私立終焉高校

 草木も眠る丑三つ時。天と地の狭間は雲で隔てられ、地に立つ人々の瞳に月や星は映らない。天高く聳える摩天楼じみた『私立終焉高校』の校舎は闇に塗れていた。光というものを感じられないその姿は、まるで世界そのものを表しているかのようだ。


 XXXX年、少子化高齢化が進み世界経済は大幅に衰退。それに伴い社会は負の方向に変革されていった。子供達の学び舎ですら例外ではない。校内暴力、女衒、人身売買、違法薬物、成績改竄……非道徳な営みは、今や小学校内ですら珍しいものでは無い。つい最近は規制緩和により成績不振者及び不良生徒の人権剥奪も認められるようになった。


 無論、終焉高校も例外ではない。退廃の気配は全国の高校の中でも一際濃い。入学者が無事に卒業できる確率は年々低下しており、昨年は遂に20%を割った。治安の悪さを偏差値で表すなら62~64辺りになる。


 それでも入学希望者は後を絶たない。理由は学費である。


 この国で中卒者はまともな仕事に就くことができない。安全か合法、そのどちらか──ないし両方を犠牲にした仕事しか回ってこないのだ。安全で合法な職場に就職したければ最低でも高校を卒業している必要がある。だが、公立高校ですら学費は非常に高くなっていた。一般的な家庭では夫婦共働きでようやく子供一人を通わせるかどうか、といったところである。それに対し終焉高校の学費は平均的な公立高校の半分未満。故に生徒が集まるのだ。


 終焉高校の地下。生徒は立ち入ることができない空間に、幾つもの人影が落ちていた。ぱっと見ただけでも二十は超えている。皆、終焉高校の教員だ。一人を除いた全員が小型のスーツケースを手にしていた。


「これで全員集まったようですね。では、今月の集金を始めます」


 声の主はスーツケースを持っていない男性だ。着こんでいるスーツは皺だらけで眼鏡の鼻あての片方は欠け、髪はボサボサだった。腰には刀を佩いている。彼の名は死深屠しみず ごう。 終焉高校の校長だ。冴えない中年男性にしか見えない死深屠だが、瞳は濃密な凶の色を帯びていた。


 彼の一言で、教員達は素早く一列に並んだ。


「皆さんが並ぶまで5.66秒かかりました。素晴らしい速さですね。10秒を超えていたら見せしめで誰かを殺していましたよ」


 死深屠は笑いながら拍手をした。乾いた音が地下空間に反響する。それが終わると列の先頭にいた教員がスーツケースを手渡した。死深屠はねっとりとした手つきでロックを外す。


「2000万円……ちゃんと用意できていますね。ノルマ達成です、相原先生」


 中に入っていたのは札束だ。死深屠は満足気な表情ですぐにスーツケースを閉める。1秒にすら満たない時間で札束の合計金額を把握したのだ。もし紙幣が足りなかったら、彼は即座に気づいていただろう。


 次々に教員達からスーツケースを受け取り、中を確認する死深屠。その手が止まったのは列の半分を消化し、折り返しに差し掛かる頃だった。


「田中先生──どうやら213万円足りないみたいですが」

「し、仕方なかったんです! 成績を上げる代わりに薬を捌いてくるよう命じた生徒達が、抗争に巻き込まれてまとめて死──」


 言い終わらないうちに、上半身と下半身が泣き別れた。無機質な床に生暖かい血が飛散する。


「言い訳よりも謝罪が先でしょう、田中先生。教員失格ですよ」


 刀は鞘に収まったまま。手には何も握られていない。驚くべきことに、死深屠は素手で人体を両断したのだ。その力、その技量は人外の域にあるといえる。そして、まるで何事もなかったかのように確認作業は進んでいく。この世界で人命は羽毛よりも軽い。人が一人死んだところで動揺するような軟弱者は皆死んだ。


 最後尾にいた教員のスーツケースの確認を終えると死深屠は顔を上げた。


「ありがとうございます、皆さんのお陰で集金が手早く終わりました。死んでしまった田中先生の担当科目は数学でしたね。埋め合──誰ですか、そこにいるのは?」


 喋るのを止め、死深屠は扉へ目線を向ける。一拍遅れて他の教員も彼に倣った。扉は荒々しく開け放たれる。薄暗い空間に一筋の光が差し込んだ。扉の外に立っていた少女は黒いセーラー服を着ていた。終焉高校の制服だ。教員達は一斉に拳銃を構える。


「撃て──」

「待ちなさい」


 発砲寸前だった教員達を死深屠は静止させる。


「あれは……拳銃で倒せる手合いではないでしょう。皆さんは退いてください。私が相手をします」


 刀が鞘より引き抜かれる。刀身は鈍く、そして妖しく光っていた。それを合図に教員達は非常口へと走り出す。


「手間が省けたわね。あたしの狙いは元よりあなただけよ」


 少女の体が霞のように掻き消える。電光石火の速さで地を蹴り吶喊。常人には姿を捉えることすら困難だろう。勢いを乗せ、死深屠目掛けて手刀を繰り出す。その速度はライフルの弾速を上回っていた。


「中々のスピードです。悪くないですね。ですが、生徒の立ち入りを禁じている場所への侵入及び教員への暴力行為は校則違反です。これは頂けませんよ、西川さつきさん」


 さつきの一撃を、死深屠はあっさりと刀で受け止める。


「へえ……あたしの名前、知っているんだ」

「校長ならば全生徒の顔と名前を記憶するのは当然でしょう」


 返す刀で死深屠は得物を振り下ろした。洗練された斬撃は、しかし虚しく空を切る。


「あなたが校長になってからどんどんこの学校は酷くなっている──まあ、校長になる前も大概だったけど。あなたが重いノルマを課すせいで先生達は必死になって金を稼ごうとしている。その皺寄せはあたし達生徒にいっているのよ」


 息もつかせぬ拳の驟雨。嵐のような猛撃が死深屠を襲う。


「ヤクザの鉄砲玉になる子、薬の密売や売春をやらされる子、海外に売り飛ばされる子、人体実験の犠牲になる子……どれだけの涙が流れたか知っている?」

「そういう時勢なのです。私が死んだところで世の中は何も変わりませんよ」

「でも、あなたが死ねばこの学校も少しはマシになるでしょうよ!」


 押し潰すような怒気と共に繰り出された蹴りが側頭部を掠める。そこからじわりと血が滲んだ。


「素晴らしい一撃です。西川さん、あなたには才能がある。私に弟子入りする気はありませんか?」

「お断りよ」

「そうですか。残念です」


 嘆息。そして一閃。


「ッ──」


 さつきの右肩に紅い華が咲く。制服は主の血を吸い赤黒く変色していた。


「おや……右腕を斬り落とすつもりだったのですが、まだ繋がっているとは」


 死深屠は止まらない。手を休めることなく矢継ぎ早に攻撃を続けていく。さつきは対処しようと必死になるが、じわりじわりと体に傷が刻まれていった。


「刀に気を取られ過ぎですよ」


 呵責無き回し蹴りが鳩尾に吸い込まれる。モロに喰らったさつきの体は鞠のように飛んで行き、盛大に壁に叩きつけられた。


「ガ、はッ……ぐぅ……」


 一瞬、衝撃で息が止まる。しかし歯を食い縛り、さつきは立ち上がった。


「やっぱり……あなたは強い。このまま続けたら、きっとあたしは負けるでしょうね。だけど、手はまだあるのよ」


 覚悟を決め、ごくりとポケットに忍ばせておいた錠剤を飲み込む。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」


 さつきの口から人間とは思えない咆哮が放たれる。目は真っ赤に充血し、爛々と輝いていた。


「…………」


 その姿を、死深屠はじっと見つめていた。


「さつきさんが摂取したのはデーモン・アイスと呼ばれる薬物。極度の興奮状態に陥る代わりに、一時的に身体能力を急上昇させるものです。鉄砲玉に摂取させるのが主な利用方法ですね」


 さつきは放たれた矢の如く、死深屠目掛けて走り出した。その速度たるや今までとは段違い。軽く見積もっても3倍は速いだろう。しかし、死深屠は平然とさつきに語りかける。


「ですが、効果時間中は判断力が極端に低下する。そのため──」


 刃と共に一迅の風が地下空間に流れる。


「容易く狩れるようになるのですよ、私にとっては」


 風が過ぎ去った後、さつきの首は繋がっていなかった。戦いの勝者は死深屠だ。しかし、どういうことか死深屠は口から血を吐いている。


「さつきさん、あなたの敗因はデーモン・アイスを摂取したことです。私、今日夕飯を食べている最中に教頭先生に襲撃されたのですよ。前々から彼は校長の座を狙っていました。愚行の対価は命で支払ってもらいましたが、その際に大分傷を負ってしまいまして……今の体調は万全ではありません。もしあなたがあのまま戦っていたら私は負けていたかもしれませんね。ですが、あなたは焦り……身体能力を強化するべく薬物を使ってしまった」


死深屠は口元の血を拭う。そして、去り際に一言を残していった。


「薬物に手を出してはいけません。常日頃、口酸っぱく言われていることでしょうに」






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