古書珈琲、閉店後の夜

搗鯨 或

12月11日、金曜日

「ねぇ」

 ホールを掃除している傷跡だらけの青年に杖家の魔女は声をかけた。壁一面に陳列した古書たちの囁き声がふと止まる。青年は目線を軽く向けるも、再び手元に意識を集中させる。黒い服をまとった彼女は、やれやれと言ったように溜息をつき、店端の椅子に腰をかけその長い御髪をはらりと揺らすした。

「今日の君は空にいるみたいね。何かあったの?」

 彼女の言葉に箒を動かす傷だらけの手が止まる。

「……アンタに言う筋合いはないだろ」

 切り傷の跡が残った頬がピクリと動き、アクアオーラの目が魔女を睨む。

「睨まないで頂戴。そんな使い方したら美しい瞳が勿体ないわ」

 魔女は手元の小瓶を軽く振り、中の角砂糖たちを躍らせた。

「おい」

「ん? どうかしたの?」

「砂糖がかけるだろ」

 苛立ち交じりの彼の言葉に「紅茶に溶けやすくていいんじゃない?」と鼻歌交じりの言葉を返す。そんな魔女をしり目に、程よく筋肉のついた腕で箒を動かす。

「それで? 何かあったのかい?」

「だから、何でもねぇって」

 がしゃん、と鉄の塵取りを片手に集めたごみを丁寧に入れてゆく。店内の橙の照明が彼の髪を照らす。彼の髪がさらさらと揺れる。肩肘を机につき、手に顎をのせ、そんな彼の様子を見て、少し、いたずら心が沸いた。

「なら、」


 魔法をつかってしまおうかしら。


「アンタはもう寝る支度しろよ!」

 大声と掃除道具を雑に置く音。青年の目つきが魔女を刺す。スラム街で13年育った彼の目線はナイフのように鋭かった。魔女の元で暮らし始めて5年経ち、色々な面で丸くなったが、未だに目つきは悪い。そんな彼の様子をみて魔女は再びやれやれと笑い、書斎に姿を消した。古書たちの話し声。

 半世紀以上生きた彼女は魔女と呼ばれている。だが、彼女は普通の人間である。彼女のたたずまいや、言葉遣い、豊富な知識から、次第にそう呼ばれるようになったのだった。

 彼女が本当の魔女ではないことなんて青年には分かりきっていた。ここ5年毎日一緒に暮らしてきたのだから。大声で魔女を追い出した彼だが、怒ったのではない。少し焦ったのだ。

 書斎に消えた彼女の姿を見て、青年は急に焦り始めた。

 俺はただ単に。ただ貴方に……。


「魔女殿にプレゼントを?」

 馬頭の紳士が煙を吐きながら聞きかえす。狐面の美女は読んでいた本から思わず目をあげた。店が閉まる1時間前、カウンターに居座る2人の常連客は青年から意外な質問を投げつけられていた。

「そうだよ。……なんだよ、悪いかよ」

 2人があまりに驚くので、青年は不満げな声を漏らす。

「いやいや、とても素敵なことだと思いますよ」

 紳士は優しい眼差しを向ける。狐面の美女は煙管を取り出しマッチをすった。

「魔女が喜ぶものねぇ……」

 煙をひと吐き。煙と珈琲の湯気が一つになる。

「日本酒とか、おつまみとか?」

「それは狐様の欲しいものでしょ」

「えー、じゃぁ、日本画図録」

 いやだから、と馬の紳士は困ったように笑い、アイスコーヒーを啜った。

 青年は二人からホールにいる魔女に目を向けた。窓から夕暮れが差し込み、壁一面の古書たちが照らされる。「あったかいね」と囁き声。彼女は古書たちを白く薄い手で撫でた。彼らを愛でるように、彼らと戯れるように。青年はこの時間が一番好きだった。

「そんで、アイツが欲しいもの何かわかんねぇのかよ。アンタたち、あいつと付き合い長いだろ」

 煙をくゆらすカウンターの珍客二人に再び尋ねる。

「そうだなぁ」

 馬頭の紳士は煙草の灰を落としながら考える。

「君が考えたモノがいいだろ、青年」

 悩みながら煙草を吸う紳士の隣で狐面の美女はぽつりとそう呟いた。

「何も思いつかねぇから、アンタたちに聞いてるんだよ」

「いやだから」

 と声を大きくする彼女を制止し、紳士は長い煙を吐き出した。

「君が考えてくれたものなら、彼女は必ず喜んでくれますよ」

「なんでだよ」

 困惑する青年を前に馬と狐は顔を見合わせて笑った。氷のカランという音。


 掃除をしながら青年は魔女へのプレゼントをずっと考えていた。上の空だったのもそのせいだ。プレゼントのことは彼女に内緒にしておきたかった。自分から初めてプレゼントをあげようと思った。感謝とか、よくわからないが暖かい気持ちを伝えるために。

 だが、実際何かをあげようと考えてみると何も思い浮かばなかった。思い浮かばずに数週間経ってしまった。魔女の昔なじみの二人に聞いたが、いい案は思いつかず、紳士の言った言葉の意味も分からなかった。

 掃除道具を片付けホールの椅子に座ってプレゼントを考えていると、書斎から魔女の声が聞こえた。聞き取れなかったので返事をすると本人の姿が見えた。

「ケーキを食べないか?」

「……平日なのに?」

 彼女はふっと笑った。

「金曜日の夜だからね」


「アンタに……」

 青年のシュトーレンが残り半分になった時だった。薄暗い書斎に二人、テーブルをはさんで二人は粉砂糖がたっぷりとかかったナッツのケーキを食べていた時だった。

「アンタに……プレゼントを、あげようと思っていたんだ」

 古時計がコツコツと呼吸している。魔女は苦くて黒い珈琲を啜った。

「あげようと思ったんだが、何も、思いつけなくて」

「うん」

「アンタのことよく知ってるから、馬の兄貴と狐の姉さんにも聞いたんだけど、それでもわからなくて」

 コツコツという音が響く。古書たちは眠っているのか、話し声は聞こえなかった。

「いろいろと、考えてくれたんだね。ありがとう」

 魔女はアクアオーラの目を見つめながら微笑んだ。

「そうだ。じゃあ、クリスマスの日に一緒にケーキを作らないかい?」

「は?」

「クリスマスのケーキ。樹の幹のケーキ。ちょっと珍しい果実も使おう、うん、そうしよう」

 魔女は立ち上がり、本棚から菓子本を探し始める。

「おい」

 立ち上がり彼女に声を飛ばす。

「……そんなんでいいのかよ」

 青年からしたら思わない提案だった。そんなことがプレゼントになるのかという不安の気持ちが大きく思わず聞き返してしまう。魔女は彼のその様子をみて、ため息をついた。

「何言ってるの。息子と一緒にケーキを作れるのよ。これ以上ないプレゼントよ!」

 クリスマスが楽しみね、と彼女は笑う。彼はそんな彼女の様子を不思議に思いながらケーキの残りを食べた。

 菓子本を手に、魔女は再びテーブルについた。煙草に火をつけ、美味しそうに煙を食す。青年はケーキを食べ終え、珈琲を啜っていた。

 魔女は本当に喜んでいた。青年と一緒にケーキを作れることにもだが、それ以上に、彼が初めて自分に何かしようとしてくれたことが一番うれしかった。5年前、スラム街でひった彼が、様々な面で成長していって、その成長を一番に見られることがとてもうれしかった。彼はまだ、他人の気持ちを汲み取れていない節がある。だが、次第に理解していくだろう。それもまた楽しみだった。


 古書たちが囁き合う珈琲店。その書斎のオレンジがふっと消えた。


 更け行く夜におやすみなさい。


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古書珈琲、閉店後の夜 搗鯨 或 @waku_toge

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