第26話 宴の後

 坂道を下る。


 貴族の館の窓が、遠く燃え盛る炎を映し、震えている。


 風が運ぶ、少女の嬌声が遠のいていく。


 グウェンを左腕に歩いていると、鼻先に落ちる白いものに気が付いた。


 雪だ。


「お前が感傷なんて、珍しいな」

「分からない。でも、あの子達の力はとても寂しかったから……」


 周囲に満ちる、グウェンの魔力。その気配が、空まで届き降っている。


 ただ安らかに、鎮まるように。


 雪が全ての音を吸い込んでいく。


「エマ、右手を」

「あ? ああ」


 言われ、俺は火傷を負った右手をグウェンに預けた。


 グウェンが魔法の水で手を包むと、痛みが和らぎ、ただれた皮膚に薄皮が張った。完治はしてねえが、充分だ。


「助かった、楽になったよ」

「怪我は仕方ない。でも、お願いだから手は大事にして」

「これっくらい、何でもねえさ」

「ダメだよ。記憶は手が覚えてるって、エマが言ったんじゃないか」

「そうだな、そうだ。気を付けんよ」


 俺は笑い、息を吐き出し、


「貴族の事情になんて、首突っ込むもんじゃねえなあ」

「そうだね、もうこりごりだ」


 それから、俺は感覚の戻った手をグウェンの二の腕に添え、


「お前はもう、我慢なんてしなくていいんだ」

「大丈夫。もう、好きに生きてるから」

「ああ、お母ちゃんとお揃いになったもんな」


 右手で頬を撫でると、グウェンは真紅の瞳を細め、それから俺の胸に顔を寄せた。


 グウェンはシヴルに、見定めると言った。


 グウェンはギーリを通し、普通の人間の行いを見定めたかったのだろう。


 自分とは違う前向きなギーリなら、ルーガの人間はきっと受け入れてくれる。ギーリは完全な魔女になどなる必要などなく、穏やかに、人として朽ちていける。そう信じたかったのだろう。


 だが、そうはならなかった。


 だからグウェンとギーリは、人間を辞めたんだ。


 魔女と人、その係わりの形は様々だ。この夜、あの丘には、そういう奴等が揃ってた。


 フラザーは言った、ファイントの迷宮で俺達を見た時、感動に打ち震えたと。


 フラザーとギーリは血の繋がらない兄妹だった。あいつ等は、俺達みたいな夫婦になれた筈だった。だからフラザーは、ギーリを連れて逃げちまえばよかったんだ。


 フラザーもそれは分かってたろうが、あの時のあいつは、もう決断した後だった。


 クローワと魔剣は、俺とグウェンだった。もしかしたらそうなっていたかもしれない、俺達の形だった。


 グウェンがこの国で俺と共にいるため、魔剣になることを選んでいたら。俺はその剣を手に、死ぬまでその責任を果たそうとしただろう。


 あの二人は、そういう俺達だった。


 俺達は人と魔女、そして夫婦だ。だから俺達は、この形でやっていく。


 腕の中、完全な魔女になっても失われなかった人の温かさを感じ、思う。


 色んなものを捨てて、色んなことを諦めてきた。


 それでも、


 俺は、グウェンのことだけは、諦めたくねえんだ。


 窮屈な仕組みの中で、その約束事を破らずに、それでもこいつは俺と一緒にいてくれた。だからきっとこいつとなら、何処でだってやっていける。


 そう、これからはこいつとのことだけを望み、日々を過ごす。当面はそうだな……、後回しになっちまった贈り物が第一だ。


 そのために、まずはあのカップから仕上げるとするさ。


 坂道を下り終えた俺達の前に広がる、夜の平原。


 彼方に横たわる丘と、遠く闇に沈むファイント山稜。


 雲の無い星空に、白い粉雪が舞い降りる。


 俺は世界に向けて足を踏み出し、


「そいじゃま、二人で生きるとすっかあ」







「帰ってから休む間もなく、ご苦労様です」

「何、キツイ時はお互い様ってヤツだ。仕方ねえさ」


 俺達がファイントの街に戻り、二週間後の朝。


 俺のケツは探索者ギルド、そのロビーの長椅子の上。対面には疲れた顔のギルドマスター、リベリーが座ってる。


 俺は納品書と探索者登録証を机の上に置き、


「素材はもう運び終えた。あとは工房の奴等の仕事待ちだ」

「助かりましたよ。あの騒ぎは、この街の流通や生産を見事に麻痺させてくれましたからね」


 言って、リベリーは俺の登録証に自分の銀のプレートを合わせ、報酬の貢献度を入力した。


 この二週間、俺はファイントで迷宮仕事に明け暮れた。あの騒ぎで出た大勢の怪我人。そのための薬やら何やらが足りねえってんで、素材の採集に潜ってた訳だ。


 ちなみに、グウェンはずっとギルドの医療棟に詰めてる。件の嬢ちゃん達がまだ入院してるんで、診察の手伝いに行ってんだ。


 俺が鉄のプレートを首に戻すと、リベリーは悔しそうに首を振り、


「しかし、法務にはまんまと先を越されました。まさかグウェンの働きを公式に認めるとは……」

「ちゃっかりしてんだ、あの法務長官様は。わざと弱みを作って、無理やり繋がりを作るつもりなんだろうよ」


 そのことをグウェンに告げられた時は、確かに驚いた。


 当然だが、俺達はファイントに帰り着いてすぐ、法務の事情聴取を受けた。状況説明には時間が掛かったが、あっさり解放されちまって拍子抜けしたもんだ。


 法務の騎士達には高圧的な態度が一切なく、ただ感謝だけが感じ取れた。俺が知ろうとしなかっただけで、世の中にはクソほど真面目な貴族さんが沢山いたってだけの話さ。


 その証拠に、その騎士達の手に指輪は無く、剣だけがあった。自分の剣で人の生き死にを決められる、その責務を日々担い続けるのは、キツイ役目だろう。


 あの黒騎士さん達が手を汚すことで、他の奴等は手を汚さずに済んでいる。そして、俺の二十九年はそういう奴等の働きの下にあった。


 この国はこのまま、人が人を治めるやり方を続けていく。グウェンの言う通り、今更だ。俺達がわざわざ口を挟むことじゃない。


 リベリーは形のいい指で納品書の数字を確認しながら、


「魔女としての素性を隠す必要が無くなったのは結構ですが、それについて、グウェンは何と?」

「気に食わなければ全てを凍らせるとよ」

「それはしかし、エマ」

「そうさ、もうキレたんだ。今のあいつに人の倫理観を押し付けても、時間の無駄だぜ」

「君はそれでいいんですか?」

「別に?」


 俺の言いようにリベリーは驚くが、俺は構わず、


「俺はあいつに言ったんだ。気に喰わなければ、俺を殺しちまっても構わねえってな」


 あいつの憤りはあいつ自身のもんで、他人がとやかく言うもんじゃねえ。だが、最後の踏ん切りを付けさせたのは、他でもない俺の言葉だ。


 だからその報いは、まず俺が受ける。


 見損なってもらっちゃ困るぜ。魔女と添い遂げるってのは、そういうこった。俺だってそんくれえは覚悟してんだ。


 カラッとした俺の答えに、リベリーは金のまつ毛を伏せ、穏やかな表情で、


「エマ、君がそういう人間だから、僕は安心して仕事を……」

「振るなよ」


 俺が食い気味に断ると、リベリーは更に穏やかな優男ヅラで、


「エマ、君がそういう人間だから、僕は安心して仕事を……」

「お前が降級願いを受け取らねえのは、もう分かってんだ。手続きは他の街でやる。俺達は引退だ」


 そうだ、俺の目は誤魔化せねえ。ファイントでの騒動、その事後処理も、これで目途が付いた筈なんだ。だから俺達は、ここを離れる。


 だってのに、リベリーは曇りなきまなこの二十九歳児ヅラで、


「エマ、君がそういう人間だから、僕は安心して仕事を……」

「このクソ野郎……!」


 俺がキレかけると、リベリーはしれっとした顔で眼鏡のブリッジを上げ、


「まあ、ファイントはまだいいですよ。ヴァイスはこれから大変でしょうね」

「そっちの話はまだ聞いてねえな、どうなった」


 そうだ、ヴァイスにはガランダもイリーザもいる。心配になって聞いた俺に、リベリーは、


「領主不在をいいことに、騎士がこぞって略奪を始めているそうで」

「クソ爺のうまあじにありつけなくなった途端、野盗堕ちしちまったってか。どうしてこう……」


 またしてもな頭の悪い流れに、俺が頭を抱えると、


「ただその、被害がですね、あまり出ていないようなんです」

「何だそりゃ?」

「略奪の報告を聞き、法務が現場に急行すると、犯人達の姿が既に消えているのだとか」

「ガセに踊らされたのか?」

「いえ、現場には騎士が乗っていたと思われる馬だけが残っているのだとか」

「あん?」


 要領を得ない俺に、リベリーは静かな声で、


「これは法務の騎士が近辺の農民に聞き込みを行い、一人の子供から得た証言なのですが」

「ああ」

「夜の森の不思議な話、になるのでしょうか」

「夜の森? ああ、なるほどな」


 そいつは娯楽の少ない平民の子供がよくやる、度胸試しだ。親に黙って夜の森に出掛け、次の日会ったダチ公に凄かったぞって自慢する。俺もやったし、やられたもんだ。


 リベリーの語る、子供の証言。その子が夜の森で見た、あるものの話。


 それはこの世のものとは思えない、幻想的な光景だったそうだ。


 森のほとりに広がり波打つ、黄金の炎の海。その上で、バラ色のドレスを着た少女が動物達と踊っていたと。


 鹿に鳥、蛇に兎、猪に狼。本来相容れない筈の動物達が、とてもとても楽しそうに、少女と一緒に駆け回っていたそうだ。


 その話を聞いた俺は、リベリーの隣に視線を向け、


「どうするね、議員さんよ。あんたが望んだ圧力ってのが、まんまとこの世に生まれちまったぜ」


 リベリーの隣、長椅子に座る白髪の老人。イヒト議員は目頭を押さえ、苦々しい表情で、


「討伐は、叶わぬと?」

「絶対無理だね。それをする筈の執行騎士はどうなった?」

「一命は取り留めたが、重傷を負ったそうだ」


 そうか、生きててくれたか。ギーリも、クローワのおっさんも……。


 俺が密かに安心していると、議員は両手を机に置き、深く深く息を吐き、


「魔女を滅ぼすことが出来ないのならば、私にとっては願ったりだ。あの娘の葬儀に参加するのは、もう二度と御免だからな……」


 その手を組み、老人らしい弱々しい声で、


「いつかまた、あの娘と茶を飲める日が来るだろうか……?」


 寂しい話だが、俺はあえて明るい声で、


「さてね。だが、議員さんがいい貴族様ってのをやってりゃ、ひょっこり顔を出すかもしれねえな」


 そう、ギーリは他でもない、議員さんら貴族の大人の教育を受けたんだ。だからあの嬢ちゃんは何処までも素直に、その理想通りに、非道な貴族を燃やし尽くす災厄であり続けるのだろう。


 俺の言いたいことが伝わったのか、議員は苦笑し、


「なるほど。では、あの娘をがっかりさせないよう、精々模範的に生きるとするよ」


 ……ああ、いつかまたきっと、だ。


「さて、エマ君」


 話がひと段落すると、イヒト議員は急に貴族らしい威厳を纏い、


「改めて聞くが、どうだろう、私の専属になっては。君は優秀な破壊屋だと報告にあった。迷宮素材の流通に関しては、私も伝手があってね。これでもそこそこ稼いでいる。何、窮屈な思いはさせんさ」

「いや、議員。そりゃあ……」


 唐突に蒸し返された話に、俺は言葉尻をすぼませた。てか、ありゃ冗談だと思ってたんだが……。


 俺が渋い顔でいると、リベリーが血相変えて議員さんに、


「そんな、議員! ズルいじゃないですか! エマはグウェンのオマケでギルドに引っ張り込むつもりだったんですよ!」

「ズルくないもーん! 私だって安全に私腹を肥やしたいもーん! これって超規範的なやり方じゃなーい!?」

「ヤダもー、議員ー! 詭弁ー!」


 議員の肩をぺちんと叩いた。そして、リベリーはイケメンらしくザッと起立し、机の上に乗り滑り、見事なフォームで俺の胸に縋り付いて、


「エマは議員の専属になんかなりませんよね!? ええ、なりません! 僕が許しませんとも! エマは今日からギルドの職員になって、僕の下でクッソ面倒な依頼をこなし続ける予定なんです! そしたら僕は事務所でサボりつつ、いい感じに奴隷の修業を再開しようと心の中ではハイ決定! エマは僕の夢を応援してくれますよね! むしろ一緒にブヒッてくれますよね! 大丈夫です、グウェンは豚に理解のある魔女ですから! きっと上手になじってくれますよ!」

「……お前、マジでブチ殺してやろうか?」


 人間は、くだらねえ生き物だ。


 満面の笑みでケツを振るギルマスを見下ろしながら、俺は心の底からそう思った。徹底的に、絶望的に。


 俺がリベリーという単語を記憶から葬っていると、


「リベリー主任。ギルドの責任者が人の情に訴えかけるようでは、先が思いやられるぞ」

「いやあん!」


 議員が豚志願者の体を机の上から押し退け、床に転がした。


 そして、議員は俺の真正面に腰を下ろし、


「当然だが、私の依頼に関し、他の貴族や探索者に手出しはさせん。君には円滑な取引と適正な貢献度を約束しよう」

「いや、議員さんよ。言っただろ、俺あ――」


 店仕舞い。


 と、口にする前、議員は右手の指輪を掲げて見せた。


 息を飲みこむ俺の眼前、しかし、議員はその指輪を外し、


 机の上に置いた。


 そして、


「労働には正当な対価が保証されるべき。全く以てその通りだ」


 それから、イヒト議員は何処までも人のよさそうな笑顔で、


「エマ君、私が君を終わらせんよ」


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