第14話 選別の青き炎

「その子達は魔女ではありません! 魔女である、このわたくしが保証します!」


 夕焼け空に浮かぶ丘の上、響き渡る決意の声。


「その子達を解放してください!!」


 ギーリ・ノイモート。


 そう名乗った少女を前に、馬上の老人、ヴァイス領主はわなわなと身を震わせ、


「お前が、魔女だと……?」

「ええ!!」

「……なんっ、ぐおっ!?」


 領主が聞き返した直後、処刑台と騎士団を阻むように炎の壁が立ち昇り、広場を火焔が埋め尽くした。


 黄金色の燎原。燃え盛る業火の中心、ギーリはスカートをたくし上げて佇み、


「動かないでくださいまし。わたくし、細かな制御は苦手ですの」


 あっぶねえ……! 藁に火が燃え移ったらどうすんだ!


 俺同様、騎士も貴族も戦々恐々。


 炎にすくむ馬の手綱を握り、ヴァイス領主はしわだらけの顔を歪め、


「魔女……! 魔女だ……!」


 喜びと怒りの混じった、気色の悪い声で、


「魔女を名乗るならば大人しく縄に付け! アウフツォークの娘共々火刑に処してくれる!」

「いいえ、全力で抵抗させていただきます! この国に生きる全ての娘、その安全が約束されない限り、わたくしは死ぬ訳にはまいりません!」


 頑として立つギーリを見下ろし、ヴァイス領主は額に青筋を浮かべ、


「こやつ等も魔女なのだ! 災厄の芽は全て摘まねばならん!」

「この炎をご覧なさい! 魔女ならばこのくらいは出来て当然! あなた達の包囲など即抜け出せて当たり前ですの! それをしない、出来ないというのは、その子達が魔女でないことの証明に他なりません!」

「黙れ! 貴様が口から吐く言葉! その全てが災厄そのものだ!」

「黙るのはそちらです! この街の惨状を前に、貴方がそれを言うのですか!」


 ギーリはスカートから手を放し、両手を大きく広げ、


「無辜の少女達に嫌疑を掛けるばかりか、平穏に暮らす民の日常を権力で脅かそうなど! 人としてお恥をお知りなさいですの!」


 それから、ギーリは領主をビシリと指差し、


「ヴァイス領主! いいえ、馬に跨ったただの老人よ! あなたは貴族、大・失・格! ですわ!」


 その姿とその言葉に、しんと静まり返る炎上広場。


 縛り付けられた少女達が、その親であるこの街の貴族達が、そして騎士の一団が。呆気に取られてギーリを見詰めている。


 あっぱれ、言い切りやがった。


 グウェンは俺の隣、全く同じ感想を抱いたんだろう。


「エマ、ボクは口喧嘩でギーリに勝てる自信が無いよ」

「ああ、俺もだ」


 もしかしたら、どうにかなるかもしんねえ。


 生まれながらにして、人の上に立つ者。俺等はそう標榜する奴等に徹底的に奪われ、踏み付けられてきた。だが貴族の教育、その教えが正しく人の中で育てば、人はこうなれる。


 ギーリは大したもんだ。こんな奴がいるなら、もう少し貴族って生き物を信じてやれたかもしれない。そう思えるくらいには。


 黄金の火の海に変じた丘の上。膠着した空気のさ中、


「り、領主様!」


 騎士を乗せた馬が坂を上ってきた。騎士は炎に怯える馬のいななきを押さえ、


「氾濫です! ノルデントの迷宮から魔物が吹き出しました!」

「バカな! 何故今だ!」


 領主の驚愕と同時、騎士の背後、地響きと共に魔物の大群がお目見えした。確かに氾濫だ。


「いけないっ……!」


 伝達役の騎士の身を案じたのだろう。ギーリが咄嗟に炎を消去すると、広場はあっという間に魔物の群れで埋め尽くされた。


「むむ、む、迎え撃て!」


 処刑台に、人に、魔物に。滅茶苦茶になった丘の上、領主が必死に声を上げる。


 今だな。


 そう思った俺はグウェンを抱え上げて疾走。間隙走法で宙を踏み、火刑台へ。剣を抜き、貴族の嬢ちゃん達の縄を切り落とした。手荒いが、緊急時だ。勘弁してくれ。


 処刑台から飛び降りた娘を、父親らしき貴族の男が受け止め、


「お前は……!?」

「引退直前の探索者だよ」

「よくやった! 感謝する!」


 そう言うと、その男は娘を抱え、路地の向こうに消えていった。他の家族も同じように娘を保護し、


「恩に着る!」

「ああ、そうかい」


 自分達の屋敷に背を向け、丘を下っていった。


 黙って逃げろ。恩なんて、すぐ忘れるくせによ。


 俺はアウフツォークの奴等が避難したのを見届けると、


「さってとお……」


 マントのフードを脱ぎ、火刑台から広場にひしめく暴力を見下ろした。


 騎士達とやりあっているのは全身毛むくじゃらの、牛頭の魔物達。ヴァイス迷宮のホストに似ているが、あれよりは小型だ。


 俺はグウェンを処刑台に下ろし、両手に剣を抜き放ち、


「最低限、探索者の仕事はしなくっちゃなあ!!」


 処刑台から近場の魔物に飛び掛かり、角もろとも頭をかち割った。グウェンも氷鎧をまとい、周囲の魔物を一撃で凍らせ、砕いていく。


 振り下ろされる牛頭の拳。反撃にと吹き上がる騎士の炎撃。視界によぎる、少し離れた場所に取り残された、一人の少女。


 ギーリだ。


 ギーリは力を抑えるように自分の体を抱き締め、うずくまっている。手近な魔物を砕いたグウェンが、氷の巨体を軋ませて振り返り、


『ギーリ! 君はこの国で生きる必要なんてない! ボク達と一緒に行こう!』

「グウェンお姉様、エマさん……」


 その声で、ギーリはふらりと立ち上がる。そして逡巡するように目を閉じ、それから首を振った。


 バラ色のスカートを握りしめる、白い両手。泣きそうな笑顔で小さな唇が描く、言葉の軌跡。



 どうか、御無事で……。



 そしてギーリは背筋を伸ばしてスカートを持ち、足の膝を少し曲げた。


 貴族の礼だ。


 それを済ますと長い三つ編みを翻し、広場から続く坂を駆け下りていった。


 北ではない、南へ。この国の中心に向かって。


 ギーリは逃げなかった。それどころか逆に、戦いに行った。この国の自分以外の娘が魔女ではないと、証明するために。


 方法は分からねえ。しかし、あいつはあの言葉通りの意思を貫き、立ち向かうのだろう。


 ああ、だから、


「さよならだ。ギーリ」


 双剣を振るい、牛頭の首を刎ねる。


 夕日の丘に燃える貴族街。


 圧し潰される騎士の悲鳴も、切り刻まれる魔物の苦悶も、火の粉と共に吹き上がり、夕焼け空に消えていく。


 人の熱が、炎の熱が立ち込める処刑場。音を立てて燃え崩れる、貴族共の館の屋根。


 焦げ臭い灰煙の向こうに聞こえた、クソ領主のクソ命令。


「追え! 魔女を追え!」







「数が多いな、クソァ!!」


 頬をかすめた牛頭の怪拳が、処刑台を破壊する。角に突き刺さった騎士の鎧をそのままに、魔物達が吠えたける。


 貴族の親子達は逃げ、ヴァイスの騎士達はギーリを追って丘を下り。取り残されたのは俺達夫婦と、迷宮から溢れ出た魔物の大群。


 それを確認したグウェンが、


『エマ! ボクが全てを凍らせる! 距離を取って!』

「そうは言うがなあ! んな隙、無えぜこりゃあ!」


 肉の壁に囲まれながら、機を窺う。グウェンと背中を合わせ、立ち回る。


 こいつら、タフい。


 腕の一本二本切り落としたくらいじゃ止まらねえ。初撃のように一撃で急所をキメて回らにゃ、ジリ貧だ。


 目の前に迫る紫色の巨躯。こいつを踏み台に、距離を取る。


 そう決め、俺が間隙走法で踏み出した、その時、


「うおあちっ!!」


 鼻先をかすめた青い炎に前髪を焦がされ、俺は思わず飛び退いた。青い炎が通り過ぎると、俺達を囲んでいた牛頭共が消し炭になり、崩れていく。


「何だ……!?」


 警戒する俺の前、魔物の群れ、その合間を縫うように、黒い嵐が吹き荒れている。青い炎を伴い、見る間に魔物を裁断し、焼却していく黒い風。


 広場に立ち込める肉の焼かれた匂いと、濃密な魔力の気配。


 奴等に潰された騎士の死体、その全てが黒い灰となって散った頃。


 風が灰をさらい、視界を遮っていた煙が晴れると、焼け焦げた石畳に男が一人立っていた。


 黒いマントにボサボサの長い黒髪。

 恐ろしく濃いクマに縁取られた、黒く鋭い眼の光。

 そして右手に持つ、杭に似た形状の武骨な黒い得物。


 この男は、そう、


 執行騎士、フォル・クローワ。


 黒く染まった石畳の上、男は黒いマントをはためかせて立ち、


「法務の館で会ったな。今度は名を聞こう……」

「エマだ。助かったぜ、執行騎士さんよ。流石の腕だ」


 投げかけられた意外な言葉に、俺はひとまず安堵した。言葉が通じるようで何より。相変わらずの威圧感だが、今この時はこれ以上ない程の援軍だ。


 俺が双剣を鞘に納めると、騎士は煙たなびく石畳を見詰め、


「ヴァイスを唆した男は、とんだ食わせ者だったようだな」

「何だって……?」


 聞き返す俺に、クローワは長い杭を逆手に持ち、横に掲げた。そして指輪の無い、黒手袋の指を三本立て、


「この世界を構成しているものは、三つある」


 暗く低い、陰鬱な声で、


「一つ目は血。血とは民、人が人を治めるために必要な絶対基盤」


 一本、薬指を折る。


「次に法。法とは血を繋ぐための節制。人の限界を定める証明でもある」


 二本、中指を折る。


「最後に、剣。己を律す、抑圧の象徴。歪みを断ち切るための破壊の力」


 三本目、人差し指を折ると、再び杭を構え直した。


 その姿を前に、グウェンがギチリと鎧を鳴らし、


『エマ、近寄っちゃいけない! あの武器はダメだ! 何かがおかしい!』

「おい、グウェン!」


 俺が止める間もなくグウェンは外装解除し、少女の姿で石畳に着地。そして、


「グウェ、おわさぶっ!!」


 グウェンの全身から放たれる、氷結の魔力。強烈な吹雪が吹き荒れ、世界の全てが白に染まる。


 何があったってんだ!? 大嫌いな貴族相手とは言えいきなり喧嘩を吹っ掛けるなんざ、こいつはそんな奴じゃねえ筈だが……!?


 だが、もうやっちまった……!!


 あの騎士はグウェンの、魔女の全力をもらっちまった!! あんなん喰らってただで済む筈が……、


「なっ……!!」


 凍てつく寒さに歯を鳴らしながら、目を見開く。


 氷煙の晴れた先、吹雪をものともせずに無傷で立つ、黒衣の男。


 グウェンの氷が遮られた……!?


 俺がそのことに驚いていると、クローワは何事もなかったかのように、冷静な様子で、


「魔女、か……。貴様、この国の人間ではないな?」


 魔剣のひと振りで周囲の氷を霧散させた。そして、


「許す」


 それから先程と同じ、淡々とした口調で、


「法を守り、血を守る。私の使命はこのルーガにおける血の選別だ。外の血に関心はない。その男を置いて、何処へなりとも消えるがいい」


 よく分からんが、お咎めなし。相手が法務の人間だってんで身構えてたが、グウェンに危害を加えねえなら歯向かう理由は全くねえ。


 何とか調子を取り戻した俺は、凍ったマントを手ではたきながら、


「そいじゃま、消えるのは俺も一緒だ。何しろ、こいつは俺の嫁さんだからな」

「何……?」


 俺の断りに、クローワは顔を上げ、


「お前は、魔女を伴侶に……?」


 眉根を寄せる騎士を前に、グウェンはふんす!と胸を張り、


「そう、エマはボクみたいなちんまいのが大好物な変態だ!」

「うおぉい! お前、俺のことそんなふうに思ってんの?!」


 俺が突っ込むと、クローワは納得したように頷き、


「見た目少女な娘と結婚するには、魔女を選ぶしかあるまい。理解した、合法だ」

「なりで選んだんじゃねえよ! 誤解だよそこは!」


 俺が必死になって訴えていると、馬に乗った黒い騎士が坂を上がってきた。


 別の馬を引き連れたその騎士は、クローワの近くで止まり、


「お待たせ致しました」

「ご苦労。氾濫の鎮静は?」

「手こずっているようです」

「我々も迷宮へ向かう。民の安全が最優先だ」

「はっ!」


 敬礼する騎士から手綱を受け取り、クローワは黒い馬に跨った。


 執行騎士が氾濫の始末を付けてくれんなら、言うことなしだ。お言葉に甘えて、俺達はこのまま行かせてもらう。


 そう思い、俺は依然警戒中の氷の魔女に、


「グウェン、あの剣が気になるのは分かった。だが、今はこの場を離れんのが先決だ」

「……うん」


 グウェンを宥めた俺は、ふと石畳に焼け残ったあるものに気が付いた。


 ギーリに羽織らせたボロのマント、その切れ端だ。


 それを拾い上げ、グウェンのマントの首紐に結んでやり、


「一緒に、行けなかったな」

「うん……」


 頷くグウェンを左腕に抱え上げ、俺は坂を下るために歩き始めた。


 国を去る俺達の背後、クローワは手綱を引き、黒い馬を方向転換させ、


「魔女よ、二度は無い。お前がこの国で生きることを、法は認めていない」


 黒いマントをはためかせ、騎士が坂を下っていく。


 俺達は北へ。奴等は南へ。


「人は人であればいい」


 風に乗って聞こえる、暗い声。


「それ以上の存在を、この国は認めない……」


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