかったよ」

「先生もだったんですね」

 愛依ちゃんはクスリと笑う。つられて俺も。

「やっぱ最初の頃は話すきっかけがなかったからどうしても、ね。でも小説の話になると、愛依ちゃんよく喋ってたよ」

「書くの好きですから。逆に私はプロのお仕事を間近で見ることがすごく勉強になりました。それと、プロの方でも色々いるんだなーって」

「二筆は例外中の例外だから絶対に真似しちゃダメだぞ。……まぁあいつの場合は本当の天才、というより小説を書くことを愛してるし小説に愛されてる。作家って職業は天職だったんだろうな……」

「先生……」

「ごめん。不安にさせちゃって。でも大丈夫。俺も愛依ちゃんや二筆見てたら頑張らなきゃって思ったから。まだまだ戦えるって証明しないと」

「はい! 私、先生の次の巻も楽しみにしてますね」

「ありがとう」

 そう言って俺は右手で拳を作ると前に差し出す。

「なんですか?」

「男子は友情を確認をしたり、ライバルとして認める時、こうして拳と拳を突き合わせるんだ。……この場合はプロットも終わって俺も愛依ちゃんも次のステージで頑張ろうねっていう意味かな。これからも一緒に戦っていこうねっていう約束」

「なるほど。なんだか少年漫画って感じでアツいですね。次の『コネクト』でも太陽と叶人でこれやらせようかな」

「それもいいかもね」

 愛依ちゃんから貰った拳はコツンと威力は弱かったけど、伝ってくるまっすぐな衝撃からは今までの努力と積み上げた時間の重さを感じた。


「さて。愛依ちゃん。どうする?」

 こういうのは一人で見たいって人もいるし、一人じゃ怖いって人もいる。だから俺からは何も言わない。愛依ちゃんの答えをじっと待った。だけど彼女の答えはもう決まっていたようで、

「一緒に見たいです。今日はそれもあって来たので」

時計を見る。結果発表は十二時。もう過ぎたので合否はとっくに出ているはずだ。

 俺はスリープさせていたノートパソコンをつけると愛依ちゃんへと向けた。

「ありがとうございます。当落のページまでは私が行きますけど、見る時は……一緒にお願いします」

「うん、いいよ」

 今日のもう一つの大イベント。稲妻文庫読み切りコンテストの結果確認。挑戦者は、同文庫で今年春に行われた発掘コンテストの上位五名。その五人が再びぶつかり合い、優秀な作品があれば稲妻文庫通信という、レーベルの情報誌に短編として編集され掲載されることが決まった。愛依ちゃんがページを検索してクリックし、結果発表の文字が書かれたページまで駒を進める。ここをクリックしたら、おそらくページをスクロールするまでもなく、読みコンの入賞者の名前は目に入る。

 時が、ねっとりとまとわりつく。自分のじゃないのに額と手の汗で湿度が上がる。

「……押しますね」

「う、うん」

 まるで受験の合否を見守る親の気持ち。そしてページが切り替わる。

 白地のページの上部に、この度はご参加いただきありがとうございました。の定型文。そして赤く大きなゴシック体で結果発表と書かれていて、その下には無機質に漢字の文字列が三行並んでいた。

 ペンネームだ。やはり一番上には五百雀凛の名前があった。ここまで来ると堂々としている、とも一瞬思った。そしてパソコン画面から目を離し、愛依ちゃんを見る。うつむきがちでその表情はうかがい知ることは出来なかった。こういうことだって当然あり得たし、愛依ちゃんも想定はしていたろう。

 ただ実際のことになると、この現実は想像以上に効いてくるものだ。俺だって何度もなんども結果発表のページを見ては重たい気持ちになった。確かに俺の数ヶ月はあったし、原稿もパソコンに入っている。頭の中ではいつだって自分の考えだしたキャラたちが楽しく動き回っている。

 そんな世界は間違いなくこの世に存在しているのだ。筆者の中だけでは。

 だけどそれは俺の都合で、俺より面白いやつの作品があればそれが選ばれる。当然だ。自分の作品がここに無いということは否定ですらない。不要なのだ。

 ここが学校の通信簿と違うところだろう。

 ちょっと結果が悪くても「がんばりました」「次は頑張りましょう」でなんとなく評価は平らになって平和な世界は保たれる。そうして誰かの作った均衡の中で平均的で平凡な人生をゆっくり歩み死んでいくのだろう。別に悪くない。むしろ安定して生きるならば結果以外の評価で貢献して生きていけるのだろう。でも作家は違う。よく言われる文句がある。結果は大事だ。でもその過程も大事だ。だからそこも評価されるべきだ。こんな文句が世界の殆どの人間を救っているのだろう。

 だけどオリンピックで銀メダルに終わった選手の前で同じことが言えるだろうか? 金メダリストよりたくさん練習したから二人とも金メダル、なんて言えるだろうか?作家もそうだ。結果が重要でも過程が重要でもない。結果が“全て”なのだ。そのページに明日見愛依の名前はなく、だれだかわからない人たちの下には編集による選評のポイントがそれぞれに数行ずつ書かれていた。

「愛依ちゃん……」

 彼女は俯いたまま答える。

「だめ……でしたね」

 静かにだけど、泣いていた。努力は知っていた。覚悟も知っているつもりだった。だけど届かなかった。この三人の方が、その想いも実力もあった。それだけだ。でも、たったそれだけのことを俺は愛依ちゃんに伝えられない。そんなこと出来るわけがない。毎日毎日一生懸命書いていた。書いたことのないジャンルを書くためにいっぱい調べていっぱい考えて、ひねり出してようやく紡いだ物語。俺はそれを知っている。愛依ちゃんの想いを知っている。いくら結果が全てだと知っていても、この現実はあまりにも悔しいし、なんとかしてやりたい。でもダメだったんだ。

 愛依ちゃんは、勝てなかったのだ。パソコンの前でまだじっとしている愛依ちゃんに掛ける言葉を必死に探していると、

「あの、ごめん、なさい……私……ちょっと……!」

 涙声でそう言ったかと思うと、彼女は急に振り向き玄関へと走り出した。

「愛依ちゃん!」

 一瞬見えたその顔は、今まで見たことがないぐらい真っ赤に腫れていた。きっと今にも爆発しそうな感情を、あの小さな体に押し込めて彼女は玄関を開けると走り去っていった。そして愛依ちゃんと入れ違いに、

「……どったの?」

 二筆が俺の仕事場へと入ってきたのだった。


 ◆暗雲


 入れ違いで入ってきた二筆に俺は今までのことを全て話した。数時間前まで真剣にプロットに向き合っていた熱い空間は、今はガランとしている。二筆が勝手知ったると言わんばかりに台所から茶葉を出して、温かいお茶を入れてくれる。俺はそれを一口すするが、温度がわからなかった。自分のことじゃないのに悔しくて、だけどそれ以上にどうしていいかもわからない。今も愛依ちゃんは悔しい感情を抱えたまま走っているんだろう。追いかけなきゃ。言葉をかけなきゃ。頭ではわかっているけど体が動いてくれない。俺は今どんな顔をしてるんだろう?

「二筆」

「お茶もう一杯飲むか?」

「俺……ダメだな……」

「あたしからはなんとも言えないよ」

「俺が愛依ちゃんと初めてここで会った時、正直あの子をどうしていいかわからない不安もあったけど、ちょっと楽しくなるって思ったんだ。どのぐらいの才能を持っているか、どんな作品を書くんだろうか。もちろんそういうことも考えし、本当に迷っている俺の答えの一つになるんじゃないか。そんな気がしたんだ」

「二人いれば影響しあって良い方法に進む、みたいなことか」

「そうだ。アマチュアでもプロでも物書きは物書きだ。きっと切磋琢磨できると思ってた。でも俺は愛依ちゃんとそうはなれなかった。むしろ“一人で小説を書く孤独を癒やしてくれる存在”として接してしまったんだ。もちろんアドバイスは本当に上達して欲しいと思って教えた。他もそうだ。でもそれも全部、そうやれば愛依ちゃんが喜んでくれる、そして俺に対して親しみを持ってくれる……そう思ってやったことかもしれなかった……結局俺は二人で切磋琢磨していたんじゃない。俺に居心地のいい空間を作っていただけなんだ。今回の読みコンだってそうだ。愛依ちゃんがコネクトじゃなくて新しい異世界モノで応募するって行った時、正直俺はそれじゃないって思った。彼女の持ち味を出せるのはそこじゃないって」

「それはあたしも思ったよ。でも玲二は止めなかった」

「そうだ。止めなかった。むしろ異世界モノを書くことを「いいんじゃないの」と妥協した。その原因はわかってるよ。はっきりと「異世界モノは愛依ちゃんのスタイルには合わない。それに今回そのジャンルにした理由は五百雀さんに対抗したいからでしょ。相手の戦力を分析したって自分の作品は面白くならないよ。だったら心の底から書きたいものを書くべきだ」って言うのが正解だったんだ。

「それが出来なかった」

「今の俺に出来るわけがなかったんだ。それを言ってしまえば愛依ちゃんとの関係が崩れるかも知れない。せっかく慕ってくれた俺を嫌って離れていくかも知れない。そして何よりそれは今の俺にまっすぐ刺さるんだ。今のダークエルフを書いている俺にはさ。結局俺は何も変わらないまま、愛依ちゃんという新しい才能も無駄にしながらこの何ヶ月かを過ごしてしまったんだ。ほんとに悪いことをした。もっと俺が対等に、互いの作品のみを高めるために接していれば結果は違ったかもしれない。たとえ今日みたいに落ちたとしても全力で向かっていれば、愛依ちゃんももっと結果をまっすぐに受け止めれたかもしれない。でも俺の気持ちが弱かったばっかりに、愛依ちゃんはあの結果から逃げることしか出来なかった。それを教えたのは……俺だ」

 大きなため息を吐き出し、それからお茶を一息に飲んだ俺は二筆を見つめる。

 こんな話を最後まで聞いてくれた二筆の表情に、なぜか安らぎを覚えてしまう。

「懺悔は終わりか?」

「わからない……でも目の前から愛依ちゃんがいなくなったこの事実を招いてしまった原因は全て俺にあると思う。走り出した瞬間に捕まえることだって出来た。でもそうしたらその後、なんて言えばいいかわからなかった。やっぱり愛依ちゃんを追う資格はないのかな?」

「いつになく女々しいな。追う資格? んなもん知るか。追ったところで結局気まずくなって終わりだろ。だけど、お前がそれだけ後悔してて、本当はどうするのが正解だったのかを知っていたってことを聞けたのは救いだったよ」

「……二筆?」

「別にお前は腐ってもいないし、小説からも逃げてない。ただちょっと人がいいんだ。真っ向からぶつかりたい熱い気持ちはあるけど、他人が自分にかけてくれる優しさやいたわり、気遣いなんかを感じて、その気持ちに応えようとしてしまう。そんな優しい気持ちが作家として尖りきれていないんだ。それは人として正常だと思う。でもあたしらは作家なんだ。作家は作品が全て。成果物が全て。結果が全て。世に出るものが全て。そこでしか見てくれない。だからお前の、編集の意向を気にしたり、愛依ちゃんの選択を間違いだとわかりながらも一生懸命考えたから良しとしようする、そういう普通の人が持ち合わせてる感覚が今回の結果を招いた一因だ。でもお前はそれをわかっている。だからまだお前と愛依ちゃんはここで終わりじゃねえ」

「じゃあ俺はどうしたら……!」

「本当はお前が行くのが一番いいんだよ。行って、捕まえて、目を見て、そして今あたしに言ったことを全部愛依ちゃんにぶつければいいんだ。それでもし愛依ちゃんがお前から離れていくようなら残念だけど彼女は作家に向いていない。それだけだ」

「二筆、俺……」

「追いかけたいんだろ。だけど、現状使い物ににならないお前は部屋の隅で連弾コンテスト用に書いた愛依ちゃんのプロットを読んで待っていろ。あたしが探してくる」

「場所はわかるのか?」

「女の勘なめるな。おい玲二、服を貸せ。あと靴も。足のサイズ、確か一緒だったから。浴衣に雪駄じゃさすがに走れねえ」

 二筆は俺の書斎に入るとガサゴソと衣装ケースを漁りだす。そしてものの一分で着替え終わる。着ているのは俺が仮眠する時に着ている年季の入ったジャージだけど、その瞳の強さは、まるで道に迷った子羊を救う正義のヒーローのようにまっすぐで、熱いなにかを携えている。いつもはだらし無いけど、小説のことになると本当にこいつはかっこいいんだ。

「さて。普段の運動不足を解消しますかお前はやるべきことをして待ってな」

「やるべきこと?」

「お前は小説家だろ。あと愛依ちゃんは逃げたんじゃない。ここに居たらお前にどう接していいかわからなかっただけ。あまり彼女を見くびるんじゃない」

 そう言い残すと二筆も走り仕事場を去った。


◆二筆流と明日見愛依 in 公園


 別にあたし以外の人間、ましてやデビューしていないやつがどうなろうが知ったことではないけれど、今回は玲二に大きな影響を与えてしまった。それに関して言えば、長い目でみるとあたしにとっても不利益になる。だってやつはライバルだから。だから愛依ちゃんも助けるんだ。

「あたしも結構お人好しでめんどくさい人間だよな」

 あんな状態でスーパーやコンビニにいるはずもない。だけどこのルートにいると確信ができた。愛依ちゃんは電車で玲二のところへ通っている。ゆえにこの街の地理にはあまり詳しくない。なら自宅に帰るか? 玲二が言うには顔が腫れるぐらい泣いていた。そんな顔を両親に見せたらなにかあったとわかってしまうし、

極力人の少ないところを選ぶはず。だったら答えは一つ。あたしはコンビニの角を曲がって公園へと入っていく。ブランコで愛依ちゃんを発見した時、園内にいるのは犬の散歩をしている老人ただ一人だった。泣き顔を晒すことは無かったようだ。

 あたしに気づいてハッとした表情を浮かべる愛依ちゃん。ブランコから立ち上がろうとした。あたしは「そのままでいいよ」という雰囲気をできるだけ作って軽く右手を上げる。長いようで短い十数秒を渡りきった後、あたしは愛依ちゃんの隣のブランコへ腰を下ろす。ほんと十年ぶりぐらいに座ったけどこんなに小さなものだったんだな。あの頃はブランコを漕ぐだけで見える世界がガラリと変わったけど、今じゃ対して変わらない。前に進んでもちょっと高く振られても見える景色なんて全部同じに見えてしまう。なんてつまらない大人になったんだろう。こんなやつが小説家だなんて笑ってしまう。

「やっぱ悔しいよなあ。あたしも落ちた時そうだったよ。書き終えた時の達成感ん。そして頑張ってきた何ヶ月。絶対に世界で一番面白いって思ったものが、選考のページでは名前も残らない。あれは効くよな」

 だけど返ってこない。少しだけでも愛依ちゃんが頑張ってきたことを褒めるべきか? 初めてのジャンルに挑戦して頑張ったね。強大なライバルがいたのに逃げずに立ち向かったね。締め切りが迫る中、書き切るのは大変だったね。どれも本当に愛依ちゃんが戦ってきたものだ。

 だから言わなければならないことは唯一つだけだ。玲二に言えないことだけは絶対にわかっていた。でもいざとなったら言うのが怖い。

「私…………結局逃げていたんですね」

 だけどついに彼女が口を開く。

 ブランコのチェーンをぐっと握りしめ、足元の砂粒を見つめる。作家はいつだって一人だ。たくさんの登場人物を考えて、たくさんの状況を生み出して、雑多に入り混じった感情をキーボードに叩きつける。

 書き始める前は誰だって頭の中に美しい完成形の絵が存在している。だけど書き始めて思い知る。思い通りに動かない主人公。描いている途中で思いつくプロットにはなかった展開。予定に無い人物の登場。そんな不具合だったり思いつきと戦いながら、他人に自分の頭の中を見せる一人プレイを淡々と進める。待っているのは一秒も過ぎることのできない締め切り。だから弱いやつはいなくなる。何年も長期休載をする作家。続刊が出ないまま新シリーズが始まる作家。これはまだいい。

 でも酒、ギャンブル、生活が保証されている実家……物理的に逃げていなくなるやつは山程いる。もしそんな時彼等の話を聞いてあげられる存在がいたら、彼らは少しは救われたのではないだろうか。それこそ初めてのジャンルに挑戦して頑張ったね。強大なライバルがいたのに逃げずに立ち向かったね。締め切りが迫る中、書き切るのは大変だったね。と、なんの身にもならない、母親が赤子の頭をなでながら言う囁きでも再び自分と向き合うことができたのかも知れない。もしそうだとしたら、完璧でない人間が孤独と戦い続ける作家という仕事において必要なのは懺悔や告解、そして神父なのではないだろうか。

「この公園は人が少ないみたいだ。犬の散歩をしているおじいさんがいただけ」

「ありがとうございます」

 その声はほんの少しだけ、安堵が混じっていたように聞こえる。あと十五分でいい。この公園に誰も来ないでくれ! 愛依ちゃんはぽつりぽつりと話始めた。

「落ちたのは悔しいです……でも、本当に悔しいのは私の弱さなんです。本当に書きたいものから逃げて、それで迷いながら毎日後悔しながら書いて、それでこんな中途半端な結果に終わってしまいました。そんな自分になっちゃったことが悔しくて悔しくて……たまら、ないんです……」

「いいよ。ゆっくりで。この際だからしっかり話してよ。あたしでよかったら全部聞くから」

 そうしてあたしは頭を撫でる。小さな頭にサラサラの髪。まだ中学一年生だ。本当だったら学校の部活が大変、テストで大変、というレベルだろう。だけど彼女はこの身一つで戦わないといけない、弱肉強食の世界を選択肢、そこで自らの甘さを突きつけられた。それでも自分の非を認めて前に進もうというのだから、この少女の精神力はいかほどだろうかと恐れ入ってしまう。

「私、本当はコネクトが書きたかったんです。発掘コンテストでコネクトが選ばれて、五百雀さんには届かなかったけれど私の書いたみんなが本当に輝いてた。だから彼等ともう一度何かをつかみ取りたい。もっと先にある景色を見てみたい。そう思ってました。だから私は読み切りコンテストの話を聞いた時に、またコネクトが書けるって嬉しかったんです。でも五百雀さんの作品を読んで自分の稚拙さにも気づきましたし、編集の安西さんや玲二先生にも女の子主人公の視点は読者にウケづらいって。それで揺らいじゃったんです、私。本当ならそこで通せば良かったんですよね。コネクトが書きたいって。それで結局周りの色んなことに流されて、私は怯えたんです。五百雀さんの作品は男の子に絶対ウケるし、プロの編集さんや作家さんが女の子主人公だとダメだって。実際のところそうかもしれません。それにもしコネクトを書いたとして、それで落ちたらって思ったら怖くなりました。あれは今の私の全てです。コネクトが落ちたら私が全部否定されちゃう。それは怖くて絶対に嫌でした。だから逃げんたです。世間は男の子主人公の定番モノがウケる。だからそれを書くのが正解だ――それを隠れ蓑に、私は弱い自分とコネクトを守ったんです。今思えばひどい話ですよね。だって書いた本人がコネクトを信じてなかったんです。それって彼等にも、それを最高だと思って書いていたあの頃の私自信をも信じてなかったってことだったんです。そんな中途半端な気持ちで新しいジャンルを書いて届くわけがないんです。だから、すべて私のせいです。弱くて、信念がなくて、周りに言われてなんとなく書いた。当然の結果なんです。そしてそれからも逃げた……私は弱いんです……」

 弱さを認めて糧にしていくことは大事だ。だけど多くの場合、そんなこと他人には言うことはない。自己管理のなさや、努力していない自分を正当化したこと。そんなこと、進んで人に言いたいわけがあるわけがない。

「愛依ちゃんは強いね」

「……どうして、そんなこと言うんですか」

「だって人は今愛依ちゃんが言ったようなことを認めるのが怖い生き物だから。人が一番後悔する時は、自分の好きなことや信念にウソをついたときだとあたしは思ってる。今まで一生懸命頑張ってきた自分。だけどそれができなくなった自分。それだけでも悲しいのに、それを正当化しようとなにか理由を探してでっち上げる。だから余計辛くなる。そうしていつか自分に巡って返ってくるんだ。その時に向き合えない人っていうのは、世の中にたくさんいる。だから大抵の人は「まあしょうがない」「相手が強かったんだ」「今は状況が悪かった」なんて都合のいい言い訳をつけて心のバランスを保とうとする。別にそれ自体は悪いことじゃない。でも逃しちゃいけないチャンスや、全力を出さないと後悔するって時になりふり構わず人生の全部をベットできないと大体は後悔することになる。その時に自分から逃げるか、立ち向かうか。それが実は一番大切なところなんだ。だから愛依ちゃんは強いよ。弱い部分、全部わかって、そこから逃げないで、それをあたしに話してくれた。それだけで愛依ちゃんは立ち上がるって意思がある証拠だよ。だからあたしはもう大丈夫だって信じてる」

「大丈夫って……でも私、これからどうしたらいいのか……」


「そこまで言われたのにどうしていいかわからないなら、いっそやめたらどうなのよ?」


「誰だ!?」

 西日を背によく見えないが愛依ちゃんと同じぐらいの身長の女の子が、黒のゴシック衣装に身を纏い、日傘をさしながら近づいてきた。

「五百雀……さん!?」

 愛依ちゃんは驚きの声を上げる。そうかこの子が五百雀凛、なのか。新人発掘コンテストでは堂々の一位。そして読み切りコンテストでも持ち味を生かして雑誌への連載を決めた。そんな期待の新人候補がなぜここに?

「気分転換に散歩にきたら、なんか辛気臭い人たちがいたものね」

「余計なお世話だよ」

「貴女が二筆流先生ですね。お会いできて光栄です。最近東京へ引っ越してきたと風の噂で聞いてたんですけど本当だったんですね。だけど申し訳ありません。私が用があるのはその隣で落ち込んでいる方なので」

 そう言って五百雀凛は更に歩を詰め愛依ちゃんへと近づいてくる。ブランコに座っている彼女を見下ろしながら、五百雀凛は見下ろしながら口を開いた。

「明日見愛依。私は貴女に期待してたのよ。発掘コンテストの作品で確かに順位は私の方が上だった。だけど貴女のコネクトにはなにかを突き動かすだけの熱量が確かにあったわ。私の作品が一位になったのは、最近のラノベっぽかった。ただそれだけだと思ってる。異能バトルモノや異世界モノ、そうした流行りを私はたしかに研究はしているけれど、私自信も大好きで書いている。時代の流行りと私の好みが一致した今の状況に私は感謝している。だからこそ明日見愛依。あなたにも大好きなジャンルで貫き通してほしかった。……でも違ったみたいね。さっきの話、聞かせてもらった。立ち聞きは良くないと思ったけど、今回みたいに周りを伺って無難に自分が傷つかないように攻める。そんな書き方を取るならこの先絶対に通用しない。……なにより私は期待していた。貴女と一緒に雑誌に掲載されて、今度はどんなフィールドで戦えるんだろうって。でも貴女がそんな中途半端なことをするなら二度と私には届かない。……私だけじゃない。必死に自分の全てを賭けて作品を書いている作家を目指す者たち全員に届かない」

 五百雀凛は私をちらりと見て、再び愛依へと視線を戻す。

「明日見愛依。連弾コンテストには貴女もの出るのよね?」

 力なく頷き肯定するのが精一杯の愛依ちゃん。

「そう……。相方は大方予想がつくわ。ダークエルフ珍道中のあさの玲二先生よね。なら私も教えてあげる。私がペアを組む人はね。ミツルギ刄先生よ」

 その名を聞いて私と愛依ちゃんの間に緊張と衝撃が走った。今のラノベ界を牽引する速筆のモンスター作家。手掛ける作品の殆どがメディアミックスされ、いくつかアニメ化もしている超若手の作家だ。作風は学園都市モノ、異能バトル、異世界転生などのジャンルで活躍している。愛依ちゃんが秋葉原で見て覚悟を決めた『転スラ』もミツルギ刄だ。

「まさか盤外戦術のつもり?」

「心外ね。私はね、小説を書くことが大好きなの。そしてようやくライバルになりそうな人も見つかった。なのにそいつがこんなだからちょっと活を入れただけよ」

 そして再び愛依ちゃんに向き直ると、

「いい? 書くってことは覚悟の証よ。絶対に誰にも負けられないの。少しでも立ち止まったり、手を抜いたりしたら自分の場所なんてあっという間に射抜かれてしまう。今はプロじゃないけどすぐになってみせるわ。貴女とは覚悟が違うもの」

 そして彼女は私達の前から去っていった。

「愛依ちゃん……」


 ◆あさの玲二と七月三十一日の夜


 今は夜の十一時。愛依ちゃんが出ていってから数時間後、二筆から電話があって公園での出来事を聞いた。そして「後のことは任せろ」と言われてから更に数時間。

 この間、俺は自分の仕事も手につかず、愛依ちゃんが置いていったプロットをめくったりテレビを見たり、仕事のメールを見たりを繰り返していた。もちろん何をどうやってもまったく頭に入らなかった。

「送ってきたよ」

「良かった。それで様子はどんな感じだったんだ?」

「やっぱ五百雀凛に会ったあとはちょっと凹んでたよ。 雰囲気もどんよりしてた。だから銭湯行って、あとはお母さんに引き渡し」

「本当にありがとう、二筆」

「いいってことよ。でも問題は明日からだろ。これから本番までの約二ヶ月。ちゃんと打ち合わせ出来るか、あたしは心配だよ」

「プロットは完成したけど、そこからキャラをどういう風に動かすとか、細かい打ち合わせはしっかりしたいと思ってる。でも昨日の今日で立ち直れっていうのは酷だし、愛依ちゃんも五百雀さんに言われたことや、二筆に吐き出したことも考えると少し休息が必要じゃないかなって思う……」

「ここ数日はそっとしておいた方がいいかもしれないな。しばらくしたら声かけてみなよ。あたしも力になれることがあったら力になるよ」

 二筆は立ち上がると椅子を直して帰り支度を始める。「なあ、二筆」

「なんだ?」

「どうしてここまでしてくれるんだ?」

「なんで愛依ちゃんの面倒を見てくれるかってことか?」

「それもあるけど、お前、最近俺にも気を遣ってないか? 正直に言うけど、お前ってそんなに他人に興味がある人間だって思ってなかった。どっちかっていうと小説バカ。原稿の気分転換に別の原稿やるような、そんなやつ。奇抜な格好もきっと他人を寄せ付けないためのものだって。でも最近のお前を見て、印象が変わったよ」

「だってあたしが周りにそう見て欲しいって思ってるからね」

「……なんでか聞いていいか?」

「女のヒミツを聞くつもりか?」

「嫌ならいいんだ」

「別にいいよ、玲二になら」

 それから二筆は再び椅子に座る。俺は水とコーヒーを準備する。

「作家ってさ、基本一人じゃん。デビューする前も孤独に何ヶ月も原稿を書いて、そっから受賞までも何ヶ月も待って。それでプロになったらまた一人でひたすらに書く。編集から返ってくる大量の赤を直してもっかい出して。それを繰り返す。デビュー前に思ってたんだ。プロになったら同じような仲間がたくさんできて、知識やアイディアを共有したり、集まって小説談義したり、そんなこともあるんじゃないかって楽しみだった。でもそんなものは無かった。実際にあるのは人気と締め切りだけ。同じ時期にデビューした作家が二巻を出さずに消えていく。それを横で見た時に思ったんだ。ああ、ここからも独りで戦わないといけないんだ。って。

 だからこの格好はあたしなりの決意なんだよ。おかしな格好をして他人を寄せ付けない。別に人が嫌いなんじゃない。……ただ居心地のいい仲間が出来ちまったらって思うと怖いんだ。もしかしたらそいつらといる方が小説を書くより楽しくなるんじゃないかって。そうなったら書けなくなるんじゃないかって。だからこんな格好をしている」

「……そんなこと考えてたのか」

「そうさ。あたしも弱いんだ。だから弱点を作らないように今日も変人の番傘女を気取ってる。でもさ、玲二と愛依ちゃんを見てて、ぬるま湯にならない関係性もあるんじゃないかって。ちょっとだけ夢見たんだ」

「そでも俺は愛依ちゃんに本音でぶつかれなかったし、その結果彼女にすごく中途半端な時間を過ごさせてしまった。俺は自分を慕ってくれる愛依ちゃんとの関係性を優先してしまってたし」

「それについてはなんとも言えないよ。ただあたしはまだ二人が切磋琢磨してライバル関係になれるって信じてる。愛依ちゃんは自分の弱さを認めてたよ。皮肉なことに二人の中途半端な時間とやらで読みコンに落ちたおかげでさ。玲二、それはお前もなんじゃないか? ダークエルフの二巻からは他人の着せかえ人形状態。そしてお前自身、本当はどうしたらいいかわかってる。でも踏ん切れない。もう一度好き勝手していいのかって迷ってる。……いや、恐れてる。編集はどう思うか、メディアミックスしてくれた出版社、ファンの反応、はては売上。一度無難な道に乗ってしまったゆえ、柵という鎖で身動きが取れなくなって迷子になっている。……ごめん。喋りすぎたよ」

 自らの弱さ、未完成さを認めるのは誰だって嫌なことだ。何か言い訳をつけて逃げたくなる。編集の意向?いや、俺の一巻は尖ってた。だからマイルドにするぐらいがちょうどいいんだ。その方が読者もついてきやすいし、プロットだって簡単に書ける。メディアミックス先に気を遣ってる?そりゃそうだろ。漫画にしてもらうんだかから今風のわかり易い展開のほうが売れるに決まってる。その方がお互いに得ってもんだろ。ファンだってたくさんある作品から選んで読んでくれてるんだ。奇抜なものでがっかりさせたくないし、何より俺はプロの小説家だ。売上を気にするのは当然のこと。俺は“アドバイス”を聞き入れて“自分で判断”して今を選んだんだ。そう、言いたいし思いたい。誰もがそうだろう。でも気づいている。二筆の言うとおりだ。

「玲二、大丈夫か?」

「あ、ああ。ごめん。俺、弱いな……二人ががんばって進もうとしてるのに……」

自分の弱さに悲しくなった。どうしていつまでも自分の本音をさらけ出せないんだろう。そんな自分が情けなくて悔しく悔しくて。

 気がついたらこみ上げてきて、少しだけ俺の目は熱くなっていた。そんな顔を二筆に見せるのが嫌で俺は俯く。

「だから気にしすぎだって」

 なれた匂いがいつもより近い。気づけば二筆は俺の頭を撫でていた。意外過な行動に俺は面を上げて眼前の彼女を見る。浴衣に雪駄で晴れても番傘をさしてる変人女。パチンコで新幹線代を使い込み編集部に借金をする女。引っ越してきたのにメシを愛依ちゃんにたかる女。勝手に俺の冷蔵庫を開けてアイスを食う女。

 めちゃくちゃに迷惑で今まで一秒だって「いてよかった」って思ったことのないこの女の手のひらに、心のなかにある焦りが収まっていく気がした。いつもの俺だったら振り払うだろう。だけど今の弱った俺には必要だった。嬉しかったけど、恥ずかしかった。だから俺はまた俯いて、二筆のなでなでが終わるまで心の中でありがとう、とつぶやき続けた。


【ダークエルフ珍道中】あさの玲二先生を応援するスレ70【まだ5巻】


 ここは稲妻文庫作家連弾コンテストのスレです。

 関係ない話は別スレでお願いします。

 【よくある質問と答え】

 Q.稲妻文庫作家連弾コンテストって?

 A.稲妻文庫の作家が二人一組になりWEB投稿形式で書く小説コンテスト。

ネットの専用フォームからリアルタイム閲覧が可能。

筆者A、筆者Bといたら交互に投稿して一つの物語を完成させる。途中相談はなし。確認方法なないけどそこは信頼。

開催時期は九月三十日から十月三十一日の一ヶ月間。特に字数制限はないけど両者読みやすい分量で書き終わること。

 Q.明日見愛依と五百雀凛って誰?

 A.今回の稲妻文庫新人発掘コンテストで上位入賞した現役女子中学生。

   五百雀凛はその次の読み切りコンテストでも入賞し短編が掲載されてるよ。

 Q.明日見愛依ってあさの玲二先生の弟子って本当? 玲二先生の仕事場に通ってるって噂があるみたいなんだけど。

 A.公園で愛依ちゃんと凛ちゃん、二筆先生を見たおじいちゃんがいるらしい。

 Q.二筆先生が玲二先生のとなりに引っ越してきたって本当?

 A.噂ではそうらしい。ただ都内に引っ越してきたことは事実。


『スレ立ておつ』

『乙あり』

『稲妻文庫作家連弾コンテストの投稿がスタートしたのが昨日の九月三十日なわけだが、両者先手は明日見愛依、五百雀凛の若手スタート。これをどう見る?』

『あさの玲二と明日見愛依。そしてミツルギ刄と五百雀凛』

『明日見愛依と五百雀凛ってプロ作家じゃないんだよね?』

『そして二人ともまだ現役のアマチュア女子中学生っていうね』

『ところでこれって稲妻文庫の“作家同士の連弾”なんじゃないの?』

『その辺はみんな疑問に思いつつも“あの稲妻だし何でもあり”ってとこじゃね?』こっちとしては面白ければなんでもいいし』

『どっちが面白くなりそう?』

『まだ最初の投稿で愛依ちゃんと凛ちゃんのしかない状況だけど、俺は断然ミツルギ&凛だな。まだ全貌はわからないけど多分読み切りコンテストで凛ちゃんが一位だった『S.T.A.C・Guardian』の外伝モノな感じがする。設定、世界観、固有名詞が一致してるし。まだぼやかしてるけど多分間違いないと思う』

『俺は玲二先生と愛依ちゃん派かな。応援したい。愛依ちゃんのは発掘コンテストで書いてた『コネクト』で間違いないね』

『両者プロットがまさかの素人採用!?』

『でもそれをプロがどう調理するか楽しみだよな』

『初日で言うのもなんだけど、俺はミツルギ&凛ペアが圧勝すると思う。『S.T.A.C・Guardian』ってめっちゃ世界観がミツルギ刄寄りじゃん。ってか凛ちゃんは確実にミツルギ刄を手本にして今まで書いてきたと思うよ』

『それは思った。初めて読んだ時「あ、ミツルギ刄じゃん」ってなったし』

『ってことは玲二先生たちはミツルギ刄を二人相手にしてるってこと!?』

『それは言い過ぎでしょ』

『玲二先生のダークエルフはぶっちゃけ分類が難しいけど、コメディ冒険モノと分類するとして、愛依ちゃんって発掘コンテスト読んだ限りだと、少女向き小説って感じだよね。玲二先生とは相性悪い気が』

『禿同。一巻ではキャラが全員跳ねてたから、もしここでそのセンス復活させてきたら愛依ちゃんがついていけないと思う』

『かと言って、2巻以降の編集言いなり説な最近っぽいパンチのない書き方だと、玲二先生も愛依ちゃんも無難過ぎる形に終わると思う』

『ってことは尖ったほうの勝ち?』

『そりゃいつの時代もな。王道中の王道か、バチバチに尖らないと』

『まぁ面白くなればそれでもいいんだけど、俺達の予想を超えてきて欲しい』

『どのぐらいの頻度で更新されるかわからないけど見守りながら楽しもうぜ』


 ◆十月一日、あさの玲二


 愛依ちゃんが俺の前から姿を消してから二ヶ月。俺はあれから彼女とは会っていない。気まずいのか電話にも出ないしので声を聞いていないのだ。

 ただ幸いなことに連弾コンテストを辞退するわけでもなく、むしろプロットが完成する以前よりも積極的にそれに関するメールのやり取りは増えたので、そこは安心した。そうして会わないまま、声も聞かないまま本番を迎えて予定通り愛依ちゃんの書き出しからスタートした。

 不安な中、当たり前のように俺の部屋に居座っている二筆が今は心強い。

「俺、このまま書いていいんだよな」

「どういうことだよ」

「プロットは確かに貰った。だけどキャラの掘り下げや展開はきちんと愛依ちゃんと話して納得のいくものを書きたいって思ってる。もう一度愛依ちゃんと連絡を取ってみて万全の態勢になってから書いたほう良いんじゃないかって」

「そりゃ誰だってそれが良いに決まってるさ。でもよく考えろ。今はとっくに二学期は始まってる。彼女が小説に使える時間は僅かだ。更新ペースだってお前の何倍かは遅れるんだ。書くだけで手一杯。仮に今回のいざこざが無かったとしても、この時期から顔を合わせて煮詰める時間なんて最初からないと無かったと思う」

「あっ……」

 完全に失念していた。俺と愛依ちゃんではその時間が違いすぎるのだ。

「だけどさ、玲二。本当の問題ってそこじゃねーんじゃねーの?」

「どういうことだよ?」

「……あんまりこういう事は面と向かって言いたくないけどさ……お前が愛依ちゃんから逃げたいんじゃないのか? 読み切りコンテストで“書きたい”って想いより確実性を優先させて失敗した愛依ちゃんが、今は自分の弱さに向き合ってなりふり構わず向かってこようとしている。それに自分は応えられないんじゃないかって。そう思ってるんじゃないか?」

 確かにその通りかも知れない。愛依ちゃんの想いに俺は応えられるだろうか?

「今すぐ結論出せとは言わないよ。お前の方向性が定まったらその線でかけばいいんじゃないか? あたしは帰るよ。また明日な」

「明日も来るのかよ?」

「あたしは原稿が終わったからな」

「原稿やらせてくれよ」

「こっちの部屋のほうが居心地がいいんだ。あとメシ作ってやるからよ」

「なにか作れるようになったのかよ」

「たった一つのいい方法を思いついたんだ。世界中のみんなが幸せになれるいい料理方法だ」

「どんなのだよ」

「心を込めて温めてやるよ」

「……邪魔だけはするなよ」

「しねーよ。ああ、あとさ、」

「なんだ」

「あまり根詰めるなよ。い、一応あたしだって隣人として心配してるんだからな。前にも言ったけどお前の存在は作家として刺激になるし、愛依ちゃんっていう新しい素質にも期待してるんだ。あたしがこれから楽しく小説を書くためのライバルとしてあんたらは絶対に必要なんだ。だから、こんなところでくたばるんじゃねーぞ」

 別に熱い季節でもない。だけど二筆の顔はいつもより火照っているように見えた。


 ◆十月二日、あさの玲二の投稿一


 二筆の帰った数時間後。日付は変わってすでに夜中になっていたが愛依ちゃんの投稿に続く物語が出来上がった。これをあと何度か繰り返して完成の予定だ。

 ミツルギ刄や五百雀さんも気になるところだけど、今の俺が相手の作品を見たらまた余計なことを考えそうだったので、改めて自分たちのことに集中する。

「俺がこれをアップしないと愛依ちゃんは次の話が書けないんだ」

 ぶっ続けで作業をして更新。一気に襲ってきた睡魔に俺は一気にやられた。


  ・稲妻文庫作家連弾コンテスト『コネクト』

・投稿者:あさの玲二

  ・投稿日:十月二日 三時五分


 ロッカールームで着替えて体育館に向かう時、今年になって皆に言われたことをよく思い出すようになった。季節が代わり三年になりキャプテンに選ばれたのだから当然と言えば当然かも知れない。

『いいかい。太陽くん。ウチの学校は昔はバレーの名門だったんだ。がんばってくれたまえよ』

『はい』

『あら! 太陽ちゃん。今日も部活で遅かったの? 学校の先生から聞いたわよ? 今年はインターハイ狙えるんだってね? うちの主人が子供の頃は光陽学園バレー部って言ったら全国の常連だったんだから。主人もその頃バレー部だったの。予選の決勝戦は見に行くから頑張ってね!』

『はい。地域のみなさんの期待に応えれるようがんばります』

『おおー! 太陽くん。地域の商工会でも今度応援団を作ろうと思ってるんだ。ポスターのモデルになってくれないかな?みんな喜ぶと思うよ』

『……時間のある時に伺いますね。みなさんによろしくお伝え下さい』

『おーい! 今年は――』

「――ようっ! ちょっと太陽ってば!」

「あ、ああ……なんだ朱音(あかね)か」

「なんだじゃないわよ。何回呼んでも返事しないんだから」

「ごめん。考え事してた」

「また? もういい加減気にするのやめたら? 周りが何をどう言ったって私達が頑張った結果しか出ないんだから」

「わかってるよ。でも今年の選手層は俺がいた三年間の中で一番厚いと思う。こんなメンバー揃えて全国行けなかったらキャプテン失格だよ」

「そうやって真面目に根を詰めるの太陽の昔からの悪い癖だよ。幼馴染だから何でもお見通しなんだからね」

「心配してくれてサンキューな。でもインハイ予選が終わるまでは、みんなを引っ張っていきたい。だから朱音もマネージャーとして協力してくれよな」

「でも本当に無理しちゃダメだよ」

「うん。急ごうぜ。キャプテンとマネが遅刻したら示しがつかないからな」


「お疲れ様でしたー!」

 片付けを終えた最後の一年が挨拶をして体育館を後にする。残っているのは俺と朱音、そして相棒の叶人だ。俺のポジションはミドルブロッカー。幸い身長には恵まれた方で、高さを活かした速攻アタックも得意だ。そして叶人はセッター。

 セッターは最もボールに触れる回数が多い。こいつはメガネをかけていてインテリっぽい見た目をしてるから「俺の計算ではこれ以上の活動は体力を消耗するだけです」とか言って効率的に練習をするやつに思われがちだが、一年が帰ったあとも地道にランニングをする努力の男だ。そして朱音は一年の時から女子マネをしている。俺たちは家が近所だったことと地元の少年バレーをしていた幼馴染だ。

 腐れ縁なのかこうして高校になっても三人でバレーを続けている。

「おい太陽。今日も“例のヤツ”練習するんだろ」

「当然だ。この速攻が完成すれば本当に全国行きも夢じゃない。俺たちのチームは攻撃がワンパターンになりがちなのが欠点だ。なんでも平均的にこなせて、平均的に周りよりちょっと強い程度だ。だからこそ予選が始まってからは勝ててきた。けどこの先は一つ大きな武器を持っているチームが勝ち上がる」

「フン。わかっているならさっさと準備をしろ。時間がもったいない」

「わかってるよ」

「太陽大丈夫? 今日の練習もかなりきつかったじゃない」

「帰っていいのなら俺は帰って受験勉強でもするさ。どうするんだ?」

「やる! やるに決まってる。ようやく形になってきたんだ」

「三十分だ。さすがにそれ以上は付き合えん」

「おう! 感謝するぜ。朱音、ボール頼む」

「う、うん。二人とも無理しないでね」

 俺も朱音を見て首を縦にふる。

 朱音が投げたボールは叶人がトスをしボールを上げる。俺につながったボールをしっかり捉えて俺は叩く。大きな音が体育館に響いた。

 近い未来、俺は絶対ものにする。そして今度はこの音を全国への切符へ変えてやるんだ。その強い想いで俺は三十分、ひたすらボールを打ち続けた。


  ・稲妻文庫作家連弾コンテスト『コネクト』

・投稿者:明日見愛依

  ・投稿日:十月七日 二十一時五分


 太陽が練習メニューを変更してから確かにチームは強くなっった。だけど私にはどうしても不安に映ってしまう。限界を超えて頑張る太陽。

 この時期を乗り越えれば……と疲労や不満を押さこんでいる部員の皆。一丸となって頑張っている、そう言えば聞こえは良いかも知れないけど……。

 日に日に私のところへタオルやドリンクを取りに来る部員の数、回数も増えていてオーバーワークなのは明らか。太陽はそれに気づいているのか。それとも承知の上で突き進んでいるのか。いずれにせよ私には、ボロボロの歯車が限界を超えて回転しているようにしか見えない。

「はい、タオル」

「ありがとうございます。朱音先輩」

「大丈夫?」

「大丈夫ッス。先輩たちもあんなに頑張ってるッスから」

 二年生の彼は汗だくになりながらコートを目指す。その足は少しふらついていて、目を背けたくなるほどだった。体育館の時計を見ると休憩までまだ十分あったが、「みんなー! 休憩よ」

「おい朱音、早くないか?」

「あの時計壊れてるみたい」

 私は腕時計を太陽に見せる。

「ドリンクとタオル、みんなの分そこに置いてあるから適当に使って。替えのタオルもう一式持ってくるから」

 そう言って私は体育館を出て扉をしめる。歩き出そうとすると、

「まったくお前もいちいち回りくどいな」

「うわっ! びっくりした。なんで叶人がここにいるのよ。練習は?」

 まるで私が来るのを待ち伏せしていたかのようだ。

「ちょっと用があって外してた」

「用って?」

「最近の太陽の練習はキツイからな。ジョギングの強化と言う名目で抜け出してサボってた」

「はぁ……他のみんなもそのぐらいしてくれると私も楽なんだけどね」

「外から聞いてたぞ。腕時計をわずかに調整していたのも見えた」

「責任感が強いのは良いけどもう少し周りを見てほしいわよ」

「少し歩くか? 部員に聞かれたら気まずいだろう」

「叶人はさ、今の太陽や部活のことどう思う?」

「俺は問題ない。この練習量でもついていけるし、全国に行くならこのぐらいしないと予選を抜けても即敗退だろう。だが朱音の言いたいことがそうじゃないことももちろんわかる。結論からいってしまえば、俺は朱音の考えていることの方が、全体としてみた時に正解じゃないかと思う」

「私は太陽が目指すバレーのために手伝えることがあればなんでもしたい。だけど今は見てて痛いぐらいに辛い。だからそれを手助けしているのことが、本当に私のやりたいことだったのかなって考えちゃうの。太陽の厳しい練習をサポートして、疲弊した部員には口癖のように「頑張れ」「無理しないでね」「頑張ったね」って言って機械的にドリンクとタオルを渡す。……それにね、私聞いちゃったの」

「何をだ?」

「二年生の子たちが練習の後に、先輩のやり方にはついていけないって言ってるの」

「……そうか」

「でも私は太陽に言えない。私がそんなこと言ったら太陽を迷わせちゃう。時間も限られた中で練習してるのに、困らせちゃうんじゃないかって。だけど二年生たちの言うこともわかる。私は彼等を助けたい。ううん、もっとみんながバレーを楽しんで、本当の意味で一つになって全国に向かって欲しいの!」

「朱音、お前の言いたいことはわかった。だがそれを言う相手は太陽だ。違うか?」

「……言えないよ、そんなの」

「わかってる。すまない」

 私も叶人を困らせてしまった。気まずい空気が流れ次の角まで互いに無言だった。

「朱音は特に小さい時から太陽を見ているから言いづらい事もあるかもしれない。

 だったら行動で示してみると良い。今、お前が本当にこのバレー部に必要だと思っていることをしてみろ。朱音もみんなを全国に連れていきたいんだろ?」

「もちろんだよ」

「だったら動いてみろ。一番いい例を知っているだろう」

「そうだねっ!」

 まだ何も解決してないけど、心に詰まっていた何かが一つ取れたような気がした。

「じゃあ私はタオル取って戻るね」

決めた。私は私のやり方でみんなを支える。きっと太陽には反発されるかもしれない。だけど、それでも一瞬でも楽しいって思えるバレーの時間を私は作っていきたい。それが強さになるって信じてるから。だって楽しんでいる人が最強だってのを一番最初に教えてくれたのは太陽だから。だから私がそれを思い出させてあげる。


【ダークエルフ珍道中】あさの玲二先生を応援するスレ73【まだ5巻】


『ミツルギペアは完全に『S.T.A.C・Guardian』の外伝モノで確定したね』

『タイトルのOutsiderは作中のよそ者の意味ってことで間違いないね』

『これで両者プロットはアマチュアのもので進めてることになるね』

『どっちが面白い?』

『個人的にはどっちも面白いけど科学都市が舞台になってるミツルギ組の方が動的で爽快でわかりやすいからOutsiderかな』

『なるほど。で、コネクト派はどう思う?』

『これ、あさの先生が書いている時は太陽の一人称で、明日見愛依が書いている時は朱音の一人称なんだな』

『あさの先生が書いている時は安定感があるけど、愛依ちゃんが書いている時は文章の比重にばらつきがある』

『発掘コンテストの時はダラダラと女子マネのことを書いてたけど、今は物語を進めるキーパーソンの役割もしっかり果たしてる』

『ぶっちゃけ主人公が二人って感じするよな』

『そうだね。太陽と朱音がそれぞれ主人公って感じ』

『現状あさの先生のターンはちょっと主張が弱い気がするけど、この先の展開と、太陽の活躍次第では朱音とぶつかる展開も十分あるな』

『だとしたらすごいよ。プロ作家とアマチュア作家がプロットで戦ってる感じ?』

『エモい』

『正確にはエモさを演出する筋書きじゃね? ってかそんなに上手くいくのかね』

『プロットなのか、アドリブなのか』

『とにかく玲二先生の返しが気になるな。今回の愛依ちゃんの返しは予想外だった』

『だよね。普通のバレー作品だったら、きつい練習に耐えている部員と心を痛めながらそれを敢行している太陽を女子マネが支えて、一緒にインハイに行くって流れが普通。だけど次の展開からは多分太陽と朱音の意見が分かれるんじゃないかって予想』

『Outsiderは安定して面白いけどコネクトはちょっとわからん。今の所面白いのはスタ外だけど、俺はコネクトに期待しながら眠りにつくぜ』

『おやすー。玲二先生の更新があったらまた会おう』

『トンクス。じゃ、みんな乙―』


 ◆十月八日、あさの玲二


 愛依ちゃんの投稿が終わった次の日の夜。俺はその更新を見て考えていた。

 掲示板でも少し話題になっているが、ついにここでプロットとは違う動きが出てきたのだ。

 大筋に影響がないとはいえ、俺の予想と結構違った動きだったので、愛依ちゃんの書く朱音が今後もこうであれば、それを考慮して続きを書かないといけない。

「おー。玲二先生困ってますなぁ」

 ここにいるのが当たり前になっている二筆が俺の後ろからモニタを覗き込む。

 さっきまでコイツは例の掲示板を除きながら俺たちやミツルギ刄たちどっちが面白いかの書き込みを見て、一人検討会をしていたし書き込みもしていた。

「邪魔をするな」

「愛依ちゃん、プロットの段階では想像できないことやってきたねー。玲二はこの辺りの下りについて深くは考えてない感じだったっしょ?」

「この段階であまり朱音には動いてほしくなかった……ってのが本音かな」

「最近のお前らしいな。でもこれは二人で書いている連弾コンテストだ。一人で書いている時より何が起こるかわからないってのは覚悟していたはずだろ?」

「そうだけど」

「それとも、」

 二筆は、まるで心を見透かすように俺の瞳を覗き込み、

「プロでもない愛依ちゃんがプロットを外れて書いてくるはずがない……なんて思ってた?」

「そんな舐めたこと考えるわけないだろ!」

 そんなこと、考えるわけがない。

 ただ、今の本心は、予想を超えて欲しくなかったんだ。

 枠をはみ出て自由に走り出してしまえば、俺もそうしなければならなくなる。でも今の俺にそれが出来るか不安だった。ダークエルフの一巻で好き放題書いて、それから編集の意向で、わかりやすく、今らしく、メディアミックスしやすくと、とにかくこの先も安定して無難に売れるような作品内容にシフトして。

 その過程でだんだんと自由に楽しく書くことを忘れた俺に、今の愛依ちゃんは語りかけてくれている。自由でいいんだよ、となのに俺はそれを見て「もうちょっと無難だと助かった」なんて思ってるんだ。最低だ。

「なあ、玲二。なんで毎日ここにいるかって言うと、お前にまた自分の物語を書いて欲しいからなんだよ。無難なプロットを提出して、締め切りまで原稿を書いて、そこそこ本が売れてたまに漫画化する。それは売れてない作家からしたら羨ましい話だ。だけど今のお前は全然楽しそうじゃない。全然だ。そんな時愛依ちゃんが現れていい刺激になってきたじゃないか。なのにそれに応えないでどうするんだよ。

 コンテストはお前の仕事とは関係ない。だけどデビューもしてない作家のたまごが食らいついて来たんだ。それに愛依ちゃんはお前のファンなんだろ? 仕事への向き合い方どうこう以前に、このままかっこ悪いところ見せ続けて良いのかよ!」

 そうだった。

 愛依ちゃんは俺のファンだって言ってくれた。 なのに俺は自分のことばっかりだった。編集からダメ出しを食らわないように周りの様子を見ながら原稿を書いていた。。思い出せよ。俺だって作家に憧れたじゃないか。受賞した時の喜び。初めて本が出て時の感動。全部、自分が実力で渡り歩いている証拠だったじゃないか。

 なんでそんな大切なこと忘れてたんだよ。

 かっこ悪すぎる。

「なあ二筆」

「なんだよ」

「わるい、帰ってくれないか」


【ダークエルフ珍道中】あさの玲二先生を応援するスレ76【まだ5巻】

 十月十五日の掲示板


『最近仕事であさの先生と愛依ちゃんの投稿読めてない俺が来ました』

『どこまで読んだよ?』

『朱音のマネージャーとしての方針が変わるところ。今までのキツイ練習のサポートから、部員が楽しめる部活にしようって思い始めた辺り』

『それならざっくり俺たちであらすじ教えてやるわ』

『助かる。で、今どんな状況なの?』

『お主の知っているところを省くと、太陽の練習の方向性と朱音のマネジメントの方向性がだんだんずれてきて、お互い言い合ったりちょっと喧嘩したりでピリピリしているって状況』

『んでついに二年生の部員が辞めたいって言ってきた。理由は今の部活が勝つためにギスギスしているのと、練習量が多くて体が大変だから。来年の受験に向けて塾通いも始めたし、色々考えるとこのままの部活ではやっていけない、ってのが言い分な』

『部活ものによくある話だな。で太陽と朱音の反応はどうなん?』

『朱音は太陽に「もっと周りを見ていたらこんなことにはならなかった」って。対して太陽は「予選を勝ち抜くためには多少厳しい練習も必要だった。他の学校でもそうしているし、仕方のないこと」って反論して二人の空気は最悪に』

『で、あさの先生の投稿はここで一旦終わり。』

『愛依ちゃん、この時の投稿は朱音じゃなくて叶人の視点で書いてたね』

『解説を再開するぞ。二人の仲違いは部活に悪影響を与えている。見かねた幼馴染の叶人が太陽に真意を問い詰めるシーンから始まる。例によって練習後の体育館で必殺技の特訓をしながら。ただこのシーンに朱音はいないから太陽がボール投げて、叶人がトス、再び太陽がスパイクを打ち込むって練習になってる』

『ここで叶人は朱音が自分に部活について相談してきたことを、太陽に教える。他にも太陽に相談できなかったことを叶人はたくさん朱音から聞いていたわけだ。そこで太陽はなぜ朱音は直接自分に言わなかったのかってなる』

『まぁ典型的ラノベ主人公ってやつかな』

『それでどうなるんだ?』

『叶人が「お前に気遣って朱音は相談出来なかった。お前が一生懸命大会で勝とうとしているのを誰よりも知っているからだ」とついに怒る』

『お、冷静キャラの激怒』

『普段怒る事がなかった叶人がブチギレて、太陽もスーッと冷静になるんだよな』

『そうそう。そこで叶人が昔自分たちが初めてバレーを通じて知り合った時のことや、三人でずっと頑張ってきた昔話をするわけよ。それを聞いて徐々に太陽は楽しくバレーをやっていたことを思い出すんだ』

『で、太陽は手にしたバレーボールを見て気づくんだよね。俺たちもこのボールみたいにボロボロになって消耗してただけだったんだなって』

『それで太陽はどうすればみんなが楽しく部活をやってインターハイ予選に向かえるか叶人に聞くんだ。だけど叶人は「それを真っ先にやっていたのが朱音だったんだよ」と言う。太陽は「もう俺たち間に合わないのか」と珍しく凹むんだ』

『その後どうなったん?』

『ここで終わってる』

『まじかー。続き気になりすぎる』

『今日あたりあさの先生が続きを投稿してくれると思う』

『なるほど。みんな、あらすじありがとな』

『わかった。お、そう言ってるそばから更新きた!』

『ナイスタイミング』

『あさの先生、書くのは早い』

『とりあえずスクロールした感じだと一万文字はありそう……ん?』

『どうした?』

『いや、なんか文末にURLがある』

『リンク貼ってないからコピペするしかないな』

『どれ』

『ちょ……なんだこれ』

『どうした? 俺スマホで細かい操作がキツイ。だれか教えて』

『いや、待ってくれこれって……』

『いやいやいや。これ世に出ていいもんじゃねーべ』

『編集ミスだろ、さすがに。間違って貼っつけた?』

『問い合わせフォームに送るか?』

『おい、教えてくれ。何が起きてるんだよ!』

『なにって……』


『ダークエルフ珍道中が投稿されてるんだよ』


 ◆十月十六日 あさの玲二の道


 当たり前だけどすぐに安西さんから電話がかかってきた。

『玲二先生』

 厳しいことを言う時の口調だ。俺は黙って次の言葉を待つ。

『最初は投稿ミスかと思いました。だけど読めば完全に完成されたストーリーじゃない。見たところあなたの代表作『ダークエルフ珍道中』のようだけど、あなたの意図で投稿したってことで間違いないわね?』

「間違いありません。正確には自分がこれまで出した一巻から五巻の総集編です。今後投稿する時は、キャラごとに原作に無かった視点も入れます」

『ちょっとまって。今後投稿する時はってどういうこと?』

「そのままの意味です。これは俺たちの連弾コンテストの二作目です。総集編のプロットは数日前に愛依ちゃんに渡しています」

『ちょっとそれどういうこと? 聞いてないわよ』

「すみません。聞いたら絶対にダメって言うと思ったので」

『そりゃそうよ! 少なくとも私一人の権限じゃ決められないことなのよ!?』

「ですよね。でも投稿出来たってことはシステムが拒否してないってことだから実質セーフ、ですよね?」

 冗談っぽく聞いてみるが、

『んなわけないでしょ!』

 あ、やっぱアウトのやつだったかこれ。

『本当なら速攻取り下げるところよ。でもネットではすでに話題になってる。今から火消しをしたってそれこそ逆効果よ。とにかく朝一で会議になると思うわ』

「本当にすみません」

『ほんとよ。私これから帰るから寝るの二時よ。ホテルの空き、探さないと」

 スマホの向こうから大きなため息が聞こえた。数秒の沈黙の後、

『一つ聞いていいかしら。なんでこんなことしたの?』

「また自由に書きたくなったんです」

『そっか。でもなんでこのタイミングだったの』

「今じゃなきゃダメなんです。……愛依ちゃんが読み切りコンテストに落ちてから、俺はずっと彼女のことが心配でした。

愛依ちゃんは最初からコネクトを書きたいって思っていたのに、俺が「コンテストで勝つにはこういうのがいいんだ」っていう偏見を知らないうちに押し付けてしまっていたから。だから愛依ちゃんは挑戦より守りを選んでしまったんです。今はまだ才能を試して挑戦する大事な時期なのにです。それは最近の俺の仕事ぶりが知らずのうちに出てしまって、それが当たり前の戦略だと、無意識に無難な道を彼女に示してしまったんです。……いや、それすらも言い訳でした。俺は愛依ちゃんと楽しく小説を書く時間を失いたくなかった。ほんとプロ失格のクソみたいな考えでした。

せっかくの才能を安西さんから預かったのに。そして才能の原石と一緒に作家活動をすればお互いにいい刺激になって成長できるって。安西さんの狙いはそこにあったはずなのに……なのに俺はその機会を完全に棒に振ってしまった。

 正直もうダメかと思いました。俺のアドバイスの通りに書いて落ちてしまう。プロの助言を聞いて届かなかったと思えば愛依ちゃんの心はきっと折れて、もう小説を書きたくないって思ってしまうかも知れない。

 俺の前から走り去った時はそれが現実のものになったんだと絶望しました。

 ……だけど全然違いました。

 愛依ちゃんは折れてなんてなかった。気持ちが凹んでいる時期なのに、作ったプロットの通りしっかり話を進めて、さらに予想もつかない変化球も投げてきて。

 ああ、愛依ちゃんは全然へこたれてなんかない。自分が本当に書きたいコネクト(お話)を、楽しく自由に書いているんだなって。それに気づいたら彼女に悪い気がしちゃって。

 愛依ちゃんはヘコんでるんじゃないか、心が折れてるんじゃないかって、そういう風に勝手に思ってました。でもそれは逆だったんです。俺が自分の書きたいことから逃げていた。失敗した時のことや、周りからの評価のことばっかり気にして。

 そう思ったら俺、かっこ悪いなって思って。このまま愛依ちゃんのプロットで書ききるのもいいと思います。でも終わった時、堂々と彼女の前に顔を見せることができない気がしたんです。だから俺も、俺が楽しいと思えるお話を書かないといけないって思ったんです。

『この気持ちを思い出させてくれてありがとう』って。

そして俺の面白いも見せてやりたくなって。これが俺の本当の面白いだ。俺の面白いについてこれるか? 俺の面白いをもっと面白くできるか?

 って。俺は今、作品を通じて愛依ちゃんと会話がしたいんです。それはこのコンテストが終わってからじゃ絶対に出来ない。謝って済むことじゃないのはわかってます。でも今の俺には彼女との連弾が必要なんです。お願いします! コネクトもしっかり期日まで書き切ります。だから俺の小説を、俺たちに書かせてください!」

 一息に話し切ると、スマホを耳に当てたまま頭を下げていた。数秒の沈黙の後、

『八千円』

「はい?」

『今日私が泊まるビジネスホテルの宿泊代。それで手打ちにしてあげるわ』

「本当ですか!?」

『しょうがないでしょ。玲二先生がそこまで書きたいって言うんだから。……それにね。今ちょっと良かったって思ってるの。私もあなたに二巻以降は好きに書かせなかったのは悪かったわ。でもそれもしょうがないことだと理解してもうらしかないって考えてた』

「はい」

『だけど今玲二先生が投稿した作品はこの短時間でみんなの心を動かしている。それは私があなたのためと思って無難に編集した作品よりよっぽど多くの人の感情を揺さぶってる気がするの。だからこんな面倒事になっちゃったけど、やっぱり愛依ちゃんをあなたに預けて正解だったわね』

「はは。それは結果オーライってやつじゃ」

『なんでもいいのよ。面白ければ。いい? 締め切りは締め切りよ。両方しっかり完成させなさい。それともしめっちゃ怒られることがあったら、先生は私と一緒に怒られること。宿代とそれが条件。いいわね?』

「はい!」


 ◆二筆流と明日見愛依


 まさかこんな状況になるなんて想像がつかなかった。

 確かにあの日の帰り際、玲二はどこか吹っ切れたような気はした。

 そして投稿されたということは続きがあるということで、つまり愛依ちゃんも了承済みということ。あたしは愛依ちゃんに電話をする。長い間コール音が響き、切ろうかと思った時、繋がった。

『二筆先生?』

「愛依ちゃん?」

『すみません。学校に行く準備をしてて』

「朝早くからごめん。それで、さ。今玲二と書いてるのってダークエルフだよね」

『そうです。数日前に玲二先生からプロットが送られてきました』

「そっか。なんか玲二と話したのか?」

『いいえ。何も』

「何もって……」

『でも大丈夫です。たぶん、二筆先生が心配しているようなことはありませんから』

「そう……なの?」

『はい。私なら大丈夫です。もちろん読み切りコンテストに落ちた直後は少しへこんでました。こんな気持ちのまま新しいコンテストに挑むのかって。でも自分で作り上げたプロットだし、一緒に玲二先生も書いてくれるって言ってくれました。なにより私の中にある世界とキャラクターたちをそのままにしておくことだけは出来ないって思ったんです。だから私は伸び伸び書くことが出来たんです。玲二先生がどんな返しをしてこようと、それに揺さぶられることなく、私の思う朱音を書き続けました。楽しかったです。楽しくてしょうがなかったです。

 そしたら玲二先生からメールが来て、ダークエルフの総集編のプロットが送られてきたんです』

「メールにはなんて?」

『勝負だ。って書かれてました』

「それだけ?」

『はい。それだけです。だから私、どっちも全力で書きます。だから二筆先生も最後まで見ていてくださいね。電話してくれてありがとうございました!』

 そうして電話は一方的に切れてしまった。あたしはスマホをしまうと、

「そっか。玲二と戦うのが楽しいか」

 なんだか今まで可愛がっていた子がどこか遠くへ行くような感覚に襲われる。

「もうあたしの出る幕はなさそうだな。自分の原稿も終わってるし」

 そして財布の中身を確認する。

「パチンコでも行くか」


【ダークエルフ珍道中】あさの玲二先生を応援するスレ80【まだ5巻】


『スレ伸び過ぎでしょ。一晩で四本とか前代未聞なんだが』

『それよりこれどうなると思う? 残る? 消える?』

『消えてもいいよな』

『普通に考えると稲妻文庫から正式にどう対応するかの発表があると思うがな』

『ページ繋がる?』

『朝から落ちてる。同じこと考えてるやつがたくさんいるんだろ』

『次の投稿は愛依ちゃんのターン。噂通り女子中学生なら早くても更新は夕方だろ。学校あるだろうし。その頃まで残ってればいいがな』

『しかし玲二先生、なんでこんなこと始めたんだ? 二本とか無謀すぎでしょ』

『わかんな。ただこのダークエルフ、なんとなくだけど一巻のころと似てない?』

『それ! 思ってたわ』

『言われてみれば。これはこの投稿で完結してるようにも見えるな』

『だろ? 一巻だって各章ごとの完結かと思いきや、最終章で全部つながったじゃん』

『うむ。あれにはびっくりした。最初は短編連作かと思ったし』

『もしそれを連弾コンテストでやるとなると、これ愛依ちゃんがキツイよな』

『玲二先生が好き勝手書くというのはこういうこと』

『なら良いことじゃん。ぶっちゃけこの感覚って俺たちが待ってたダークエルフだろ? 今玲二先生はここに来て楽しんで書いてるんだよ』

『逆にコネクトは楽しくなかった。だからダークエルフを書いたってこと?』

『さすがにそこまで勝手じゃないと思う』

『順序立てて考えるなら愛依ちゃんにとってのコネクトは、玲二先生のダークエルフに該当するよな。初作品って意味で。それで読み切りコンテストで落ちて再びコネクトを引っさげてきたってことは、愛依ちゃんはコネクトが好きでどうしても書きたかったってことになる』

『なんらかの事情で読み切りコンテストでは出さなかったコネクトを出してきたと考えるならそうなるね』

『多分読み切りコンテストの時は二人の間になにかあったんだと思う。師弟関係って噂もあるし』

『あさの先生は愛依ちゃんに触発されて、自分も自分の面白いを愛依ちゃんにぶつけたいって思ったんじゃないかな。突然アドレス貼ってまで出してきたのはそういう衝動が芽生えたからかなと。

自分はずっとモヤモヤとしたままダークエルフの巻数を重ねてきた。だけど愛依ちゃんはこの短い間に壁にぶつかって立ち上がって、現役にプロ作家に食い下がってぶつかって来ている。それって玲二先生からしたら「俺も負けてられない」ってなるんじゃないかな。だったら自分もなりふり構わず、自分の面白いをぶつけてやろうって考えになってもおかしくないかな、と』

『つまりこれって連弾コンテストの中で、お互いの面白いを喰らえ合戦してるってこと?』

『そうだったらちょっとアツいよな』

『とにかく公式の発表をまとうや』

『そうそう。何が起きても冷静に対応できるようにクールダウンしておこうぜ』

『公式はつながった?』

『ページの表示が遅いw』

『ISDN時代みたいだ』

『なにそれ?』

『まーたジェネレーションギャップかよw』

『テレホーダイ対戦よろしくお願いします』

『ピーガガーピー』

『たけしー! 今月の電話代五万よ!』

『やめてくれwww』

『やっと表示された。ページスクショして貼るからちょいまって』

『お、有能。サンクス』


 ○稲妻文庫編集部からのお知らせ。


 稲妻文庫作家連弾コンテストをお楽しみの皆様へ。


 この度は稲妻文庫作家連弾コンテストに投稿されている作品をご覧いただき、誠にありがとうございます。さて、先日投稿ページに投稿されました、あさの玲二先生による作品ですが、弊社で検討した結果、本コンテストを盛り上げる材料になると判断し、このままの投稿を継続することとなりました。

 これにより、あさの玲二・明日見愛依の両者の作品は二作品となります。

 また本コンテストに参加しているミツルギ刄・五百雀凛ペアからも新作を投稿したいという連絡が本日ありましたので、こちらも合わせて本コンテストの対象とさせていただきます。なお、両ペアとも二作品目のタイトルは決まっていないということでしたので、一作目と合わせてこちらに表記致します。

・あさの玲二・明日見愛依ペア

一作目『コネクト』

二作目『ダークエルフ総集編』

 ・ミツルギ刄・五百雀凛ペア

一作目『Outsider』

二作目『転スラ外伝』

 と表記・呼称致します。また両者の作品がより良くなるためにも、人気投票を行います。なお投票は優秀作品を決めるための参考とさせていただきます。票数は絶対ではありません。Twitterで毎日一アカウント一回の投票が可能になります。

投票締め切りは十一月一〇日まで・結果発表は十一月三〇日を予定しております。

 残り期間半月ですが、最後まで本コンテストをお楽しみください。


 稲妻文庫編集部


『ちょwwwwwまさかのミツルギ陣営も二作目投下www』

『ミツルギ陣営も最初から準備してたのかな』

『いや、投稿のタイミングから考えてあさの先生が出したから自分も出したんだろ』

『ってことはあさの先生が投稿してから数時間で転スラ外伝準備して投稿を宣言したってこと?』

『まぁミツルギ刄なら出来るだろうけどこれ連弾でしょ。凛ちゃんがついていけるのかね』

『でもそれで言ったら愛依ちゃんもそうじゃん』

『まあ両陣営の二作目がいつから動いてたかなんて、検討はつかないけど半月経過した時点で一作目は両者未完成。さらに二作目投下ってんだから、これはいくらプロがいても厳しいんじゃ?』

『そういえば今気づいたんだけど、自分が投稿して、相方が返してくるまでって別の作品を書く猶予あるよな。例えば自分がコネクトを投稿したらその続きは相方の展開を見て書かないといけないから』

『つまり交互に書き続ければタイムロスはこれまでとあまり変わらないことになる』

『いや、そんな上手くは行かないだろ』

『相手の出方を見て最善の手で返す』

『受け取ったバトンをただ返すんじゃなくて、さらに良いものに昇華させ渡す。二人で作ってるけど書く時は一人』

『止まれないよな。締め切りはどんどん近づいてくるわけだし』

『ほんと予想外の展開すぎてアツすぎる』

『この流れがもう少年漫画だよな』

『おい! ミツルギ刄が転スラ外伝投稿してきたぞ!』

『はえーなw』

『凛ちゃんも投稿するの早いほうだから、夕方に続きアップされる可能性がある』

『そう言っているうちにOutsiderも投稿されたぞ』

『同タイミングで二作品投稿か』

『ミツルギ刄なら可能』

『凛ちゃん大丈夫かな』

『ここに来て目が離せなくなったな』

『どっちにも頑張ってほしい』

『ところでこのコンテストって勝利を勝ち取るとなんかあったんだっけ?』

『何も無かったはず。作家同士が一つのプロットで書くと楽しんじゃね? っていうファンサ的なイベント』

『これは勝った側になにかあってもいいよな』

『書いてる側にもなにか配慮してほしい』

『時に皆の衆、ついにコンテスト用の合同スレが出来たみたいよ』

『じゃあ今後は連弾コンテスト終わるまでは合同スレかな?』

『そうねー』

『じゃあみんな、残り半月はあっちで会おうぜ!』

『了解なりー』


 ◆数時間前の五百雀凛


 昨日は早くに寝てしまったのでネットでなにかざわついているのだけは知っていたが、まさか彼等があんな事になっているとは思わなかった。

「何を考えているの……」

 それからしばらく掲示板を眺めて、そこの書き込みの憶測ではあるが、ダークエルフが投稿された経緯をなんとなく理解した私はどうにも舐められた気がした。

 プロとはいえ本調子ではない作家と、自分の信念すら貫き通せなかったアマチュアがようやくなりふり構わず、自分を形にしよとしている。それは私達との真剣勝負から目を背けているに他ならない。こんな勝負を放棄する投稿は間違っている。

こんなやり場のない鬱々とした気持ちをどこにぶつけるか。そればかりを考えていた時、私のスマホが鳴ったのだ。

「ミツルギ先生、どうしたんですかこんな朝早くから」

『ネットは見たか?』

「随分と舐められたマネをしてくれたなと吐き気がして閉じたところです」

『ようやく面白くなってきたと思わぬのか?』

「面白く……ですか」

『思えば我とあさの玲二のデビューは一緒だった。他にも受賞者はいたがどれもこれも昨今の流行りに乗った模倣品ばかり。だが玲二は違っていた。今の読者や時世に媚びることなく筆を取るスタイルは見事。衝撃ですらあった。

 我も異世界モノ、バトルモノ、能力モノ、学園都市モノ……と色々書いてきた。だがやつみたくコメディのような面白さを内包した冒険モノというジャンルは書けん。正直言って悔しいと思っている。覚えているか? 我がどうしても一人だけ勝てない作家がいると話したことを』

「覚えています」

『それがやつだ。あさの玲二のことだ』

「……!?」

『驚くか? 我は別に驚かん。我はこのラノベ業界で今後も頂きに居座り続けるつもりだ。だからこそありとあらゆるジャンルを書かねばと思い、これまで書いてきた。だがやつのような作風だけはどうにも書くことが出来なかった。

 つまらないことにこの業界は流行りにあやかろうとする悪癖がある。だがあさの玲二がデビューしてからというもの、ダークエルフに関してそういう輩は現れなかった。売れているから模倣すればそれなりに地位と名誉が約束されるとわかっているのにだ。それは容易に彼を模倣することが出来ないことを証明している。だからこそ残念でならなかったよ。やつが二巻以降、編集の犬に成り下がりどこにでもある駄文を積み上げてきたことに』

 言葉が出てこない。彼女がこれほどまであさの玲二を評価していたなんて。

『だが今回、あさの玲二が新たに更新したダークエルフ総集編には昔のそれがある。編集や売上げなど気にせずに自分の頭にあることが一番面白いと信じて書き出していた頃のあいつに。正直我はこのコンテストのやつに失望していた。プロットもアマチュアに頼り、あまつさえ引っ張られさえしていた。それがどうだ? 新たな更新で自らの内に眠っていたものを全て解き放ち、その続きを明日見愛依へと託した。彼女に自分の面白さを突きつけるように。ふふっ、やつもまだ腐ってはいなかったということだ。凛』

「は、はい」

『パソコンを開け。メールが届いているな』

「……これは!?」

『転スラの外伝の概要・プロット・キャラ表・その他資料一式だ』

「まさか対抗するんですか!?」

『やつの熱が冷めぬうちにこちらも対抗せねばと思ってな』

「ミツルギ先生は私のOutsiderでは勝利できないと思っているんですか?」

『言葉が足りなかったそうではない。凛のOutsiderも傑作だ。だからこそ我とてこの話に乗ったのだ』

「じゃあどうしてです!」

『我はあさの玲二と直接相まみえる日を楽しみにしていたのだ』

「それはコンテストが終わってから、新刊や売上で勝負すればいいことじゃ!」

『ダメだ! なぜならやつの闘志は今、明日見愛依に向けられている。悔しいことにな。だからこちらに向けさせる。それには今、我の最高傑作をぶつけないとならん。だから凛。付き合ってもらうぞ。我の速度と熱量について来い』

 そうして電話は切れてしまった。急なことに気が動転していたが、すぐに血の気が引いてスッと冷静になる。それから再び怒りが私の中に湧いてきた。

 連弾コンテストはただでさえ大変なのに、相談もなしにもう一作追加すると勝手に決められたこと。そしてミツルギ刄は私なんか見てなかったということ。とくに後者は堪えた。もちろんミツルギ刄と私の差ははっきりしている。だがここでヘコんでいるヒマはない。私だって自信と誇りをもって積み上げてきたものがある。だったらそれを全開にしてぶつけるまで。あさの玲二と明日見愛依は互いにぶつかり合っていて、ミツルギ刄はそんなあさの玲二を振り向かせるために次の一手を打ったのだ。私だけ、蚊帳の外なんて……嫌だ!私の物語はすごいんだ。ミツルギ刄についていけるんだ。お前ら二人殴り合っているヒマがあったらこっちも見ろ!

 絶対にこの三人に教えてやるんだ。五百雀凛はここにいる、と。


 ◆ラストスパート~それぞれの想い~


 ○五百雀凛


 嫌いになったきっかけは小学校の頃、夏休みに出された読書感想文だった。

 別に本を読むのが嫌いだったわけじゃない。両親も読書家で物心ついた時から私の部屋にはお人形さんより本がたくさんあった。絵本や童話は何回読んでも次から次へと頭の中では毎回違った続きが思い浮かんで楽しくて、ボロボロになった本を抱えては両親に本をねだったのはよく覚えている。だけど読書感想文というものがどうにも私の感性では理解することが難しかった。こんなことがあった。あれは小学校三年生の夏休みに入る前のことだ。宿題で読書感想文なるものが出された。

 どういうものかわからなくて、先生に聞いたら「好きな本を読んで思ったことを書いてきてください。凛ちゃんが思った通りに書いていいのよ」と言われ、これは私に向いている宿題だと喜んだことを覚えている。算数や国語といった普通の教科は得意でも不得意でもなくていわゆる普通。運動はどちらかというと苦手だけど別に逆上がりが出来ないとか走るとビリという運動音痴では決してなかった。性格も明るく友達もたくさんいるというわけではないので、自己評価では中の下と思っていた。だけど読書感想文という武器を手に入れた私はその夏休みがいつもよりキラキラな時間に思えた。一ヶ月の夏休みは読書感想文を中心に回ったのだ。私は喜々として本を読んで、それを見た両親も笑顔でたくさん本を買ってくれた。感想文だってスラスラと書けた。そして夏が終わり学校が始まった。

 みんなが一番苦戦した読書感想文。彼等が口々に「お母さんに手伝ってもらった」「書けなかった」「原稿用紙三枚は大変だった」という中、私は原稿用紙の束を綴じたファイルを自信満々に提出した。先生も「凛さん、こんなに書いたのね。えいらわ」と褒めてくれた。そして放課後私は職員室に呼ばれたのだ。

ねえ凛さん。夏休み頑張ったのは先生認めるわ。みんなよりもたくさん本を読んで偉いと思います。でもこれは読書感想文じゃないの。本を読んで、その続き作るのは感想文じゃないの。感想文はね、感想を書くの。この主人公はここがすごいと思いました。あの人はこうしたらいいと思いました。私はこの本からこういうことを学びました。そういうことを書くの。例えばほら、この本。授業でもやったわよね? この本を書いた人は何を伝えたかったのかしら? 授業で話しましたよね。

先生がもう一度“正しい感想文の書き方”を教えますから、ちゃんとしたのを来週まで提出してきてくださいね。

頭を殴られた気がした。私が一ヶ月没頭していたのは感想文では無かったのだ。

 あとになって月日が経ってから確かにあれは感想文ではないことは理解した。

 だけど本を読んで好きに書いていいと言われて、一生懸命書いたそれを全否定されたような気がしてしばらく本を見るのも苦痛だった。それでもなんの取り柄もない私はこれ以上自分の評価を下げたくなく、頑張って“先生の望む感想文”を書き上げた。規定の三枚目の真ん中ぐらいまで、なんとか筆を進めて書ききったもの。途中も改行や空白でなんとか繋いで出来た、それはショックでボロボロの私を表しているかのようないびつな私の“最初の作品”となった。先生は「よく頑張ったね。偉いわね」っていっぱい褒めてくれたけど、全部どうでも良かった。結局要求されたのは、私が思った世界じゃない。学校教師の常識から外れない無難なものだったのだ。あんなに夏休みをはしゃいでいた自分が馬鹿らしくなった。そうして不貞腐れていたけど、それでもそんな一ヶ月を楽しく過ごせたのは私が生み出した物語とキャラクターたちだ。学校から返ってきた分厚いフィアルを読み直す。

「先生に出したやつより絶対こっちのほうが面白いもん」

 私の味方は私だけだ。この夏をなかったことにしないために、私は二学期が始まってもひまさえあれば、私が思う感想文を書き始めた。最初は自分で読んで満足していたけど、次第に誰かに読んでもらいたいという欲求が生まれてきた。幸い両親は学校の石頭教師とは違い私の感想文を褒めてくれた。それも日常の一コマになり、家族だし何より私は子供なのだから褒めてくれるのは当たり前だ、などと思うようになってしまった。今思えばなんてひねくれた子供なのだろう。年末頃に私は仲の良かった数少ない友達に初めて見せたのだ。見せるか見せないかすごく迷ったことを覚えている。もしまた先生みたいに「凛ちゃんの感想文。ヘン」と言われるのが怖かったのだ。ただ私はどうしても両親以外からの感想が欲しかった原稿用紙を渡して紙がめくれる音だけの空間で、うつむき友人の感想を待った。読了まで五分程度。ものすごく長く感じた。もしこれで友達が私を変人だと思ってしまったら、私はこの先どうしたらいいんだろう。勉強も得意じゃない。運動は苦手。性格も明るくない。得意だと思っていた感想文はただの妄想。そんな私に残された最後の砦。

「凛ちゃん……」

 聞くのが、顔を上げるのが怖い。原稿用紙がまとめられ私に返される。受け取り顔をゆっくり上げた。私が生きてきた中で一番怖い瞬間は今となってもあの時だ。

「面白いよ!」

「…………本当に?」

「うん! えっと、ただ感想文じゃない……とは思うけど、でもそんなの関係ない。凛ちゃんの書いたお話すごく面白い! 私もこの本は夏休みに読んだけど、こんな楽しいこと思いつかなかった。凛ちゃんってすごい小説書くんだね!」

「……小説?」

「うん。こういう文字のお話って小説っていうんだよ凛ちゃんって大人だね。子供は絵本を読んで、大人は小説を読むんだよ。凛ちゃんは子供なのに小説を書いちゃうなんてすごいんだよ!」

「そ、そうかな」

「そうだよ!」

「でもね、先生に、これは感想文じゃありませんって怒られちゃった」

「そうだったんだ。うーん。確かに感想文とは違うよね」

「だよね……」

「元気だしてよ。感想文なんてみんなが宿題で書いたじゃん。でも小説を書いたのはクラスで凛ちゃんだけだったんでしょ。それってすごいよ! 他の子も私にも絶対できない凛ちゃんだけの必殺技なんだから」

「ひっさつ、わざ?」

「うん。私、愛依ちゃんの小説もっと読みたいな。先生に出したやつあるんでしょ? 読ませてよ!」

「……うん!」

 小説は私の必殺技。なにもない、地味な私が勘違いで身につけた一本の大剣。

 嫌なことがあっても落ち込んでも本を読んで物語を書けば私は救われた。だから物語を書くことは私が生きるために必要な私の証明書。私が私を照らすために毎日書いて、書いて、書いて原稿用紙と鉛筆を無数にすり減らして書き続けて。そうして理解したことは、私のような人間が無数にいるという事実。

 だけど少しも怯まなかった。だって本屋に並んでいる本の数だけ、全てを賭けた人たちがいるということだから。私みたいな変人がこの本の数だけいるんだと安心すらした。そして思った。プロになってやる。そして私もこの中の一冊になりたいと。ここはまだ通過点でしかない。


「必殺技が聞いて呆れるわ。未だ私の筆は誰にも届いてなかった。今だってミツルギ刄には組んでもらってるに過ぎない。あの人がこのコンテストに出たのはあさの玲二と直接戦うことが出来るからネットで見てる人たちだって発掘コンテストで一位を取ったちょっと書ける素人ぐらいにしか思っていない。それは事実。でも……」

 私は残りを一気に書き上げる。発掘コンテストで書いた『S.T.A.C・Guardian』の外伝『Outsider』が今回私が提出したプロットだ。超科学学園都市できらびやかに活躍する主人公たちガーディアンを描いた作品が『S.T.A.C・Guardian』

対してその学園に適応出来なかったり、なにかを諦めてしまったいわゆる“のけ者”たちの物語。皆から忘れられたり、注目されずに生涯を終わる人たちの物語。

 だけど私は一本の大剣でその存在を知らしめる。『Outsider』という私の小説で、ミツルギ刄とあさの玲二、明日見愛依を振り向かせてやるんだ! 私の投稿はこれでおしまい。次にミツルギ刄が投稿すれば『Outsider』は完成する。転スラ外伝もまだ残っている。だけど私の最初の大舞台はここが最後。自分の最後のターンを投稿するためにマウスをクリックする。

「届け!」


10月20日Twitterアンケート集計結果

『コネクト』614票

『ダークエルフ総集編』2,900票

『Outsider』1,110票

『転スラ外伝』2,748票


 ○明日見愛依


 子供の頃、両親が共働きで忙しくていつも「愛依、寂しくない?」と言ってくれた。だけど私は二人が私のために一生懸命だと知っていたから「大丈夫」って答えてきた。でも本当は寂しくて人形遊びや漫画を読んでも満たされなくて。だから兄弟のいる友だちが羨ましかった。そうしていつしか頭の中に友達を作って紙に書くようになった。一人、二人と私の友達はどんどん増えていって、やがてお話を書くことが大好きになった。書くのも読むのも大好きになって寂しさを克服したんだ。私の書くきっかけはそんな誰にでもある、ありきたりな寂しさからだった。


『あの……私、玲二先生のファンなんです! 玲二先生にお会いすることは出来ないでしょうか!』


 今思えばあの頃は覚悟なんてかけらも無かったんだと思う。たまたま玲二先生と同じ出版社の賞に引っかかった私は舞い上がっていたんだろう。それでも私の作品を少しでも認めてくれた安西さんは、こうして私と玲二先生を会わせてくれた。

 もちろんその時は私なりに本気だった。でも大事なことに気づくのはいつも失った後だ。結局の所玲二先生と一緒に小説を書いたり、二筆先生と一緒にごはんを食べたりそうして自分の周りが小説だらけになったことで、今の自分はこれでいい、大丈夫なんだとそう思うようになってしまったんだ。小説が大好きという人で集まった空間は楽しかった。だから油断から生まれた居心地のいい空気が知らぬ間に私の周りを侵食し始め足を引っ張っていた。それに気づかず「私頑張ってるし作家先生もいるから大丈夫」なんて心のどこかで思っていたに違いない。その結果、読み切りコンテストで落ちて「ああ、やっぱり私に足りなかったのは覚悟だったんだ」そう痛感した。玲二先生も二筆先生も凛ちゃんも持ってるものをすべてかけて、その身一つで戦う覚悟があるのに、私はただのお客さんだった。それでも今こうして玲二先生の横で書くことが出来ているのは、私にそれを気づかせてくれたすべての人たちと『コネクト』があったから。立ち上がって今度はあの人達に恥じない姿を見せたい。私の考えた最高の物語を見せてやりたい。だから私は今立っている。

「きっついなぁ……書くのがこんなに大変だなんて、初めて。でも……!」

 今が最高に楽しい! だから玲二先生と出会うことができたラッキーに縋るのではなく確かなものにしていきたい。そして私にも面白い話が書けると証明する!

「ここまで来たよ。太陽、朱音、叶人……。玲二先生」

 レシーブされたボールは、今の私に出来る最高のトスで大きく上がる。物語を読む全ての人の注目を浴びるほど高く、高く。そしてボールの上がる先に最後を託す。私がヘコんで逃げ出したあの日から目も合わせず、声も聞かず。それでも信じて相手コートへ打ち込み続けてくれた信頼できる最強のアタッカー。私が言うのは痴がましいのは百も承知。それでも今は言い。玲二先生は最高のライバルで相棒だって。

「決めちゃってください!」

 私は『コネクト』では最後になる投稿ボタンをクリックすると、モニタに向かって拳を突き出していた。


10月23日Twitterアンケート集計結果

『コネクト』2,001票 。完結

『ダークエルフ総集編』4,400票

『Outsider』2,100票

『転スラ外伝』3,001票


 ◆稲妻文庫作家連弾コンテスト合同スレ1


『イチ、スレ立て乙』

『概要書く?』

『今更いらんだろうけどTwitterで盛り上がってるからこれから来る新参のためにもちょろっとだけなら必要』

『了解。軽く書くわ』

 ここは稲妻文庫作家連弾コンテスト本スレです。あさの玲二&明日見愛依『コネクト』『ダークエルフ総集編』

 ミツルギ刄と五百雀凛『Outsider』『転スラ外伝』の合計四作が投稿されています。ルールは作家が交互に投稿して一つの作品を掻き上げる形式です。現在Twitterで人気投票が行われています。コンテスト終了日は10月30日。みんなでコンテストを盛り上げよう! 10月23日時点Twitterアンケート集計結果

『コネクト』2,001票 。完結。

『ダークエルフ総集編』4,400票。継続中。

『Outsider』2,100票。完結。

『転スラ外伝』3,001票。継続中。

『こんな感じでいいか?』

『まあ良いっしょ』

『よろしく。あさのファンもミツルギファンも仲良くやろうな』

『しかし本当にアツくなってきたな』

『最初は愛依ちゃんと凛ちゃんのプロットで二本だけだった作品が、まさか大御所二人の飛び入りだもんなあ』

『そしてさっきの愛依ちゃんの投稿でついにコネクトとOutsiderの二作品が完結』

『コネクトとOutsiderの票数が現時点でほぼ同じか。ぶっちゃけ最初はミツルギ陣営の方が圧倒的に面白い作品を書くと思ってたけど、コネクトが上手く化けた』

『それな。これは俺の感想だからミツルギ先生たちのファンを煽るとかじゃないのでそこだけは気分を害さずに聞いてほしんだけど』

『言いたいことを言ってくれ。俺たちもそっち視点の感想を聞いてみたいから』

『サンクス。それでコネクトなんだけど最初は愛依ちゃんが大人しいスタートだったからやっぱりミツルギ陣営のガチガチの学園能力モノとは勝負にならないかなって思ってた。でも女子マネの動きが変わって、太陽と朱音がぶつかり合うようになってから相乗効果っていうか……うまくいえないんだけどこう……』

『掛け算的な?』

『それ! コネクトは途中から掛け算で加速していった感じ。Outsiderは最初から安定してたから面白さを足し算していった感じ。その分掛け算してたコネクトの後半の追い上げはかっこ良かった』

『学園能力モノに負けないぐらいのアツさがあったよな。あの熱量でコネクトを完結させてなお、ダークエルフについて行ってるんだから愛依ちゃんも十分すごいよ』

『Outsiderについてはどうよ?』

『これはあさの先生ファンが言ったように足し算の繰り返しって感じはした。いや、面白いんだけど、やっぱりミツルギ刄が凄すぎるっていうか、ここまで完成度の高いお話の中で凛ちゃんを指導するような書き方をしてる気がする。凛ちゃんの足りない部分を補って、さらに次のターンで強みを引き出しやすくしてる感じ』

『将棋の指導対局みたいな?』

『そうだね。その分転スラ外伝はやりたい放題だなw』

『それなw 明らかに二人の投稿分量に差がありすぎるw』

『それはダークエルフ総集編も一緒だけどな』

『もともと予定になかったしプロ作家の思いつきだもん。ついていくので精一杯なんだろうからそこは大目に見ないと』

『だな。とにかく愛依ちゃんも凛ちゃんも無事にコネクトとOutsiderを完結させておめでとうを言いたい』

『ホント。プロでもない二人が俺らみたいな野次馬に囲まれながら頑張ったと思う』

『そり! 最初は受賞もしてない素人作家気取りが何出てきちゃってんの? 稲妻さんついにネタ切れですか? なんて思ってたけどやっぱり面白ければなんでもいいや。バチクソ盛り上がってるから俺的にはオッケーだわ。もっと高まりたい』

『残りは二作品』

『ダークエルフ総集編も転スラ外伝も半分以上は来てると思う』

『あさの先生のイレギュラーから数日なのに折り返してるのは普通にやべーわ』

『愛依ちゃんと凛ちゃんの投稿も面白いけど分量的にはもはやあさの先生とミツルギ先生が休憩するための交代って感じすらあるな』

『だけどそれをこなしているのも凄いっしょ。コネクトとOutsiderを書きながら成長したんだよ』

『戦いの中で成長するなんてマジで少年誌を地で行ってるな』

『稲妻文庫が好きそうなヤツ!』

『正直この熱が冷めないままダークエルフの六巻を出して欲しい』

『わかる。俺たちが読みたかったやつはこの感じなんだよ』

『でもどうだろうね。この投稿はあさの先生が勝手にやって俺たちがネットで騒いだから許されたようなものだと思うし』

『だとしても! やっぱり今の玲二先生で書いて欲しい』

『自分も。正直俺は三巻ぐらいから読むのやめちゃって。でも今回の騒動見たらまた読みたくなってきた。明日五巻まで買ってこようかな』

『騒動w まぁちょっとは大人しい文章になってるけどダークエルフはいいぞ!』

『逆にミツルギ刄のオススメある? 多すぎてワケワカメw』

『確かに多すぎるよな。だったら一巻完結の作品がいくつかあるから教えてやるよ。たまにハズレもあるけどなw』

『え!? ミツルギ先生の本でもハズレあるんだ』

『そりゃな』

『良かった。あの人も人間だったw』

『ミツルギ刄は人間だったってパワーワードやなw』

『残りの作品も人間離れした速筆で面白いのを期待したい!』

『愛依ちゃん、凛ちゃん。お疲れ様!』

『あさの先生、ミツルギ先生! 頑張れ!』


 ○ミツルギ刄


 自惚れでもなんでもなく、我には面白い話を書く才能があると信じていた。

 子供の頃は男子向けの漫画雑誌を読んでいてよく「女なのに何読んでるんだよ!」と馬鹿にされたが。だがそんなつまらないことを言う連中より、漫画の方が百倍面白く、我の書く物語の方が千倍楽しかった。話の会う女友達もできず、孤立するとやることがなく、物語に没頭する私はやがて自分の頭に出来上がった物語を書き出すことが全てになった。ネットに投稿するとすぐに数多の反応があって、その時の我は「小説を書くことなどちょろいな」などと思っていた。実際それからすぐにデビューも出来てしまい、さすがにプロにもなるとネット上で見かけるような粗悪品はないだろう。だから気を引き締めねば、と思ったがすぐに現実を見ることになる。

 プロと呼ばれる連中でさえこの程度のものしか書けないのかと。どこぞで見たことのあるような長文タイトルモノやハーレムモノ。我が投稿していたサイトであれば一日に何十本と新作が出るような模倣品を書く連中ばかりが受賞していた。

 他人から言わせれば「お前もそうなのではないか」と言われることもあった。

 だが我の中ではそのような模倣品とは差別化出来ていたと思うし、何より結果が物語っていた。

 時を同じくしてデビューした連中のほとんどが人気不振に陥ったり、続刊が出ぬまま消えていった。だがあさの玲二だけは違った。初めて『ダークエルフ珍道中』を読んだ時、我は幸運だと思った。似通った作品が横行する中でやつの作品だけは異彩を放っていた。厳密に言ってしまえば、やつのそれも二十年前の作風であり、時代が時代なら模倣品だったのだろう。だが、やつは懐かしさを残しつつも、今の読者が受け入れやすい世界観と設定を作り出していたし、何より我がやつを気に入ったのはそれを計算ではなく、センスでやっているということだった。志の低い作家連中とは最初から違っていた。一巻を読んでわかったことは、やはりあさの玲二も我と同様に、ただただ自分の面白いを小説へ変換している変人だということだ

 自分には書けない面白さを持っているただ一人の天才と同時期にデビューでき、倖だと思った。だがやつの作風は変わってしまった。二巻を読んで編集のテコ入れがあったのだと察しはついた。結局のところ飽和したラノベは替えのきく部品のようなもの。その分アニメ化や他のメディアミックスがしやすい時代とも言える。つまるところ他人に説明する時に「あ~○○系」と言えば伝わりやすい。つまり編集部としてもそういう作品の方が色々と仕事がしやすいのだ。あさの玲二の『ダークエルフ珍道中』の一巻は確かに面白かった。だが尖りすぎていて今後も面白さを維持できるのか。そしてわかりやすくメディアミックス出来るのか。そういう大人の事情によって角は取れて丸くなってしまったのだ。私から言わせれば生ける屍同然だった。あさの玲二の熱なんて二巻以降は微塵も感じられなかったのだから。

 それでも一巻で得たネームバリューと、天才という触れ込みでデビューしたわけで、今では案山子となってしまっていたが相変わらず頭の悪い烏はそこに群がっていた。事実二巻以降はダメではあるが、他のラノベ程度のクオリティは保てている。逆説的にいえば、それでも普通のラノベ程度はではあるのだから、あさの玲二は凄いというやつもいるが、そんな相対的な普通などもはや偽のブランド品だ。それゆえ我は失望するとともに、また子供の時に友を失う気持ちをここに来て思い出してしまった。結局他人に期待するのは愚かなことなのだろう。あさの玲二も運が悪かったと言えば悪かったし、我もそうなのだろう。だったら何も考えるな。我は我の道を進むのみ。あさの玲二の一巻ほど尖っていなかった我は、幸いにも好き放題に書くことが許されていた。ジャンルでいえば今のラノベと合致するものも多かったためだろう。

 しかし本気のあさの玲二不在のラノベ界など、退屈で仕方がなかった。我が一冊書けば、皆から称賛され、売上も他のラノベを突き放す。

誰かが年末のパーティーで我に言った。「ミツルギ先生は凄いですね。いつでも皆の先を走っていて」

 作家が言ったのか、編集が言ったのか。そんな瑣末事は覚えていないが、その時思ったことは、これが先を走っているように見えるのか? 必死にあさの玲二を追いかけているというのに。だが、きっと誰にもそうは見えないのだろう。

 売上やあらゆるラノベ関係の賞で常に上位にいる我の声など全て謙遜と取られて終わるのだ。結局、現状のラノベ業界で我が小説を書くということはそういうことなのだ。そんな時は変な小説を書いて周りを混乱させもした。まるでかまって欲しい子供が親の嫌がるタイミングでなにかするように。その時の我は子供よりたちが悪かっただろう。なにせあさの玲二に注目して欲しいがために本を出しているのだから。もちろんファンからは「またミツルギ刄の悪い癖が出た」と言われるのだが、そんなこと気にしていられなかった。とにかく我はあさの玲二に気づいてほしかったのだ。我と対等に渡り合えるのは貴様だけなんだと。気づいて欲しかった。

 だがその時のやつは、編集が作った鳥かごの中。書くとはもっと自由なことではなかったのか? それともそれは我のわがままでしかなかったのか。だとしたらもうここは我が書く場所ではない。そう思っていた時だった。そんな時、編集から連弾コンテストの話が舞い込んできた。乗り気ではなかったが、あさの玲二も出ると聞いてこれは最後のチャンスかもしれないと思った。我の小説(力)でもう一度振り向かせる。再び何に憚ることもなくダークエルフを書いて欲しい。

 そしてついにやつは迷いを断ち切り、総集編という形でダークエルフを投稿した。

 ただそれは、予定にないイレギュラーだったから、編集部に削除されてしまうことが容易に予想できた。だから我はネットであさの玲二のファンを装い盛り上げた。ラノベファンたちがこのイレギュラーを歓迎しているかのような雰囲気を作り上げ、削除でもしようものなら、稲妻文庫の評判が落ちるレベルまで周りを巻き込み、作品よりも熱心に掲示板へと書き込みを続けた。その目論見は成功し、そこですかさず我も転スラ外伝を投入。ようやく本気のあさの玲二と再開したと感極まった。

 だが、やつが再び筆を取った理由は我ではなく、明日見愛依にあったようだ。

 彼等の間になにがあったかなど預かり知らぬことではあるが、結局のところ、今のあさの玲二も我を見ていた訳ではなかったのだ。初めて嫉妬が芽生えた。

 デビューしてからずっと我はやつを見てきたのに、アマチュアの賞で二位を取った程度のやつが突然やつの隣に立っている。どうやら我は、アマチュアの小娘にさえ負けてしまったようだ。そう思うと嫉妬は怒りへ変貌していく。

 我がデビューしてから今までどんな感情で書いてきたのかを二人へ叩きつけないと気がすまない。そしてあさの玲二の隣に立って戦っていけるのはラノベ界ではただ一人、ミツルギ刄だということを、全ての者たちへ知らしめたい。

「我は諦めない。貴様と戦うことを……! 振り向くまで、気づくまで! 地の果てまでだって追いかけてやるぞ! この一作は……その一つに過ぎないことと身を以て知るがいい!!」

 我はこのコンテストで最後となる投稿ボタンをクリックする。

「狂宴となれ!」


10月27日Twitterアンケート集計結果

『コネクト』3,211票。完結。

『ダークエルフ総集編』8,567票。継続中。

『Outsider』4,304票。完結。

『転スラ外伝』14,555票。完結。


 ◆稲妻文庫作家連弾コンテスト合同スレ4


『おおおおおおおお! ついにミツルギ陣営は全ての作品の投稿が完了したぞ!』

『ミツルギ先生と凛ちゃん、マジお疲れ様!』

『ってか転スラの票数一気に伸びすぎでしょw』

『さすがミツルギ刄の作品だな』

『や、凛ちゃんも書いてたじゃん?』

『そうだけどぶっちゃけるとダークエルフと転スラは連弾だけど連弾じゃないと思う』

『それな。ダブルスの試合で一対一で対決してるようなもんだな』

『ミツルギ陣営は二作完結。残り三日であさの先生がどう締めくくってくるか』

『や、ラノベの企画物でこんなに熱いことになるなんて』

『とりあえず色々展開とか予想しようぜ』

『ただ待ってるよりも楽しいし、結果がどうなるかみんなの意見も聞いてみたい』

『俺はダークエルフ総集編が一番票を集めると思う。最近のラノベと比べても面白いし、このまま本にして欲しい。そしてその流れで六巻発売したらマジ神』

『その流れは確かにいいね。今のあさの先生なら行ける気がする』

『投稿量も半端ないし速度も早い。ちょっと神がかってる』

『確かにあさの先生も凄いけど、やっぱ転スラじゃない? 23日時点で3,000票だったのに今日でその五倍近いわけだし。残り三日でもっと伸びると思う』

『ってかマジでこのコンテストって勝者になんもないの? これだけ盛り上がってるのに寂しくね?』

『絶対あったほうがいい。ハワイ旅行とか』

『それって作家喜ぶの?』

『ハワイでも原稿書いてそう』

『ミツルギ先生ならやりそう』

『勝った方は書籍化とか。ベタだけど』

『めっちゃベタだけど、書籍化なら両方出して欲しい』

『うん。この投稿を元にちゃんと長編にして一冊の本にして欲しい』

『言うのは簡単だよなwww』

『ダークエルフ総集編をちゃんと書くと十冊ぐらいになるんじゃ』

『wwwwwwwww』

『五巻までしか出てないのに総集編で倍ってw計算できないの?w』

『冗談に決まってるだろ。でも今の総集編の熱量からはそれぐらいの分量を想像してしまうなあ。かなり満足感あるし』

『だな。原作にない部分の表記やアレンジも結構あるし』

『泣いても笑っても次で最後だな』

『最後の投稿いつだろう』

『張り付いてでも待ってようぜ!』


 ○あさの玲二


 最終日夜七時。原稿も終盤に差し掛かかってきた。展開も決まってるし、愛依ちゃんもよく付き合ってくれたなと思う。今考えれば本当にむちゃくちゃな連弾コンテストだった。あれだけ愛依ちゃんのプロットを強くしたのに、結局最後は「自分も書きたい」ってなって出しちゃったし、愛依ちゃんにも悪いことしちゃったよな。負担も増やしちゃったし。俺でも疲れたから彼女はだいぶ大変だっただろう。

「そんなに深刻になるなよ。女は強いんだぜ」

 二筆は言う。

「そういうものなのか」

「そういうものなんだよ」

「なあ二筆」

「んー」

「ちゃんと聞いてほしんだけど」

「今ちょっと手が話せないから適当に話してろ。ちゃんと聞いててやっからよ」

「俺、随分遠回りしちゃったなって思って。デビューして一巻を出してからここまで来るのに二年はかかってる。でも本当に楽しいって思って書けたのは一巻だけ。あとは知っての通りチキった俺が無難に積み上げてきた停滞し時間の産物だった」

「そうかもな」

「こういうことって本当は言いたくないんだけど」

「編集の言いなりになって書かないといけなくなったって話か?」

「そう。でもちょっと違う。本当にこっからの話は誰にも話したことがないし、もし二筆が聞いたら怒って鍋の油をぶち撒けて来そうだ」

「んなことしねーよ」

「かっこ悪くて言いたくない、でも多分これはけじめっていうか、愛依ちゃんが本当の俺を呼び戻してくれて、だからこそ最後を書く前に嫌な自分と決別したい」

「そういうとこ女々しいよな。別に怒らないし油もかけないし愛依ちゃんにも言わねーよ。こういう時のお前ってほんとめんどくせぇな」

「ありがと」

 今は二筆の背中しか見えないけど、それでもこれを言わないと本当に前に進むことが出来ないと思った。

「俺さ、二巻から編集の指針で書くようになっただろ。最初はなんで? って思った。だってどう考えても俺の思ったとおりに書くほうが面白いって分かってたから。

 だけど大人の事情を考慮して欲しいって言われて思ったよ。ああ、この世界に必要なのは俺の独創性じゃないって。必要なのは、汎用性のある商品だって。

 だから一番頭にきた瞬間なんて書くのやめてやる! って言ってやろうかって思った」

「油ぶちまけるよりやべーな」

「そのぐらい苛ついて呆れたんだよ。でももっと悪いことに、俺はその環境に馴染んじまった。

 二巻から編集言うように書き始めた。最初はすげー苦痛だったよ。書きたいアイディアがどんどん湧いてくるのに、それをセーブしてどこにでもあるような展開、オチにしないといけなかった。最初はそういう意味で自分との戦いだったよ。でもさ、慣れるんだよ。それでやがて居心地がよくなる。人って怖いなって。自分の中で折り合いを付けて苦労した二巻がそこそこ売れたんだ。そりゃネットでは一巻みたいに尖ってる方が良かったって言ってくれるファンの人もいたけど、別に俺の作品に興味もない人たちにはそのぐらい薄めてちょうど良かったんだ。それで俺、ちょっと冷静になったんだよね。

 好き勝手書いた方が面白いけど、編集の言うとおりに書けば新規の人にも読んでもらえて売上が増える。そう思った。でも実際そんなことは無かった。売上はどんどん落ちてるんだし。考えれば分かることだった。新規のファンも一巻を読んでから戻ってくれば、その差に愕然として離れていく。その連続に疲れたのかも知れないな。だから俺は考えるのをやめてただただ作業のように書いたよ。そして今の俺が出来上がった。どこにでもいる替えのきく作家にさ。そうやって本をつくっていくのは本当に作業でつまらなかった。でも逆に不安は減ったんだよな。

 一人で書いているわけじゃないから何かあっても編集に相談できるし、安定して売れるんだもん。悩む時間も減るから他の好きなことに時間も回せる。なんだか働き方改革だなーってちょっと思った。でもさ、またある時気がついたんだ。そんなの違うじゃん。小説書くことが好きで小説家になったのに、それをセーブして他の好きなことをやるってちょっと意味わかんねーじゃん、って」

「全くだな。だってお前、今はサラリーマンみたいだもん」

「なったことないじゃん」

「ないよ。でも二筆だってOLは無理だろ?」

「100回生まれ変わっても無理だね。浴衣以外着るなんて常軌を逸している」

「それで思い出したんだよ。こんなことやってる場合じゃねえって。帰らないと、って。でもそれって簡単じゃなかった。

 頭では解っていても、人間の体って楽を覚えるとそこから抜け出せなくなっちゃうんだ。毎日戻らなきゃ。帰らなきゃって思ってたけど、大人たちが敷いたレールは思いの他強固で、俺だけの力じゃ錆びついた分岐器のレバーは動かなかったよ」

「そこに愛依ちゃんがやってきたと」

「安西さんは直接俺に二巻以降の指示をした人じゃないけど、それでも同じ編集者として自由に書かせられないことに引け目を感じていたんだなって、あの日、安西さんは愛依ちゃんを俺に紹介する時に、二人に切磋琢磨して欲しいって言ってきたんだ。しっかり愛依ちゃんを見て欲しい。デビューした時の気持ち、どんな思いで小説を書いていたかを。そうすればそれが俺の復活の糸口になるとまで言ってくれた。……でも結果は二筆も知っての通りだ」

「そりゃ一巻を書いた時のお前だったら、好きを貫け! って教え方をしていたかも知れないけど、まだプロでもない、覚悟の出来ていない女の子に自分の信じた道を行けって言えるやつなんてそうそういないと思う。だから今になって思えばあれはあれでしょうがなかったって思うし、最初から正解を示し続けるのもいいとはあたしは思わない」

「そっか」

「そうさ。それによく考えてみろよ。もしあそこの読み切りコンテストで愛依ちゃんの作品が出版されていたら、復活した今のお前は無かったかもしれないんだぜ?」

「……言われてみればそうかもな。結局今俺がこうして吹っ切れてコンテストをめちゃくちゃにしたのって、愛依ちゃんが挫折して立ち上がって、それでも前に進む姿を見せてくれたからなんだよな」

「めちゃくちゃにした自覚はあったのな」

「一応。だって書きたくなっちゃったし」

「お前も相当キケンなやつだな」

「結果としては良かったと思ってる。愛依ちゃんは俺が思ったよりもずっとずっと成長したし、ライバルも出来たみたいだから、これで俺はようやく安西さんに顔向け出来るよ」

「ライバルならお前にもいるだろ?」

「ミツルギ刄?」

「話じゃあいつも相当お前のダークエルフがお気に入りみたいだからな。お前が一巻を出したあたりのSNSやブログ見るとファンかよ! って突っ込みたくなるぐらい感想書いてたぞ」

「ええぇ!? そうだったの」

「前になんかのインタビューで言ってたぞ。

自分は今のラノベ界で間違いなく一番面白い自信がある。それはどんなジャンルを書いてもだ。だがあさの玲二のダークエルフだけは絶対に超えることが出来ないってな」

「褒めすぎでしょ。ミツルギ刄の方が何倍も本出しててアニメ化もあってすげーのに、そんな人がなんで俺ごときを褒めちぎるの?」

「結局その作家にとっての一番の基準が違うんだろ。上手下手より好き嫌いってことなんじゃねーの? だけどミツルギ刄は明らかに今回の二作目で、復活したお前に挑戦してる気がするし、愛依ちゃんもまっすぐに自分の物語と向き合うようになった。五百雀凛だって一人蚊帳の外は嫌だって意地を見せた。あいつらはこのコンテストで吹っ切れて、それぞれの想いを色んなやつにぶつけてる。そして自分がこの中で一番なんだ、俺を、私を見てくれ! って振る舞ってる。書く理由はなんでもいいんだけどさ、やっぱり作家って生き物は、自分の物語を見て欲しい。自分を見てくれっていう承認欲求バカなんじゃないかって思う。だから書いている以上、半端な物は出せない。作品=自分なんだから。あたしはそう思う」

「そうだよな。そんな簡単なこと、どうして忘れてたんだろうな。思えば二巻から先を書いてる時、俺を見てくれなんて全然思ってなかった。売上や人気ばっかり気にしてビクビクしながら毎日ネットを見ていた。それで批判を見つけるとスマホを消して布団に潜る。でもそれは当然だったんだ。自分を魅せる小説で手を抜いていた。読者のみんなは貴重な時間とお金を使って本気で向き合おうとしてくれてたのにな」

「でもその行き違いも今日までだろ?」

「ああ。もう殆ど出来てる。……そして今完成したよ」

「今?」

「ずっと心の中でブレーキをかけていた思いを吐き出すことが出来たから。それには二筆、お前が話を聞いてくれないと無理だった。一人だったらきっと最後の最後でなにかが俺にまた蓋をしたかも知れない。だけどもう、本当に大丈夫だ。自信を持ってこの四人の中で一番面白いのは俺だって言える」

「じゃあ最後にあたしも一つだけ手伝わせてくれ」

 二筆は台所に戻ると夕食の準備をして戻ってきた。

 お盆の上に二人分。ご飯に味噌汁。真ん中の大きなお皿には敷かれたキャベツの上に大きなエビフライが二本乗っていた。いつものように突然やってきて「台所貸せ」と言われた時にはびっくりしたが、料理をしない二筆がまさかここまでやるようになるとは。

「前にも言っただろ? あたしの家では何かある前はエビフライって」

「覚えてるよ。まさか本当に作ってくれるなんて」

「本当は愛依ちゃんが読み切りコンテストで受賞できたら作ろうって思ってたんだけど、そういう雰囲気じゃなくなったし、そっから先もあたしの出番は殆どなさそうだったからさ。自分の原稿も終わってヒマだったから、最近はずっとパチンコと料理ばっかりしてたよ」

「パチンコが余計だな」

「あたしの気分転換には最高なんだよ。本当ならもう百本はそのエビ買えたはずだから今日の晩飯は超高級だぞ?」

「負けてんじゃねーか!」

「いいから、食べてみてくれよ」

「おう。いただきます」

「じゃ、あたしも」

 十数秒間、揚げたてエビフライの衣をサクサク噛む音が部屋に響く。

 愛依ちゃんと離れてから俺の部屋に聞こえてたのはキーボードの音ばかりだったから、たったこれだけの違いなのになぜだか感動すら覚えてしまう。

「……ど、どうだ?」

「うまいよ」

「やった! 実はかなり練習したんだぜ? 料理本買ってその通りに作っても毎回出来が違うんだ。小説書く方がよっぽど簡単だよ」

「お前らしいな」

「今日のメニューさ。あたしが初めて応募原稿出す前の晩に、母親が作ってくれたのと一緒なんだ」

「そうなのか?」

「うちは両親が共働きで、いつも晩飯は買ってくるか、母親が作り置きしたものをレンチンして食べてたんだ。でもあたしが何ヶ月もかかって原稿を書いてたのを見ててくれたんだろうな。その日は仕事から早く帰ってきてくれて作ってくれたっけ。

何食べたい? って聞かれてあたしはエビフライって言ったんだ。なんでエビフライなの? って言われたんだけどよく覚えてなくて。あとから聞いたら、その時あたしは昔行ったレストランで食べたエビフライが美味しかったから、それと同じのを母親に要求したらしい」

「なかなかとんでもないオーダーするな」

「まだ子供だったからな。で結局その時の原稿は落ちた。さすがにショックだったけど母親も一緒に泣いてくれてさ。そしたら、今度はお母さんももっと美味しいエビフライ作るから、舞ちゃんもまた頑張ろう……ってさ。だからあたしは頑張った。

 別にエビフライが目的じゃない。こんな悔しい思いはもうしたくないって思ったから。そっから何回か落ちる度に、母親のエビフライだけがどんどん美味しくなっていって、それもちょっと悔しかったな。自分だけ置いていかれている気がして。

 でもようやく受賞した時は本当に嬉しかったよ。……ってなんだよ」

「……お前、舞ちゃんって……舞っていうのか」

「……………………そうだよ。悪いかよ」

 しまったやっちまったという顔をしている。コアなファンですら知らない情報をゲットしてしまったがこの状況は内心複雑だ。

「舞ちゃん」

「やめろ」

「舞ちゃん」

「やめろって! 舞ちゃんって呼ばれるのあまり好きじゃないんだよ!」

「じゃあなんて呼べば良いんだよ」

「………………舞子が本名なんだよ」

 なんでバラしちゃうかなこいつ。相当気が動転してるな。普段どおり「二筆って呼べよ!」で良いのに、なんで本名。なんだこいつ。ちょっと可愛いぞ。

「舞子ちゃん、エビフライ美味しかったです。舞子ちゃんが一生懸命手作りしてくれたエビフライ、僕嬉しかったな。感動しちゃったな。この想いを作文にしたいな。

 タイトル。舞子ちゃんが作ってくれたエビフライ。二年一組 あさの玲二。

 今日の晩ごはんは舞子ちゃんが作ってくれたエビフライでした。いつもはツンツンしてて料理なんかしないのに、今夜は頑張る僕のために一生懸命エビフラをぉおおおおおおおおおおおおおおおおやめてぇええええええ! 油の入った鍋を頭上に掲げないでぇええええええええええええ! やめ! やめっ! ストップぅううううううううううううううう舞子ちゃんやめてぇええええええええええええええええ!」

「てめぇ今絶対楽しんでやがるだぉぉおおおおおおおおおお!」


 なんとか鍋を収めてもらってから残りのエビフライも美味しく頂く。

 時計を見ると九時になりそうだった。

「っし。じゃあそろそろ帰るかなー」

「二筆。サンキューな」

「あたしはメシ作っただけだよ。それに原稿の時間を二時間も取っちまったんだ」

「でもそれがないとダメだったこともあった。ほんと、まだまだだな」

「それはお前だけじゃないだろ。あたしだって本当は極度の寂しがり屋を隠して強がっているだけかもしれないぞ? みんなあるんだ。弱いところを認めるのが怖くてそれを正当化するための道を必死に探すってことがさ。でもそれってすっごく大変で疲れることなんだよな。だからお前も愛依ちゃんも、自分の弱点と向き合っただけで凄いことだとあたしは思ってる。あとはそれを形にするだけだ。頑張れよ。期待してる。じゃあな。おやすみ」

「おやすみ」

 玄関のドアが閉まる音がすると、部屋は再び自分の空間へと早変わりする。まるでさっさと続きを完成させろと言わんばかりに空気が緊張するのがわかった。

 俺は座ってパソコンを開く。薄ぼんやり光るテキストエディタには、俺が考えた末に封印してきた戦友たちがたくさん映っている。彼等をもう一度輝かせたい。そして自分を完全に取り戻したい。それぞれの戦いをしている中で俺が一番輝きたい。

 軽くなった気持ちはまるで羽が生えたようで、一人で一巻を書いていた時より、もっと遠くへと飛べるような気持ちになった。神になったかのような全能感を身に纏い、最高の戦友たちと共に、三人の中へと舞い降りる。手を振りかざすと、彼らは解き放たれる。人間、人獣、エルフ、ドワーフ、鳥人種……色んな種族の登場人物たちが遠慮なしに駆け回り飛び回った。ゴールテープを切って見守っていた三人も、そのお祭り騒ぎに驚いている。だけど俺の戦友たちは気にしない。今まで溜まっていたなにかを晴らすために走り回って騒ぎまくる。

 俺たちが祭りを盛り上げてやるぜ!

 そう言わんばかりに次から次へと歌え踊れの大はしゃぎ。そして俺は彼等に言う。

みんな! そろそろ帰るぞ!

 不満の声が上がった。

大将、これからでしょ! やっと遊べたのに。あー、まだまだたりねーよ。次もあるんだろうな? 約束しないとまた引きこもるぞ?

「みんな、今までごめん。次からは絶対にもっと楽しいことさせてやる。だから今日は、これで終わりにしよう」

 今度こそ約束できる。俺はもっとみんなと楽しいことが出来る。今日より楽しい世界を作ってそこに連れて行くって。渋々納得するみんなは、大人しくなると俺の元へと戻ってくる。そいつらの誰かが言ったような気がした。


 ありがとう! 次も絶対面白いところに連れて行ってくれ!


 当然だ。それが俺の仕事だから!

 最後のエンターキーを叩いて四作品すべての投稿が終了した。画面にはそれぞれのタイトルが表示される。軽く拳を握りしめると、ノートパソコンの画面に、拳をコツンと突き合わせる。カタンッ、と揺れる。

「俺、もう一度頑張るよ。ありがとう、みんな」


 ◆稲妻文庫作家連弾コンテスト合同スレ13


 ここは稲妻文庫作家連弾コンテスト本スレです。あさの玲二&明日見愛依『コネクト』『ダークエルフ総集編』ミツルギ刄と五百雀凛『Outsider』『転スラ外伝』

 の合計四作が投稿されています。ルールは作家が交互に投稿して一つの作品を掻き上げる形式です。なお10月31日を持ちましてコンテストは終了致しました。

 Twitterの投票締め切りは11月10日まで。結果発表は11月30日。

 みんなで残りの期間も盛り上がろう!


『……終わったな』

『ああ。すごかった』

『凄まじかったな……』

『お前ら語彙力低下しすぎだぞ。アイドルのライブ帰りのファンかよ』

『その例えはわからんが、でも他に感想なんて出てこないだろ』

『感想言うにしても少しこの余韻を味わってからじゃないと無理だ。フランス料理のフルコースを初めて食べ終わった直後に一皿目からの細かいレビューなんて出来ないだろ。それと一緒だ』

『俺はフランス料理のフルコースを食べたことがない』

『とまあ、くだらない言い合いをしているうちにいつものテンションに戻っていくのが俺たちのいいところだよな』

『じゃあ感想合戦を始めててくれ。俺はしばらく傍観してるぜ』

『これだけ感情を揺さぶれる作品が書けるなんて、あさの玲二はやっぱさすがだな』

『あさの玲二の凄さもあるけど、全作品完成して終わっちゃってぽっかり胸に穴が開いたような感覚というのが近いかな』

『燃え尽き症候群か』

『俺らが燃え尽き症候群になってどうするんだよw別に何もしてないだろ』

『祭りの後の静けさ?』

『もうよくわかんねーなw別になにかに例える必要ないだろ』

『それな。俺らに小説家のような素晴らしい言い回しは無理ってもんよ』

『いつもだと、今回の投稿を受けて次の相方はどう出てくる? とか対抗陣営は大変になるね~なんて話をしてたけど今回はする話がない』

『審査基準は不明。Twitterの投票数だけで審査するわけじゃないだろうから、結局俺らが出来るのは好きな作品の感想戦ぐらいだよな』

『実は俺、今回のコンテストに触発されて小説書いてみたわw』

『ちょ、まじかよ』

『うpきぼんぬ』

『や、全然上手くないんだけどダークエルフ番外編を読みながら、その中で自分の好きなキャラだけにフォーカスをあてて書いてみた。恥ずかしいからもうちょっと上手くなったらアップするよ』

『そういうのは早いうちから晒すのが上達の道やで』

『そっか……! じゃああとでここにリンク貼る。お手柔らかにw』

『辛口でいくよ?』

『やめてw』

『作家に触発されて次の作家がこのスレから生まれるかもしれないのか』

『だけど書いてみてわかったんだけどさ、ちょっとの分量書くのも大変なのな。しかも今回はそれを世界中の人に見れる状況だったわけだろ。作家を尊敬したわ』

『人を楽しませるためにここまで真剣になれるって素敵すぎるやん』

『ほんとそれ』

『しかし結果発表まで一ヶ月あるのか。長いな』

『それまでここでグダグダ話すしかないのかね』

『そう言えば現状ってどうなってるんだっけ?』

『あさの先生が投稿した直後だとこんな感じ』

11月1日時点Twitterアンケート集計結果

『コネクト』4,001票。完結

『ダークエルフ総集編』11,678票。完結

『Outsider』5,211票。完結

『転スラ外伝』21,807票。完結

『まぁ直後だから差が開くのは当然だけど明日の朝にはダークエルフもかなり伸びてるんじゃないかな』

『そうね。あとこれまでの集計結果を見た感じだと、両陣営で大きく開くことは無かったから、多分僅差でどちらかの勝ちになる』

『だけどこれってTwitterの票数だけで決まるわけじゃないだろ』

『もちろん。それにしても票数もかなり伸びたよな、最初の頃と比べて』

『それだけラノベ業界的に注目が集まったってことだろ』

『個人的にはスレの伸び方の方が嬉しいかな。こうやって参加してくれる人が増えるとまるでテレビの前で一緒にスポーツ観戦してる気分になれた』

『言い得て妙!』

『だけど明日からここも寂しくなるよな』

『人数はガクンと減るだろうね』

『また保守する日々に戻るのかw』

『最近はそんなことしてなかったからもはや懐かしいw』

『俺はまたあさの先生の板に戻ってるけど、こっちの方は今盛り上がってるな』

『突然のぶっ込みと復活劇で?』

『うん。今こっちは六巻の出来にすげー期待かかってる感じ』

『ミツルギ刄の方は相変わらずだな。人数が膨大だから今回のことも賛否両論』

『そういえばコネクトとOutsiderが終わったあたりから愛依ちゃんと凛ちゃんのスレも出来てるね』

『マジか。知らんかった。どんなこと書いてあるの?』

『連弾コンテストでプロ作家とアツいバトルを繰り広げた期待のアマチュア作家、みたいな感じ。二人共発掘コンテストに受賞する前からネットにも投稿していたみたいで、その辺りの作品のアドレスも貼ってある』

『もし今回のコンテスでが反響良くて、この二人の作品が本になることあればまた盛り上がるね』

『そして来年の賞では受賞してほしい』

『そうだな。そのためになるからならないかわからないけど、彼女たちのスレも応援しようぜ』

『本人たちじゃなくてスレを応援するとかワロタw』

『言葉のあやだよw なんにせよ本当に俺たちも楽しませてもらったよな』

『そうだな。一ヶ月ちょいだったけどここのみんなとはもう昔からの付き合いって感じがするよ』

『このまま終わるの寂しいな』

『お、終電前の彼女か?』

『彼女いたことある?』

『私女だけど?』

『草』

『このスレの役目ももうすぐ終わるけど、お前らとあさの先生たちを応援した日々は忘れないぜ。またどっかであったらよろしくな』

『おう』

『じゃあな』

『次は愛依ちゃんと凛ちゃんが受賞した時の本スレかな?』

『そうなるといいな』

『マジ寂しくなってきた。ちょっとダークエルフと転スラ全巻買ってくる』

『オクタちょろいw』

『いいんだよ。楽しいからw』

『じゃーなー』

『また!』

『おつおつー』

『ノシ』


 ◆五百雀凛とミツルギ刄


「ここ少しの付き合いで我の性格も少なかれ解ってきた頃だと思うから話すが……我は最初、凛には期待をしていなかった。露程にもな」

「はぁ」

 連弾コンテストを終えて話があるからと散歩に付き合うために、河川敷まで出向いてみればいきなりこんなことを言われる始末。だけどそれに限らず一緒に組んで小説を書いている時から意味不明なことを言うのは相変わらずだったので、多分私はこの人のことは一生理解できないだろう。今となっては怒る気力も湧いてこず、呼び出された目的をはっきりさせて、それを聞いたら速攻帰ってやろうと強く決心する。だから私はいつもどおりに聞き側に徹する。これで結構この人はおしゃべりなのだ。

「そもそも我は最初から連弾コンテストなどというつまらぬものには参加したくなかったのだ」

「なぜですか」

 ただ一応呼ばれた側の責任も果たそうと、無難な話題には乗っかろうかなと思い応えを返すと、

「嫌じゃないか」

 やはり返したのは間違いだった。私はしょうがなく話を続ける。

「もう少し具体的にお願いします」

「例えば学校で体育祭をやるからグループを作れと言われて、そこに入るか……ということだ」

「入ったらいいのでは」

「それが我には難しい」

「興味がないんですか?」

「興味のある無しよりまず、我は人の才能に合わせるのが苦手なのだ」

「コミュ障ってことでいいですね?」

「そうだな。コミュ障だ。逆に一人で走る100メートル走なら大得意だ」

「それだけは最初に出会った90秒で理解しました。これ以上理解できることはないと思いますが」

「凛は我と最初にあった時のことは覚えているか?」

「忘れるわけがありません」

「我もだ。あれは稲妻文庫の階段だったな」

「違います」

「むっ? エレベーターだったか?」

「違います」

「おかしい。最初の出会いなんて稲妻文庫しかありえないだろう」

「稲妻文庫はあってますよ。でもどれも違います。連弾コンテストのことで安西さんに呼ばれて打ち合わせ室で初めて会いました」

「なるほど。思い出したぞ」

「本当ですか?」

「いかにも」

「まぁいいです。それでその時私は生まれてこれまでにない驚きと感動を味わいました。あんな変な格好をしているのに、転スラのような素晴らしい作品を書いているんだなって」

「格好と作風は関係ないだろう」

「失言でした。謝ります。……しかしライダースジャケットのような黒い服を羽織って、パンツは左右非対称。その左側は膝上までしかなくて、太ももにレッグスホルダーと拳銃のレプリカって、どう見てもラノベの登場人物か露出狂ですよね」

「あの時はそういう作品を書いていた。ヒロインになりきらないとと思ってな。まあ普段の私服もだいたいあんな感じだ」

「そうですか。それでなんの話でしたっけ?」

「我に聞くな。90秒より前のことは覚えていない」

「思い出しました。最初に出会った時のことです。ミツルギ先生は初めて会った私に『この子と組めばあさの玲二と戦えるのか。だったら不承不承ながら了承しよう』と言ったんです。それを聞いて10秒で貴女が苦手になり、20秒後で私はこの人と組まないと出られないと諦め、60秒後に貴女が孤高だと認識しました」

「1つ目は良く言われる部類に入るが三つ目はなぜそう思う?」

「そうやって自分を貫いてきて今があるんだろうなぁって思ったからです」

「褒め言葉と取ってよいか?」

「不承不承ながらそうですね」

「その不承不承は使い方が少しばかり適切ではないと思う」

「ミツルギ先生から適切という言葉が出てくるなんて感動です」

「心を動かすのが作家の仕事だからの」

 聞き専に回るつもりが、いつの間にか口車に載せられ気がつけば私の方が余計に喋っていた。この人のこういうところ、本当に得意じゃない。

「とにかく私とミツルギ先生の出会いは最悪でした。ルールを満たすための道具としか見ていなかったんですから」

「道具はひどい。だが、概ね当たっているから否定はしない。ただ一つ信じてほしいことがある」

「なんですか。ミツルギ先生の信じては薄っぺらいので」

「我が連弾コンテストに出るには凛ほどの実力が必要だと考えたのは事実だ。他にもプロの作家はいくらでもいる。ただより感性の近い人物となると作風も似ていることが重要で、発想力も必要だ。我の知っている作家の殆どは今や商業作家として売れてはいるが、自分のスタイルを確立してしまっている。それを相手に柔軟に合わせるのは難しいだろう。逆にまだデビューしておらず、全てを自らの糧へと変えれる者であれば、我を理解しついてくることも可能と判断した。子供の物覚えの良さ、適応性の高さを、スポンジが水を吸い込むようにと例えるのと似ている。

「はぁ……その例えを最初に言ってくれるとわかり易いのに」

「どうした。我に褒められて照れているのか?」

「べ、別にそんなことありません」

「あさの玲二と戦う事ができる。そのための手段の一つとして凛、お前を選んだのは否定しない。だが扱いづらく思ったように振るえない大剣よりも、阿吽の呼吸で扱えるナイフの方が勝てると思わないか?」

「それで私はそのナイフとしてはどうだったんです?」

 ここまで褒めてくるのは珍しい。私もどちらかといえば群れを嫌い・人からの称賛を疑ってしまう。でもきっと私は少しは力になれたんだろう。

「ナイフかと思ったら木刀だった」

 私が馬鹿だった。

「あの、ぶん殴っていいですか? 木刀じゃなくグーで」

「暴力は良くない。キーボードを叩く指を怪我してしまうぞ。それに凛は間違いなく才能がある。鞘から上手く抜けぬだけだ。ただの経験不足よ。数をこなすうちに、自らの物語の抜き方がわかってくる。そうして徐々に刃を覗かせ、やがて一本の剣になる」

「木刀じゃなくて鞘付きの剣じゃないですか」

「抜けぬなら木刀と一緒よ。だが凛は我と書く間に鞘付きの剣へと成長した。事実『Outsider』のプロットは傑作だ。作品として触れたいと思ったし、転スラにも良くついてこれた。油断したら我も一撃貰って、痣ぐらいは出来たかもしれない。

 対してダークエルフを書いていた時の明日見愛依は、玲二についていくどころか、セコンドにすらなっていなかった」

「それって相手が無能だからということでは? だったら別に相方は私である必要も、」

「凛以外ならそもそも我は転スラを提示しない。いかなる時も他者を愚弄するな。足元を掬われるぞ」

 その時のミツルギ刄は今までにない、真剣な声で、まるで親が子供に叱る時のような声をあげ、そう言った。ミツルギ刄は時折人を小馬鹿にするようなことを言っているが、それは愚弄でも下に見ているわけでもない。ただ事実を述べているだけなのだ。それがはっきりとわかった今、この人があえて自分を選んでくれたことに喜びと畏怖を感じた。それから彼女はまたいつもの少し的を得ない話し方に戻ると、

「そんなわけで、お主がいたから我は全力のあさの玲二と戦うことが出来た。正直凛や明日見愛依がいなければ、あさの玲二とこうして筆を交えることは、二度と無かったかもしれない。そこに関しては、真、心から礼を言おう。悲願の一つが達成されたよ」

 不意打ちのような謝辞に私は困惑し、

「別に感謝してほしかったわけじゃないです。こっちだってミツルギ先生がいなかったら連弾コンテストに出場することすら出来なかったんですから」

「お、ツンデレというやつか?」

「グーで殴りますよ?」

「冗談だ。それともう一つ礼がある」

「なんですか」

「明日見愛依を焚き付けただろ?」

 おそらく読み切りコンテストのあとの公園での出来事だろう。他言などしないのに、なぜ情報が漏れているのだろう。

「焚き付けた……というかああいう軟弱な態度が嫌いで、そんなヤツが同じコンテストに出るなんて嫌だと思ったから言ったまでです」

「それで明日見愛依が辞退したら大損害だったんだが。結果として、凛が明日見愛依の根性を叩き直したおかげで、あいつらのコネクトは格段に良くなった」

「コネクトが最初に投稿された発掘コンテストと比べれば確かに良くなったとは思います。……だけどそれは私のおかげではないと思います。あそこで私が焚きつけようが何をしようが、同じことだったと思います」

「なぜそう思う?」

「多分、明日見愛依は勝手に立ち上がったと思うから」

「ほほう」

「私にもわかります。立場が一緒だから。せっかくプロ作家と並んで書ける大きなチャンスを前に、辞退なんてしたら、プロへの道は遠ざかるだけです。私達のような物書きは悩む時間は本当に無駄だと思いますから」

「それは我も同意する」

「明日見愛依も同じだと思いました。いや、私がそう思いたかったんです。発掘コンテストで上位に入った者同士、これから競っていければいいと心のどこかで思っていたんです。これまで孤独に書いてきて、だけど同じように孤独と戦い続けてきた人が他にもいる。柄にもないですが、私にはそれが少しだけ嬉しかった。

 だから明日見愛依にも私と同じ景色の見える高さまで登ってきて欲しかった」

「ふん。凛もなかなかどうして熱血漢だな」

「女の子に使う言葉ですか?」

「作家はそうあるべきだと我は思っている。己の内に湧き出た負けたくない、有名になりたい、面白いものを書きたい、注目されたい。そういう本能に近い部分の熱さというものが、実は一番大切なのかもしれないな。我には少し足りない要素だが。連弾コンテストでは柄にもなく我も熱くなってしまったな」

 そんな泥臭いことを口にして受け入れるような人だとは思っていなかったので、私は驚き次の言葉が出なかった。孤独を体現したような人でも、ライバルと切磋琢磨することが面白いと思うんだ。それこそ面白いことだと思った。

「何を素っ頓狂な顔をしている?」

「いえ。先生が素っ頓狂なことを口走ったのでつられてしまいました」

「おかしなことをいうやつだな」

「そうですね。先生に似てきたかもしれません」

「我に似ても仕方がないだろ。凛は凛になれ。その方が絶対に面白い作品が書ける」

「頭の中、本当に小説のことしかないんですね」

「我はそういう生き物だからな。人である前に小説家だ」

 そう言い切った彼女の横顔は、夕日のせいか少しだけかっこよく見えてしまった。

 その瞬間、憧れるという感情を理解したような気がした。ミツルギ刄の作家としての生き様は、どんなに真似ても真似できるものでもない。だけど作風や一緒に書いた短い間で感じることの出来た、この人の雰囲気は、私にとってそうなりたいと思えるものだった。憧れの感情が急激に強まった。そんなことを考えながら数十秒、無言のまま歩いていることに気づく。そして気づけばミツルギ刄ははるか前を歩いていた。私は走って再び彼女の隣を歩く。

「だれも我にはなれん」

「自惚れですか?」

「半分そうだが、半分は純然たる事実だ。我は我。凛は凛だ」

「ミツルギ先生って……先生みたいですね」

「我は先生だぞ」

「学校のです」

 一瞬何を言われたかわからないという表情をしてから、

「我が? 学校の? 先生? ………………はっはっは! それは面白いな。面白すぎるぞ、凛。どうしてそう思った」

「道を示してくれるじゃないですか。まるで進路相談を受けている気分でした」

「作家が進路相談とは傑作だな。なあ凛。お前、将来は何になりたいんだ? 思えば我は、いや、我々はお互いのことを知らなすぎるな」

「先生のことは90秒で理解できないとわかったので、ある意味知りきったとも言えますね」

「思考停止が前向きすぎるな」

「私がなりたいものは作家でした」

「……でした? なんだ。書くのはやめてしまうのか」

「私、ミツルギ先生の作品が大好きです。だからミツルギ先生のような作家になろうって思っていました。でも今日の話を聞いてそれは違うんだなって思いました。だから私は五百雀凛という作家……いえ、五百雀凛になります。私の目標で夢はただ一人の私になることです」

 私はミツルギ刄の前に飛び出して、夕日を背に宣言した。多分私なんかがミツルギ刄の前を歩くことなんて無いのかもしれない。でもこの宣言だけは本物だ。そして目の前の小説星人が教えてくれた。だから真正面から伝えたい。腰に手を当て仁王立ちをしている私に、なんのためらいもなく向かって歩いてくると、まるで小虫を払うように、

「そこは私の歩く道だ」

 と振り払われる。

「負けないです! 私!」

「好きにするといい。私はそろそろ帰りたいんだ」

「呼びつけておいてそれですか?」

「どの道そろそろお別れだろ。――ほら」

 河川敷の道が二つに別れている。このまままっすぐ進むとミツルギ刄の家に向かう。彼女はただ、いつもの散歩コースをいつものように歩いていただけに過ぎないのだ。対して私は左に分岐する下り道。道幅はだんだん狭くなり、舗装された道はいつしか砂利道に変わり、夜になれば街灯の明かりなりでは見えなくなる。そんな向かう先では子どもたちがガヤガヤと騒ぎ立て、砂埃を上げて遊んでいる。歩きづらくてうるさくて暗い道。なんて悪条件で険しいのだろう。ここを通らずして私は家に帰り着くことすら出来ない。だけどどんなにため息をつこうが、文句を言おうが、砂利道は舗装されないし、道幅も変わらない。夜はやってくるし、壊れた街灯を見上げたところで明かりは灯らない。いつもの帰り道すら自分ではどうにもならないことが多すぎる。私は下り道を歩きながらミツルギ刄が歩く道を見上げる。

 平坦だが、一寸の狂いもない道幅に綺麗に舗装されたその道は、まるで彼女にしか歩くことを許されないかのようだ。私もいつかあんな道を気付けるのだろうか。

 ミツルギ刄が見下ろしてくる。

「凛」

「なんですか?」

「暗くなる。気をつけて帰れよ」

 私は負けじと、

「ミツルギ先生も気をつけて。何が出るかわかりませんよ」

「そうだな。ただ生憎ここは退屈な散歩道でな。人とすれ違うことも滅多に無い」

「これからも同じとは限りませんよ」

「そう願う」

 そして私達は再び帰路へと歩を進める。もう互いに顔を合わせない。軽快に歩くミツルギ刄の足音を聞きながら、私は猛ダッシュで走り出した。悪路も喧騒も暗闇も気にならないほどのスピードで。たとえ転ぼうとも、周りに何を言われようとも、時に迷おうとも。私は私の道を行く。この日私に夢が出来た。


 ◆あさの玲二と明日見愛依


「た、ただ今戻りました……」

 ぎぃ……という、遠慮がちに扉を開く音は、実に何ヶ月かぶりだった。

 肩の上でキレイに切りそろえられた黒髪。前髪は眉に掛かる程度。うつむくとちょっと目にかぶるぐらい。そんな彼女を久しぶりに見て、嬉しくはあったものの、どう迎えていいのかわからなかった。こんな時二筆でもいてくれれば便利だなぁと思ったがやつは今用事とか言ってでかけている。多分昨日パチンコのイベントがあるって言ってたからわざわざ負けにでも行ったのかも知れない。

「久しぶり」

 そんな無難な受け答えをすると俺は「上がって」と言い、一直線にリビングを目指す。わずか数秒で着いてしまうその間に話題を絞り出すことは小説を書くより難しい。無理やり「お茶を淹れるね」とできるだけ同席するまでの時間を伸ばしながらお湯を沸かす。この2、3分のうちになんとか話題を考えないといけない。

 久しぶり。何してた? 元気だった? 色々と考えた結果、何一つとして話題を見つけることが出来なかった。だったら着飾ってもしょうがない。俺はお茶を淹れると茶菓子と一緒にテーブルについて、深呼吸してから言葉を発する。

「俺、愛依ちゃんに再開したら色々と話そうって決めてたんだ。発掘コンテストの結果発表の時のこととか、連弾コンテストの結果のこと……色々順番に話そうって考えてたんだけど、愛依ちゃんの顔見たら何から話していいかわからなくて。だけど久しぶり会えてよかった。嬉しいよ。今はそれが一番だ」

 俺は一息にそう言ってから愛依ちゃんの返事を待つ。

「あ、あのっ! たくさん迷惑をかけちゃいました。心配もかけちゃって。本当にすみませんでしたっ!」

 がばっと勢いよく頭をさげる愛依ちゃん。

 だけど謝らないといけないのは俺も同じだ。

「俺も安西さんから愛依ちゃんを預かって色々教えなきゃいけなかったのにそれが出来なかった。俺、愛依ちゃんが来てくれて楽しかったんだ。だから厳しいことを言ったりして、愛依ちゃんにつらい思いをさせてその時間が崩れてしまうのが不安で怖かった。……ほんとうに教える者として失格だったと思う」

「玲二先生……」

「読み切りコンテストの結果がダメだった時、完全に俺のせいだと思った。きちんと戦う心構えも教えないで無難な作品を出すことを優先させてしまって。本当に書きたいもので勝負させないで、周りを窺って及第点を狙おうなんて、そんなのこれからどんどん伸びていく愛依ちゃんにさせることじゃなかったんだ。後から気づいたよ。俺が愛依ちゃんにやってたことは、俺が編集の言いなりになって書いていたのと同じだったんだなって。そんな精神状態にさせてしまって申し訳なかった」

「そんなことないです。いつも私のことを考えてくれてました。ちょっと気を遣いすぎかなーって時はありましたけど」

「うっ……やっぱり」

「で、でも! その気遣いは嬉しかったです。だからそれに甘えてしまったのは私なんです。私はプロと一緒の空間にいることで、ちょっと安心してたんです。この人達に教えてもらってるんだから大丈夫だろうって。本当なら「こんな近くに作家先生がいるんだから負けないように頑張らないと」って思わないといけないのに、なんの根拠も実力もなく「自分は大丈夫だ」って思ってたんです。落ちて当然です。なのに私はその結果を受け入れることが出来ずに逃げ出しました。玲二先生と二筆先生がここまでしてくれたことにお礼も言わず、ただ自分を守るために逃げ出しました。優しくしてもらって楽しく過ごしている時は毎日のように来ていたのに、都合が悪くなると電話にも出ない……」

 気づけば愛依ちゃんは悔し涙を浮かべていたが、それを拭わずに俺を見る。

「だから今度は本当に頑張ろうって思いました」

「でもそれから頑なに会おうとしてくれなかったよね? 何回も電話したのに出なくてさ」

「それは……本当にすみません。やっぱりその、気まずいというか、どうしても恥ずかしくて……」

「まぁ、そうだよね。だからそれからのやり取りは全部メールになったんだ」

「はい……すみません」

「でもホッとしたよ。あのまま連絡もつかなくなってコンテストも出ないなんて言い出したらどうしようかなって思ったからね」

「本当にご迷惑をおかけしました……」

「さっきから謝ってばかりだよ」

「うぅ……すみません」

「ほらまた。色々あったのはお互い様ってことでもう謝るのはやめようよ」

「そうですね。…………でも、負けちゃいました」

 先月の最終日。予定通りに稲妻文庫から作家連弾コンテストの結果が発表された。

締め切り日である11月10日のTwitter投票数は

『コネクト』4,203票

『ダークエルフ総集編』25,680票

『Outsider』5,311票

『転スラ外伝』22,807票

あさの陣営:29,883票

ミツルギ陣営:28,118票

とアンケートでは僅差で俺たちが勝利が、結果としてはミツルギ刄と五百雀凛の作品が優秀賞という編集の判断になった。

 そこは真摯に受け止めないといけない事実だ。正直今日はこの話にもなるだろうと覚悟はしていた。そして再び愛依ちゃんがこの結果に少なからず気持ちが揺さぶられることになってしまったら、俺には一体何が出来るだろうと不安でもあった。

 だけどそれは杞憂に終わった。だって、ここまで清々しく負けを受け入れた愛依ちゃんの表情はとてもスッキリしていたから。そして負けてもこんな表情が出来るのは、愛依ちゃんがあの二作に全力で取り組んだ証だ。票数や当落も大事だけど、愛依ちゃんがその達成感を味わってくれたことが、今回一番の収穫だろう。

「書ききって良かったでしょ?」

「大満足です」

「それが一番だよ。書きたいものを一生懸命書いた達成感を味わってくれたら俺は嬉しいよ。それがあるかで、次に行けるかどうかが決まると思う。長い時間をかけてたった一つの物語を完成させることは大切なんだ。たった一回それがあるかないかで大きく変わる。そしてその気持ちがないと次に向かっていくの難しい。作家ってさ、小説を書くことが好きな人からすると憧れる職業かもしれないけど、やってることは超地味だからさ。だから書き終わった時の達成感を一度は体験しないと、続けていくことは難しいんだよね」

「実際締め切りが目の前にあるとその通りでした」

「だから提出し終わると凄い開放感があるんだ」

「そうですね。今は本当にその気持ちでいっぱいです。締め切りがないっていいですね」

「ホントね。安西さんの前では言えないけど」

 俺たちは笑い合った。

「だけどやっぱり悔しいです。票数では勝ってたのに結果は負け。原因はわかってるんです。私が玲二先生のダークエルフ総集編についていけなかったから。あとから読み返したらわかります。これは二人で書いているように見えて、先生が投稿して、その続きを受け止めるだけの緩衝材にしかなってなかった。ルール上は二人で書かないといけない。だけど実質玲二先生一人だけの作品になってたんです」

 再び愛依ちゃんは頭を下げてきた。

「だったらそれは俺のせいだ。予定通りコネクトだけで勝負していたら勝っていたかも知れない。愛依ちゃんの書きたいって気持ちもしっかり伝わってきたし、物語のテンポもよくて、読みやすかった。コネクトだけだったらもしかしたらあの二人に勝てたからも知れない。俺の方こそごめん」

 俺も頭を下げる。そして続けた。

「でも俺はどうしてもあそこでダークエルフが書きたくなったんだ。コネクトを書きながら迷ってたんだ。愛依ちゃんは吹っ切れて全力で向かってきてくれてるのに俺は何やってるんだろうって。悔しい思いをした子がすぐに立ち上がって次に向かって必死に全力で走っているのに、俺はそんな子のプロットに乗っかって無難に終わらせていいのかって思って。愛依ちゃん、コネクトで朱音を結構好き放題書いた時あったよね?」

「あー……あれは、その……予定とは違ったんです」

「うん」

「普通のまとめ方の方が安全って思いました。だけど、もし私がマネージャーなら? 太陽のことを一番に考えるなら? って思うと、ああなったんです」

「俺はそれで吹っ切れたよ。だからコネクトでは愛依ちゃんに引っ張られる形になったけど、俺もようやく自分の中にある太陽のイメージをぶつけることが出来たんだ。……そしたらさ、ちょっと悔しくなった」

「悔しくですか?」

「愛依ちゃんが自分の楽しいを俺にぶつけてきてるんだから、俺もぶつけたくなって来ちゃってさ」

「その結果が“勝負だ”ですか」

「今思うと恥ずかしい一文だよね」

「でも私、あのメールをもらった時嬉しかったんですよ」

「そうなの?」

「だって私の大好きなあさの玲二先生復活! って感じがしましたから」

「じゃあやっぱり二巻以降は……」

「正直ちょっと大人しいなぁ……とは」

「デスヨネー」

 一瞬気まずい空気が流れたけど、でも愛依ちゃんはそれも笑い飛ばしながら、

「でもあのプロットみたら早く書きたい! 玲二先生の本気に触れてみたいって思って。そしたら自然とコネクトもすごく力が入って」

「コネクトが一段と良くなったのは、そういう要因もあったのか」

「まぁ……それでいざダークエルフを書かせて頂いたら全然ついていけないというか、プロットの通りに進めているはずなのに玲二先生の熱量を引きついで返すことが出来なくて。、頭では動いてるんです。でも文字で伝えるのは難しいんですね」

「そこはプロでも毎回悩むところだからなぁ。とにかく俺は愛依ちゃんに情けない格好を見せたまま引き下がることだけは出来なかったんだ。だから改めて思ったよ。やっぱり作家なら夢を与え続けなきゃって。それを思い出させてくれたのは愛依ちゃんなんだ。本当にありがとう」

 俺は本当に感謝の気持を込めてお礼を口にする。俺はまだ高校生だ。世の中の右も左もわからない。出来ることは物語を紡ぐことだけ。だから周りの全てを教えだと思って謙虚に受け入れないといけない。とにかく今回俺が吹っ切れて初心に戻れたのは愛依ちゃんのおかげだ。

 「安西さんにも感謝だな。あの人が来なかったら愛依ちゃんとも会えていないわけだったし、大人しい本をこの先も書き続けていたかも知れない」

「もう許してくださいよー」

「ごめんごめん。でも本当に出会えてよかったよ、愛依ちゃん。ありがとう」

 彼女と出会ってから本当に色々なことがあった。安西さんが突然連れてきて「弟子にしてあげて」とお願いされたり。それから昨日まで接点の無かった女子中学生が毎日のように俺の仕事場に出入りしたり。そして二筆も引っ越してきて。

 そして一人で書くのが当たり前だと思っていた俺らがなんとなく集まってちょっと変な関係になったりもした。俺は仕事に追われて、愛依ちゃんは五百雀凛の覚悟を知って読み切りコンテストに挑んで。そして二筆は俺のアイスを食べてパチンコに興じていた。失敗したり、停滞したり、そんな空気をなんとか盛り上げようとしたり。色んな物書きが自分の中の物語をちょっとだけ変えることの出来た数ヶ月だったと思う。

「こちらこそ本当にありがとうございました。玲二先生の本気を体験できてよかったです。もし一人で書いてたら全然わからなかったこと、気づかなかったことがたくさんありました。それを全部糧にして、また頑張ってもっと強くなりたいです!」

「愛依ちゃんならきっと出来るよ」

「はい!」

 そんな愛依ちゃんの返事が頼もしすぎて涙が出てきそうだ。

「やっぱり行っちゃうんだよね」

「はい。安西さんに言われました。元々ずっと玲二先生のところに置くというわけじゃなかったし、連弾コンテストも終わってキリがいいからと」

「だよな。デビューもしていない子がプロ作家といつまでも一緒に小説を書くってなったら他の作家志望者から不公平の声も上がるだろうし」

「はい。なので今回はあくまで発掘コンテストの副賞的扱いということらしいです」

「なるほどな。なら納得だな。俺もその副賞に救われたし」

「ということで副賞の期限もここまでです」

「そうだね」

 愛依ちゃんは椅子を引いて立ち上がる。その場所は半年以上前、初めて愛依ちゃんが座っていた場所。何も知らないで、ただ小説を書くことが好きで俺のファンと言ってくれた女の子。最初はちょっと内気で気の弱い女の子に見えたけど、あっという間に成長して、いつのまにか俺を鼓舞するような存在になった彼女の瞳は、初めて出会った時と大きく違う。どちらからともなく玄関に向かい、そして彼女は靴を履くと振り向いた。

「今までお世話になりました」

「こちらこそ」

 だけどそれ以上言葉が出てこない。作家として、作家を目指すものとしてもう語れることは語った。突然ふと思った。俺、小説以外の愛依ちゃんのこと、あまり知らないんだな。あれだけ一緒の時間を過ごして、あれだけ一緒に悩んで、苦しんで、ぶつかって。なのに知っているのは物語に対する愛と情熱だけだ。

「愛依ちゃん」

「なんですか?」

「あー、えっとー……その。俺、愛依ちゃんのこと……小説以外で殆ど知らなかったんだなって今気づいたんだ」

「そうですね。私も玲二先生のこと殆どわからないままでしたね。それじゃあ私の自己紹介は、デビューしたら本のあとがきに書きますね」

 迷いのない笑顔で「デビューする」と言い切った彼女は清々しい表情をしている。

 だけど俺はそれが大きすぎる夢でも、遠い目標でも、ましてや世迷い言だなんて思わない。

 手に取るようにわかるし想像が出来る。

「じゃあ俺も今度からあとがきで自分のことを少しずつ書くよ」

「あとがきで連弾、ですね」

「出来たらいいな」

「出来ますよ。私はまた玲二先生と並んで戦いたい……ううん。今は追い越したいって思っています。だから絶対に同じステージに立ちます。時間はかかるかも知れませんけど、それまで必死にがんばります。受賞して本を出して、あとがきで玲二先生とお話できるように絶対になります。約束します」

 そう宣言すると愛依ちゃんは鞄からスマホを取り出し操作する。俺の眼前に向けられたのは、

「!?」

 電話帳の中の俺の項目。あとワンタップすると削除が完了する画面まで進んでいた。どうして? とは聞けなかった。だけど彼女はすぐに口を開く。その声はほんの少しだけ震えているようにも思えた。

「私、ちゃんと自分一人で向き合います。そこには玲二先生はいません。だけど一緒に頑張ってこれた経験が私にはしっかり残っています。アドレスが残っていると私、甘えちゃいそうだから。すぐ電話したりメールしたり。それでアドバイスなんかもらったら、また大丈夫だって油断しちゃうかも知れません。私、ちゃんと自分で頑張りたいんです。……だからここで一旦……お別れ、です」

 最後の方は声がかすれて今にも泣き出しそうだった。でも、彼女が俺に向けたその手はしっかりとスマホを握り、さっきよりも強く前に押し出されている。その決意を無駄にしたくない。だから俺もスマホを彼女へと向ける。

「愛依ちゃん。俺のも頼む」

「玲二先生……」

「俺も気持ちは一緒だよ。愛依ちゃんと一緒に過ごした日々は糧になった。だからそれをフルに活かした今後の俺の作品を見てほしい。それがプロ作家の仕事だから」

「……はいっ!」

 互いの眼前にスマホの画面が突き出される。ワンタップで二人を繋ぐ糸は完全に消えてしまう。でも後悔はないだろう。新しい世界へ踏み出すために。使命を果たし続けるために。空気が張り詰め、唾を飲む音だけが大きく聞こえた。

 数秒後。

 俺が彼女の携帯に触れた瞬間、俺の手のひらにも小さな衝撃が走った。画面を見る。一つの連絡先が完全に削除されましたと、無機質な一文が表示された。再び俺たちの視線が交わる。

「お別れですね」

 もう彼女は泣いていなかった。出会った時よりほんの少しだけ強くなった表情をみせる。

「うん。お別れだね」

 俺は手を差し出した。すかさず愛依ちゃんも握り返してくる。しっかりと今までの時間を確かめるように。

「また、会いましょう」

「うん。愛依ちゃんが来るまで、絶対に誰にも負けないで待ってるから」

 固く握った手がほどかれると、

「今まで、本当にありがとうございました。あさの玲二先生」

 彼女は深く頭を下げる。そして玄関から出ていった。重たい扉が閉まり、足音が徐々に遠ざかっていく。そうして完全に聞こえなくなると、俺の仕事部屋は久しぶりに一人になったのだ。

「寒いな」

 もう十二月。季節は静かに移り変わっていく。


 ◆あさの玲二


【ダークエルフ珍道中】あさの玲二先生を応援するスレ58【祝6巻】


『スレ立ておつ』

『もうこのスレも58か。連弾コンテストが終わってからちょっとおとなしかったけどすっかり春めいてきたな。あの直後、新刊の発売日が発表されてからまた伸びてきたよな』

『発表あったの年末だっけ?』

『そうそう』

『地方は一日発売日が遅れるからスレを建てるのを一日待ってやったぞ』

『お、都民ファーストか?』

『対戦宜しくお願いします』

『やめいw』

『さて、ダークエルフ珍道中の六巻が発売されたわけだが、さすがに翌日ってこともあるからネタバレ回避な』

『殆どなにも書けないじゃんw』

『まあでもこれだけは書いていいと思う。あ さ の 玲 二 復 活 !』

『それな』

『まだ読んでないけど期待には応えてくれたか!』

『ちょっと連弾コンテストのテンション引きずってたなw』

『だな。もちろんいい意味で』

『どゆこと?』

『ネタバレとまでは言わないが話の緩急に関わるけど聞く?』

『このスレにいるからにはある程度ならおk』

『了解。ちょいちょい書いていくから見たくないやつは自衛よろ』

『うい』

『簡単にいうと、5巻まではコネクトで疑問を持ちながら愛依ちゃんに合わせて書いていた玲二先生で、6巻は愛依ちゃんを置いてけぼりにした玲二先生』

『まあ、そんな感じに仕上がってる。例えるなら二巻から五巻はゴーカートだけど六巻はジェットコースター。なおブレーキは故障している模様』

『最高やん』

『それとあとがきもちょっと変わってた』

『どんな?』

『なんか好きな食べ物のこととか書いてた。エビフライが美味かったとか』

『なんだそれ』

『まあ最近はテンプレ的な謝辞で殆ど埋まってたからそれよりはいいけどね。それと連弾コンテストでは刺激をもらえて良かったとも』

『それには俺たちもありがとうだな。あのコンテストがなかったらあさの先生は六巻でもダラダラ書いていた可能性がある』

『そうね。連弾コンテストはたしかに特殊なイベントだったとは思うけど、やっぱり孤独なイメージが付き纏う作家もライバル意識を持って切磋琢磨しないといけないんだろうな』

『連弾コンテストには、人は一人では生きていけないというメッセージが込められていたわけか』

『ちょっと名言っぽい』

『ちょっとだけなw』

『そういえば愛依ちゃんと凛ちゃんは今年の新人大賞に応募しているのかな』

『どうだろう。あのあと稲妻文庫の情報誌に連弾コンテストの四作品が掲載されて以来、情報は聞かなくなったな』

『結局ミツルギ陣営が勝利したけど両方掲載されるという、いつもの稲妻スタイルだったな。面白かったからいいけど』

『あれだけ書けてれば今後に期待できるよな。愛依ちゃんも凛ちゃんも受賞してくれると嬉しい』

『確かに。ここで終わるのは惜しい。ぜひとも二人にはプロ作家になって欲しい』

『だな。大賞は無理でも他にもたくさん賞はあるから、それこそあさの玲二とミツルギ刄みたいに同時期に受賞してくれれば』

『連弾コンテストでパートナーになった二人が成長してプロになり、今度は同じステージでライバルになる展開熱すぎじゃん』

『もし本当にそうなったら激アツ』

『そのためにも玲二先生にも頑張ってもらわないとな』

『SNS見ても順調そうで、続きのアイディア出してるみたいだし、ひとまず心配はしなくて良さそうだな』

『ようやく俺たちのラノベ生活も穏やかになった』

『いや、ミツルギ先生の本がどんどん積まれていくw』

『あの人読む側のペース考えてないよなw』

『書く方が時間かかるはずなのにどうしてこうなった』

『連弾コンテストが終わってからミツルギ刄もノリノリだね。年末から二冊出してる』

『マシーンかな?』

『ほんと化け物じみてる』

『連弾コンテストを経てもミツルギ刄は相変わらずってことだ』

『あの人にはあのままでいて欲しいな。孤高にして最強の存在』

『やっぱラスボスは必要だからね』

『ところで最近の二筆先生はどうよ』

『こっちも相変わらず。年末に一冊出してる』

『ほう。俺はまだ読んでないな』

『あの人はシリーズ物より一巻完結の作品を書く傾向にあるけど、今回も例にもれず一巻完結』

『いつもだったらよくわからない話書くけど今回は珍しく普通だな』

『そうね』

『ってかいつもよくわからない話を嬉々として読んでる二筆ファンもある意味訓練されてるよな』

『お? 対戦するか?』

『だからそういうのいいからw』

『今回の二筆先生は主人公が女子で料理する話』

『ふつーだな』

『だろ。びっくりした』

『でも面白かった。最初はあまりに普通だったから二筆先生ももしかして編集のテコ入れ……って思ったけどまったくそんなことなかった。いつもどおりフリーダム』

『それでこそ二筆流(にふでりゅう)』

『紛らわしいw』

『連弾コンテストからのあさの玲二復活があったから、編集もそんなに作家に圧をかけることは少なくなるんじゃない?』

『それはなんとも言えないけど、やっぱり才能ある人達にはのびのび書いてほしいよな』

『見てるか編集!w』

『お前らいい加減ここはあさの玲二のスレなんだから』

『そうだったな』

『とにかく六巻も面白かったからこのまま七巻にも期待したい』

『同意』

『それに尽きる』

『俺も六巻買ってこよう』

『買ってこい買ってこい。そして読んだらここで語ろうぜ』

『だな。雑談も増えすぎたし、感想は次スレで』

『なら俺も買いに行こう』

『平野書店?w』

『そうだよ! 明日朝イチで買ってくるわ』

『みんなで感想スレ楽しそうだな』

『じゃあまた明日にでも』

『そうだな』

『おつー』

『一応いつものやっとく?』

『それは必須っしょw』

『通常運転大事よ』

『だな』

『ダークエルフの7巻と二筆先生の新作、どっちが先に出版されると思う?』

『『『二筆先生』』』

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あさの玲二の復活 あお @Thanatos_ao

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