第13話 処刑台のアウフツォーク

 視界に広がる緑の世界。

 日が傾き始めた、長閑な午後。


 俺達は北に向かい、草原を歩いている。


 目的地は国境沿いの城塞都市、アウフツォーク。


 アウフツォークも一応ヴァイス領だが、魔女の森に近いことから、住民は魔女に対する忌避感が殆どない。それどころかツェンタイルとの交易も盛んで、おまけに迷宮もある。かなり栄えた街だ。


 しかし、そのアウフツォークは現在陸の孤島状態。


 この国、ルーガ王国は長年東の大国とやりあっていて、今も小競り合いが続いている。そのため東西を繋ぐ道の整備は進んでいるが、それ以外の、特に北部への普請は遅れ気味。


 ヴァイスからアウフツォークの街道は、道というのも憚られる酷いもんだ。


 これではいざ軍隊を動かす時に支障が出るだろう。ヴァイス領主の評価が低いのも頷ける。


 てな訳で、人目を避けるのは簡単。道を外れて歩きゃいい。


 歩きゃ、いいんだが……。


「まあ、グウェンお姉様! あれはワシでしょうか!?」

「雁だね。寒くなったから、南に渡ってるんだ」


 目の前にはるんるんピクニック気分ではしゃぐ魔女が一人と、それを引率する魔女が一人。


 何も事情を知らなけりゃ、仲のいい娘が二人歩いているだけの、草原の風景。花が咲いてりゃさぞ絵になったことだろうが、残念ながらそろそろ冬だ。


 ギーリは中身十七歳とは思えねえ喜びっぷりで、


「わたくし、牢に繋がれる前から殆どお屋敷の外に出たことがありませんで! ですから全てが新鮮で、とても楽しいんですの!」

「うん。それはもう分かったから、少し落ち着こう」


 ギーリと行動を共にするようになり、既に三日。


 行く当てのないギーリは当然のように俺達に付いてきた。俺等と一緒にいりゃ食うに困らねえし、それはまあ仕方ねえ。


 嘆息しつつ、俺が足を動かしていると、


「グウェンお姉様! あちらでぴょんと跳ねた白いもふもふ! あれは兎でしょうか!?」

「ギーリ、草が焦げてる、少し抑えて。夕食に兎の丸焼きが食べたいなら、話は別だけど」

「あらいけませんわ! それはいけませんわ!」


 ギーリが興奮するたびに足元の草が一瞬で燃え上がり、炭化する。白い肌から噴き出す魔力が黄金の炎になり、散っていく。


 ギーリは両手で頬を包み、顔を赤らめ、


「わたくし、幼い頃から魔力の制御が苦手で! 水牢を出た時も、お屋敷を半壊させてしまいましたし!」

「分かる。寝てる間とか、つい気を抜いちゃうよね」


 魔女二人が繰り広げる危なっかしい会話に、俺は背筋が寒くなった。


 やはり、魔女がその身に宿す魔力は人間社会に適応出来る規模を大きく超えている。ギーリが貴族の屋敷で働くのを止め、森でさ迷うようになったのも、それが原因なんだろう。


 こういう天然モノを見てると、グウェンが普段どれだけ魔力操作に気を払ってんのか、よく分かるってもんだ。


 何とか魔力を鎮めたギーリは、立ち止まって草原を見渡し、


「本当に見事な景色ですわ……。この世界には綺麗で素晴らしいものが沢山ある。全て、全てお兄様の教えてくれた通りでした……」

「ギーリにはお兄さんがいるの?」

「ええ!」


 グウェンの問いに、ギーリは胸の前、祈るように手を重ね、


「お兄様は、わたくしに全てを与えてくださいました。空や大地、自然と向き合う人の心を。人と人との間で紡がれる感情の機微、優しさを。お兄様は物語や音楽などの技術を通し、丁寧に教えてくださいました。この風景を前に、今わたくしの心はこんなにも満ち足りている。これも全て、お兄様の優しさのおかげです……!」


 ギーリは胸に左手を、何処か遠くに向かい右手を捧げ、


「ああ、麗しのお兄様……!」


 うっとりした表情で固まっちまった。そして、あちい。ギーリの力で周囲の空気が蜃気楼みたいに揺らいでやがる。


 ギーリは捧げた右手の先、世界に続く空に向けて、


「お兄様達騎士の働きがこの国を、この風景を守っているのです。わたくし、そのことをとても誇りに思いますわ」


 そう来るか……。


 ギーリにとっては当然の話に、俺は力なく笑い、


「すまねえな……。正直、俺等はお前さん方貴族があんまし好きじゃねえんだわ」

「あら、何故ですの?」


 ギーリはきょとんとした顔で俺を振り向き、


「民は貴族に糧を捧げ、騎士貴族は民のために血を流し、命を捧げる。わたくし、貴族と平民はお互い尊重しあえる間柄だと思っていますわ」


 ギーリの口にしたこの国の正しい在り方に、俺は納得しつつ全てを諦めた。


 やべえな。ギーリは世の実情を知らず、そうと教えられて育った見本みてえな娘だ。その兄貴ってのは正真正銘、頭がお花畑してやがる。


 このことはこれ以上話したくねえ。俺の気持ちを察してくれたのだろう、グウェンがギーリに顔を向け、


「そのお兄さんは、生きてるの?」

「はい、おそらく。お兄様はとても優秀な騎士ですから」

「ギーリはお兄さんに会いに行かないの?」

「わたくしは……」


 ギーリは一転、泣きそうな顔で俯き、


「もう、諦めております。わたくし、お兄様の迷惑にだけはなりたくありませんの……」

「ギーリ……」


 少女の言葉を乗せて消える、乾いた風。


 シケた話だ……。


 小さくため息を吐き、俺はマントの身頃を合わせ、


「行こうぜ。とにかく歩かにゃ」

「うん、エマ……」


 風の中、魔女二人は言葉少なに歩き始めた。


 前を行く、水色のローブを着た小さな背中。ここ数日、グウェンを見ていて気付いた。


 グウェンは迷っている。


 貴族のギーリに同情はしない。そう言っていたが、やはり共感するところがあったのかもしれない。何せギーリはこのままじゃいずれ排斥確定、お先真っ暗。


 一緒に行こう。


 そう言って、ギーリを北の森に連れていくべきか、悩んでいるのだろう。


 草原を薙いで吹く、晩秋の風。西の稜線に陽が沈み始め、橙色に染まる空。


 その世界の間を、俺達は歩く。


 そろそろアウフツォーク。地平線に横たわる黒い森を背に建つ、茶色い城郭が見えてきた。


 それを目にしたギーリが、


「何かしら? お祭りでしょうか?」

「いや、違うぜ……」


 ワクテカしたギーリを押さえ、目を凝らす。


 街から黒い煙が上がっている。


 俺達に追っ手はいないはず。すると、ギーリを追ってきた奴が先回りした? いや違う。当人がここにいるってのに、何で街から火の手が上がってんだ?


 俺は空間倉庫からボロいマントを二着取り出し、グウェンとギーリに羽織らせた。


「すまねえ、汚ねえが辛抱してくれ」

「いいえ、エマさん。わたくし、気にしませんわ」


 貧しい旅人を装い、俺はグウェンと頷き合い、


「行くぞ、グウェン」

「うん、エマ」







 アウフツォーク城郭内。


 茶色い煉瓦が積み上げられた門を潜ると、そこは戦争さながらの酷い有様だった。


 目の前には逃げ惑う人々。馬の蹄の音に追い立てられ、子供の泣き声があちらこちらから上がっている。


 門前広場からは左右に分かれた大通り。左に行けば坂を登り貴族街へと続く道。右は平民街へと続く道、ギルドと迷宮はこの先にある。


 火の手は左の道、丘の上から上がっているようだ。


 俺は迷わず右の道を選んで進み、近くを走る探索者を捕まえ、


「おい、何があったんだ」

「エマじゃないか! こんなとこで何してるんだ!?」

「聞いたのはこっちだぜ」


 偶然会えた昔馴染みは、俺達を細い通路へと呼び込み、


「魔女狩りだ。アウフツォークから魔女が出たとかで、領主が貴族の娘を捕らえて片っ端から火刑に処すってよ」

「狂気の沙汰だな」


 ヴァイス領主のアホめ。こんなとこで手当たり次第に出やがるとは。


 俺は昔馴染みに声をひそませ、


「すまねえが、俺達は今他人に構っていられるような状況じゃねえ。北に行きたい。この街を出て迂回する」

「それはやめとけ。ツェンタイルに逃げ出す市民を捕らえるため、国境線に騎士団が配備され始めた」

「クソが、こんな時だけまともな手回ししやがって……」

「エマ、北に行くなら丘を越えてこの街を抜けろ。領主の狙いは貴族街の子女に集中してる、そこを掻い潜れ」

「なるほどな」


 俺が頷くと、馴染みは右手を差し出し、


「騒ぎが落ち着いたら寄ってくれ。他の奴等も、お前と酒を飲みたがってる」

「ああ、必ず」


 俺はその右手を固く握り返し、グウェンとギーリを連れて道を戻った。


 茶色い石が敷き詰められた石畳を足早に移動する。窓に板を打ち付け、戸締りをする平民を視界の端に、坂を上る。


 坂道を上りきると、貴族街の広場に出た。ここは丘の上、目指す北には黒い森が広がっている。なるほど、広場を抜けて坂を下れば、そのままこの国とオサラバだ。


 だがしかし、


「お父さまああ! お母さまああ!」

「お止めください! お願いします! お願い致します!」


 広場の中心に用意された、無数の火刑台。


 丸太に縛り付けられた、年端もいかない少女達。その足元に藁束を積み上げる、鎧の一団。その騎士達に縋り付いて嘆願し、足蹴にされているこの街の貴族の大人達。


 そしてこの場を支配する、馬上の老人。


 ヴァイス領主だ。


 アウフツォーク貴族の男が一人、領主の足を捕まえ、


「領主様! 私共の娘は魔女ではございません、ちゃんと成長しております! その証拠にそちらの柱をご覧ください! 柱の傷は一昨年の!」

「ええい、黙れ!」


 領主が男を蹴り、男は石畳に倒れこむ。男はすぐに立ち上がり、その顔をボコボコにされながらも、それでも領主にしがみつく。


 胸糞だ。


 逃げ出した魔女ってのはギーリ一人で、その情報は領主だって知ってる筈だ。なのに何故、こんなに多くの子供達が捕まらなきゃならねえ。


「畜生共め……」


 マントのフードを目深に被り、考える。


 どうする。どう助ける。俺の技が騎士共に通用すっか? それに、下手に動けばグウェンとギーリが魔女だとバレっちまう。だがな、こんなもん見せられてキレねえ奴は、人間じゃねえ……!


 坂道を下れば、北の森。


 俺が足を踏み出せずにいた、その時、


「ギーリ!」


 グウェンの声に振り返り、俺の体は硬直した。


 そこには俺達から離れ、火刑台に向かい歩き始めた少女が一人。


「おい、何処へ行く、ギーリ……! 戻ってこい……! お前のこたあ、俺達が何とかしてやるから……!」


 出来るだけ絞った俺の呼び声に、ギーリは振り向き、


「ごめんなさい。エマさん、グウェンお姉様……」


 金色の瞳に涙を浮かべ、唇を震わせ、


「わたくしが浅はかでした。こんなことになるだなんて、わたくし、夢にも……」


 それから、とても儚い笑顔で、


「こんなこと、見過ごせません」


 石畳にボロのマントが舞い落ちる。そして現れるのは真紅のドレス。


 広場を囲む貴族の屋敷、その窓から熱と猛火が吹き上がる。


 夕日に照らされ、金髪の少女が石畳を悠然と歩く。


 ギーリは微塵も臆すことなく、処刑台の非情に向かい、


「お待ちなさい!!」


 その声で、兵隊共の動きが止まる。奴等の視線を一身に受けながら、ギーリは立ち止まって胸を張る。


 それから、確固たる意志が込められた声で、


「わたくしはファイント貴族に連なるノイモート家の娘、ギーリ・ノイモート!」


 まるでこれが、理想の貴族の在り方だとでも言うように、


「わたくしが魔女です!!」


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