八佾04~06 禮の其の奢なると与なるとや寧ろ儉


林放問禮之本。子曰:「大哉問!禮,與其奢也,寧儉;喪,與其易也,寧戚。」


 林放りんほう殿が、礼とはすなわち、

 何を淵源にしているのか、と問う。

 孔丘こうきゅう先生は仰った。

「なんと大いなる問か!

 礼とは、豪勢であるより、

 つつましくあること。

 その葬儀は式辞を整えるより、

 哀悼を示すこと、かな」


 林放という人は詳細不明とのこと。にしてもこういう条、シカトされっぱなしだったんじゃねーのという気もしないではないですよね。とはいえ「人を従える」のに豪華絢爛さってのは一定の効力を示すわけでもあり。このあたり、否応なく武力を振るわなきゃいけない世界では「わかりやすいすごさ」は欠くことのできない示威行為でもあるわけだし、また黄河とかいう暴れ龍を鎮めるためには統一王朝クラスの国力がなきゃどうしようもないわけだし、で、じゃあどこまで国が豪華絢爛であらずにおれますか、ともなっちゃうんだよなあ。





子曰:「夷狄之有君,不如諸夏之亡也。」


 孔丘先生は仰る。

「蛮族ですら君主を頂く。

 滅亡した中原諸国家は、

 これらの国に及ばないのだ」


 一般的解釈は「蛮族の君主は滅んだ中原諸国家にすら及ばない」だけど、「国を維持し、栄えさせる」「家を維持し、栄えさせる」ことを主眼にする人が亡国より維持できてる国が劣る、なんて言うかなあ、という感じもするので、こちらで。蛮夷を下に見るのはデフォルトだから、まぁやむない。それにしても吉川幸次郎氏はこの条について「めっちゃ物議をかもした条なので、取扱注意、だぞ☆」と仰っている。まぁ、孔子の言葉として掲げず、自分ごとに引きずりおろして終了、がいいんでしょうね。




季氏旅於泰山。子謂冉有曰:「女弗能救與?」對曰:「不能。」子曰:「嗚呼!曾謂泰山不如林放乎?」


 魯の大臣、季孫氏が泰山たいざんに参拝した。

 孔丘先生は弟子であり、かつ

 季孫氏の秘書として仕えていた

 冉有ぜんゆうにお尋ねになる。

「お前にあれは止められんのか?」

「無理です」

 孔丘先生は仰った。

「あぁ、泰山が林放りんほうにも劣るのか!」


 4で出てきた林放さんは、よっぽど地位のない人だったのでしょうね。士大夫と言えないにもかかわらず礼について考えようとしていたから、「こんな小物でも」礼について考えるなんて「大なること」だ、みたいな感じか。さらにそこから引いて、季孫氏が国主でもないのに泰山を参拝するなんて、まるで季孫氏が泰山、言い換えれば魯の国を「林放よりも低く見ている」という感じになるのか。センセーそれはちょっとわかりづらいです……。

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