八佾07~09 足らば則ち吾れ能く之を徵したらん
7
子曰:「君子無所爭,必也射乎!揖讓而升,下而飮,其爭也君子。」
「君子は争わない。争うにしても、
それは競射のような試合による。
しかも射台に上るとき、
降りるときには会釈し、
譲り合いながら、である。
敗者に与えられるのも罰杯のみ。
このように争うのが君子である。
お花畑の国のひとなのかな? まあ、かくあるべき論は大切ですけど、ない、よね……。一応オリンピックはそういう思想のもとに始まった気はするけど。
8
子夏問曰:「『巧笑倩兮,美目盼兮,素以爲絢兮。』何謂也?」子曰:「繪事後素。」曰:「禮後乎?」子曰:「起予者商也,始可與言『詩』已矣。」
「
かわいい笑みでできるえくぼ、
目元もすっきり、ぱっちりと。
おしろいできれいに飾りましょう、と。
どのような意味なのでしょうか?」
孔丘先生は仰る。
「絵を描く時にも、最後に白を載せる。
それと同じことだよ」
「すなわち、礼がのちに来るように、
でありましょうか?」
「我が意を掘り起こしてくれるのは、
卜尚、まさにそなただ。
そなたとならば、詩の話ができよう、
というものだ」
うーん、子夏のこの振る舞いは正直こしゃまくれたガキにしか見えなくて気持ち悪いなあ。これが実際に碩人を歌う機会の中でふと思いついた、とかだったらまだいいんだけど、今の状態だと突然孔子に振ったみたいな感じがして、こう。にしても「人品が先、礼が後」はこれまでも語られてきたことであり、たぶんこれからもことごとく言われるんだろうなあ。すでにこの言説には飽きてきたところもあるんだが、とは言えそれだけ大事なことではあるんでしょう。なにせ全然守られないしね!!!
9
子曰:「夏禮,吾能言之,杞不足徵也;殷禮,吾能言之,宋不足徵也。文獻不足故也,足,則吾能徵之矣。」
孔丘先生は仰った。
「
が、夏王の子孫が治める
が、殷王の子孫が治める
どちらの国にも、
それが当時の礼であるという
確かな文献、とそれを継承する
賢人がいないためだ。
それがあったならば、私ももっと
当時の礼についての確証を
高められるのだが」
歴史の真実に通暁ニキに聞かせてやりたい言葉だなおい。ろくに文献にも当たらず何をほざいてんだというね。小説は小説でやってください。はい小説でやります。
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