那須野家の食卓
「母さん、いつまで持ってるの」
「もう、今レシピを見てるんだから。もうちょっと待って」
遠藤家の長女が絶望に打ちのめされ夫婦がもがいている中、遠藤家の隣の那須野家では長男の歩がやきもきした表情を浮かべながら、嬉しそうにスマホを眺めている母のみちるをじっと見ていた。
世帯主である夫の京太郎の名前で契約したスマホであるが、クックパッドと言う主婦として非常に都合の良い理由にかこつけてスマホを眺めるその姿は、息子の歩どころか夫よりずっと堂に入っていた。
「高校卒業して大学に入るまでは一日一時間までよ。私だって一応大卒なんだから」
みちるの強引な理屈にへいへいと言わんばかりにうなずいた歩であったが、どうにも不安がぬぐい切れなかった。もっとも一日一時間と区切られた所で、不満はなかったのだが。
大量課金の恐怖を徹底的に叩き込まれていた為かゲームには手が出ず、やるとすればデフォルトで入り込んでいる無料トランプゲームだけだった。
それを一時間もやり続けた事など今まで一度もない。
と言うより、正直スマホを何に使おうと言う気も歩にはなかった。型落ちのパソコンもまた適当に掃除されていたからホコリは積もっていないものの、インターネットに繋がれていないせいかそれほど動かされる事もなかった。
そして歩自身、これと言った将来の夢もなかった。ただ今現在自分の何が優れているかを自分なりに考えた結果、勉強の成績しかない事はわかっていた。
そのスキルを磨く事が重要であると父からも母からも聞かされていたし、器用貧乏より何か一つに精通していた方が良いと言うのもよくわかっていた。
それでも、掃除下手だしと言いながら居間や自分たちの寝室まで自分に掃除させようとするのはやめてもらいたいとも歩は思っている。
「と言うか母さん、料理うまいんだからそんな物に頼らなくったって、ああわかった投稿して」
「してないわよ、そんな自慢できるほどの腕じゃないもの」
「できると思うよ、それから母さん写真撮るの好きでしょ」
「写真はやめちゃった、もうやり尽くした気がして。散々歩にも言ってるでしょ、私が料理でお父さんを捕まえたように、何か得意な物を見つけてそれで一流になればいいの」
「でも母さんって料理屋で」
「働いてないわよ、二十代後半になってこのままじゃずっと独身かもしれない、何かお嫁に行くための特技をひとつ見つけなきゃって思って本格的に料理を始めようと思ったんだから。それまではずっとパソコンをいじくり回してただけでね」
「そう言えばお母さん、お父さんが四苦八苦してたスマホをぱぱっと使いこなしてたよね」
「その代わりお父さんみたいにずっと立っている仕事なんてできないわよ。今はもうほとんどしてないようだけど、まあ要するにそういう事」
みちるは大学を出てから十年ほどの間、ディスプレイと向かい合い様々なプログラムを作る仕事に従事して来た。
京太郎と出会ったのもその仕事の縁であり、結婚と同時に退職した今でもみちるはパソコンやスマホなど電子機器に通じているという自信があった。
口を動かしながらもみちるの手は止まらず、左手に持ったスマホを指でなぞり終わるともう覚えたと言わんばかりにテーブルにスマホを置き、冷蔵庫から食材を取り出して料理を始めた。
「どう?」
「………美味しい」
「でもさ、いきなり僕の知らない物が出て来ちゃったからさ、それでちょっと不安になってさ」
三十分後、みちるが作り上げた料理を口にした歩はやや間をおいてから賛辞を述べた。
「あらそう、歩もいろんな味に慣れた方がいいわよ。そうでないと将来好き嫌いが多くなって栄養のバランスが崩れて困っちゃうから。最近生あくびが多いけど悩みがあったら遠慮なくママに言いなさい」
何と言えばいいのか、正確にはわからない。母がどうしたのと言うからそれっぽく取り繕ってみたものの、本音の所で言えばそんな知らないメニューが出て来て云々とか言う事は考えていない。
(そりゃ母さんが家で作る食事が一番おいしくて栄養のバランスも良くてその上に安いのはわかってるけどさ、でもなー……)
中学二年生と言う年頃相応に栄養のある料理も作ってくれる、でも何かが足りない。
最近増えた、クックパッドから引っ張り出して来たとおぼしき唐突かつ未知の料理たちもうまい事仕上げられているのかどうか、少なくともまずいと感じた事はない。
(あの日の事を、母さんは覚えているのかな。いや覚えていなければこんなに丁寧に作るはずがないよね……)
中学に上がる間際。親子三人で出掛けた帰りにお腹が空き、通りかかったコンビニでおにぎりを食べたいと言った時、それまでずっと穏やかだった母の顔が急に渋くなった。
はたして自分の要望通り買ってはくれたが、それから三日間毎日そのコンビニのおにぎりを買って来ては目を輝かせながらその味を研究していた事を歩はよく覚えている。
こんな物なんかに負けてたまるか、自分の手でもっとおいしくそして体に良い物を作ってやるぞと言う闘志がにじみ出ていた母親を、歩は勉強するからと言う名目を振りかざして目を背けていた。
その結果コンビニで買ったそれよりおいしい代物を手製で作り上げて来た時、歩は口ではさすがだねと言ってみたものの、内心ではどこか恐怖を感じていた。
「掃除もちゃんとやってよ」
「もちろんそれは……ね。でも台所だけはきれいにしてるつもりよ。他の部屋もこれから頑張るから、まあいつも言ってるでしょ、私だって何もかもできる訳じゃないって……」
こんなにおいしい物を作れるぐらい家事が上手だって言うのならばと言う歩の物言いに、みちるは照れ笑いを浮かべながら右手を顔の前で振った。
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