第25話 魔女達の晩餐会(2)

 グウェンを抱え、夜を駆ける。


 破壊の跡を追い、処刑場から数区画下った、坂沿いの広場。その場所で、俺達はその男を見付けた。


 崩れた貴族の屋敷、瓦礫の中に埋もれる、黒衣の男。


 俺は石畳に着地し、片手で残骸を持ち上げた騎士に向かい、


「全く頑丈なこった。呆れるね」

「エマ……。すまないが、今お前の相手をしている時間は無い」

「そうはいかねえ。うちの嫁がな、お前さんを見逃しちゃおけねえんだと」


 言って、俺はグウェンをそっと地面に下ろした。


 クローワは魔剣を支えに立ち上がり、


「氷の魔女よ。二度は無いと言った筈だ」

「その剣を、魔剣を使うあなたに聞きたいことがある」


 グウェンは小さな足を一歩踏み出し、


「何故、そんなものを作った。何故、そんなものがある?」

「貴様の憤りは正しいものだ。しかし、その怒りをこの国で行使することを、法は許さない」

「今更だ。今更、この国の制度にどうこう言うつもりは無い。だけど……」


 小さな体から放たれる、膨大な魔力。グウェンはその力を氷に変えて身に纏い、


『その剣はダメだ。その剣だけは許せない……!』


 クローワに突進、鎧の拳を振りかぶり、


『人間が! その剣を使うな!』


 氷撃、命中。


 だが、その暴力は魔剣によって難なく受け止められた。アウフツォークの時と同じだ。あの黒い杭は、グウェンの力を霧散させちまう。


 グウェンは本気だ。これは全力で、魔女の力は絶対だ。なのに、あの杭は氷の拳を受け止め、耐えている。


 騎士が氷拳をはじき、杭を捩じる。そこに生まれる力の前兆。魔力を縫い留める、不可視の強制力だ。その力で、氷の鎧の動きが鈍る。今突き刺されたら、致命になる。


 俺は両の剣を抜き、二人の間に割って入り、


「グウェン、危ねえ! 下がれ!」

『何でだ! 何でそんなものがある! 畜生ッ!』


 突き出された杭を受け止め、騎士と斬り結びながら、俺は全てのことに合点がいった。魔女を完成させるための最後の欠片、その先の真実に。


 そうだ、シヴルは言った。あれは毒だと。


 視界の端に映る、体勢を崩した氷の鎧。魔剣の力と相殺するように削られていく、その表面。あれは、さっきの広場でもそうだった。


 そうだ、シヴルはグウェンに伝えた、それは対消滅だと。


 騎士の一撃をいなし、逆に斬り込み、受け止められる。剣を持つ手が震え、心と体が沸騰する。


「お、前等ァ……!!」


 そう、


 魔剣は、魔女だ。


 こいつ等、魔女を武器に変えてやがるんだ。


 この国、ルーガは人による人の治世を実現させている国家。


 こいつ等は、あの法務官は言った。人は人であればいい。それ以上の存在になる必要などないと。


 だからこの国は魔女を排斥し、そして物として利用する。


 人が人を治めるために必要なのは、人に法を規定させるための、人を超えた力そのもの。魔剣とは、人工的に作られた恐怖の力。


 同時に、魔女に対する抑止力。魔女と対等の力を振るうのも、この国においては人でなければならない。それが魔剣を作り出す最大の理由にして、道理。


 魔女は人に非ず、剣である。魔剣とは、人から派生した魔女の、異なる形。そう規定させることこそが、あの処刑場の術式の本質だったんだ。


 おそらく、ギーリは受け入れた。自分が魔剣になることを。


 何故? どうやってか? 簡単だ。


『魔女よ、貴様が魔女である限り、この国に居場所は無い。しかし、そんなお前でも役に立てることがある。この国を守る騎士、その命を護るための力になれ。お前はそのために命を捧げるのだ』


 そう言えば、あの嬢ちゃんなら受け入れる。ギーリはこの国の在り方に納得していた。夢の理想を見ていたからだ。


『その力を! ボクの前で使うな!』


 グウェンが氷の鎧をギチギチ鳴らせ、再びクローワに向けて襲い掛かった。その動きに合わせ、俺も黒衣の騎士に斬りかかる。


 ああ、ブッた斬る! こんなもんは、あっちゃいけねえ!


 グウェンの拳、俺の双剣。二人一組のコンビネーションで前に出る。


 しかし黒衣の騎士は、そんな俺達二人を圧倒する。


 反則めいた魔剣の性能。バカみてえに高出力な炎の剣。人間相手に戦ってきた、人狩りとしての長年の経験。黒い風に見えていたそれは、体裁きによる純粋な剣術だ。


 しかし付け入る隙は、ギリだがある。


 そのために、俺は魔剣の、その成り立ちを考える。


 ヴァイス領主がギーリに施していた術式、領主はあれを鋳型と言った。さっきの処刑場の仕掛け、俺が結界だと思っていたあれは、つまりは魔剣に特性を刻み込むための構成式。


 あの場に展開された力は、領主が魔剣に持たせようとした能力が漏れ出ていただけだったんだ。


 ヴァイス領主はクローワの魔剣を見ていた。あのクソは魔剣の力に魅入られ、心底惚れ込んでた。だからあの領主はその能力をパクり、自分用に組み替えた。他属性の魔法を封じ、炎の力だけを使えるように。


 ギーリの炎を以てすれば、相手がどんな炎で歯向かおうが負けることはあり得ない。支配し、潰す。あの領主の考えそうなこった。


 だがこいつは、この魔剣は違う。


 クローワは炎の剣と縫い付ける力を同時に使っていない。何故か? 出来ねえからだ。魔剣の力を発動すると、その力で自分の炎が縫い付けられちまうからだ。


 だから、こうする。


 クローワがグウェンを警戒し、縫い止める力を展開させると、俺が出る。クローワが魔剣に青い炎を纏わせると、俺は場所を譲り、グウェンに任せる。


 グウェンが氷拳で炎を散らすと、クローワが魔女の力を魔剣の力で相殺し、押し返す。魔法が消え失せた刹那の間、今度は俺が前に出て、杭を剣で押し返す。


 炎の剣はグウェンが、魔力の使えないガチンコ勝負は俺が。代わる代わるに撃って出る。


 それでもまだ、彼我の差は歴然。


 だが、それが何だ。


 俺達はムカついてる。グウェンも俺も、ガチギレしてる。


 だがそれ以上に、ただ悔しい。俺達の今までが、ギーリの決断が、今目の前にある事実が、ただ悔しいんだ。


 ギーリは頑張ってた。頑張って人に寄り添おうと我慢して、そのために人から遠ざかって。貴族に生まれた人間の責務だからと、普通の人間の生活を守ろうと駆け回って。


 なのに、人に受け入れられなかった。


 そしてそれは、今目の前で黒衣の男が振るう魔剣、その娘もきっと同じなんだ。


 人として生まれ、ただ他の奴と違っただけなのに。人の中で生きることを許されず、この国のクソを始末するために使われる。


 俺だって嫌な思いは沢山した。俺自身嫌な奴になったし、嫌な奴には唾を吐いた。死んだ方がいいクズなんざ、ついさっきも大勢見た。


 青い炎が視界を覆い、俺のマントが千切れて焼ける。シャツ一丁になった俺をグウェンがかばい、炎の剣を掴んで散らす。クローワは氷の鎧の動きを止めようと、魔剣を捩じる。


 その男の前に、俺は踏み込む。


 人間なんて、くだらねえ。こちとら人生二十九年、んなこたクソ程思い知った。


 だがな、フラザー、それでもだ。


 俺は握った剣をそのままに、大きく拳を振りかぶり、


「ガキに人生諦めさすような国作りを!! 大人がやってどうすんだッ!!」


 激昂。


 そして騎士の鎧の胸板に、俺の拳が突き刺さった。


「ぐむっ……!」


 虚を突かれたのか、執行騎士が初めて退いた。


 お互い距離を空け、硬直。そこで俺は体の力を抜き、


「ふーっ……!」


 剣を握ったままの右手に、息を吹き掛けた。


 煙たなびく、右拳こぶし


 防御のための炎が残っていたのか、無理くり突っ込んだ拳が焼けっちまった。


 引きつる様な痛みの中、俺は右手が使えることを確認し、構えを取る。


 それから、隣で構えるグウェンに向けて、


「グウェン! 外装解除しろ!」







 丘の街、その中腹。夜の広場で向かい合う。


 氷の鎧と並び、黒衣の男と対峙する。


 グウェンはバイザーの奥に光る青い瞳で、


『でも、エマ……!』

「大丈夫さ。お前がどう変わろうが、グウェンはグウェンだ」


 グウェンはキレてる。だが、吹っ切れてねえ。それに、こいつだって心は決まってる筈なんだ。


 だから、最後の踏ん切りは俺が付けさせる。


 俺は氷の鎧を見上げ、双剣両手に口の端を上げ、


「一緒にいるって、言っただろ?」

『……うん!』


 返事をし、氷の鎧がほどけて消える。雪の結晶が散り、白い少女が現れる。石畳に下り立ったグウェンはマントの結び紐を解き、灰色のマントを脱ぎ捨てた。


 使い古されたそれは風に吹かれ、夜の彼方に消えていった。


 俺は剣持つ左手、その柄頭に空間の穴を構成し、グウェンの魔力と冷気を吸い込ませるため、制御開始。


 黒衣の騎士はそんな俺達を前に、黙って構え待っている。


 鎮まる世界。一瞬の集中。


 傍らに凝縮する、無限の魔力。


 そして魔女が目を閉じ、瞼を開く。


 そこに輝くのはシヴルと、ギーリと同じ、完全な魔女の証である真紅の瞳。


 グウェンは真っ赤になった瞳を見開き、冷たい声で、


「凍えろ、人類……」


 瞬間、世界が凍結する。


「世界よ、止まれ……!!」


 視界に映る全てが、白き世界に変貌する。


 地面が雪に覆われ、周囲の建物が一瞬で氷結し、夜空の雲が消滅した。


 対面するクローワは杭の力を展開し、力を相殺することで、かろうじて凍結を避けている。だが、その力はグウェンのもとまで届いていない。


 肺に刺さるような冷たい空気を吸い、馴染ませる。


 風の無い、全ての自然が運動を停止した、魔女の世界。


 その中に、俺は踏み出す。


 靴底に空間の穴を開き、間隙走法。足跡すら残さず、白い地面を疾走する。


 間合いだ。


 この国の騎士を相手に、炎の剣相手に、俺は一度も間合いに踏み込めなかった。


 だが、今は違う。今なら行ける。


 至近距離。


 あと一歩というところで、クローワが炎の剣を展開する。即座に黒衣の足元が凍てつき、男の全身が霜に覆われ、凍り付いていく。


 不利は承知。だが、この男はそれを選ぶ。


 白い世界を引き裂く、青い炎。そして俺はとうとうその射程、間合いの内に到達する。


 肉薄。


 右手の延長線上、軌道の上に開かれる、空間の穴。その穴に剣の切っ先を引っ掛け、線を引くように空を断つ。


 一閃。


「なっ……!?」


 男の驚愕と共に、青い炎が吹雪に消える。


 音も無く断ち切られた魔剣の切っ先は、円を描いて宙を舞い、白い地面に突き立った。


 空間斬撃、武器破壊。


 残心する俺の眼前、クローワはほぼ柄だけになった魔剣を片手に、


「バ、バカな……!! 何故、何をした……!?」

「こういう仕事は得意でね」


 フラザーの奴には見破られちまってたが、奥の手ってのはギリギリまで隠しとくもんだ。


 だが……、


 男の手の中、魔剣の柄がどろりと溶け、雫となってこぼれていく。


「あり得ん!! 何故だ、あり得ん……!!」


 クローワの様子が尋常じゃない。


 クローワは地面に膝を突き、こぼれた雫をすくい上げるように、必死に雪を掻き集め始めた。いつも冷静だったこの男とは思えないほどの狼狽えようだ。


 俺がいぶかしんでいると、濃密な魔力の気配が薄れ、世界が温度を取り戻した。そのことに安心した俺は、冷気制御を解除し、


「ああ、やったぜ。グウェ――」


 振り向くと、グウェンの顔から感情が抜け落ちていた。


 グウェンは小さな唇で、ぽつりと、


「君は……」


 すぐさまグウェンの視線を追い、気付く。いつの間にそこにいたのか、魔剣の切っ先が突き立っていた場所に、一人の少女が立っていた。


 ボロボロの黒いワンピースに、白い肌とふわふわの金髪。

 小さな素足で雪の上に立つ、真紅の瞳の小さな少女。


 その少女は俺達が見ている前で、クローワをかばうように立ち塞がった。


 その姿に、クローワは口元だけを歪ませ、


「クイーナ……」


 ああ、そうか……。


 両腕を広げ、泣きそうな顔で首を振る少女を前にして、俺の心から全ての憤りが消え失せた。


 魔女は永遠。


 シヴルの言ったことは、全て本当だった。


 全身を槍で串刺しにされても、人としての形を失っても。完成した魔女は、滅びることが出来ないのか……。


 俺とグウェン、クローワと少女の間に吹く、冬の風。


 誰も、何も口にしない。無言の時間。


 しばらくして、黒衣の男が立ち上がり、


「気が済んだようだな、氷の魔女よ……」


 そう言って、騎士は俺達に背を向け、雪の上を歩き始めた。


 俺は両の剣を鞘に戻し、夜にたなびく真っ黒なマントに向かい、


「行くのか。ギーリはもうお前さんの、人間の手に負える相手じゃないぜ」

「法を守り、血を守る……」


 クローワはほんの一時足を止め、暗い声で、


「ノイモートの妹が手遅れになったのは、私の、この国の法の責任だ……」


 そして、再び歩き始める。その騎士の後を、小さな少女が付いていく。しばらくすると、その輪郭が夜の闇に溶けて姿を変え、男の手に収まった。


 グウェンは俺の隣に立ち、小さな声で、


「そう、それが君の寄り添い方なんだね……」


 魔剣を手に、男が坂を上っていく。魔女の笑い声が聞こえる、炎獄の丘に向かって。


 人が人を治める世を。


 あの少女はその考えに同調し、受け入れた。人という形を捨て、人に使われることを選び、魔剣として永遠に生きることを選んだ。


 グウェンやギーリが選ばなかったことを、あのクイーナという少女は選んだんだ。


 この国で、俺みたいな平民が真実に辿り着くのは難しい。


 この世界は複雑だ。俺達はあまりにも沢山の個人の集合だから、こうやってややこしく生きていくしかない。


 俺は寒空を仰いで息を吐き、


「行くか、グウェン」

「うん、エマ」


 グウェンを抱え上げ、白い地面を歩き始めた。


 黒衣の男が登る先とは逆、丘を下り、俺達の世界に向かって。


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