02 爲政
爲政01~03 政を德を以て為すは北辰に譬うらるが如し
1
子曰:「爲政以德,譬如北辰,居其所,而眾星共之。」
「政とは、徳がなすものだ。
それは例えば、天の北極が
ひとところに留まりながら、
星々がそこに従うのに似る。
孔子の時代の北極星はこぐま座ベータのコカブなのだが、北辰=天の北極よりはやや離れていた。コカブが最も天の北極に近づいたのが紀元前1100年頃、孔子現役時代とされているのが紀元前500年頃。一番近くても7度くらい離れていたというから、孔子の言葉に「天の北極=北極星」という感覚はほぼなかったと見ていいと思う。4等星以下の星だったら北極近くにもあったでしょうけど、目立たない星を帝の星とはなかなか規定しづらいですものね。
ともあれ「北極星が動かずして他の星々を従えている」という考え方は、後々の中国の物語観に大きく影響を与えていそうです。西遊記の三蔵法師、水滸伝の宋江、そして三国志演義の劉備。いずれもそのスキルはしもべたちを統御する際に発揮されて、敵そのものと戦ったりすることはまれ。
そう言う世界観だと、ポラリスが天の北極に近づくまでの帝権って微妙に不安定だったろうなあって思うのです。ちなみに天の北極とコカブ、ポラリスが最も離れてた時代はいつかって? 五胡十六国~南北朝時代、です、よっ!(クッソいい顔)
2
子曰:「詩三百,一言以蔽之,曰思無邪。」
孔丘先生は仰る。
「『詩』三百首。
これらを一言で言い表せば、
思いより邪気が払われる」
このデイリー論語を始めようとしたきっかけの条です。どうしてそう思ったって? 「短い! これは一つ一つを軽く攫ってく「だけ」なら楽だ!」って実感したため。もちろん本気で学ぶんならそう言う浅い触れ方じゃいけないのはわかってますがね。
ともあれ、ここで言う三百首、どれだけ毛詩と被っていたんでしょうかね。あるいは編名だけは残っていて、そこに各詩の本文を再構築していった、という感じなのかなあ。
それにしても
3
子曰:「道之以政,齊之以刑,民免而無恥;道之以德,齊之以禮,有恥且格。」
孔丘先生は仰る。
「民衆を導くのにルールを用い、
振る舞いを整えるのに
処罰を用いれば、
民は恥じることなく、
それらを潜り抜けようとするだろう。
導くのに徳をもってし、
整えるのに礼をもってすれば、
道義に背くことを恥と思い、
正しく振る舞うようになるだろう」
考え方そのものは嫌いではないんだけど、発想が「特定の地域に引き籠ること」ですよね。何と言うか豊かな地に住んでいる、ある意味「勝ち組」の発想であるようには思う。それに、確かに徳とか礼とかで教化できれば素晴らしいのだけれど、人間の心性なんてものは縛りようがない。「道徳」の方向にうまくなじめない人間からすりゃ「道徳だって結局ルールじゃん」としか言いようがなかったりする気もするのだ。
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