戦後時代のいいかげん男
私が今こうして、三歳と言う時間を迎えるのはおよそ八十年ぶりである。
八十年前の私は、三兄弟の末っ子だった。長兄と次兄は四つ年が離れており、私と次兄は八つ離れていた。
時あたかも戦乱の時代、私が十歳になる前に両親は相次いで病に倒れてこの世の人間ではなくなり、長兄は軍に仕官してそこそこの地位を得ていたらしいが、両親より先に結婚もしない内に戦地で銃弾に倒れてヘルメットだけが日本に帰って来た。
そんな情勢で私が頼れる物と言えば、次兄しかなかった。
だがその次兄はと言うと軍国教育を受けて来たのかと思うほどに緊張感のない人間で、身を寄せていた母のいとこの家でも必要以上の労働をしようとせず、腹が減るからと言ってすぐさま横になってしまう人間だった。
「いいんだよ、戦地の兵隊さんが喰ってる神聖なる食事を俺なんかが無駄に喰う必要はねえ。そういう事なんだよ」
もっともらしい理屈を振りかざしているが、要するに動きたくないだけだった。たまに動くとそこの家の私よりも幼い子供とはしゃいでいるだけであり、それ以上の事は何もしない。その際にどこで覚えたのかわからないようなインチキ臭い英語をしゃべって誰もやりたがらない敵役の米兵をやって銃に見立てられた木の棒で撃たれては倒れるふりをして子どもたちを喜ばせる程度の芸はして見せ、そしてそれに対して何の見返りも求めなかった。
私が見かねて注意しようとすると、家主の母に止められた。戦争中と言う事でまともに娯楽もない状態で、子どもたちの気持ちを紛らわしてくれる兄の存在は重要であり十分に役に立っていると言う、この実質的な保護者からの好意的な言葉は私の羞恥心をいたく刺激した。
やがて戦争が終わったが、次兄はやはり何をするでもなくぶらついていた。長兄の恩給がない訳でもなかったが、雀の涙ほどの物でありその大半を私からいとこの母に渡していた。
その事に対し次兄は感謝の意も不満も述べる事はなく、ただああそうと聞き流していた。私の中での羞恥心は、戦争の終結と共にますます肥大していた。飯を食わせてくれている人間に対し何の恩返しもできていない、その事が私の心を締め付けていた。十歳の誕生日に私が求めた物は、生活の糧だった。
幸いにして私たちの身を寄せていた家から徒歩数分の所に床屋があり、そこの店主の女性が私の母のいとこと親しかった事もあり何とか潜り込むことに成功した。
学校に通いながら床屋の手伝いをする日々だったが、そこで出会った多くの人との会話が後々大きな糧となり、ハサミを握るようになってから大きな武器になった。
だがそこで問題なのは、そこで出会った人間のほとんどが次兄の話をして来る事だった。私が必死になって床屋でせかせかと動いている間に、次兄は大して儲かりもしない楽なだけの仕事を適当にこなしていたり、時には一日中何もしないで寝てばかりだったり、あるいは何か訳のわからない物を売ったりしていた。
そこで得た利益を私に還元する事はたまにしかなく、ほとんどは自分で使って自分でなくしていた。
「まったく、うちの兄さんがすいません」
「どうしたんだよそんなに暗い顔をして」
「また迷惑をかけてらっしゃるんでしょう」
「いいんだよ別に、お兄ちゃんはあれで結構しっかりしてるぜ。なんだかんだ言ってぜいたくは言わないしお前さんにいい菓子とかきれいな服とか買ってやるって息巻いてるし、それで実際どうなんだよ」
何より腹が立つのは、本当にたまににきちんと私が欲しいであろう物をよこして来る事だ。その度にどこかに腰を落ち着けてくれればもっと好きな物が買えるのにとか説教を垂れてみたくなるが、自分の物は何も欲しがろうとしない。
私よりずっとみすぼらしい格好をした人間を目の前にしてそんな事を抜かせば私は恩知らず及び身の程知らずとなる。そんな危険な真似をする必要も度胸も、私にはなかった。
「はい、この前はあそこの和菓子屋のおまんじゅうを……………………」
「たいした兄ちゃんじゃねえか、大事にしなよ」
私が我慢すれば済むだけの話だと割り切ろうと思ったが、どうにも座りの悪さばかりが際立って仕方がない。早く、離れたかった。
町は好きだし母のいとこの家族との折り合いも悪いつもりはなかったが、それでも早くこの町から自分の存在を消したくて仕方がなかった。だから懸命に働き、懸命に学んだ。
やがて中学を卒業した私は、理容師になるべく都会へと向かった。そこでもやる事は何も変わらない、ただ自分だけで飯を食えるようになるために日々学習に明け暮れた。
そしてやはり同じように、次兄が土足でずかずかと入り込んで来ていた。
寄宿舎に時々送り付けられて来た荷物の中には、一体何なのかすらわからない物がぎっしりと詰まっていた。飲むと頭が良くなると書かれた薬とか、怪しげなロゴマークがついたビン、それから十五を越えた娘がとても使うとは思えないオモチャ。
そして何より不愉快だったのが、数ページで何が書いてあるのか理解できなくなるような、おそらくは哲学書かなんかと思われる書物。こんなのを送るぐらいなら米でも送った方がよっぽどましだと言うのにまるでこちらの状況がわかっていない。だからこの自己満足の産物が送られて来る度に、私は顔が熱くなった。
その頃の次兄が何をしていたのか、私は具体的には知らない。だが長じてから聞いた話によると、私に送り付けて来たような物を売りさばくような事もしていたらしい。効き目があるのかないのかわからない、いやマイナスに作用しかねないような物を平然と売り歩きまたそれを妹に送り付けようなど無神経と言うより厚顔ではないか。
「兄ちゃんはちゃんとやってるよ、お前に髪を切ってもらうのを楽しみに待ってるぞ。」
その旨を手紙に書いて送り付けてやったらこの有様だ。その上にあまりにもへたくそな字だったので腹が立って即座に破いてやったと言うのに、内容はなぜかよく覚えている。
文筆家でもない人間の書いた手紙だったのが悪いのかもしれない、あるいは保護者である次兄に対する遠慮と言う物がその筆を鈍らせたのかもしれないとか言う理由は後になっていくらでも思い付いたが、その時はただ不愉快で仕方がなかった。
果たして為すべきを為して美容師の資格を取って帰って来るまで、次兄の行いは全く改まらなかった。その日暮らしのようにあちこちをふらふら歩いては適当に仕事をし、適当に飯を喰っては適当に寝る。それ以外の事は何もしていなかったらしい。
「ほらよ」
その癖妹に対しては殊勝な兄ぶりたいのか、帰郷して一日もしない内に見合い写真を机の上に並べて来た事もある。女は早く結婚して家に入れと言う不文律がすさまじい力を持っていた時代とはいえ、それをはいそうですかと飲み込む気にはまるでなれなかった。
そして私が相手の事を知りたいとか言うずいぶんと不遜な言葉をぶつけた際にも、次兄はそりゃまあそうだよなと頭を掻きながら一人一人、その身分や背景について包み隠さず答えた。
私が思わず胃を押さえたくなりそうな事を聞かされようとも構う事なく、嬉しそうに話し続けた。どうせ一緒になるんだからお互いの事を包み隠さず知っておくのは大事な事だよなとか言うもっともらしい理屈を付けて話すその姿は、正直見るに堪えなかった。
そして言うまでもなく、この内誰と結婚してもこの次兄がくっついてくるのはほぼ確実であった。
「どうしたんだよ一体、まさか都会でいい男でも見つけて来たのか」
「ええ……まあ……」
話を聞いた上で私があいまいな言葉を並べながら首を横に振っていると、居もしない恋人の存在を勝手にほじくり出しにかかって来た。
否定しなかったのはただ面倒くさいからと言うだけの話であり、実際にはそんな物などいない。しかし人並みの洞察力があれば拒否反応だとわかりそうなことをやったつもりなのに、次兄は悟りを開く間際のお釈迦様のような顔をして喰い付いて来た。
「どんな男なんだよ?年はいくつだ?趣味は?家族は?で何やってるの?出身はどこだ?とにかく今度会いに行くぞ、何せ俺はお前の」
「いい加減にしてよ!」
「そうかそうか、男女の事に立ち入っちゃいけないよな。まあお前が幸せならそれでいいよ。じゃあ挙式には呼んでくれよ」
「来ないでよ!」
「しょうがないなあ、可愛い可愛い妹のたっての願いだからか、俺はこっちでゆっくり見てるよ。でも甥っ子か姪っ子かが出来たら、いっぺんでいいから見せてくれよ」
一分の邪心もありはしない、まぶしいぐらいギラギラに磨かれたいい人と言う看板を左手で振りかざしながら、右手で実在などしない私の恋人を勝手に描き上げていく。その速さたるや帰省のために使った汽車が亀に思えるほどの物であり、私が岩をぶつけてやってもまったく止まる気配がない。
それから数年間、私はまともに恋愛をする気もなく仕事ばかりして来た。勤める事になった大きな美容院の店長からもいろいろ勧められたり同僚から彼氏やら結婚やらの話を聞かされたりしたがどうにもそちらの方向に心が動かなかった。
下手に見つけようものなら、必ずやあの次兄がしゃしゃり出て来る。私が必死になって汗水垂らしている中、長兄の恩給をただ食いつぶすわけでもなく、その大半を私に送り付けては自分は私の住むウサギ小屋以下の家を適当な安値で借りてはどこに身を置く訳でもなく適当な事を繰り返していたらしい人間が。
もっとも、その機会が全くゼロだった訳でもない。二十三歳の時に知り合った客の男性に言い寄られて幾度か付き合った事もあった。半年ほどの付き合いでそれなりに進展したが、いざお互いの保護者にうんぬんとなってつまずいた。
三十路になってもまともに定職に就かないでその日暮らしを続けているような人間を呼ぶわけに行かなかった。それでも相手がどうにかと強いて来るものだから自棄を起こして呼んでみたら、予想通りかつ最悪の事態が発生した。
飾らなくて、真っ正直で、妹思いで、裏表がない。たいした手土産もなかったのに立ち居振る舞いだけで、私を差し置いて向こうの両親の心を一日でつかんでしまったのだ。セールストークはそれなりに培ってきたつもりだったが、この次兄と関わるとどうしてもそれができなくなってしまう。
「お兄さんについてどう思ってらっしゃるんですの」
彼の両親に対してのこの質問に対し、私は首が上げられず、目は涙目の上に泳ぎ続け、顔は真っ赤になった。
目は口ほどに物を言うとか言うが、顔全部が物を言っていたこの状態を見ていれば口を開かずとも本音は遠慮なく伝わっただろう。そしてこれをきっかけに縁談は徐々に遠くなり、最後には男性自らから兄に対してのやり口を責められ、それを解消できないのならばもう会わないと言われてそのまま自然消滅してしまった。
人と人との情がわからない冷たい女。確実に亭主を尻に敷く。いい母親にもなりそうもない。それが私の枕詞になりつつあった。商売にまで侵食しなかったのは幸いではあったが、だんだんと良縁からは遠くなって行った。
二十代半ばで売れ残りとか言われるご時世に、三十路の女などもらい手があるはずもない。その癖、まるで焦る気になれなかった。
そんな私が結婚したのは、四十路になってからだった。相手は十五個も上の大学のお偉いさんであり、要するに早死にした妻の代わりの後添いと言う訳だ。
仕事ばかりして来たせいで金は溜まっていたし、下手に人目を引くのも嫌だったからおしゃれもまともにせず派手派手しい格好も遊びも覚える事なく過ごして来たせいでそういう存在としては絶好だと思われたのだろう。
もちろん次兄には秘密の縁談だったのだが、全くどこで嗅ぎつけたのが籍を入れた直後にのうのうと親族面をして向こうの家庭に上がり込んでいた。
「いや本当にすまなかった、俺が長い事結婚しなかったからお前できなかったんだよな。それから地元の鉄工所に工場長として赴任する事になってな、これでお前にもっとたくさんいい物を買ってやれるな。しっかし一生独身かと思ってた俺に2人の子持ちだとは思えないようないい女が言い寄って来るとは思わなかったぜ」
おそらくは無駄飯を食わせてくれていた人間からせっつかれてようやく年貢の納め時と判断したのだろう、などと言う私にとって楽観的な想像は例によって例のごとく外れた。
二、三年前まで定職に就いていなかったらしい人間に言い寄って来るような女性がいる事など信じられなかった。だから、その後一度たりとも兄嫁と義理の甥と姪には会っていない。
「灯台下暗しですか」
夫からも、姑からも、義理の息子からもそう言われた。田舎芝居と言うにも失礼な稚拙な芸を五十にもなって繰り返すだけの人間に何の魅力があるのだろうか。褒められた所があるとすれば無欲である事といくら酒を呑んでも暴れない事ぐらいだろう人間の何がいいんですかと言ったら、哀れみの目線ばかりが飛んで来た。
自分一人だけが次兄を勝手に情けない人間だと規定してしまっているとでも言うのか。冷静で派手ではなく家事もしっかりとできその上稼ぎもあると言うある意味での成功者を気取っているのも次兄を見下すためではないのか。
四十にして処女を売り渡した亭主にそう説教されて上っ面だけは納得してみたものの、それでも私はどうしても飲み込む事が出来なかった。実際の所、私の貯金の大半は次兄が勝手に送り付けて来たお金を使わずに溜め込んでいるだけであり、実質ない物として扱っているお金だった。私にとって貯金とは、自分がハサミを握って稼いだお金だけだった。
「何だよおい、ずいぶん親切だよな」
――――手切れ金と呼ぶべき大金を次兄にくれてやったのは、四十九の時だった。長兄が死んでから八年の間、私が美容師となり一人で飯が食えるようになるまではずっと保護者であった人間に対する報酬。その時の物価等を考えた上での金額を渡してやった。そしてそれきり二度と私の人生に関わって来ないようにきつく申し付けた。
それから三年間、実にのびのびとした暮らしを送っていた私の所に、次兄から電話が飛び込んで来た。還暦祝いにどこか行かないかと言う無責任な電話を、亭主が勝手に了解してしまった。私がいつになくいきり立って怒鳴りつけると、私より先に亭主の方が泣いてしまった。そして私が三年前に貯め込んで来たお金を渡したのは縁切りだとはっきり言うと、今度は胸ぐらをつかまれた。
「それでも接客業かねキミは……人様に迷惑をかけ通しているのなんて我々みんな同じじゃないか。キミが兄の事になるとそんなになってしまうのだけはどうしても理解できん、私だってまもなく退職して隠居ジジイになる男だぞ、わかっているのかね」
わかっていても、うんと言えなかった。五十二歳になってまであんな人間に付き合わされては私の人生は一体何だったのと言う事になってしまう。あんなぐうたらとしているか申し訳程度の仕事で小金を漁っているかのどちらかでまるで向上心などなく、そしてその癖妹に対しては殊勝な兄ぶっているという、中途半端な功名心を擬人化させたような人間に付き合わされるのはもう嫌だった。
「だったらこれで最後にしてやれ、相手はもう還暦の上にお前は彼にとってたった1人の親族なのだぞ」
私がいくら理屈を述べていくら悄然としても、耳を貸す人間はいなかった。私が心底がっかりしながら了解の旨を申し述べると、亭主は年頃の女子のようにコロッと表情を変えた。何が大学教授だと思わずにいられなかった。
「なんで巨人が勝てないんですかね」
時あたかも阪神タイガースが優勝した年であったが、別段野球に関心があった訳でもない。なのにそんな事を言ったのは、自分が仏頂面である理由を作るための言い訳に過ぎない。次兄は五十近くになってから取ったとは思えないほどの運転技術で、既に型落ちになっていた車を乗りこなした。
メガネもかけずにハンドルを回し、法定速度の半分で進むその姿は全くもって安全運転のそれであり非の打ち所がなかった。もちろんこれもまた私にとっては不愉快の種であり、ますます私の口数は減った。
どうしてこんな人間が兄なのだろう、不公平ではあるまいか。人間でなければとっくの昔に飢えて死んでいたであろう存在がのうのうと生きている、こんな理不尽な真似を私に見せるだなんて神様仏様は一体何を考えているのか。これから行く事になるであろう寺で坊主に聞いてみたくて仕方がない疑問を抱えながらうつむいていると、わーと言う叫び声が聞こえた。何だとばかりに頭を上げると、対向車線のトラックが明らかにコントロールを失っていた。その上に明らかに法定速度なんぞ無視したスピードで走っている。その事に気付いたとたん、目の前が暗くなった。
そして気が付くと、私の目にあの城田とか言う男が映った。間際に閻魔様にもう人間はこりごりだと思った事が聞こえたのかはわからないが、確かにその望みどおりに私は馬になっていた。
天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六道があり、下から三つを三途とか言って苦しみ多き世界とか規定するが、その中でも畜生道と言うのは力を持つ者のなすがままの世界であり救済の少ない世界とされている。
だが少ないはゼロではない、導かれる人間の手腕さえ良ければいい方向に行けるかもしれない世界だとも言える。私自身、戸柱と言う騎手を信用していない訳ではない。デビュー戦も二戦目も、彼の手綱に従って勝利を得たのだ。しかしそれでも、今回ばかりは彼の手綱に従う気にはなれなかった。
私はあいつから離れるために、どうしても外に寄ってしまった。ど真ん中から外に寄ればさらに外にいる馬を押しのける事になるが、そんな事など知った事ではなかった。手綱をいくら引っ張られた所で、従う気になれなかった。
わがままと言わば言え、こちらだってわからずやの朴念仁と言ってやりたい。何が仲良しだ、何が同厩だ。こちとらもう二度とこんな奴に振り回されるのはごめんだ。少しぐらい私が振り回しても罰は当たらんだろう。少しぐらいわがままを言った所で前世から考えればトントンと言う奴だろう、いやそれどころか大量におつりが来てもいいはずだ。
開催二週目と言う訳でそれほど荒れている訳でもない馬場でわざわざ外を通る合理的な理由は距離がかかるゆえに混雑しないと言う一点に尽きるが、だからと言ってコースの大外まで離れるほどのメリットは、基本的にはない。ようやくあきらめたのか戸柱さんが手綱を緩めた時には、私はそんな所を走っていた。
最後のコーナーが見えて来た時、私は二番手を走っていた。ふと内側を見ると、真っ白な帽子をかぶった大林騎手の姿が見える。私はその大林騎手の下にいる存在に気付いてさらにギアを上げ引き離してやろうとしたが、その二人の間を一頭の馬が突き抜けて行った。
それがギフトトゥゴッドであることに気付いたのは、全てが終わってからだった。自分にその気がまるでないのを棚に上げてアンタも二番人気ならそれ相応の抵抗をしてみなさいよと内心で毒づきながら直線に向かうと、あいつはいつも以上にのほほんとした表情をしながら最内のコースを走っていた。
人生を終えて馬になってなお、他者の苦労を差し置いて何かを追い求める事をしないと言うのか!これまで自分が負かして来た馬たち、クラシックに出る事を夢見て来た多くの馬たちを一体何だと思っているのか!
私は前世、お前から逃げるべく仕事ばかりしてたせいで嫁に行ったのは四十路になり子どもを産む事も出来なかった。代わりに店を手に入れ一国一城の主にはなったものの、それは自分の役目ではないはずだ!私の言う事がどれだけ間違っているのか、証明できる物ならば証明してもらいたい。しかしあいつはそんな正論なんか聞きたくありませーんとばかりに、私を置き去りにしてしまった。
その後はもう、ただあいつを捕まえてさんざん説教してやろうと言う思いだけで走っていた。まあ結果から言えば第一にいきなり外にふくれるような真似をした事、第二にそんな余計なことを考えていたのが悪いと言う理屈になるのだろうが、結局私はあいつに二馬身、ギフトトゥゴッドに五馬身の差を付けられた。
「調教の時から感じていたけれどどうもバーニングミーとそりが合わない感じでわざと避けているって走りになってます。そこの所をわきまえて皐月賞は乗る事になるでしょう」
戸柱さんの大変ありがたい言葉の最中にも、私は頭を沸騰させてバーニングミーに向かって吠えていた。そして私の予想通りにバーニングミーはふーんと言ったきりそれ以上の反応はなかった。まるで自分の熱意が伝わらない。
若い盛りの三歳馬の四ヶ月ぶりのレースのはずなのに、えらく疲れてしまった。
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