その92 ヒロインは遅れてやってくる
「お、遅くなりましたー!」
私の揺れる心を正すように、談話室に慌てて現れたのは我らがヒロインジェーンの姿だった。
少し乱れた髪がもうめちゃくちゃに可愛くて、私は一瞬にして瓶の誘惑から振りほどかれる、
……もはや乱れたのは髪ではなくこちらの心だよ!
「おお、よく来てくれたのう!」
「おお、じゃありませんよもう! 本当に慌てたんですから!」
「すまんすまん、まさか儂が教師NGとは思わなくてな」
「それは思ってください!」
急いで来たから顔が赤いのか、それともナナっさんに怒っているから顔が赤いのか、どちらかは分からないけれどその頬は上気していて少し色っぽかった。
うーん、熱い吐息には同姓の私すらドキっとさせる力があるな!
イブンの目には毒かもしれない……。
私の目には薬だけど!
「ジェーン! 髪整えるよ! 青少年の純情の為に!」
「え? あっはい、よろしくお願いします」
何を言っているのか分からない様子のジェーンの背後に回って、私はややボサついた彼女の栗色の髪を櫛で整える。
……なんか謎の正義感から自然とやってしまっているけれど、ヤバいことしてるかもしれない!
何この雲みたいな髪!
柔すぎる! 柔すぎてもはや綿!
もしや綿菓子かな……食べちゃいたい!
「甘い味がしそう!」
「あの、口に含んでもいいですが、甘くはないと思いますよ?」
「そこは拒否せんか!」
大海よりも空よりもその心が広すぎて、猟奇的な私の思考を受けいれてしまうジェーンだった。
あまりにも天使が過ぎる! 天使過ぎて危険!
ちなみに髪の毛を食べたくなってしまう異食症は『ラプンツェル症候群』と言って存在しているのだけど、メルヘンなその名に反して、胃の中の食べ物と髪の毛が絡まって胃石を作りかねない大変危険なものである。
なので、どれだけ目の前にふわっふわで甘トロそうな髪があっても食べないようにしよう!
お姉さんとの約束だよ!
「でも舐めるくらいはセーフかも……」
「お姉さん、人として、人としてやめておこう」
真剣な顔で年下に叱られる私だった。
まさか人のあり様をお壊れることになるとは……。
「い、いや、もちろんしないよ! ちょっと本音が出ただけで!」
「別に私はいいんですけどね……でも、少し汚い気もしますので、湯浴みの後の方が」
「現実的に考え始めるのはやめんか! ええい! 学院長命令で授業開始の鐘を鳴らす!」
ナナっさんは中空に金の鐘を生み出すと、何処からともなく取り出したトンカチでゴーンと打ち鳴らして、強制的にこの変態的な話を打ち切った。
授業を始めるためだけにそんな魔法を作ったのかと思うと、面白しろ過ぎるけれど、今はそんな面白さより感謝が上回る。
あ、ありがとうナナっさん、私の暴走を止めてくれて……そういう、常識的なところも好きです!
★
「こほん、では授業を開始します」
立ち居振る舞いを正したジェーンは改めて教壇に立つ。
その姿には今までにない初々しさが感じられて、新任教師感が強く、どうにも萌えて萌えて仕方ない。
キュンキュンするなー!
なんだか成長して教師として魔法学院に戻って来たジェーンエンド……みたいな感じで非常に良い!
私の頭の中では自動的に感動的なストーリーが妄想され始め、そのもう雄で私は勝手に心を締め付けられる。
オタク、自分の妄想で泣きがち。
いや、でも本当になんか……良すぎるな。
……良すぎて苦しいくらい、いい。
うわっ、なんか泣けて来た……。
「ぐすっ……ジェーン、立派になったね」
「あ、あの、まだ未熟なのですが」
急に泣き出す私に戸惑うジェーンだけど、隣の席に座るイブンの反応は冷静だった。
「お姉さんはしばらくしたら元に戻るから、授業を開始して大丈夫」
この数日間、共に授業を受け続けただけあって、イブンの私への理解度は相当なものになっている。
いや、私、年下に見透かされすぎ!
「で、では、今日は私のかろうじて得意な植物学をお教えします。地元に変な草がたくさんあったので、一番興味を持って臨めたんです」
「それって魔法と関係ある?」
「はい、ありますよ。魔法の力を用いて魔物と共生する植物などについて、今日は学んでいきましょう」
「わっほーい」
顔は無表情だけど、声はもう楽しみすぎて子供のようになっているイブンだった。
私も泣いている場合ではない!
美人教師の授業を聞かないなんて生涯の損だ!
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