03 八佾
八佾01~03 人なれど仁ならざれば禮とて如何
1
孔子謂季氏:「八佾舞於庭。是可忍也,孰不可忍也!」
「天子にしか認められぬはずの、
八人八列、六十四人の舞踊をなす。
こういう僭越をやるようなら、
どんな逆状でもするであろうよ!」
2
三家者,以雍徹。子曰:「『相維辟公,天子穆穆。』奚取於三家之堂?」
孟孫、叔孫、季孫の三氏が、
祭礼を終え祭具を撤収させる時に
孔丘先生は仰った。
「『雝』には公を招いて作業させ、
天子はただ奥深く座す、とある。
これでは三孫氏を
天子と見なすかのようではないか。
そのようなことが許されてよいのか?」
魯は国主が仲孫氏で、初代魯公の弟三人がそれぞれ孟孫、叔孫、季孫を名乗って、以降その子孫たちが国政を補佐するようになった。のだが、今や国主を飛び越えて天子にのみ許された儀礼をしでかすようになっている。こんな奴らが国主を大切になんぞするはずないよね、という感じか。やっていいことと悪いことがあって、そこを踏み外したらどこまで行ってもおかしくないよね、という感じになる。
あーうー聞きたくなーい聞きたくなーい。心当たりが多すぎる。あれとかこれとかさあ、マジでさあ。
3
子曰:「人而不仁,如禮何?人而不仁,如樂何?」
孔丘先生は仰る。
「仁なき人に、どうして礼が語れる?
仁なき人に、どうして楽が語れる?」
1、2からの接続としても読めるし、総括として見てもいいのかもしれない。
というか爲政22、馬車の横木の話ともつながってきますね。まずはマインドセットが必要なのであって、マインドセットもろくに終わってないのに題目をあれこれ唱える人、あーつまり巧言令色鮮し仁じゃないですか、となってくるわけだ。いろんな題目が存在してるけど、そういった題目は結局マインドセットが整わずして語ったところで、それこそすべて「断章取義」にしかならないのだろうなあ、というね。
マインドセットは、ひとまず形でしか現れない。だから形を説く。そうして教えを得る者たちの心がやがて整ってくれるのを待ちながら。けど孔子は、それを「自分は七十になってようやく届くか、届かないかだった」とも言っている。相当に難しいことだとの自覚もあったんだろうなあ。
だからこそ、言葉を尽くした。そしたら今度は言葉だけが独り歩きして「ジュキョーのシンズイとはー」とか言い出しちゃう人がいろいろ自分の都合のいいようにこねくり回すわけだ。
そりゃ春秋も「哀公十四年春、西狩獲麟。」で絶筆するわ。無理無理。種としての人間、永遠に賢くならない。
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