ディア クリエイター

SI.ムロダ

前編

 ふう、アラームを止めてから、もうどれくらい経ったのだろう。僕の場合、目覚めて朝一番に目にするものは、決まってこの天井の壁紙が少し浮き上がってきているところに違いなかった。しばらくの間、こうやって身動きせずにそいつをじっと見つめてやるんだ。


 僕のぼんやりした意識が、この天井のぽこりとした浮き上がりに向いていた両目を追いかけるようにそろそろと機能を取り戻し始めると、毎朝決まったように僕はこれが二ヵ月くらい前から現れたことと、その上少しずつ大きくなっているという事を思い出して、ちょっとばかり嫌な気持ちになる。

 

 そして、嫌な気持ちついでに仕事のことなんかを思い出したりして、やっとそこで今何時かな、とテーブルの置時計へと視線を移してみるという訳なのだった。


 それから、お決まりのように先ずは壁にかかったディスプレイの電源を入れて、出勤への抵抗感から、大して興味のないようなニュースへこんな風に簡単に逃げ込むと、そこでまたしばらくじっと視線を固定する。


 画面の端の方で訴えかけている時間を気にしながら、その数字が変わってゆくのをどうにかして止められないものか、なんて頭の中で泣き言を言ってみるんだけども、結局最後にはずりずりと身体を引き起こして、仕方なく首の後ろを掻いているのだった。別にその辺に痒みがある訳でもないのだけれど、とにかく僕はそうする。


 こんなことを同僚たちに話すと、もしかしたらまた嫌な顔をされるかもしれないから、いくら話題が見つからないといっても、普段はこんなヘンテコな話は絶対にしないのだけれど…。でもね、僕は時々それについて本気で考え込んでしまうことがある。つまり、無意識に首を掻く時、その動機は一体どこからやって来るのかってね。

ちょっとばかし考えてみるに、これは、前は確かに痒いことがあって、繰り返しているうちに、それがとうとう理由のない、単に掻くというだけの癖になってしまったとも考えられるね、例えばだけど。


 …そうなると、繰り返している他の行動もその大部分が単なる反射の域を出ない代物で、僕の、いや人間の人生の正体というのは、案外そんな反射の集合体だったりするのかもしれない。ちょうど僕が毎日こんな風に首をかりかりとやるようなね。


 大体この辺で僕の同僚なんかはイライラしてきちゃうみたい。だから、絶対に人前で言わないように注意してるってこと。でもさ、考えてみることは決して罪にはならないでしょう?

 

 …それで、もう少し考えてみると、そもそも痒いから掻くという行為自体、学習以前の、無条件な反射なのではないかと思うんだよね。僕はその時に、〝よし、首が痒いから、これを解消するために今から首を掻くぞ〟なんてことは絶対に考えちゃいないのだから。

 

 じゃあ、この僕の行動の起源は、僕が最初に痒い所を掻いた一番初めは何時だったのだろう?思うにそれは物心つく前、きっと赤ん坊の頃に違いない。そうなると、ますますこれが自分の意志で行われているというのは疑わしくなってきた。というのも、赤ん坊が〝何だか不快だな、よしちょっと触ってみよう。うん、どうやらこうやって触るとこの不快がマシになるぞ〟なんて風には考えていないだろうからね。


 いつも通り、燻したような声のキャスターが昨日どこかで起こったカーチェイスについて話し始めたところで、僕はようやくベッドからのそりと立ち上がった。寝癖をぺたぺたと撫でつけながらキッチンを通り過ぎると、そのまま今度はトイレにどっしりと座り込んだ。

 

 ええと、なんだったかな。それじゃあ、条件を変えて、今度は学習した行為で考えてみることにしよう。そう、例えば仕事だ。これは間違いなく大人になってから初めて体験したことだ。いいね。


 僕は何故仕事をするんだろうか。こんな風に毎日なかなか起きられない理由は仕事に行きたくないからだけど、どうしてしたくもない事を我慢してやっているのだろう?電車の中の人達の顔を見る限り、こんな気持ちなのはきっと僕だけではなくて、大体皆もそんな風に感じているんじゃないかな。


 ノブに指を掛けると、かんしゃくみたいな水が喧しく流れ出した。昨日と同じように、水が穴に吸い込まれるのを眺めながら〝よし、まずはコーヒーだ〟と僕は思った。

 

 ええと…これだけ抵抗を感じながら、それでもどうして仕事をするかって言うと、僕の場合は単にお金のためだね。何もしなくても毎週勝手にお金が振り込まれるんなら、僕はすぐにでも仕事を辞めるさ。だってやりたくないんだもの。とにかくここで、僕はお金を条件に労働を選択したわけだ。でも誓って、仕事を探している時に、〝ようし、お金を得る代わりにこの労働を我慢してやろうか〟なんて考えはしなかったな。学校を出たら働くもんだと思っていたんだよね、つまりは。


 そうなると僕の場合は社会常識に対する条件反射によるところが大きいのではないかな、赤信号を見たら無意識にブレーキを踏むようなさ。だって、いちいち〝横を向いている車列が走り出すことを知らせるシグナルが出たぞ〟なんて考えることは少ないし、車が他にいなくてもブレーキをかける訳でしょ。


 じゃあ、仮に僕が〝お金を得る代わりにこの労働を我慢してやろうか〟と考えたと仮定してみることにして、次は何でお金が欲しいかについて考えてみると、家が農家でもない限り、単純にお金が無いと食べ物も食べられないし、病気になったら治療も出来ない。そして今どきの娯楽にもお金が必要だ。このコーヒーだってお金と交換して手に入れた嗜好品な訳だしね。


 そう思いながらケトルを火にかけて、カップの縁にはこのお洒落なパックをセットする。


 だけど、僕がお金が欲しいと思う気持ちは僕が選択している訳ではない。自然に湧き上がってくるもんだ。確かに家や学校でお金の使い方を学んだけれど、これが欲しいという気持ちは後から習得したものじゃない。初めから備わっているもの、つまりは欲求な訳だ。


 欲求は生き物が生き物であるためにはどうしても欠かせない機能だよね。さっきの〝お金を得る代わりにこの労働を我慢してやろうか〟というのだって、自分で決定しているとか言っているけれど、実際のところ命令しているのは欲求であって、本当は何一つ自身の決定とは言えないんじゃないかと思えてくるってことなのさ。だから、僕たちがやっている学習というものは欲求とそれが求める快楽を繋ぐ路を作るようなことなのかもね。


 ちなみに〝労働は嫌だからこのお金は諦めよう〟という場合だって、嫌な事から逃げたいという欲求によるものじゃない、単純に。これも真にその人自身が決定してるとは言い難いように見えるね。そして、僕たちが欲求をコントロールしてやろうと考える時、この動機の根元にもいくつかの欲求が絡み合ってそこに―

 

 カタカタとケトルのフタが騒ぎ出した。慌てて火を止め、パックにお湯を注ぐと、香ばしい匂いが立ち上がって、待ちわびていた僕にいくらかの快感を寄こした。

そうだった。それじゃあ、欲求をコントロールしているのは一体誰だろう?そこなんだよ。僕が言いたいのは。欲求が発生する原因がきっとあるはずなんだよ。この身体のどこかにね。恐らくは脳のどこかしらなんだろうけどさ、実際の所は。

それでね…僕が思うにこれはもうほとんどプログラムみたいなものと言っても良いんじゃないかな。

 

 ごくりと喉が鳴って、喉元がぽっと暖かくなる。


 僕たちの認識の外で、それはもう密かに機械的に動作している部分があってさ、そこから逐一シグナルが来るわけだ。それは例えば、暗くなったら点く街灯みたいなものかもよ。センサーに当たる光量が一定まで下がったら点灯しろと命令するやつ。欲求はその命令みたいだと思ったんだよね。


 そんでもって、どのくらいの暗さになったら命令を出すかを決定する部分が遺伝情報に基づいて作られるなら、怒りっぽいとか気が長いとかっていう、親子の気質が似てくるのも納得だね。


 ちなみに僕はよく母親似の性格だと言われているんだけど、二人とも何だかのんびりしているんだよ。競争心みたいなものも薄いしね。これはつまりさっき話した欲の強弱に当たる部分だけど、ほら、筋が通っているじゃないか。僕たち親子は、なかなか点灯しない街灯みたいなんだよ、実際に。


 あ、でもこんな風にめんどくさい事を考えるのはうちの家族の中には他にいないね。これは、後天的に癖づいていったもの、特に意識しないで毎日取り入れている情報の違いがこんな風に個人を多様に織り上げていくのかもしれない。少しずつ街灯の色が違ったり、明るさが違うようにさ。


 兎にも角にもだね、人間を含むすべての生き物は思っているよりも、自分自身で物事を決定していないんじゃないかってことさ。遺伝子配列と五感を通じて取得した情報によって、欲求とそれを行動に繋げる回路が形成されて、その信号に従って行動させられているって訳で、意識と言うのは、ちょうどそれを鏡映しで見ているようなものなのかもよ。ほら、鏡の中の自分が動いているのを観察しているようで、それは自分で動いているからそう映っているということでしょ。〝欲が反応しているな〟って冷静に分析しているつもりが、分析させているのも欲求だってことなんだよ、つまり僕が言いたいのは。


 まだここで終わりにはしないよ。この先へいくんだ。それじゃあさ、欲求の原型を作る遺伝子をコントロールしているのは?それは一体全体何だろう?ここまでくるとさ、それはもう生物学、化学はもちろん、物理学とか量子力学なんかの領域なのかもしれないね。僕はその手のことには疎くって、正直、右も左もわかりゃしないんだけどさ、DNAが塩基や糖、リン酸というもので出来ていることくらいはなんとか憶えている。それでもって、最近見たドキュメンタリー番組によると、塩基配列の仕方ってのがあって、その順番通りにアミノ酸が繋がってタンパク質を合成しているらしい。


 気付けばコーヒーはもうあと半分になっていた。適当に包装を破り捨てると、僕はこの思い切り誘惑的なピーナッツバターサンドに齧り付いた。そうするとこんな風にまた快感がやって来る。はいはい、分かってますよ。あなたの言いなりですとも。


 ううんと、この一連の働きはもう物理的な法則によって起こっているんじゃないかと言いたいんだよ。学問的な境界はあっても、化学反応だって実際に起きていることは原子や電子の組み換えなんだからさ。


 つまり、宇宙に陽子と電子が生まれて水素原子が出来て、ええとそれからヘリウム原子、リチウム原子、ってな具合で陽子と電子の数が多い原子が生まれていったようにね。こんんな風に物理法則が僕たちを含めた全宇宙を物質レベルでコントロールしてると言えるはずだ。それから物質以前の量子的なものの事はよく知らないけれど、きっと何かしらの法則は存在しているはずさ。法則の中にある、さらに小さな存在を定義する法則ってな感じでね。


 いいかい、だから僕はどうしてもその原始法則のクリエイターについて考えずにはいられない訳なんだよ。宇宙の外側のね。…ほらね。こんな事を同僚に話すってのはなかなか勇気がいるってことがわかっただろう。前置きでお腹一杯になっちゃうんだから。


 そう思ったところで喉を鳴らすと、僕はもう一度サンドにかぶりついた。じゃりじゃりと砂糖の粒が砕けて砕けて、そして溶けていく。


 僕は昔から完全に無神論者を気取っていたいたんだけれど、どう考えてみても、法則と宇宙が同時に生まれたか、もしもそうじゃなければ、宇宙の誕生前に原始法則が決まっていることになってしまうわけだから、一つの仮説として、ロジカルな性質を持ったクリエイターなる存在が、さらに外側の世界から始めの法則を設計したと考えても、最近はそんなに違和感がわかないんだよ。


 それで、当然そいつは人間が無礼だっていう理由でいちいち腹を立てることはないだろうね。何故かって?宇宙の根源法則を定義出来るってことはだね、それはほら、プログラムとプログラマーの関係みたいなものだからさ。


 外側の存在であるプログラマーは何時でも自分の都合でプログラムを止めて編集出来る訳だから、プログラム内の時間の流れとは無関係な訳でしょ。だからこのクリエイターも僕たちの時間の流れ、要は過去とか未来なんかどうにでも編集できちゃうってことになるじゃない。


 それでもって、そいつが編集をする度に実はビッグバンなんかからやり直しているかもしれないよ。ほら、今瞬きする間に実は宇宙の何かにちょっとした修正が加わっているかもしれないんだから。


 でも間違いなく人間はそれを観測できないだろうね。法則が無効になるんだもの。時間はモノやエネルギーの動きだから、物質だって光だって重力波だって、とにかく手当たり次第に止めてしまえば、時間も何も無くなるってことじゃない。今日だって、明日だって、ただモノとかエネルギーの位置が違うってだけだろう?とにかく、まず電子の動きが止まるだけで、僕たちの意識は簡単に無効化してしまうんだからさ。


 だからね、そいつが僕たちにさせられないことはないんだよ。奴にとって不都合なことはこの世には存在出来ないってこと。つまり、戦争や環境汚染も平常運転なのさ。


 別に地球上の生物が絶滅することを心配する必要はない訳だよ。放っておけば、またどこかの星で発生するんだからね。いや、それにね、今だって決してこの広大な宇宙に僕らだけとも言い切れないんだから。うん。宇宙に終わりがきたとしても、もう一度最初から実行すればいいさ。


 そう。全てのモノとエネルギーの位置を初期配置にすれば、それでこの宇宙のデフォルト状態の出来上がりってことになっちゃうんだよ。


 ところで、それほどの奴がこの宇宙を創る理由はなんだろうね。そいつにとって何かしら良いことがあるんだろうか?案外、この世界の外側では、そいつも誰かに指示されていたりするのかもよ。それで仕方なく嫌々やっているのかも。そう考えるとちょっと同情しちゃうけどさ。がんばれクリエイターってな感じでね。


 もし本当にそんなだったら、ちょっとがっかりもするかな。それはつまり、感じ方や考え方が似ているということは、たぶん知能も大差ないだろうからね。人間のように限られた感覚器官で情報を収集するのなら、情報処理の方法もそれなりに制限があるだろうし。でも、これだけの法則を組むんだから、やっぱり桁違いの知性を持っているはずだよ。誰が何と言おうとそう望むね、僕の場合は。 


 けどさ、そいつが何かをする必要があるってことはだね、まだ何かを達成しなければならない理由を抱えてるからじゃないかとも思うんだよね。仮にもし全てを知って、その全てを達成したと言うのなら、それは言ってみれば存在する必要も無いことになっちゃうじゃないか。だから、そいつの存在には必ず未達成が対になっているはずなんだよ。クリエイターの世界でも皆が欲求のような動機に駆り立てられているのかもね。動機のフラクタル構造か…どうかな。


 なんにせよ、僕はクリエイターが物持ちが良いことを願うよ。だってさ、奴のさじ加減次第で宇宙の削除さえあり得るんだから。…でもまあとにかく、まだこの宇宙はある。今はそれでいいじゃないか。

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