第20話 騒乱のファイント

「エマさん! 何故ファイントに!?」

「ああ、ちっくら野暮用でな」


 ツェンタイルを出て、二日後の昼過ぎ。俺達は馬車の旅を終え、ようやくファイントに戻ってきた。


 すぐに探索者ギルドを訪れ、念のためと裏口から入った俺の姿に、馴染みの受付嬢が焦り切った顔で、


「最悪なんです、今のファイントは……! グウェン、あなたはここにいちゃダメよ!」

「ああ、ここに来るまでのファイントはひでえ有り様だった。一体何があった?」


 受付嬢はマントのフードを目深に被った俺を更に隠すように、俺達を職場の隅に移動させた。


 予想は出来る。俺達が到着したファイントの街はあの時のアウフツォークさながらの騒ぎだった。魔女絡みだとは思うが、話を聞かなきゃ始まらねえ。ともかく、まずはリベリーだ。


 そう思い、俺がカウンターからロビーに出ようとすると、


「これはヴァイスの!! 何故こちらに!?」


 ロビーからリベリーの声と、がしゃがしゃという耳障りな音が聞こえてきた。窓口の壁に張り付きロビーを覗うと、見たくもねえ顔が視界に入ってきやがった。


 ヴァイス領主……!


 クソ領主は出迎えたリベリーを前に、


「貴様等ギルドに緊急の仕事を申し付ける。あれを」

「はっ!」


 配下の騎士に命じてリベリーに封書を渡した。そして、


「ここファイントで魔女と思われる娘を調べ上げた。直ちに部隊を編成し、小娘共を集めて燃やせ」


 封書を手に、内容を読むまでもない命令を聞いたリベリーは、


「しかしヴァイス様! 議会の決定無しにこのような命令は受け取れません! しかもここはファイントでがっ……!?」


 抗議が遮られ、リベリーの長身が床に転がった。ヴァイス領主がリベリーの頬を殴り飛ばしたからだ。


「私に口答えするな! 何故貴様等は思い通りに動く手足にすらなれんのだ! 全く度し難い!」


 ロビーに響く、ヒステリックな老人の叫び声。そして、


「この、能無しが!」

「ぐっ……!」


 領主が先の尖った変な靴でリベリーの腹に蹴りを入れた。


 野郎ッ……!!


 テッペン来た。当然、腕の中のグウェンも一緒だ。怒りに任せカウンターから出ようとしたところで、突然俺の体が壁に押し付けられた。


 俺達を抑え付けたのは、二人の受付嬢。二人は大粒の涙を溜めた瞳で俺を見上げ、首を振った。


 クソ領主はうずくまるリベリーを見下ろし、右手の指輪をかざして銀のプレートに犯歴を刻み込み、


「三日やる。果たせなければ、刻印通り死罪とする」


 ロビーからクソ野郎の足音が遠ざかり、クソ共の気配がギルドから消え失せるまで、俺は拳を握り耐え忍んだ。ようやく騒ぎが治まると、俺を押さえていた二人が真っ先に飛び出し、


「ギルドマスター!」

「リベリー主任!」


 続いて、俺達もロビーに出た。


 リベリーは受付嬢達に支えられながら半身を起こし、俺達を見上げ、


「エマ、グウェン……。何故ここに……?」

「何だこりゃ……。法務のアホ共はなにしてんだ……」

「法務の騎士は各地の鎮圧に出払っています。何処もかしこも、絶望的に手が足りてないんですよ」


 口の端から流れる血を拭い、リベリーはズレた眼鏡の位置を直し、


「でも、エマ。ちょうどよかった」

「何がだよ」


 いらつき答える俺を見上げ、リベリーは優男ヅラに不敵な笑みで、


「あなた達を貴族に突き出すんです」







 ファイントの貴族街、その一角を占める大きな敷地。上品さの中に、家庭的な素朴さが残る屋敷。その一室、書斎らしき部屋。


 指輪の宝石が光り、銀のプレートが輝きを取り戻す。


 リベリーは胸に手を当てて深々と頭を下げ、


「温情ありがとうございます、イヒト議員」

「ここはファイントだ。ヴァイスのいいようにされてたまるものかね」


 大きな机の向こうに座る、この部屋の、この屋敷の主らしき初老の男性。


 撫で付けられた短めの白髪に、温和な水色の瞳。

 赤と金の刺繍が入った、白地のローブ。


 どうやらここファイントの貴族である爺様を前に、リベリーは、


「エマ、こちらはファイントのイヒト議員です」

「その議員さんってのに刻印を消してもらったのは、まあいい。で、この騒ぎは一体なんなんだ。俺達がツェンタイルに行っている間に、一体何があった」


 訳も分からずここまで引っ張られた俺は、身分など忘れて二人に聞いた。


 イヒトという爺様は、やれやれといった様子で、


「アウフツォークだ」

「あそこが何だ」

「アウフツォーク周辺は畑作に向かん痩せた土地だ。だから、あの街の責任者は街を食わせるため、生産を迷宮に任せていた。そして、隣国ツェンタイルとの交流や迷宮産業が活発化したことで、あそこはヴァイス領にありながら独立した自治を認められた、国にね。公道の不整備という己の不手際が招いたことだが、ヴァイスはそれに納得していなかった」


 話が見えねえ。俺が無言でいると、爺様は、


「ヴァイスはアウフツォークが魔女を匿っていると難癖を付け、責任者を一掃することで、あの街を直轄地にしようとした。アウフツォークの迷宮産業を独り占めしようとしたのだ。そして、ヴァイスはここファイントでまた同じことをしようとしている。最悪なのが、この街の貴族はヴァイスを諫めるのではなく、これは機会とヴァイスと同じ手口で自分の政敵を始末しようと考えたことだ。結果、密告に次ぐ密告でファイントはこの有り様だ」

「あっ……たま悪いな、おい……」


 何でだ、どうしてそうなる。俺は予想の遥か斜め下の事態に呻き声を上げた。


 そんな俺に、リベリーが、


「イヒト議員はギーリ・ノイモート嬢と協力し、ファイントで嫌疑を掛けられた娘を保護してくださっているんです」

「ギーリと……?」


 顔を上げると、イヒト議員が、


「ノイモートとは家族ぐるみで付き合いがあった。ギーリは私にとって、孫のような娘だった。しかしあの夫妻がまさか、五年間もギーリを幽閉していようとは……」


 目頭を押さえ、苦渋といった顔で俯いた。俺はその議員さんに、


「つまりあんたは、話の分かるお貴族様ってことか?」

「よしてくれ、私は打算で生きている男だよ」


 首を振り、議員は机の上にある資料を手元に寄せた。それから、品定めするような水色の瞳で、


「君達の経歴には目を通した。ファイント山麓迷宮での戦闘、ヴァイス迷宮氾濫時における人命救助活動。この働き、正直専属に欲しいくらいだ」

「すまねえが、俺等はもう店仕舞いでね」

「口の悪さも報告通りだ。そして……」


 議員は俺の隣、小さな魔女に目を向け、


「初めまして、ツェンタイルは女王の義娘、氷の魔女よ。本来なら、君は貴賓として扱われるべきだが、この国でそれは期待せんでもらおう」

「しないよ。お互い迷惑になるだけだ」


 グウェンが答えると、議員は満足したような顔でリベリーに、


「ふむ、リベリー主任。私は魔女と会うのは初めてだが、どうやら彼女は君の見立て通りの存在らしい」


 何か企てがある。でなきゃ俺達を引っ張り込む筈がねえ。


 警戒する俺に、リベリーは、


「その通りです。僕らギルドは女王の、ツェンタイルの後ろ盾が欲しかったんですよ」

「それが以前言ってた、ギルドがグウェンを切れない理由か」


 なるほどな。リベリーは本気でこの国の体制ってやつに立ち向かう気でいたんだ。そして、グウェンはギルドのお眼鏡に叶ったんだろう。貢献度制度に従順で、人として生きていく気がある。こいつはそういう奴だ。


 んで、この議員さんはそんなリベリーを利用するつもりって訳だ。


 納得した俺に、リベリーは不安げな顔で、


「エマ、君は女王に……」

「ああ、会った。だから分かる。だからはっきり言うぜ」


 悪いな、リベリー。ああ、言うぜ。


「あの魔女には人間を守る気なんてこれっぽっちも無い。ツェンタイルってのはその女王に首ったけな奴等が集まってるだけの国だ。そんな奴等が、外のことに興味なんか持つかよ」


 そして、俺は唯一の可能性であるグウェンに目を向け、


「ビンビンシヴルが動くとしたら、娘同然のこいつに何かあった時だとは思うが……。グウェンよ、そうなった時、シヴルがこの国に制裁を加えると思うか?」

「それはないよ」


 グウェンはあっさり言い切り、


「ボクが死んだら、悲しんでくれるとは思う。でもきっと、師匠はボクの墓に花を供えてこう言うんだ。グウェン、魔女が弱くてどうするの?って」


 そう、淘汰される力は、魔女ではない。それがシヴルの価値観で、行動理念だ。


 俺の告げたツェンタイルの実態に、リベリーはどさりとソファにケツを落とし、燃え尽きたようにうなだれ、


「女王は、僕の想像を絶する存在のようですね……」

「残念ながらな……」


 眼鏡を外し、片手で顔を覆った。それから、リベリーは泣き笑いのような声で、


「僕はね、エマ。本当は奴隷になりたかったんですよ……」

「お前が、豚に?」


 俺は素直に驚いた。こいつにそんな気概があったなんて思わなかったからだ。ああ、見直したぜ。リベリー……。


「でも、挫折した。常に自分を高め、試される奴隷の生き方は、僕には現実的過ぎました……」

「無理もねえ。仕方ねえさ」


 リベリーは嗚咽の混じる悲痛な声で、


「圧倒的な存在に踏み付けられるなら、僕は自分が望んだきゃわゆい女の子に足蹴にされたかった。毎日餌をもらって、椅子がわりにとちっちゃなお尻に敷かれて、毎日アンアン喘いで感じたいだけの人生でした……」

「リベリー……」


 これ以上は辛過ぎる。


 俺は色々終わり切ったリベリーから議員に向かい、


「人の社会に締め付けは必要だ、それは理解してる。協調させる決まりが無ければ人は怠けるし、自分だけ楽をしようと立ち回る」


 積年の恨みを晴らすように、重い声で、


「だがな、今の貴族の行いは常軌を逸してる」


 ほんの少しだけ目を逸らし、


「俺だってそっち側に生まれ付いてたらどうなってたか分からねえ。人の生き死にを支配できるってのは、楽しいだろうからよ……」


 そんな俺を見据え、イヒト議員は粛々とした様子で、


「権力の行使は人の感受性を麻痺させる。麻痺した人間が子供を作り、その子供が育つと、更に麻痺した人間が出来上がる。己を律することが出来ない輩には、君の言う通り圧力が必要だ。そのために、我々は女王の威光を利用したい。度が過ぎれば魔女が動くぞ、とな」


 へえ……。


 まだ会って間もないが、俺はこの爺さんと話がしてみたくなった。信用した訳じゃねえ。ただ、この老人が発する言葉に興味が湧いたんだ。


 そう思い、俺は顔を上げ、


「率直に言う、俺達はギーリを助けたい。そしてそのことが、この騒ぎを治める一手になると思う」


 だから聞く。


「議員さんよ、ギーリの家と付き合いがあったってんなら、兄貴のことは知ってるな?」

「フラザーだろう、失踪中の。夫妻が処刑されたのだ、逃げるのは当然だ」

「どんな男だった」

「品行方正、清廉潔白、積み上げた武勲は数知れず。彼こそ、忠国の騎士になれる男だった。君は一体何が言いたいのかね?」


 議員の疑問に、俺は、


「あのクソボケ領主を唆してる奴がいる。フォル・クローワ、執行騎士はそう言った」

「それがフラザーだと?」


 議員は顎に手を当て、


「ヴァイスがここファイントで何故ああも自由に立ち回れるのか、ずっと疑問ではあった。去年までのファイントではあり得んことだった」

「原因に心当たりは?」

「……ここ数カ月の間、ファイントでは不審死が相次いだ。被害者は派閥も世代もバラバラで関連性を見い出せずにいたが、ヴァイスを当て嵌めれば全てに答えが出る。フラザーは極めて合理的な人間だった。彼はヴァイスを有利に動かすため、敵対しうるファイント貴族を消して回っていた……?」

「かもだぜ」


 結論が出たのか、議員は机の上、ペンを手に取り、


「ヴァイスに与する気の無い、徹底抗戦しそうな人間の名をまとめよう。リベリー主任、ギルドから緊急の護衛の受け入れるよう呼び掛けたまえ。娘のいる家は、特に安全を欲するだろう」


 つまりは、フラザーが殺しに行きそうな貴族の屋敷に張り込んで、奴を待ち伏せする。


 残念ながら、面白え。この議員さんと話が合うのが、本当に残念でならねえや。


「あ……」


 俺達の話がひと段落したところで、ふいにグウェンがぱたぱたと窓辺に行き、窓を開けた。すると外から黄金の羽ばたきがひらひらと舞い降りてきた。


 炎の蝶だ。


 その蝶は議員の机の上、魔力紙の上に止まり、燃え上がって文字を残した。


 議員は表れた文面に心痛な面持ちで、


「連れ去られた少女達数人を奪還。場所を指定するので、可及的速やかに保護を願う、とのことだ……」

「ギーリと合流できんのか!?」

「無理だろうな。あの娘は自分が危険な存在だからと、私に顔も見せてくれなんだ。それに魔女の力があれば、一人でもやれるとね」

「本当に筋金入りだな、あの嬢ちゃんは……」


 ギーリはこの騒乱の発端だ。そしてその責任を理解し、事態を収束させようとしている。


 窓を閉め、部屋の中央に戻ったグウェンが、


「ボクが行く。子供達の場所を教えて」


 すると、議員が眉根を上げ、


「君が動くのかね? それはツェンタイルからの戦力支援と受け取っても?」

「それはそっちが勝手に決めたことだ」

「そうとも、こちらが勝手に決めさせてもらったことだ。感謝する、氷の魔女よ」

「立場だ何だ、今はそんなこと言ってる場合じゃないんだ。自分が焼き殺されるかもしれないと子供が怯えてるのに、ボク達大人が動かないなんてどうかしてる」

「その通り、実に由々しき事態だ」

「お爺さん、あなたは……!」


 議員の言いように振り返り、グウェンの魔力が膨れ上がる。この爺さん、どうあってもグウェンを使ってツェンタイルの名前を引っ張り出すつもりだ。


 そうだ、グウェンはアウフツォークで見ちまった。親と引き離され、火刑台の上で泣き叫ぶ女の子達を。それと同じことが起こると分かって、黙ってられるタマじゃねえ。


 しかし、しがらみってのはつくづく厄介だ……。


 俺が大きなため息を吐くと、リベリーが眼鏡を掛け直し、グウェンの前に立ち上がり、


「グウェン、一探索者としてのあなたに仕事を依頼したいのですが」

「仕事? こんな時に?」

「ええ。依頼内容は、ここイヒト邸に匿われた少女達と、その予定のある少女達の護衛です。貴族の強制力に妨げられないよう、この依頼は特級扱いとします。議員、よろしいですね?」


 リベリーの提案に、議員はまたしてもやれやれと言った具合で、


「ギリギリ及第点としよう、リベリー主任。次はもっといい口実を用意しておきたまえ」


 今度は議員がため息を吐いた。リベリーは可笑しそうにそれを見てから、


「グウェン、仕事なら仕方ないでしょう?」

「うん、行ってくるよ……!」


 俺はそんなグウェンに頷き、それから十五年来の友人に向け、


「ありがとうな、リベリー。このクソ野郎め」


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