1話マホウツカイノクニ(3)

◇◇◇


午後の外回りを終えてデスクに戻ると、報告書や見積書等の作成作業を行った。そした事務作業はすべて『タブレット』と呼ばれる魔道具で行うことができる。銀に縁取られた木製のこの板にはリクの3年間の営業成績や顧客情報、会社の商品リストからすべてが詰められている。


「リク君じゃん、今日は早いんだね~」


急いで終わらせようと集中していたリクに話しかけてきたのは、同期のソラだった。同じ学校出身で、数少ない友達だ。長い前髪とチャラついた雰囲気の男だが、軽い見た目とは裏腹に仕事に関しては堅実で評価が高かった。


彼の成績や評価が高いため、学友とはいえ正直話すのは少し気まずいものがある。


「ああ、ちょっとな」


リクはやんわりと返した。


「おやおや…まさか、リク君にもついに女ができたのかな?」


あいまいに返事をしたのが、かえってソラの気を引いたようで、肩に手をのせ耳元に顔を近づける。


「どんな人だよ?かわいい系?美人系?それとも…」


「うるせえっ、仕事しろ仕事!」リクは吠えるように手を払った。


「わー怒ったー。俺がリク君より仕事ができすぎるからってーやだなーもー」


ソラはリクの怒りなど意に介していないようで、両手を後頭部に乗せ何食わぬ顔で大層失礼なことを言いやがった。


「よーし、わかった。それ喧嘩売ってるんだよな、そうだよな?」リクはタブレットをぱたんと置いて立ち上がりソラに向かってにらみを利かせる。リクの扱いに慣れているソラも一向に引く様子はない。


あほらしい、つきあってられないな。心が折れてくるりと席に戻った。仕方なく作業しながら昼間の出来事を説明する。


「人間の女の子か。それ、大丈夫なのか?」


いつもあっけらかんとした楽観主義者のソラが珍しく懐疑的だった。


「大丈夫って、何が?」


「人間なんて、相手にしたら噛み付かれっかも知れないぜ?」ソラはにやりとして答える。


なんだ、いつもの冗談か。と真剣に聞くのをやめて作業に集中することにした。


「噛みつくって…獣じゃあるまいしな」


「あ、でも獣みたいに積極的なら、俺目覚めちゃうかも…」ソラは、顎に手を当て、考えるようなジェスチャーでニヤリと笑う。


「目覚めるって、何にだよ…。言っておくけどな、その子、まだ十歳くらいだぞ」


「冗談だよ。大丈夫かってのは、その子の方だな。最近、テロだなんだって、警察でも人間の扱いはひどいらしいぜ」


リクは、タブレットに打ち込んでいた手を止めた。


「それ、確かなのか」


「ま、聞いた話じゃ適当な立て付けで無理やり冤罪にされたり、正当防衛とかいいつつ酷い目にあわされた奴だっているって聞いたな」ソラの顔は先ほどの冗談を言っていた時のものとは変わっていた。


「はぁ、他にどうしろっていうんだよ…」


頭を抱えるリクの様子を見て、ソラはこっそりと心の中で笑っていた。リクも変わってるなぁ。そもそも、普通の魔法使いなら人間なんて助けないのが当たり前なんだぞ。


◇◇◇


その日の業務を急いで終わらせ、カフェへ向かった。時刻は18時半を過ぎている。つい今しがたまで空を朱色に染めていた夕日はとっくに落ちきって空を群青色が包んでいた。


バイクをぐんぐんと飛ばして店の真上までやってきた、その時だった。店内から突然爆発音が鳴り響き、入り口のガラスが粉になって路地裏に散らばった。


同時に、誰かが路上に放り出されたのが目に入る。それは店主のガンだった。リクは慌ててバイクを下降させ、ガンの元へと駆け寄った。


「ガンさん、何があった?」


ガンは、リクの顔をみるや腕をすがるように掴んだ。スーツのジャケットがぐっと締め付けられ、ガンは鬼気迫る顔で言った。


「上に…助けてやってくれないか…」


気が動転しているガンをなだめ、状況を詳しく離させた。つい先ほど、突然知らない男が店に入ってきて「上に人間がいる、俺が駆除してやる」と言い出した。


ガンの声に耳を貸さず、男は二階へ向かおうとしたので、それを止めようとしたガンは一瞬で吹き飛ばされたという。


リクはその時、昼間2階から出た際にカーテンを閉めなかったことを思い出し小さく舌打ちした。裏路地の目立たない店だ、誰かに見られることもないと思っていたのに。


「早くしないと、子供が…殺されてしまう」


その言葉にリクははっとしてガンの顔を見た。詳しく聞こうと口を開いたその時、ビルの窓が割れる音がして、思わず上を見上げる。


ビルの中から炎が漏れ出していた。中で何が起きているのか、嫌な想像が頭をよぎる。


「とにかく、ガンさんはここに居てくれ。俺が行く」


ガンをその場に残し、2階の窓までバイクで一気に上昇し、そのまま中へと入った。

部屋の壁には炎が柱のように立ち上がり、熱気と煙が肺を満たす。


中には、瘦せこけた銀髪の男が一人。そしてその隣でカスミが震えて泣いていた。男の足元には火を付けたであろう魔道具が転がっている。


「やめろ!その子に近づくな!」


男はゆっくりとリクの方を振り返った。年齢は40代後半くらい、髪は乱れその眼はうつろだった。


ろくに何日も寝ていないのか、目の下のくまが炎ではっきりと照らされている。


「…誰かは知らんが、邪魔するな。これからこいつを焼き殺す」


野太い声で男は淡々と言った。カスミは、熱と煙にせき込みながら、すがるようにリクを見つめる。


「その子が何したって言うんだ」


男は表情を一切変えなかった。湖の底のような暗く冷たい目をしている。


「こいつは、窃盗犯だ。現場を押さえた」男の言葉は切れ切れでたどたどしかった。


「せ、窃盗って。だからって、こんな事までするかよ。店燃えてんだぞ!」


「我慢…ならないんだよ。たかが人間が犯罪を犯してるのが」


そう言うと、男は再びカスミの方を向きなおした。


リクは慌てて男に近づこうとした。すると男がリクに向けて手をかざし、周囲の炎が集まって壁となった。目の前が赤や黄色の一面で覆われ、その熱気に思わず足を止め顔を背ける。


「これ以上近づくな!俺は妻と娘が人間に殺された。3日前だ、テロに巻き込まれてな。人間は生かしておくべきじゃないんだ」男の言葉は痛々しく話しながら針で刺されているようだった。


「あんたも、テロの被害者か…。でもな、その子もテロで親を失ってるんだ。あんたと、変わらないんだよ」炎の壁越しでは男がどんな表情をしていたかはわからなかった。少しの沈黙が流れた。


「そんなこと、なんでお前が知ってる。そもそもお前誰なんだ?でたらめ言ってんじゃねえ、安い正義感はよせよ。かばったところでお前に何の得もないだろ」


そう言うと男は乾いた笑い声をあげた。その辺をたまたま通りかかった魔法使いが嘘を付いている程度にしか思っていないのだろう。実際のところ当たらずとも遠からずといったところだが、その様子に段々と腹が立ってくる。


「ああ、今日知り合ったばっかだよ。でも聞いたんだ。あんたにも、同情はする。でも、どう考えたってその子は関係ないだろ!やめとけよ」


リクの言葉に、男の態度は段々と変わってきた。たどたどしかった声が狂ったスピーカーのように急に大きくなる。


「『関係ない』だと?俺の妻も娘も、テロとは関係なんてなかった!そうだろ!?」


男の様子は不安定で狂気めいたものを感じた。男が妻子を失って3日間どんな過ごし方をしてきたのか、想像に難くない。それは想像できないほどに辛いことだろう。しかし、強引な主張にリクの怒りも頂点に達していた。


「めんどくさいことばっか言ってんじゃねえ!やられてやり返すのは勝手だが、他人巻き込んでんならてめえもテロリストだバカ野郎!」力任せに炎の壁を魔法で薙ぎ払う。男の顔はリクを見つめて混乱しているようだった。


男は「だから、お前は誰なんだよ」と一言だけ言った。


そして、周囲の炎が男の周りに集まると、細長い円錐状の塊が部屋中を埋め尽くす。それは炎の弾丸とも呼べるようなものだった。そして、男が合図するでもなくその弾丸は、容赦なくリクに向かって打ち込まれた。


高速で向かってくるそれらは中身のない炎の塊、硬さはなくても数発も当たれば全身を燃やすには十分な量だ。

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