前進奇譚

澄岡京樹

前進奇譚

前進奇譚


 その指先は、まっすぐに始まりの方へ向けられていた。


 この場合の始まりというのは、今私が木造部屋の始まりのことであり、つまりはこの……やたらと縦に長い部屋——もはや廊下である——の入り口付近のことを指していた。部屋の長さは50メートルほどで、私が全力疾走をすると丁度スピードが乗りきったぐらいで終わる距離であろうか。それは言い換えると、ゴールテープを切る瞬間に最高速度へ到達するということであり、その結果どうなるかと言えば……止まりきれず部屋の最果てにある扉へ激突するということになるだろう。


 などと悠長に考えながら歩いている私の前に、見覚えのある人物が立っている。高校時代の先輩で神崎さんという男性だ。なお、部屋の入り口付近を指差しているのは、私ではなく神崎さんである。


 一つ不思議なことがあるとすれば——この部屋自体不思議の塊なのだが——、神崎さんの見た目である。私が高校を卒業したのが10年前なのだが、今目の前にいる神崎さんは10年前の少年そのもので、服装も学ランである。確かに大学に進学してからは一度も会ったことはないが、だからと言って懐かしい姿で会いにくるというのも妙な話だ。もしや——


「神崎さん、ひょっとして幽霊——」

「死んでない。勝手に殺すな」

「ですよね! 良かった!」


 とりあえず無事らしい。ホッとした。……まあそれはそれとして奇妙な状況であることには変わりがない。神崎さんはなぜか高校時代の姿だし、そもそも私とて好きでこの部屋にいるわけではない。

 目が覚めたとき、私はこの長い部屋に立っていたのである。

 そして歩き始めて数秒後、真ん中らへんまで来たあたりで突如、神崎さんが立っていることにのだった。


「高木、お前なんでもいいから来た方へ帰れ」


 唐突に、神崎さんがそう言い放った。その語調はとにかく淡々としたもので、高校時代から冷血漢の異名を持っていた神崎さんここに健在といった感じである。

 そしてようやく合点が入った。神崎さんが入り口を指差していた理由は「帰れ」という意味だったのだ。……しかし、うむむ、迷いどころである。


「でも私、出口に行かないと」


 とにかく部屋から出るためには出口を目指さなければならない。となればスタートに戻るのはなんともおかしな話である。これは至極当然のロジックであると思う。思うのだが……


「——ハァ。高木、お前は本当に変わらんな」

「はい?」

「あんまり話している余裕はない。とにかく元来た道を戻れ」


 神崎さんはなおも私に逆行を促す。でもそれはやはり変な話である。これは前にしか進めない道である。だからそれは——


「時が過去に進むことだってある! ここはそういうのが有効なんだからとにかく分かれ! 理解しなくても承知しろ!」

「えっ、ええーーーーーー!!?」


 私は神崎さんに無理矢理方向を変えられ入りスタートに視線を完全に向けさせられた。すると——


「あれ、なんで私もと来た道を戻ろうとしなかったんだろ」

 先ほどまでの異常に気がついた。


「気づいたならそれでいい。そのまま振り返らず入り口から出ろ。俺もすぐ出るから」

「わ、わかりました」


 神崎さんに言われるがまま、私は元来た道を戻り、入り口の扉から外へ出て——


 ——そして、自宅のベッドで目が覚めた。


「な、何? 夢?」

 起きたら自室にいたわけなので、今のは夢だったのだろう。けれど異様に生々しい実感が残留していた。少しだけ背筋がゾワリとした。


 しばらくすると、スマートフォンに知らない番号から電話がかかってきた。普段なら出るのが億劫で仕方がないのだが、今日はすぐにでも出たかった。とにかく誰でもいいので話がしたかったのだ。早く感覚を現実に戻したかったのだ。


「はい、」

「高木か? 神崎だ」

「————!」


 言い終わらないうちに電話の相手が神崎さんだとわかり、私は安堵感で胸が一杯になった。


「神崎さん……! あの、あのわた、私——」

「わかってる。とにかく無事なようだな」

「はい! はいその、はい!」

「とりあえず落ち着け。深呼吸しろ」

「あ、は、はい」


 ほぼ10年ぶりの神崎さんは、やはり夢同様に冷静だった。


 ◇


「高木。あれは一種の異界だ。夢を通してお前の『人生』に干渉してきたヤツがいる」

「人生、ですか」

「そうだ。あの部屋は、お前の人生を縮図化した上で部屋という形で象ったものだ。あれを踏破したら最後、お前はそのまま天寿を全うしたことにされていた。まだそのタイミングではないにもかかわらずな」

「——————!」


 神崎さんは昔からこういった奇妙な話と関わりを持っていた。私自身、何度か都市伝説的な怪事件に巻き込まれたことがあったが、その度神崎さんに助けられていた。つまり今回も——


「ああいう手合いと戦うのは手間がかかるんだが……昔の馴染みお前が巻き込まれかけたんでな、介入させてもらった」

「そうだったとは——あ、ありがとうございました。本当に、本当にたすかりました! あの、なんてお礼を言ったらいいのかその、」

「いい。もうお前のところにヤツは来ないからこれからはのんびり暮らせ。じゃあな」

「え、あ、ちょっと」


 言い終わらない内に通話は終了してしまった。十分にお礼も言えないままだった。

 結局、その後は何度かけても神崎さんに電話が繋がることはなかった。目撃例は友達から多少はあったが、私含めて誰も神崎さんの今を詳しく知る人は高校時代の知り合いの中にはいなかった。


 ヤツとはなんだったのか。神崎さんは今何をしているのか。私には何もわからないのだった。


前進奇譚、了。

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前進奇譚 澄岡京樹 @TapiokanotC

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