やさしさの味
星海ちあき
第1話
トントントン、コトコトコト。
キッチンからは絶えず音が漏れてくる。
カタカタカタ、ペラペラ。
そんな温かな音を聞きながら私はリビングで仕事をする。
新型コロナウイルスの影響でホームワークが増えている今日この頃、私も例外なく自宅で仕事に明け暮れている。
私、
企画が通ればそれを作家さんに伝え、どういう風に進めていくか決める。その後は作家さんのサポートをしつつ印刷所と連携して本にしていく。最後に営業部の人たちが書店に売り込み店頭に並べられる。
やることが山積みだからこそなかなか生活リズムは整わないが、それでもこうして何とかやっていけている。
「朱里さん、そろそろ出来ますよ」
「はーい」
それもこれも、彼がいてくれるおかげだ。
キッチンで料理をしてくれていた人、私の恋人で同居人の
私よりも四つ下の紅乃くんだけど、料理の専門学校に通ってて何でもおいしく作ってくれるうえに他の家事までできてしまう。
私のほうが年上なのに助けられてばかりで申しわけなくなってしまう。
そんなことを考えながらテーブルを片付けてキッチンへ向かうとトマトの香りが鼻をくすぐってきた。
「うわぁ、ミネストローネだ!」
「あと俺特製カルボナーラです」
「なんだかおしゃれなお昼ご飯だね。ほんとにいつもありがと」
棚からお皿を出してスープをよそいながら日ごろからの感謝を口にした。
「いえいえ。俺が家事しなかったら朱里さんずっと仕事するでしょ?そのうち死んじゃう。それは俺が困るから、ご飯作るのも他の家事も俺のためにしてるだけ。まあ、理由はそれだけじゃないけど・・・」
少し困ったように眉を寄せてこちらを見てくる。
私はそれに言い返せず苦笑いしかできない。
ずっと仕事をしているというのもそうだし、一人だと食事がおろそかになるのもそう。だが、一番の問題はそこではなく、単純に家事が苦手なのだ。
◇
「あちゃー、また焦がしちゃった。やっぱり私に料理は向いてないのかな・・・。部屋もちっとも片付かないし。はぁ・・・」
昔から片づけが苦手で部屋は散らかり放題、料理をしてみてもおいしいとは到底言うことのできない代物を作り上げる。
紅乃くんと付き合ってから彼が何でもできるハイスペック男性だとわかって、年上なのに何もできないダメ人間だと減滅されたくないから頑張ってみたけど、うまくいったことなんてないのが現状。
「紅乃くん鋭いし、隠し通すなんてできそうにないしな。明日家に呼んで、減滅覚悟でちゃんと話そう」
私はすぐさま携帯を手に取り紅乃くんに連絡をした。
「朱里さん、隠し事ってこれですか?」
家に入ってからの第一声が疑問の言葉だった。
そうですよね、引きますよね。いきなり家に呼んだ挙句汚い部屋を見せられたらそうなりますよね。
「ご、ごめんね隠してて。その、実は私家事全般がだめなの。女子力なんてものがほとんどないし、紅乃くん何でもできるしかっこいいから、せめて外見だけはちゃんとしようって本当の自分を隠してました・・・」
再度謝り深く頭を下げてからしばらくして上からため息が降ってきた。
恐る恐る顔をあげてみると紅乃くんは少しむっとした顔をしていた。
「こんなどうでもいいようなことだったなんて」
「どうでもいいこと?!私にとっては人生を左右することなのに!年上なのに生活能力も女子力もないことを知った紅乃くんが私のこと減滅して破局にいたるって考えて泣きそうになることなのに!紅乃くんと別れたくないから、嫌われたくないから・・・本当は知られたくなかったのに・・・」
こんな風に女々しいことしか言えない自分が嫌になる。きっとこんな私なんてもう嫌だろうな。
「朱里さん、この部屋が何だっていうんです?人には得手不得手があるんですから気にしないで下さい。朱里さんが出来ないことは俺がフォローします。俺が出来ないことは朱里さんがフォローしてください」
「紅乃くんが出来ないことなんてほとんどなくない?そんなの私が助けられてばっかりになっちゃうよ」
「そんなことありませんよ、俺は朱里さんがいてくれるだけで支えられてるんですから。それに、歳なんて関係なく俺は二人で支え合って進んでいきたいです」
紅乃くん、なんて心の優しい人なんだろう。この優しさに甘えたい。
けど、甘えてばかりもダメなのはわかっている。
じゃあ今自分がするべきことはひとつ。
「ありがとう、紅乃くん。私、年上だからって気を張ってたかも。そんなの関係なく二人で一緒に進んでいかないと意味ないのにね、ごめんなさい。申し訳ないことこの上ないけど、今から部屋の片づけ手伝ってもらってもいいかな?」
「もちろんです!」
快く承諾してくれた紅乃くんには本当に感謝しかない。絶対何かお礼をしないと。
主に紅乃くんが指示を出して私が物の配置を決めたり
ろくに休憩もしないで片づけをして気がついたら日が沈みかけていた。
「うわ、もう夕方?ごめんね紅乃くんずっと付き合わせちゃって」
「大丈夫ですよ。それよりも朱里さんおなか空いてませんか?」
そう言えばお昼も食べてなかったっけ。
自覚をしたら急におなかが空いてきて盛大に腹の虫が鳴いてしまった。
恥ずかしさで赤面をしてしまっている私を見て紅乃くんは笑っている。
「いい音ですね。じゃあもうほとんど綺麗になったしご飯にしましょうか」
「え、でも何も作ってない・・・」
「朱里さんが片付けに没頭している間に台所借りました。冷蔵庫にもいろいろ入ってましたし、料理もできないって言ってたのに結構入ってびっくりしました」
「そ、それは、少しでも上達すればって思って、練習、してたから・・・」
どんどん小さくなる私の声が最後まで聞こえていたのかはわからないが紅乃くんは驚いた顔をしていた。
「俺のために?」
ぶんぶんと頭を勢いよく振って肯定すると彼はたちまち赤くなっていった。
「うわぁ、やばい。嬉しいです。頑張ろうって思ってくれてありがとうございます。俺でよければ料理教えますよ。朱里さんと一緒に料理とか楽しそう」
「ほんと?紅乃くんに教えてもらえたら人が食べても平気なものになると思う!ぜひお願いします!」
その言葉に紅乃くんはとびきりの笑顔を見せてくれた。
「わかりました。とりあえず今はご飯にしましょう。朱里さんの好きなオムライスです」
そう言ってリビングに持ってきたのはふわとろの卵にデミグラスソースがかかったオムライスだった。
「デミグラスだー!私オムライスの中でもデミグラスが一番好きなの!」
「俺もです。バターライスもデミグラスの味が際立つようにあっさり目にしてあります」
他にもクルトン入りのサラダもあった。
至れり尽くせりってこういうことかな。
二人分のご飯をテーブルに並べて少し早めのディナーが始まった。
私は早速オムライスを口に運んだ。卵にデミグラスソースが絡んできらめいている。
口に含んだ瞬間に卵はとろけてデミグラスの濃厚な味が体に沁み渡っていく。
こんな優しい味のオムライスは初めて食べた。
すごくおいしい、いや、おいしいだけの言葉じゃ足りないくらいだ。
まるで紅乃くんの人柄そのものが味に反映されているみたい。
「あの、朱里さん?なんで泣いて?もしかして、おいしくなかったですか?」
「え?あ、違う。そうじゃなくて、なんでだろう。すごくおいしいの、おいしいのに。あれ、止まんないや」
私は目から大粒の涙をこぼしていた。
悲しくなんてないしつらくもない。ましてやおいしくないなんてあり得ない。
じゃあこの涙のわけは。
「嬉しいんだ、私」
「え?」
「私のダメな部分を受け入れてもらえた上にこんなおいしいごはんまで作ってもらえて、自分で思ってた以上に嬉しいみたい」
そう告げた私を真っ直ぐに見据えて紅乃くんは口を開いた。
「朱里さん、一緒に暮らしませんか?」
◇
同棲を始めてからと同じように二人分の料理をテーブルに並べて向かい合わせに座る。
「「頂きます」」」
カルボナーラを口に入れると卵の濃厚な味のあとにブラックペッパーのピリッとした辛さが追ってくる。なんとも癖になるたまらない味だ。
ミネストローネの酸味もこの濃厚な味をやわらげてくれる。しかも野菜がたっぷり入っていて栄養もちゃんと取れる。
日ごろから栄養が偏ってしまう私のことを考えてくれる紅乃くんの優しさを感じた。
「やっぱり紅乃くんの料理は優しくて幸せの味がするね。カルボナーラもミネストローネもすっごくおいしい」
「喜んでもらえて何よりです。朱里さんのために俺の気持ち沢山つぎ込んでますから」
「私、紅乃くんがいてくれるから仕事頑張れるんだと思う。もちろん自分で体調管理とか生活リズムとか正さないといけないけど、それもこれも紅乃くんがいてくれるからこそできることだとおもうんだよね。こんなダメなところが多い私と一緒にいてくれて本当にありがとう。それと、これからも一緒にいて下さい」
伝えられるすべての想いを込めて改めて言うと紅乃くんははにかんだように頬をかいた。
「そんな、俺こそです。弱いところを見せてくれるのはすごく嬉しいです。俺が朱里さんの力になれているのならそれに勝るものはないですよ。それに、離れたいって言われてももう離せないです」
そんな風に温かな食卓には二人の笑い声と優しい空気が流れていった。
この時間がなくならないように、今私に出来ることを精一杯頑張ろうと思えるんだ。
やさしさの味 星海ちあき @suono_di_stella
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