ワンドロ企画

紅井りんご

黄金の林檎の樹

 その指先は、まっすぐに始まりの方へ向けられていた。指は象の皮を鍋で煮込んだような灰色。人の皮膚の色とはかけ離れている。当然だろう──それは血の通っていない、銅像なのだから。指の先にあるのは、黄金色の林檎が実る一本の木。この果樹こそが村の始まり、即ち成立するきっかけとなったのである。


 かつて、天の階段を上り地の底へと潜る冒険家がいた。幾年も世界を旅してまわり、秘境という秘境を暴き続ける。目的は名声。冒険者は金銀財宝より名声を求めていた。国の誰もがその名を知り街の広場や酒場、はたまた王宮で人々の唇に上る。そんな、偉大な人物になろうと藻掻いていた。彼の冒険譚はそれなりに華々しいものではあったが、誰もがその名を知るような活躍は未だ叶わず。燻りを抱えながら日々を送っていた。

 ある日、彼は未開の山の探索を始めた。長年に渡り未知に挑み続け、百を超える死線を潜ってきた冒険家にとって山の環境はさしたる脅威ではなかった。だが、これが彼の最後の冒険になった。

 山中で、黄金色に輝く林檎が実る樹を見つけたのだ。名前が分からないものは口にしないことを彼は心掛けていたが、太陽を想起させる輝きに魅せられて思わず林檎を齧ってしまった。

 瞬間、電流のような衝撃が体内を駆け巡った。

 ──美味。

 脳内がその二語で埋め尽くされる。林檎は、彼が今まで食べてきたものの中で一番美味であった。冒険家はいたく黄金の林檎を気に入り、実を持ち帰って栽培を試みた。黄金の林檎を一人でも多くの人に食べてほしいと思ったのだ。しかし、栽培は失敗した。冒険で培われた人脈を駆使し、知り合いの学者に調べてもらったところ林檎は未開の山の環境でしか育たないことが分かった。

 冒険家は悩んだ。名声は欲しい。だが、冒険を続けては林檎を他者に広めることができない。おおよそ半年間の葛藤の末、林檎への想いは承認欲求を上回った。

 彼は冒険家を辞め、山に簡素な住居を拵えた。山内での林檎の栽培を試みたのである。長年の試行錯誤の末、彼は林檎の栽培に成功した。彼はいたく喜んだ。その頃には既に頭皮は禿げ上がり、顔はしわくちゃになっていた。市場に林檎を卸すとたちまち人気に火が付いた。林檎はかなりの高値で売買された。その結果、噂を聞きつけた一部の者が山に入り林檎の栽培を行おうとした。彼は山に訪れた者に無償で栽培方法を教えるのみならず、生活面でも色々と手助けを行った。

 長年の苦労の結晶である栽培方法をただで教えてくれるだけでなく生活を支援してくれるなんて、なんて良い人なのだろうか。山に訪れた者達はいたく感激した。やがて彼等は共同体を築き上げ、それは村になった。村長は彼が務めた。彼が村の長であることに異論を挟む者は一人もいなかった。人が増えたことで果樹の栽培数も増え、より多くの林檎が市場に卸された。市場に卸しに行く度、村人達は村長の人柄の良さについて語った。噂は口伝いに広まっていき、やがて王の耳にまで入るようになった。

 王は興味を持ち、家来に黄金の林檎と山の村長についての情報を用意するよう命じた。家来は林檎を調達し、村長の情報も調べ上げ……林檎と情報を記載した紙を王に献上した。まず、王は林檎の味に心を打たれた。次に、村長の人柄に心を打たれた。王は彼を王宮に招き、名誉ある勲章を賜った。彼の名は国中に知れ渡ることになった。

 彼の死後、その功績を称え村に銅像が建てられた。その指先は、まっすぐに始まりの方へ向けられていた。指の先にあるのは、彼が山で初めて見つけた林檎の樹である。

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