爲政06~09 父母には唯だ其の疾いのみ之れ憂えしめよ
6
孟武伯問孝。子曰:「父母,唯其疾之憂。」
孔丘先生は仰った。
「父母が心配するのは、
ただお前の体調のことであるように。
他のことでは心配させるな」
孟孫彘は、前条で出てきた孟孫懿の息子だと言う。孝と言うどうしてもあいまいな概念を、非常にわかりやすい、端的な言葉にしてあらわす感じか。それにしても、確かにこれは端的で重いですわ……。
7
子游問孝。子曰:「今之孝者,是謂能養。至於犬馬,皆能有養。不敬,何以別乎?」
孔丘先生は仰る。
「孝について、よく尽くすこと、
と言うものがある。
しかし、犬や馬も、我々に
よく尽くすではないか。
そこに尊敬の想いがあるか、否か。
これが孝の有無を分かつのだ」
文字通り「養う」、衣食住を供給することだ、という形の解釈もあるようだ。まーどっちでもいいっちゃどっちでもいいか。どんなに形を整えたところで、親に対する敬意が無ければ、それは「孝」ではない。前条と見比べるとバッティングしてるし、そしてバッティングはさせるべきなんだろう。形から入らなければ孝に辿り着くこともないし、かといって思いだけでもダメ。その両者を衝突させて自分なりの「孝」の形を導き出す。そんな感じなんでしょうね。
8
子夏問孝。子曰:「色難。有事,弟子服其勞;有酒食,先生饌。曾是以爲孝乎?」
孔丘先生は仰る。
「親に対して和らいだ顔を
見せ続けること、
これが一番難しかろう。
例えば、弟子は進んで
様々な雑務に携わる。
食べ物や飲み物については、
先達に差し上げるね。
これと同じことを親にやったから、
それで孝行だ、とは
果たして言えるだろうかね?」
先輩後輩だったら、それこそ議論とかでぶつかりあわにゃならんシーンもあるでしょうしね。まぁけど極力余計な感情は顔に表さんようにしたいものだよな。自分はわかりやすい口っぽいので、この言葉はしんどい。
9
子曰:「吾與回言終日,不違如愚。退而省其私,亦足以發。回也不愚。」
孔丘先生は仰る。
「
私と意見の相違がまるでなく、
愚人のようにも思える。
が、私のもとより引き下った後の
振る舞いを見ていると、
人をはっとさせるものがある。
愚かでは、ないのだよな」
センセーいちゃつくのやめてください。ともあれ「意見の食い違いこそが様々なものを生み出す」というのを孔子自身は理解していたんだろうなあ。だから顔回と「見解がことごとく合致してしまう」のを危ぶんだりもしたわけだろうが。合い過ぎる、のも問題ですよねえ。顔回って孔子の高弟の中で最も年若いけど、早くに死んでしまったのですよね。かれが長生きしていたら何が起こったか、とかはなかなかに妄想のし甲斐があるテーマのひとつかなーとは思うのです。
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