その50 湖の乙女


 ジェーンに向かって伸ばした私の両手は、中空をフラフラと動き回り、どこを掴もうか悩んだあげく、最も無難な腰へと導かれる。

 首だと恋愛ドラマのイケメンがやるやつになっちゃうし、そもそも背が足りない!

 腰も無難というには繊細な位置だけど、他があまりにも禁忌すぎて、もはやそこしかなかったんです!


 マグニチュード12の地震かと思うほどに揺れる手で、私はジェーンの腰に全力でビビりながら触れると、一瞬で脳にその柔らかさが響いてきた。


 ……というか、ほ、ほっそ!?

 細すぎて細川ガラシャになっちゃうよ!????


 まるで陶器の花瓶のように美麗にくびれたジェーンの腰を抱きしめていると、今にも壊れてしまいそうでもう心配でたまらない。

 だ、大丈夫かな……パリーンってならない?

 無論、私の細腕よりもジェーンが弱いわけがないので、砕ける場合は私の腕の方だろうけれど。


「そ、それでは、飛びます。しっかり捕まっていてください」

「しっかり捕まるとこう感触がダイレクトにくるからふあああああああああああ!?」


 ゆっくりと浮かび上がる私とジェーンの体。

 体重マイナスという女子の夢が今、叶えられた!


 どうやら、空を飛ぶジェーンに単に掴まっているという状況ではなく、近距離で一緒にいることで、私も浮遊状態になるらしい。

 ……もしかして抱き締める必要はなかった?

 今更気付く私だけど、もう空にいる状態ではいきなり体勢を変えるわけにもいかない。

 ジェーンには申し訳ないけれど、ここは我慢してもらうほかないだろう。

 

 ふわふわと地に足つかない感触に戸惑いつつも、恐れからかぎゅっとジェーンの体を抱きしめていると、一瞬で恐怖が消え去った。

 というかむしろ冷静になった。

 何故なら……ジェーンの体がほぼ羽毛布団だったからだ。

 

 柔らかすぎますよこれ……。

 人を駄目にするソファーの100倍は人を駄目にしそうな柔らかさをしている。

 やばい……こんなのに触れたら全人類がジェーンの虜になった挙句、腰を中心とした宗教を生み出しかねない。

 ぎっくり腰はよく魔女の一撃と言うけれど、ジェーンの腰は別の意味で私の脳を揺らす魔女の一撃だった。

 

「怖くありませんか?」

「ジェーンのおかげで恐怖心は消え去ったけれど、他の不安が湧いてきたよ……ジェーン、私はジェーンが教祖様になっても応援してるからね!」

「不安が謎すぎますが、あの、むしろ信徒側な人間なので……えっと、思いのほか平気そうなので、もっとたかく飛びますねー」


 真剣に私の身を案じてくれるジェーンに向かってアホ100%なことを言ってしまったために、ジェーンの心配も一瞬で消し飛んでしまった。

 結果、遠慮も一緒に消え去って、高度も速度もどんどん上昇していくことに。


 先程までは20cmほど離れていた地面との距離が急速に離れていく。

 重力から切り離されたように、ジェーンと私は空へ空へと、風船のようにグングン浮かび上がっていった。

 

 そして気が付けば、私たちは葉を抜け、木々を抜け、森を抜け、夜の空に飛び立つ。

 もうここは森ではない。

 森の上空だ。


 輝く夜の星々の一部になったような、そんな高揚感が私の胸を強く打つ。

 すごい! 夢みたい!

 あれっ、夢なんだっけ!?

 夢だけど夢じゃなかった!?


「ラウラ様、見てください! 世界が途切れています!」


 ジェーンの驚いた声に導かれて、下でも上でもなく、地平線の先へ視線を向けると、そこには異常な光景が広がっていた。

 森が消えているばかりか、何と地面が途切れていたのだ。

 途切れた先には深い深い闇が広がるばかりで、何もありはしない。


 これで完全に確信した。

 ここは夢の世界、異世界だ!


「狭い規模の世界だと言うことが分かりましたね。そして、現実でもありません」

「まるで昔の人が考えた地球平面説みたいな光景! ほら! そこで水が落下してるのもそれっぽいし!」


 世界の端の方で、森の中を流れる川が、虚空に向かって落下していく姿が見える。

 それはまるで世界を舞台にした滝だった。

 一体あの水はどこに行くのか、そしてこの川はどこから来たのか、果てしなく謎な光景が目の前に広がる。


「ラウラ様、川の根元はどうやらあるようですよ。ほら、あそこに泉のようなものが」

「えっ? 本当?」


 森の中心へ向かう川を目で辿っていくと、そこには大きな泉が広がっていた。

 泉は地中から湧き出る水溜りのことを指すのだけど、この世界の泉は本当に地中から溢れているのか、甚だ疑問ではある。

 

 ともかく、一風変わったこの森の中でも、その泉は何かがありそうな雰囲気がぷんぷんしている。

 私のファンタジー脳が反応している!

 だいたい泉は重要だって!


「あそこに行ってみようジェーン! 剣がありそうな気がするよ!」

「はい、行ってみましょう」


 剣と泉には実は関係がある。

 世界で最も有名な剣といえば『アーサー王伝説』のエクスカリバーなのだけど、あの剣は石に刺さっていて、選ばれた者にしか抜けないというのが一番有名で、漫画や小説でもよく見る設定だと思う。

 けれど、実は他の話もあって、それは『湖の乙女』と呼ばれる精霊からエクスカリバーを貰う話だ。

 作品によっては両方の設定が書かれたために、エクスカリバーが二本あるという大変混乱を招く状況が生み出されたこともあるのだとか。


 そんなわけで、剣探しにおいて水場は重要だったりする。

 この世界と現実の知識がどれだけ比例しているかは分からないけれど、ある程度は一緒だと思うので、剣がある可能性は高そうだった。

 

 この世界の中心にある泉に向かって、私たちは空を切るように移動する。

 果たして剣はあるのかないのか。

 どちらにせよ、胸はときめくばかりだ。

 

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