爲政04,05 十に五を有して學を志す


子曰:「吾十有五而志于學;三十而立;四十而不惑;五十而知天命;六十而耳順;七十而從心所欲,不踰矩。」


 孔丘こうきゅう先生は仰る。

「私は、

 15の時に学を志した。

 30にして自立できた。

 40で惑わなくなった。

 50で天命を知った。

 60で素直にものを聞けた。

 70で思うがまま動いても、

 規範に違う事がなくなった」


 さっきから心性を縛れない、みたいな話をしまくった末にこの条に辿り着いて、あぁ、ってため息をつきましたよね。孔丘先生レベルでも、70まで規範を守らないと心性がきっちり収まる所に収まらない、ってことですか。それはきつい、きつすぎる。というか60で「素直にものを聴けるようになった」ってのも、それはそれでまずい気がする。いや「素直に聞くようにする」って気持ちを抱くのと、「素直に聞ける」との隔たりは確かにすごいわけでしょうけど。

 そして、例えば「不惑」ひとつをとってもどのレベルの「惑わない」の話なのか、みたいなところは出てきそうである。話が楽なのでマズロー持ち出しますけど、「生存」「安全」「帰属」「自己効力感」「自己実現」いずれのレベルにおける惑いを言うのか、みたいなね。「どのくらいのレベルの確信」だったかまでは、この言葉からは掘り下げられない。

 まぁなんにせよ人間、「規範に従おう」という意識を持ち続けなきゃ規範からは簡単にあぶれるよね、みたいなものを感じるのでした。





孟懿子問孝。子曰:「無違。」樊遲御,子吿之曰:「孟孫問孝於我,我對曰:『無違。』」樊遲曰:「何謂也?」子曰:「生,事之以禮;死,葬之以禮,祭之以禮。」


 孟孫何忌もうそんかきが、孔丘先生に孝について問う。

 すると孔丘先生は、ただ

「違えないことです」とのみ答えた。

 樊須はんすが御す馬車に乗ると、

 孔丘先生は樊須に仰る。

「孟孫氏が私に孝について聞いてきた。

 なので私は「違うな」と答えた」

 樊須がその理由を問う。

 すると、先生は仰る。

「生きている時は、

 礼をもって親に仕えること。

 死んでしまったら、礼に基づいて葬り、

 礼に基づいて祀るのだ」


 先生、樊須が聞きたかったのは「なんで孟孫何忌にはそんなシンプルな答えしかしなかったんですか」なんじゃないですかね……? 解説では「違えないのは親の命令に対してではなく、礼に対してだ」としているんですが、いやそれストレートに孟孫何忌さんにも伝えてあげてくださいよ……。

 いや、あるいは孟孫何忌に対してもちゃんと答えたのかな。二重になるから省略しただけで。樊須との会話がスムーズに進んでいる所を見ると、そっちであった可能性もある。というか、弟子に対して少ない言葉で自ら考えさせるのならわかるけど、魯の宰相格の家柄の人間に対しては顧問的な立場なんだから、もう少しわかりやすく教えて差し上げるのが筋だと思いますし……ほぼシカト扱いを食らった孟孫何忌さんはいなかったんだと信じたい……。

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