その20 オタクオワタ条約

 オタクは体の内に込めた萌えという欲求を外に吐き出さなければ、最終的に破裂してしまうという業を背負った悲しき生き物である。


 しかし、コミュ障な私には人とお話しして発散するという選択肢が最初から存在していない。

 そう私の推し欲はヘドロのように溜まり続けていたのだ!

 

 しかも、この世界に来てからというもの、遠くからリアルで推しを眺める日々……そりゃあ、もうそんな光景を毎日眺めていたら、私の欲求はネズミを前にした猫、ウサギを前にした獅子、オニを前にした桃太郎の如く沸き立つ!

 結果、己の身を守るために――私は絵を描くしかなかったのだ!

 

 ……まあ、下手すぎてむしろフラストレーション溜まったんだけどさ!

 自給自足失敗!

 やはり絵は人のものに限る!


 そんなオタクな黒歴史が今、本人たちに暴かれてしまったという事実。

 百物語にお出ししても何もおかしくはないほどの恐怖体験だよこれは!

 同人即売会で作者本人が買いにくる時くらい気まずい!

 

「えっ、私? ……わぁ、本当、すっごい上手」


 ジェーンはローザが手に取った絵を覗き込むと、目を丸くしてそう言った。


 よりにもよってその絵はジェーンを描こうと苦心した挙句、どうしようもなくなって放置する羽目になったラフ画だった。


 な、なんと説明したものか!

 いや、説明も何もそのままなんだけどさ!


「いや! あの! そ、それは、その、人と話せないコミュ障なものだからついつい口よりも手を動かしてしまって! 口を先に動かせって話だよね!? それで、ジェーンを描きたかったんだけど、全然その天性の可愛さを表現できない上に実際にこの目で見てるものだから想像とのギャップでどんどん描けなくなって、もう、わー!ってなった挙句、挫折しちゃった時のやつなんだけど、えっと、だから、勝手に描いちゃってごめんなさい! でも褒めてもらえて嬉しいです! 精進します!」


 自分の絵に対して推しからリプをもらったかのような状況に、私は興奮を隠せない。

 もはや言い訳にもなっていない謎の言い訳が暴走した言葉を彩っていく。


 し、しかし上手なんて初めて言われたかも。

 というより、今まで誰にも見せたことがなかったので、初めてなのは当然なのだけど。

 

 う、嬉しい!

 人に褒めてもらうのってこんなに嬉しいことなの!?

 この快楽、もはや薬物じゃん! 依存症まっしぐらだよ!?

 

 でも、ほ、本当にそんな出来の良いものではないと思うんだけど、ラフだから良く見えるってやつかな……?


「確かに写実性は足りてないように思いますが、むしろそれが物珍しくて面白いですわ。一発でジェーンと分かりましたし、特徴をきちんと捉えているのは素晴らしいと思いますわね。それに、目を大きくして目立たせる方法などもジェーンの魅力ある瞳を感じさせて高評価ですわ」

「が、ガチ評論されるとは……」


 真剣な顔で私のつたない絵を鑑賞し感想を述べるローザ。

 その姿は非常に美しく、まるで私のオタクイラストですら、一級品の絵画のように見えてくる。


 貴族らしくない当家と違い、ローザは貴族中の貴族、THE貴族シンプルシリーズなので著名な画家の絵画を山ほど見て育っているだろうから、相当に目が肥えているはずだ。

 そんなローザに褒めてもらえるのは嬉しい限りだけど、どうやら彼女はそのアニメ的な表現方法に驚いているらしい。

 な、なるほどそっち方面で褒められていたのか。


 でも、まるで知らないタイプの絵を見て純粋に褒められるというのは、ローザの芸術に対する柔軟さが感じられた。

 普通ならこんなものはあり得ないと一笑に付してしまうところだろう。


「わ、私なんていくらでも描いてもらって大丈夫ですから! それにすっごく可愛く描いてもらって……ラウラ様ってその勉強もできる上に芸術にも強いなんて、尊敬します」


 無断で絵のモデルにされたというのに、ジェーンは大変に寛大だった。

 しかも、褒め褒めまでしてくれるので私も照れ照れだった。

 でも流石に褒めすぎだと思うよ!


「べ、勉強は私が暇すぎただけだから……」


 ジェーンの言う通り私は確かに成績だけは良い。

 でもそれは、あの、その、することが何もなかったからずっとこもりきりでやっていただけです、はい。

 私くらい何もない人間だと勉強くらいはやっておかないと、釣り合いが取れないというのもある。

 時間だけはたっぷりあるのがぼっちの良いところだ。


 生前もそんなエセ優等生みたいなことはしていたのだけど、この世界に来てからはついていくために必死に勉強したので、一応はラウラ・メーリアンは優等生ではある。

 そもそも悪役令嬢としての設定も、表では真面目で勉強熱心な可愛らしいお嬢様なので、そこは準拠していると言える。


 ただし、生前の記憶が邪魔するもので、魔法の腕前はゴミだけどね……。

 生まれ変わってなお地球の常識に囚われてしまい、魔法に必要な信じる力が私にはあまりにも欠けていた。


 だ、だって、私風情が魔法様を使うなんてファンタジーに失礼な気がするし!

 もっとキラキラした人が使ってほしい!


「あの、他の絵も絵も見ていいですか?」

「えっ…………………い、いいよ!」

「かつてないほどの溜めがありませんでした?」

「一枚見られたらもう何枚でも一緒! っていう気持ちといや恥ずかしさが倍々に増えていくだけでは? っていう疑問が正面衝突して一瞬思考の空白期間が出来ただけだから!」

「『だけ』というには大事故な気が致しますわ……」


 その後は、わいわいと歓談しつつ私の絵を眺めるという謎の会が始まってしまい、ローザの入れた紅茶を飲みながらの不思議な女子会のような雰囲気が流れ始めた。


 じょ、女子会!?

 憧れどころかもう完全に無縁だと思っていた概念だ!

 私とってそれらはもう空に浮かぶ島と同じくらいあり得ないものだった。

 まさか実在していたなんて……。


 ただし、私たちの会話は悲しいかな甘い恋バナなどには発展はしなかった。

 私としてはジェーンの恋バナ……今のルート状況はかなり気になっているのだけど、それ以上に人に絵を見られ続けるという羞恥大躍進政策によって脳内が支配されてしまいもういっぱいいっぱいだったのだ。


 今のところヘンリールートが一番濃厚なのかな……?





 学院内に設置されている大食堂は、いつもなら人で賑わっているのだけど、今は冬季休暇中ということもあって人はまばらに散らばっていた。

 そんな寂しげでありながら、豪奢な食堂を後にした私たちが寮へ戻ると、あたりはすっかり暗くなっていた。


 夜の帳が降りて、今日という日が明日に近づくにつれて、私はプレッシャーを感じ始めていた。

 何のプレッシャーかって?

 それは当然三人一つのベッドで寝るという恐ろしき儀式を前にしたプレッシャーに決まっている!

 あまりのプレッシャーに私は手が震え始めていた。

 強敵を前にした武術家みたいなことになっている。


 絞首台の十三階段に足をかけた死刑囚の気分で、私は寮の階段を一歩一歩重苦しく登り、ようやく自室にたどり着く。

 首にかかるのは縄ではなく彼女たちの手かもしれないと思うと、血がどんどん頭に上ってきた。

 顔色もあかあかあかく、そしてあかい色に染まってしまった。


 せ、せめて死んで悔いなしと思える立派な死に方にしよう……!

 匂いとか嗅がないようにする!


「私、みんなで一緒に寝るのあこがれてたんです! 地元は若い子が少なくて……」


 ジェーンはベッドを前にして純真に目をキラッキラさせていた。

 ううっ、薄汚れた我が心が憎い!

 キラッキラな彼女とは違い、私は浄化されゾンビのようにフラッフラになっていた。

 

「あっ! そうだ! 三人の配置を決めないとですね!」

「配置!?」

「はい、右左はどちらでもさほど変わりませんから、要は真ん中を誰にするかという問題です」

「真ん中ぁ!?」


 ま、真ん中とはつまり『川』という字の最も短いやつって意味で合ってる!?

 だとしたらその位置は確実に人を萌え殺せる危険地帯だよ!

 言うなればベッドの上に現れた地雷地帯!

 国際法で禁止されるべき場所と言わざるを得ない……!

 

 対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約。

 これが世に言うオタワ条約である!

 決してオタク条約でもオワタ条約でもないので間違えないように。

 今回のはオタクオワタ私死んだ!?と思うけども!


「ら、ラウラ様が真ん中が良いと思いますわ!」


 いち早くこの危険地帯から抜け出したのはローザだった。

 に、逃げたねローザ!?

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