第22話 月下の騎士(2)
「小説家になろう」
窓から覗く丸い月。とある貴族の屋敷、その二階の廊下。
「そう夢見ていた時期が、僕にもありました」
フラザー・ノイモート。
胸の前に剣を構えて立ち、その男はそう言った。
「幼い頃、東部戦線で両親を失った僕は遠縁のノイモート家に引き取られ、後継ぎとして育てられました。僕は家族に迎えてくれた夫婦に感謝し、そうあろうと努力した。そして十年が経ち、この世界に太陽が生まれたのです」
フラザーはそこまで語り、鼻からゴバブと鼻血を溢れさせ、
「んんっ、ギーリ……! 生まれてきてくれて、ありがっとーう……!」
「おい、血が出てんぞ。大丈夫か?」
「ご心配なく、これは思い出のせせらぎです」
引き続き、フラザーは思い出とやらを垂れ流しながら、
「あの子は、眩しい子です」
「天然だからな、ありゃ」
「もう一度いいですか?」
俺が肩をすくめて促すと、フラザーは更に思い出とやらをブバシャと噴き出し、
「あの子は、超かわいい子です」
「肉親の欲目無しでも、そうだろうよ」
「もう一度いいですか?」
「いや、流石にもういい」
俺が首を振ると、フラザーは思い出をそのままに、
「僕は、あの子に全てを与えたかった。あの子のために物語を紡ぎ、音楽を奏で続けたかった。僕の人生はそのためにある。そのことを信じて疑いませんでした。ですが、僕達は騎士の家に生まれた二人。あの子は素直に家の教えを尊び、騎士の教えを理想とした。だから僕は語り手になる夢を諦め、騎士の本分を全うすることにしました。そう、あの子の理想であろうとすればするほど、僕はあの子の傍を離れることになったのです」
そこで止まる。フラザーの鼻血が、思い出のせせらぎが。そして、
「東部に配置され、しばらくたった頃、突然赴任先に報せが届きました。あの子が、病いで亡くなったと……」
夜の風が強く吹き、廊下のカーテンが翻る。
「それから五年間、僕は騎士としてこの国に忠誠を誓い、必死に勤めました。僕がギーリに伝えた理想のままに。あの子が夢見た、あの子が信じた世界の一部になるために。疑いようもない、五年間。そして五年間、気付かなかった」
フラザーは今まで同様、軽い調子で、
「あの夫婦が僕に真実を隠し、ギーリを閉じ込めていたことに……」
微塵も表情を変えず語り続けるフラザーに、俺は言葉を失った。
もういい。もう、充分だ。人の人生が壊れるには、充分過ぎる。
フラザーは窓の外に顔を向け、
「奥様はどちらに?」
「宿で寝てるよ。徹夜はお肌の大敵なんだ」
「ファイント山麓迷宮での邂逅。ひと目で分かりましたよ、彼女が魔女だと。そして魔女を伴侶にした人がいると知り、僕は感動に打ち震えました」
「あんがとよ、祝いの言葉と受けとっとくぜ」
騎士は再び俺に目を向け、
「貴族と平民。この国の身分制度、社会構造を、僕は間違っていると思いません。民は貴族に糧を捧げ、我々騎士は民のために血を流し、命を捨てる。僕は、僕達はそのために、歯を食いしばって敵兵を殺し続けた」
こいつは正しい。正しい生き方をした。
俺がガキの頃に参加した東部戦線にも、きっとこいつのような奴がいたのだろう。人の掲げた理想のままに正しく在ろうとした、バカ正直な騎士さんが。
続き、男は口を開く。
「僕に世界は変えられません。僕に出来ることは、あの子がこの世界で自由に生きていけるよう、あの子を変えることだけです。魔女は、あの子はありのままであるべきだ。人間などという形に収まっている方が、不自然なのです」
そして、男は歌うように、
「鳥は、何故翼を持って生まれてくるのでしょうか? 鳥の翼は外敵から逃れるため、住みやすい環境に渡るための進化の結果。でも、僕の考えは違う。鳥が空を羽ばたくのは、この世界の素晴らしさを存分に感じるためです」
それから、夜に響く小さな声で、
「籠の小鳥を解き放つ。あるべきものを、自然に還すために……」
「お前さん、今からでも詩人になれるぜ」
俺が茶化すと、フラザーは世間話のような軽さで、
「さて、氾濫の方法ですが」
「兄妹揃って、どうしてこんな簡単にゲロっちまうんだ、おい」
「エマさんは、もう目にしていますよ」
「俺が……?」
俺は考え、思い至り、
「あの、高足蜘蛛の時か……?」
「その時の状況は?」
あの時の状況。あの時だけの異常。
石の闘技場に集まった、迷宮ではあり得ないほどの人の数。
「魔物を、貴族の魔力で釣ったのか!?」
「ええ、上手に釣れたでしょう? あなた達の活躍で氾濫には至りませんでしたが、それでも十分な魔力が得られました」
フラザーは剣持つ右手で、器用に指輪を強調し、
「貴族の指輪は制約付与と貢献度計算のためだけにあるのではありません。魔力が枯渇した時のため、いざという時のために力を保存しておける。あなたの空間魔法と同じ、我々騎士の補給方法、戦場での常套手段です。まあ、こんなものはもうお役御免ですが」
その指輪にひびが入り、さらさらと崩れ、散っていく。
迷宮での探索行動は必要最小限の人数が基本。大所帯では狭い地形で身動きが取れなくなるからだと思っていたが、それ以外にそんな理由があったとは……。魔力の弱い俺達にゃ関係ねえ、知らなくて当然の話だ。
しかし、
「言ってることがおかしいぜ。だったら何故、迷宮は魔女の魔力で氾濫しない?」
「簡単な話です。魔女は捕食者。喰われると分かっている相手に、迷宮は歯向かわない。それに、あなたの奥様は非常に魔力制御に長けた方だ。言ったでしょう、ひと目で分かったと。奥様の力であれば、ファイントなど一瞬で氷漬けに出来る筈。つまり、人は魔女に生かされているだけなのです。そのことに、我々はもっと感謝せねばなりません」
「……ああ、また惚れ直したとこだよ」
クソッ、マジでな……。
だが、これで時期と起きたことが全て繋がった。
フラザーはギーリを魔女として育てるため、まずは近場のファイント山麓迷宮を氾濫させるつもりだったが、失敗。代わりに貴族の指輪に魔力を補完し、その魔力をギーリに注いだ。
結果、ギーリは見事に実家を脱出。そしてフラザーはその行く先を想定しつつ、先回りをする。
次に、迷宮を効率的に氾濫させるため、転がしやすいヴァイスに目を付けた。邪魔な貴族は殺してやると交渉し、あのクソ領主をその気にさせた。
そしてヴァイス領主は騎士の部隊を使い、迷宮を氾濫させた。あの時の奴等は、既に部隊を送った後だったんだ。
そこまで考えた俺に、フラザーは、
「あの子の完成はアウフツォークで成すつもりだったのですが、見事に予定が狂いましてね」
「あそこでヴァイスを始末するつもりだったのか」
「はい、そのために氾濫を早めさせました。法務の動きは想定済みだったのですが、まさかあなた達があの子に同行しているとは思いませんで」
そうか、あの時うずくまっていたギーリは、氾濫の魔力をもろに吸っちまってたんだ。こいつの言う通り、ギーリは完成間近。あとはシヴルの言う、最後の欠片なんだが……。
フラザーは切れ長の目で黄金色の瞳を見開き、
「世界は素晴らしい。しかし、人間はくだらない生き物だ。そのことを、あの子に思い知ってもらう。徹底的に、絶望的に。あの子が喜んで人間を辞められるように」
「そのために騒ぎをデカくし続けたのか」
「ええ、ですからあの老人には、このまま踊り続けてもらおうと思いまして。今夜もまた、こうして舞台を整えていた次第です」
狂ってる、とは思わねえ。
イヒト議員の言った通り、フラザーが合理的な人間だと分かったからだ。こいつは自分の目的のため、ただ合理的に非道を行っただけ。ほんの少しの会話だったが、フラザーがそういう奴だってのをはっきり理解した。
「ところで、エマさん」
「何だよ」
「時間は稼げましたか?」
クソッ、とことん嫌な野郎だ……!
俺が奥歯を噛むと、背後の階段から足音が聞こえてきた。大人数、増援だ。
当然、そのことを予期していたフラザーは、
「せっかくの二人っきりだったのですが」
「俺は野郎と踊る趣味はないんでね」
超失礼な俺の言いぐさに、副隊長さんはくすりと笑い、
「それは残念」
瞬間、騎士が剣を振りかぶり、俺に向けて炎を放った。だが、
「エマ、うわっ!」
その炎は俺をすり抜け、上がってきたリベリー達の目の前で爆散した。目くらましだ。
「フラザー!!」
光に眩んだ視界が戻ると、フラザーは既に姿を消していた。俺は開いた窓から外を眺め、
「増援を逆に利用された。あの野郎、恐怖の使い方を知っていやがる。見事なもんだ……」
「彼の狙いは分かりましたか?」
「ああ……」
駆け寄ってきたリベリー達ギルドの増援に頷き、俺は剣を鞘に納めた。
そう、
『魔女を自然に還すのです』
俺がグウェンに言ったことと、根幹は同じ。魔女は人類に交じって生きずともいい、むしろそれが自然、当たり前なんだ。
そして、ギーリは貴族の教えに従順な子だった。つまり、
「フラザーの狙いはギーリを人類の敵、災厄の魔女そのものに仕立てることだ」
俺の伝えた言葉にギルドの面々の顔が強張った。その時、
「リベリー主任!」
階段からギルドの受付嬢が駆け上がってきた。
その受付嬢は階段の手すりに掴まり、息せき切って、
「ファイント領境でヴァイス騎士団が戦闘を開始しました!」
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