第19話 定めの旅
「随分遅いお目覚めね、エマ?」
「ああ、おそようさんだ」
ツァンタイルは女王の館、その応接間。風呂やら着替えやらの支度を終えた俺は、急いでシヴルのもとを訪れた。
グウェンは俺の隣、カーペットの上に立つシヴルに、
「言ったでしょ、師匠。エマは疲れてたんだ」
「ちょっとしたイジワルよ、グウェン。それとも、あなたは素直な私の方が好みなのかし――」
「え、どうでもいい」
「ら!?!?」
グウェンの無情な返答に、シヴルの動きがぴたりと止まっちまった。
し、死んでる……。
いや、死んでねえ。あまりのショックに固まっちまっただけだ。てか、この母ちゃんは娘のことが好き過ぎて弱過ぎる。
俺は流石に気の毒になり、
「なあ、グウェン。シヴルはよ、お前と話すのが嬉しいだけなんだ。だからこう、もうちょっとな?」
「分かってるんだけど、つい……」
その証拠に、今日のシヴルは俺がすすめたフリフリの黒い服を着ている。おそらくグウェンと出掛けるため、ウヒョるん気分でいたのだろう。
石化した義理の母親を前に、グウェンはおずおずと、
「師匠はいつも通りでいいよ。その、師匠のこと、ちゃんと好きだから……」
すると、石化していた女王像がドボブと鼻血を吹き出し、
「しゅき! そうよねしゅきなのはいいことだわ! いつも通りがしゅきなのね!? よくってよ! おほ! おーっほっほっほ!」
超嬉しそうに再起動した。
……全然頭良さそうに見えねえな。
そんでまあ、俺の方は女王を目の前にしても、昨日のように動揺はしねえ。
ぶっちゃけ、慣れた。
その力や存在はどうあれ、ビンビンシヴルはグウェンの育ての親。俺にとっちゃ娘大好きな世話焼き母ちゃんでしかねえからだ。
さて、俺達がシヴルに会いに来たのは、二度目の挨拶って訳じゃねえ。
俺はシヴルと向かい合って立ち、
「ところで、シヴルさんよ。魔女であるあんたに、聞きてえことがあるんだが」
ビンビンシヴルはサッと鼻血を消去し、余裕を取り戻した女王顔で、
「ルーガにいる若い魔女のことかしら?」
当たり前のように返ってきた答えに、俺は苦虫を噛み潰し、
「知ってたのか?」
「私が知らないとでも思って?」
思わねえよ。
だからこそ、はっきりと問う。
「あんただって同じ魔女だろ? 助けに行こうとは思わなかったのか?」
「何故?」
強い口調になった俺に、シヴルは薄っすらと笑みを浮かべ、
「魔女が弱くてどうするの? 淘汰されるようなら、そこまでよ」
圧倒的強者の意見。そうだな、あんたはそういう生き物だろうよ。
またしても諦めた俺に、シヴルは心底愉快そうな顔で、
「そうね。エマは私を楽しませてくれたから、一つだけ教えてあげるわ」
ほっそりとした白い指を自分の胸に当て、
「魔女の力を育てるのに、最も適した環境は何処かしら?」
「魔女を、育てる?」
どういうこと、何の、ことだ……?
「そうよ。私達は存在するだけで周囲の魔力を喰い続け、成長し続ける。無差別で無尽蔵な、無限の形。でも、そこに至るには段階がある。効率良く魔力を摂取出来る場所にいれば、魔女は早く仕上がるわ」
魔力? 魔力の満ちた場所っていやあ……。
「迷宮……?」
「迷宮とは、この星の魔の坩堝にして循環器。その迷宮が、そんな簡単に氾濫するものかしら?」
シヴルが口にした最悪な仮定に、俺は声を荒げ、
「ヴァイスとアウフツォークでの氾濫は、人為的なもんだってのか!」
「その子を魔女として育てていた人がいるのね」
思い出す。
あのクソ領主は言った、「何故今だ」と。今ってなんだ、そりゃタイミングを選べたってことか。
あれが仕組まれていた。その事実に、俺の全身が総毛立つ。あれのおかげで、どんだけの人間が迷惑おっ被ったと思っていやがる……!
女王は俺の怒りを抑えるように手をかざし、
「氾濫した魔力の摂取。それで力を付けても、まだ本物の魔女とは言い難いわ。本物になるにはまだ足りない、最後のひと欠片が足りてないの」
「どういうことだ?」
「あとは自分で気付くのね、エマ?」
女王が笑い、真紅の瞳に光が宿る。
教えることは一つ。
この魔女ッ……! マジでいい性格してやがる! ああ、こいつ相手に見誤らねえなんて、土台無理な話だぜ、ガランダ!
俺が苦笑すると、今度はグウェンが前に出て、
「師匠、ボクからも聞きたいことが。ルーガの執行騎士が持っていた、黒い武器。あれはなに?」
「そう、あなたはあれに会ったのね」
初めての表情。
グウェンの塩対応でもしょげなかったシヴルが、悲しげに目を伏せた。いや、気は失ってたが。
「あれはおかしかった。外装展開とは基礎構造がまるで違った」
「あれは私達にだけ作用する、毒のようなもの。あれなら、私達魔女を終わらせることが出来るでしょうね」
どうやら、魔剣ってのは魔女の天敵らしい。ルーガの奴等が何故そんなもんを備えてんのか分からねえが、シヴルが言うなら本物だ。
「あの剣はボクの力を相殺してた。あれには師匠の力も及ばない?」
「力の大きさではなく、性質の問題よ。起こりうる反応は中和でなく、対消滅」
それだけで、グウェンは何か機知を得たのか、
「ありがとう、師匠」
「行くのね、グウェン」
「うん」
グウェンは育ての母に向かい、背筋を伸ばして胸を張り、
「魔女と人の行く末を、見定めに」
そう、俺達はルーガに戻る。
これが今朝、俺とグウェンが話し合ったことだ。
何事もない平穏な生活を、この都に居続ければ、それはあっさり叶うだろう。だが、ケツまくったまんまじゃ収まりが悪い。
だから、ギーリを助けに行く。
この世界にとって、魔女という生き物は何なのか。ギーリを救うことは、その疑問に対する答えになる。グウェンはそう感じたのだそうだ。
それに、俺は約束したんだ。ガランダに、あの日のイリーザとグウェンに。
そうとも、俺達に後ろ暗いところは何も無い。次に奴等と会う時は正々堂々、笑って会いに行ってやる。
そのために、俺達はあの国の在り方と向き合いに行くんだ。
俺がグウェンを左腕に抱えると、ビンビンシヴルは母親らしい、柔らかな微笑でグウェンを見上げ、
「いいのよ、グウェン。気に入らなかったら全てを凍らせて、壊してしまいなさい。だって、あなたにはその力があるのだもの」
何処までも魔女らしい見送りの言葉に、グウェンはいつも通りの落ち着いた表情で、
「うん、師匠。気が向いたらね」
木漏れ日の差す、森の道。北風が吹く冬の午後。
俺達は急ぎ入国手続きを終え、ファイントの交易商人の馬車に乗せてもらった。
俺は予備のマントを緩衝材に、荷台の端、背中を預けて座っている。
グウェンは腕の中、俺が開いた小さな空間の穴を見て、
「エマ、本当に大丈夫?」
「ああ、ちっと寒気を感じるぐらいだ」
「ちなみにこれ全力。エマが離れたら、雲が凍って落ちてくるよ」
「マジかよ……」
とてつもねえな、俺の嫁は……。
今やっているのは、いわゆる実験。俺とグウェンが一緒にいるための訓練だ。
シヴルの魔法を見て、俺はあることを思い付いた。
空間魔法は物を入れるだけが能じゃない。間隙歩法の原理がそうであるように、その空間に法則を持たせ、物を弾くことが可能だ。そしてシヴルがやっていた通り、その逆も可能。だから、俺はその力を別の物に適用できないか考えた。
つまり、俺の周囲の冷気だけを、空間の穴に吸い込ませる。
そう限定することで、グウェンの作る氷の世界の中、俺だけが行動可能になる。本気を出したグウェンと一緒にいることが出来る。
だから俺は、これをやるんだ。
どんな時だって万全とはいかねえ。探索者稼業でそれは充分身に染みてる。だが、出来ることは増やしとくに越したこたあねえ。
グウェンは俺の胸に頭を預け、
「魔とは、人が理解不能な忌むべきものを暫定的にそう呼ぶために作られた言葉。そして、その力に理解可能な言葉を押し付け、枠に押し込み、利用してきたのが魔法体系だ。魔力と意識はとても曖昧なもの。それを言葉で規定し魔に法を加える。それこそ、ボク達が魔法と呼ぶ技の極意なんだ」
「今まではただ使えりゃいいと思ってたんだが、ガチの理論に触れっとやっぱ意識が変わるよ」
「規定することには意味がある。ツェンタイルの人間が自分達を人ではないと口に出すのも、自分達を枠に押し込めるための制約なんだ。そうすることで、人は別の物に変わっていける」
「ああ、分かるぜ。身分だなんだはそもそもそういうもんだしな」
こっちとそっちは違う、あれとこれは同じ。違う、同じ。違う、同じ。その繰り返しと組み合わせが、俺達の社会ってやつを作ってる。
これから俺達が立ち向かう相手は、そういうややこしい相手だ。
グウェンは俺の手元から馬車の進行方向に目を向け、
「もうすぐだね」
「ああ、もうすぐファイントだ」
俺達がファイントを目的地として選んだのには、理由がある。
シヴルは言った。ギーリを魔女として育てている人間がいると。今回の魔女狩り騒動に関し、当事者でない俺達が持つ情報は少ない。だが、それでも手掛かりはある。
ギーリは言った。自分はファイントに連なる貴族だと。そして、俺達が気になったのはその家名。ファイント山麓迷宮第六層で出会った、あの騎士と同じ家名。
フラザー・ノイモート。
奴を追う。
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