第16話 魔女と言う生き物

「ごめんね、エマ」

「いいさ、これは当たり前の礼儀ってやつなんだしよ」


 年季の入った木造の室内。魔力の灯の下で重厚な輝きを放つ、壁や扉、天井の装飾群。


 グウェンに案内されて訪れた、女王の館。ワインカラーのカーペットが敷かれ、茶飲み用の小さなテーブルが用意された応接室らしき部屋で、俺はソファに座っている。


 ボロのマントは脱ぎ、今は一張羅の灰色のコート。グウェンに体表凍結で汚れを落としてもらい、旅の垢やらは一応サッパリ。


 これで、挨拶の準備は一応整った。


 先ほど女王が広場に現れたのは、グウェンが帰ってきたことを察知してのことらしい。要するに、「いいから顔を出せ」というサインだったのだとか。豚へのご褒美はそのついでだったとか何とか。


 てな訳で、あとは女王を待つばかりなんだが……。


「……っと」

「エマ、もういいよ。もう休もう?」

「大丈夫だ、グウェン」


 意識が落ちそうになるのを堪え、隣に座るグウェンに笑い掛けた。


 いけねえ、疲れ果ててる場合じゃねえ。血は繋がってねえにしろ、女王とグウェンは母娘みてえなもんだ。そういう繋がりは大切にしなきゃだしよ。


 それに、相手はあの女王だ。今度はしっかり正気を保たにゃならん。


 俺が気合を入れ直した、その時。開け放たれた扉、廊下の先に魔力の揺らぎを感じ、俺はゾッとした。


『あら、グウェン。あなたの夫は勘がいいのね』


 彼方から聞こえた、軽やかな声。そして空気に溶けていた絵が浮かび上がるように、先ほどと同じ、下着姿の少女が現れた。


 この魔女、空間に穴開けずに移動してきやがった!


 女王は俺と同じ空間魔法の使い手、そうグウェンに聞いていたが、これは格が違う。


 俺が慄いていると、女王は机を挟んで俺と向き合うように立ち、


「それで?」

「……はっ!」


 首を傾げる姑を前に、俺は正気に戻って立ち上がった。


 そして、胸に右手を当てて腰を曲げ、


「お初にお目にかかります、女王ビンビンシヴル様。急の訪問を受け入れてくださり、誠にありがとうございます。私、生まれはルーガの男で、名をエマと申します。事後報告になり申し訳ありませんが、この度、貴女のお嬢様であるグウェン様と結婚致しました。本日はその挨拶に伺った次第です」


 俺が挨拶を終えると、隣に座るグウェンが豆鉄砲かまされたような鳩顔で、


「何してんの?」


 この魔女、せっかく俺がキメたってのに何でそんな不思議そうなん?


 割と半ギレな俺に、グウェンは超絶面倒臭そうに、


「師匠に対して礼儀なんかいらないよ。礼なんて、人が勝手に作ったものだもの」

「いや、そりゃそうなんだが、そういうことなら、まあ……」


 俺が渋々承諾すると、女王は傾げていた首を戻し、


「エマ」


 新しい玩具を見付けた、そういう顔でくすりと笑い、


「私があなたの名前を覚えるかどうかは、あなた次第よ」


 確かに礼儀は要らなそうだが、俺は念のため、


「あー、女王様? いや、義母上様? その、何と呼べば?」

「好きにしたら?」


 何処までも楽しそうな姑から、やや目を逸らし、


「シヴルさんよ。あんたの恰好、そりゃ目の毒だ。上に一枚羽織っちゃくんねえかな」

「何故? 私はしたい恰好をしているだけよ」


 その姿に魅了される方が悪い。その姿に心酔する方が悪い。何処までも挑発的な服装と、その姿勢。


 無礼だと分かりながらも、俺はため息を吐き、


「俺はただ落ち着いて話がしたいだけなんだがな……」

「あらそう」


 答えながら、何もない空間に女王が座るのを見て、俺は再びゾッとした。


 宙に浮かぶ。


 言葉にすりゃそのまんまだが、俺の間隙走法と違い、あまりにも自然過ぎる。空間の穴なんか開けてねえのに、当たり前のように「その場の空間」に触れ、その上に体を乗せている。


 驚愕しまくりな俺の眼前、女王は足を組み、


「私は孤高。私に釣り合う者など存在しない。老いず朽ちず滅びず、完結した現象」


 伸びをするように両腕を上げ、惜しげもなくその肢体を晒し、


「私は永遠」


 真っ赤な瞳と真っ赤な唇でそう言った。


「あなたが目にしているものは人ではないの。この世界の行き止まり、そのものなのよ」


 完全に、理解の埒外だ……。


 俺はどさりとソファに腰を落とし、あらゆることを諦めた。どうやらこの姑は、下着姿が自然らしい……。


 疲れ切った俺を気にしたのか、グウェンが女王に向かい、


「師匠、ボク達長旅で疲れてるんだ。何かあるなら、明日にしてくれないかな」

「つれないわね。これでも私はあなたのことを心配しているのよ?」


 言って、女王が右手をさっと振ると、部屋の空気が暖かいものに入れ替わった。


 今度は何だ!? 空気を? いや、環境を呼び寄せた……!?


 だが、今はそれより優先すべきことがある。そうだ、親代わりならグウェンの近況を心配して当然だ。


 そう思い、


「いや、グウェン。ルーガの事情を知ってりゃ当然さ。シヴルさんよ、グウェンは大丈夫なんだ。辛い目にはあったが、迫害みたいな、酷い扱いは受けてねえよ」

「そんなこと、どうでもいいわ」

「そう、どうでも、んい?」


 舌を噛んだ俺に、シヴルは冷ややかな目付きで、


「私の心配は、夫になった男が妻の望むものを用意できているか。それだけよ」


 瞬間、部屋の両側にハンガーポールが行き渡り、様々な色、形のドレスがザラッと流れて来た。何かもうこの女王の魔法について考えんのがメンドくなってきた。


 だが、冷や水を浴びせられた気分だ。巨大なクローゼットに様変わりした応接室に圧倒され、俺は反省した。


 俺が考えてた隠居生活は、ギリギリの支出で細々と日々を過ごす、ぶっちゃけ庶民らしい貧乏生活。


 グウェンだって女で、お洒落だってきっとしてえ筈だ。とっかえひっかえ新しい服を買って、てのは無理にしても、ちょっとくれえの贅沢はしたくて当然だろうに。


 てかそれ以前に、俺は結婚記念の贈り物すらしてねえじゃねえか!


「あ、俺あ、その……」


 ガックガクに後悔する俺を、女王は見透かしたように笑い、


「男の人生はね、女を飾るためだけにあればいいの。それが出来ない男なんて、クズ以下ね」

「ぐ、お……」


 傲慢過ぎる言い分だが、今の俺には返す言葉がねえ。


 小さくなった俺を無視し、女王は満面の笑みでぶわっと両手を広げ、


「さあ、グウェン! 私自らの手で作りに作った十年分! どれもこれも胸キュンな出来よ! さあ、どれでも好きなものを着まくっちゃいなさ――」

「え、別にいらない」

「い!?!?」


 あっさり食い気味なグウェンの拒否に、女王はぎしりと動きを止め、バンザイポーズで固まっちまった。


 ……し、死んでる。


 いや、死んでねえ。何だこの女王。グウェンにすげなくされただけで気ぃ失っちまうなんて、実はメンタル弱えのか?


 自信マンマン状態で停止した姑に、俺は流石に気の毒になり、


「あー、グウェン。どれか一着、袖くらい通してやったらどうよ。せっかくシヴル……、お母ちゃんが用意してくれたんだしよ?」

「それはありがたいと思うけど、荷物を増やしたくないんだ」

「俺の倉庫に入れりゃいいさ」

「手持ちの整理、取捨選択は探索者の基本。それに、ボク達はまだ旅の途中なんだ」


 グウェンはいつも通りの落ち着いた表情で俺を見上げ、


「ボクがルーガでそうだったように、エマがこの都に馴染めるかどうか分からない。エマが納得してくれないと、ボクだってイヤなんだ」


 ……参った。その通りだ。


 だがまあ、ゆとりってのはあるならあった方がいい。それがねえと、俺の十五年みたくなっちまう。


 俺はそのことを何とか伝えにゃと思い、


「あそこによ、白いのと黒いのがあんだろ。行って見てみ」

「うん? うん」


 グウェンは俺が指差す服の前まで行き、


「これ?」

「ああ、グウェンは髪が銀色だからよ、白とか柔らかい色が似合うだろ? ふわふわした装飾なんかは俺にゃ作れねえ、カワイイってやつだ。横のは同じ仕立ての色違いだから、黒髪に合わせてシヴルに着てもらうんだ」

「師匠に?」

「ああ」


 ここにあるのはグウェンのために用意されたもんだが、シヴルとグウェンは背格好がほぼ同じだ。だから、俺はそれを思い付いた。


「お揃いってのは、やっぱ特別なもんだろ? それで今度、一緒に散歩にでも行ってくりゃあいい。並んで歩けば、きっと楽しいさ」

「うん」

「一着だけ、それならいいだろ?」

「……うん」


 グウェンがようやく頷くと、今まで固まっていた女王の像が震え始め、


「ふっふふ……。おーっほっほっほ! おーっほっほっほ!」


 ドブバと鼻血を吹き出し、生き返った。


「よくってよ! よおおおおおろしくってよ!」

「おい、シヴルさんよ! 血が出てんぜ大丈夫か!?」

「心配要らなくってよ! これは悦楽の奔流で、つまりは喜びの先走りよ!」


 復活した女王は空中に座り直し、鼻血まみれでド満足といった勢いで、


「よくってよ、エマ。あなたの名前、憶えてあげるわ」

「は、え?」

「グウェンが私からの贈り物を素直に受け取るなんて、初めてのことよ。よくやったわ」

「初めて? いやグウェン、お前……」


 俺が顔を向けると、グウェンはぽつりと、


「だって、申し訳なくて……」


 そこでまた、気付く。


 ツァンタイルに着いてすぐ、グウェンは休むために宿を取ろうと言った。実家に行こうとは言わなかった。


 女王とグウェンは血の繋がりの無い母娘。グウェンにはグウェンなりの距離の取り方ってのがあるんだろう。このことはこれ以上触れねえ方がよさそうだ。


 俺がそう決めると、女王がめちゃんこ嬉しそうに手をふりふりさせ、


「それじゃあ、この服はエマの物入れに送っておくわね」

「ありがとう、師匠」

「いいのよ、グウェン」


 シヴルが笑うと、応接室の服全てがパッと消えちまった。何だそりゃ、俺の倉庫に干渉できるってか。もう勝手にしてくれ。


 もとの応接室に戻った木の空間。シヴルは鼻血を消去し、宙に頬杖を突き、


「いい夫ね、エマ。それに、私を前に正気を失わない男なんて、何十年ぶりかしら?」


 その言葉に、グウェンは心底不思議そうな顔で、


「そういえば、エマは豚から人に戻ったね?」

「お前、自分の旦那に何てこと言うんだ」


 さっきの広場じゃ我を忘れちまったが、相手がヤベえって分かってりゃ心構えくらいできらあな。


 女王はそんな俺達を眺め、くすくす笑った。そして、小指を噛んで、


「グウェン、あなたに夢中なのよ。ねえ?」


 赤い舌を出し、艶やかな唇をちろりと舐め、


「それじゃあ、聞かせてもらいましょうか、エマ。あなたはグウェンの何処に夢中になったのかしら?」


 俺は息を飲みこんだ。


 完敗だ、流石世界一の女。そう、この大魔女さんには全てお見通し。


 俺は悩み、空間に穴を開けようとして、


「酒を……、いや、ダメだ」


 酒の勢いに任せようとも思ったが、いけねえ、こいつは素面で言わなきゃなんねえことだ。十年一緒だったから、今更言うことじゃねえ。そう自分を誤魔化しちまう。


 贈り物と同じだ。


 俺はなあなあで済ませた気になって、グウェンに大切なことを伝えずにいたんだ。それをこの姑は、見事に見抜いてた。


 だがこれは勢いとかじゃねえ。その感情は、俺の心にちゃんとある。


 大きく息を吸い、整理する。


 膝の上に肘を突き、俺は魔女の母娘に向かい、


「グウェン、今から俺はひでえことを言う。気に喰わなかったら、俺を殺しちまっても構わねえ」

「何を言ってるの、エマ?」


 怪訝そうな顔をするグウェンをよそに、俺はシヴルの赤い瞳を真っすぐ見据え、


「シヴルさんよ、あんたの力は大したもんだ。あんたと会ってよく分かった」


 覚悟を決め、口にする。


「魔女はもう、人間じゃねえ」


 そして、今度はグウェンの青い瞳に向かい、


「グウェン、お前もそうだ。シヴルと同じとはいかねえまでも、近いことは出来んだろ」

「それは……」

「分かるさ、十年一緒にいるんだ。俺はお前に何が出来るか、その力をよっく分かってる」


 ヴァイスの迷宮で発揮したあの破壊力。十年前とは比べ物にならない程の魔法の威力だった。グウェンのネックは機動力。だが、それが何だ。


 鎧を形作る力を、グウェンが全力で放出したらどうなるか。


「お前はさ、くだらねえ身分制度になんて従わなくていい。人として生きてく必要なんてねえんだ。気に喰わなくなったら全部凍らせてブッ壊しゃ、それでいい筈なんだ」


 ファイントの迷宮、あの高足蜘蛛の時を思い出す。外装解除したあいつは、震えてたんだ。そうだ、同じだと思っていた人間に後ろから刺されて、恐くならねえ筈がねえ。


 グウェンはあの鎧の中でずっと恐がってた、ずっと怯えてたんだ。


「なのに、お前は人に寄り添って、人として生きようとしてくれた。お前は、俺と一緒に生きようとしてくれた……」


 そうだ、俺は……、


「それが何より……」


 ……クソッ、言葉が選べねえ。


 伝えなきゃならねえことは山ほどある筈なのに、頭も口も動かねえ。


 沈黙の応接間。銀色のまつ毛を伏せて俯き、グウェンは体を震わせて立っている。だが問題はその横、中空でエビ反りになって悶えている女王様だ。


「んんっ……!」


 ビンビンシブルは仰向けで小さな足をぱたぱたさせ、


「よろしくってよ! よおおおおろしっくてよ!」


 だっくだくの鼻血まみれの超嬉し顔で起き上がった。そしてカーペットに着地し、超絶ハッスル状態でグウェンに詰め寄り、


「ああ、グウェン! 見せてちょうだい!」

「あの、師匠。今はやめて……」

「その恥じらい! ごちそうさまよ!」


 真っ赤になって顔を背けるグウェンの前で、女王はくるりと一回転。そして再び宙に浮き、空中で悦び悶え転げまわり始めた。


「よくってよ! とほおおおってもよろしくってよ!」


 ……この母ちゃん。娘のこと好き過ぎんだろ。


 しばらくしてようやく落ち着いたのか、ツェンタイルの女王は娘の頬を両手で包み、


「ああ……」


 それから、うっとり蕩けた表情で、


「よく育ったわ、グウェン。私のグウェンディーネ……」


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