爲政10~13 先に其の言せるを行いて後に之に從うべし

10


子曰:「視其所以,觀其所由,察其所安,人焉廋哉!人焉廋哉!」


 孔丘こうきゅう先生は仰る。

「何を使っているか、

 何を拠り所としているか、

 何に行きつこうとしているか。

 これらを見れば、

 その人となりなど丸裸だ。

 隠せたものでもあるまいよ!」


 そうね。人間、言動じゃなくて行動が全てですよね。「オンのその人じゃなくてオフのその人を見ろ」とも言われるものね。ここで「だからオフも油断するな」に行っちゃうのはいろいろアレ。オフでも変なことしないで済む陽、上手く自分を整えてきましょう、とはしておきたい。そうなんですよ!?>自分(いろいろ心当たりがあってしんどいらしい)




11


子曰:「溫故而知新,可以爲師矣。」


 孔丘先生は仰る。

「古いものをよく煮詰め、

 新しいものを得る。

 このような人物こそ、

 人を導くに足るのだ」


 いつも思うんだけど温故知新の現代的用法って、割と「知新」ないがしろにされてませんかね? 少なくとも「昔はよかったけど今は……」って言ってくるやつに温故知新って言葉を使う資格はないと思うんですよね。過去あってのいまであるから、過去は当然大切。けど、更に大切なのは、いまをどう過ごすか、どう生きるか。反省はし、後悔はするな、ですね。




12


子曰:「君子不器。」


 孔丘先生は仰る。

「君子は一芸のひとであるな」


 現代は色んなところで「スペシャリストたれ」って言葉も聞かれたりはする。ただここでの問題は、君子って国政をものする人、ってことにもなる。いやぶっちゃけ一芸のひとでもいいとは思うんですよね、けど、「誰の芸に頼れば最大の効率を挙げられるか」を知るためには、他の芸についても多少なりとも知ってなきゃ話にならない。その意味で、「器の中にのみ閉じこもってはいけない」のは確かなことなんでしょう。




13


子貢問君子。子曰:「先行其言,而後從之。」


 端木賜たんぼくし殿が君子の振る舞いについて、

 孔丘先生に問うと、先生は仰る。

「やれ。

 そこに結果を伴わせろ」


 四の五の言うな、やれ、ですね。ヒュー先生痺れるゥ! まーマジで能書きって無駄ですよ無駄。ただ、たとえば楽器奏者にとって DTM って「音楽の能書き」にしか見えなかったりするんだろうね、とかも思うのさ。というか自分がいまやってるこの試みだって「士大夫たらんとするものの能書きを追っているだけ」でしかないとも言えちゃうしね。変に行動が伴ってない段階で論語を読んでも仕方ない、ってのはこの辺もあるんでしょうね。

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