第12話 失踪の魔女

「お邪魔してるわよ」

「いいんだ、イリーザ。助かったよ」


 その日の夕方、俺はようやくヴァイスに戻ってきた。宿に帰ると、イリーザがグウェンと二人、食事を終えたところだった。


 机の上、イリーザが俺の作った皿を指で回し、


「素晴らしい細工だわ。人は見かけによらないって本当ね」

「そりゃ試作なんだ。それに木だぜ? 高級感の欠片もねえだろ」

「ただの素材を価値あるものに仕上げるのが、人の技術よ。彫りと木目の組み合わせもしっかり模様として考えられているし、何より温かみがある。とてもいいわ」


 誉められんのはやはり慣れねえ。失笑し、俺はグウェンに顔を向けた。


 小さく息を吸い、覚悟を決め、


「すまん、グウェン。ヴァイスを出ることになった」


 切り出して、歯を食いしばる。


 ガランダには軽口で済ましたが、やはり辛い。


 俺が伝えた言葉に、グウェンはさして傷付いた様子も無く、


「エマが謝ることじゃない。ボクが魔女だからいけないんだ」

「お前は何も悪くねえ」

「ありがとう、エマ。それで、ヴァイスを出て何処に?」

「お前さんの故郷、ツェンタイルだ。出国手続きはギルドがやってくれる」

「分かった」


 伝えるべきことを伝えると、俺達のやり取りを見ていたイリーザが顔を伏せ、


「ガランダの嫌な予感が的中したのね……。貴族の奴ら、身から出た錆でしょうに」


 悔しそうに放ったその内容に、俺は引っ掛かりを覚え、


「何故だ? 魔女ってのは突然変異で生まれてくるもんじゃねえのか?」

「違うわ。そもそも貴族って?」


 要領を得なかった俺が先を促すと、


「私達平民と貴族の違いは魔力の強さ。高い魔力を持つ人間同士が結ばれ、子孫を残し、その連なりに功績と権力がこびりついたのが貴族よ。そして、血の厳選と積み重ねは一つの成果をもたらした」


 血統、つまりそれは……、


「魔女は、貴族からしか生まれない?」

「というより、貴族の血から魔女が生まれてくる確率が高まってしまった、の方が正しいかしら」

「その情報、出所は?」

「護衛対象だった貴族の婦人、その愚痴よ。私みたいな上級で、女の探索者ならみんな知ってる」

「なるほどな」

「魔力の強さと権力を結び付けたのが、そもそもの間違いだったのよ。貴族は自分達よりも強い魔力を持つ魔女の存在を許す訳にはいかない。でも、社会的強者である立場を維持するためには、貴族同士の婚姻を続けるしかない。墓穴の堂々巡りだわ」


 思い知る。


 俺達平民がこの国で真実に辿り着くのは難しい。


 この国にはまともな報道が無い。領主など、土地を治める責任者の布令が精々。だから俺達平民は、人の繋がりで世界を知っていくしかない。


 事実、俺も探索者になる前はこの世界の殆どの事情を知ることが出来なかった。この国の人間は、貴族の言いなりになって生きるしかない、それ以外の方法を知らずに育っちまうんだ。


 ガキの頃を思い出す。


 俺は読み書きを親父に教わった。この国の平民は子供が生まれると、必死に読み書きを教え込む。自衛のため、貴族に騙されないよう、いいようにされないように。


 だからこの国の識字率は異様に高い。それが平民に生まれた俺達の、数少ない抵抗の一つ。


「なる、ほどな……」


 日が暮れた夜の部屋に落ちる、重い沈黙。


 やがて、グウェンが机の上を片付け始め、


「エマ、支度をしよう」

「ああ、そうだな」


 結局、この国はグウェンがありのままの姿で暮らしていける場所じゃなかった。俺は、グウェンの居場所を作ることが出来なかった。


 俺達は、また諦める。


 食器を洗って倉庫にしまい、窓が施錠されているかを確認し、ベッドの掛布などを丁寧にたたむ。


 全ての支度を終え、数週間世話になった部屋を見渡していると、椅子から立ち上がったイリーザが、


「見送りは……、しない方がいいのよね?」

「すまねえ、イリーザ……」


 入り口の扉の前、イリーザは膝を突き、グウェンの小さな体に手を回した。


「グウたん、元気で……」

「うん、イリーザ。また会いに来るよ」


 安心させるようにイリーザの背を叩くグウェンを見て、思う。これを今生の別れになんぞ、してやらねえ。


 心の中で約束する。いつか必ず、この次を。


 俺が割とマジな決意を固めていると、イリーザは涙と情熱まみれの顔で、グウェンの全身あらゆるところを揉みしだきながら、


「グウたん、元気で……」

「あの、イリーザ。もう離して……」







 月の無い、星だけの夜。


 高い樹のてっぺんに立ち、ボロボロになった灰色のマントをなびかせながら、俺は周囲を見回した。


 ヴァイス城郭都市の郊外、人気のない北の森。


 俺達に追手が掛かけられたとは思わねえが、念には念を。当然、ヴァイスに来た時のように馬車は使っていない。間隙走法で足跡を残さず、夜の森、その樹上を跳んでここまで来た。


 風が強い。雲の流れが速い。


 迷宮とは勝手が違う。今警戒しなきゃなんねえのは、俺達と同じ人間だ。


 ツェンタイル育ちのグウェンに手を出すのは、貴族だろうと本来ならご法度。しかし、奴等にそんな弁は通用しない。


 ガランダが俺を護衛に選んだのは空間魔法による戦闘能力だけが目当てじゃねえ。この国の法の力は、貴族共に行き渡っていない。そのことを確認させるため、俺を連れて行ったんだ。


 あいつを守るため、グウェンが安心して暮らせる場所に行くために。用心するに越したこたあねえ。


 眼下に広がる暗い森。


 周囲の影の動きをもう一度見回し、俺は見張りを切り上げ、今日のねぐらに戻ることにした。


 森の空を渡り、目的の樹の上で停止。見下ろす先、この樹の根元に今日のねぐらがある。下生えに埋もれた、小さなうろだ。


 そこへ下りようと、靴底の空間を解除しようとして、足が凍る。


 小枝と葉で塞いだ穴の入り口から漏れ出る、微かな灯り。人の声。


 俺は焦り、急降下。


 食事の支度をグウェンに任せて見張りに出たが、やはり離れるべきじゃなかった。


 着地し、穴の入り口を覆っていた枝葉をはがし、


「グウェン、無事か!?」


 狭い穴の中には食事の支度をしているグウェンと、真っ赤なドレスを着た生き物が一体。


 その生物は俺を振り返り、小さな両手を頬に当て、


「やん、シブゥい! イケてるおじさまですの!」







「あー……、あん?」


 夜の森の小さな洞穴。俺の緊張は、一瞬でそいつに吹き飛ばされた。


 白い肌に深く輝く金の瞳。

 背中に揺れる、二本の長い金の三つ編み。

 白い花に飾られた、幅の広い赤いカチューシャ。


 赤い靴を履き、バラ色の上品なドレスを着た、おっとり顔の少女。


 ガキ? ガキがなんでこんな夜中にこんなとこにいんだ? しかも、服装からすっとこいつは貴族で、つーと……。


 いやな予感全開の俺は、自分の嫁に目を向け、


「あー、グウェン。まさかこいつぁ……」

「うん、エマ」


 グウェンがこくりと頷くと、その少女はキラッキラな笑顔で、


「はい! わたくし、魔女ですの!」

「うぅわ、あっさりゲロったわこいつ」


 どういうことだ? 魔女二人を前に俺が戸惑っていると、


「グウェンお姉様、このおじさまは……」

「うん、夫のエマ」

「まあ素敵! 素敵な旦那様ですわグウェンお姉様!」


 するとグウェンは何故か、青い瞳を輝かせて俺を見上げ、


「エマ、この子は中々分かってると思う」

「俺には分からねーよ」


 グウェンが言う、少女の名はギーリ。


 魔女らしく見た目は少女同然だが、歳は十七だとか。


 どうやら、俺がいないうちに二人は自己紹介を済ませたようだ。


 手間が省けた俺は、入り口を塞いで腰を下ろし、


「んで、その魔女さんがどうしてここに?」

「それが……」


 ギーリはぽっと頬を赤らめ、恥ずかしそうに俯き、


「わたくし、お腹が空いてしまいまして! いい匂いにつられてつい、ですの!」

「ああ、空腹じゃ仕方ねえやな……」


 しまったな。灯りにゃ気を付けたんだが、匂いの方は対策が甘かったか。しかしまあ、事の発端が向こうから寄ってくるなんて思わなかったぜ。


 ともあれ、まずは情報収集。こんな事態になるとは想定外だが、話が通じんなら聞けることは聞いとくべきだ。


「そんで、あー、何て聞いたらいいんか……」

「はい! わたくしのことですのね!?」

「ああ、頼まあ」


 飲み込みが早くて助かる。俺が頷くと、ギーリは元気全開な明るさで、


「わたくし十二の時に、どうやら魔女なんじゃね? と両親に屋敷地下の水牢に閉じ込められまして! それから五年、つい最近、何だかよく分かりませんが魔力がズンドコ高まり、とうとうはっちゃけ牢が爆発! そんな訳でこれは機会とお屋敷を飛び出し、わたくしは世界とこんにちはした次第ですの! ウッス!」

「お、おう」


 ……さらっと重いこと言いやがるなこいつ。


 超引き気味の俺を気にした様子も無く、ギーリは引き続きバカ高いテンションで、


「魔女は死罪、それはわたくしも重々承知しております! だからこそ、お父様とお母様はわたくしを牢に閉じ込めたのでしょう! しかし、わたくしはお父様お母様を一切恨んでおりません! ああ、お父様お母様! 処刑されたのはめちょんこ悲しいことですが、わたくしを魔女に生み落とした責任と思い、どうか安らかにお眠りになってください! ぴえん!」


 やっべえ、めちゃめちゃメンタル強えぞこいつ……。


 しかし、だ。処刑された夫婦が魔女に関わる余計なことをギーリに教えなかったのは、ある意味当然かもしれん。知るべきことを知らなきゃ、人は動いて選べねえ。ついさっきそれを実感したばかりだ。


 そこそこ納得した俺は、あることに気付き、


「そんで、どうやってここまで来たんだ? 難儀したろう」


 法務の館で聞いた魔女の出自は、確かファイント。そう、こいつがここにいること自体、おかしなことなんだ。


 俺の質問に、ギーリはホッカホカの笑顔で、


「はい、ファイントからこちらヴァイスまで、各地の貴族のお屋敷を転々として働いておりました! わたくし、どのお屋敷でも覚えがいいと褒められまして、とてもよくして頂きましたわ!」

「逞しいね」


 グウェンは感心したように頷き、俺は頭を抱えた。


 何が箱入り娘だよ! 生活力バリッバリじゃねえか!


 見たところ指輪はしてねえし、貢献度が使えないとなれば食うに困るのは当然。しかし自分を追ってる貴族達の屋敷に自ら赴き、住み込みで働いて回るなんざ肝っ玉が太いにも程がある。


 さっきみたいに自分から暴露しなけりゃ、ギーリは見た目普通の女の子だ。この場合、雇い入れる使用人の素性を気にしなかった奴等が悪い。


「そっか……。大変? だったんだな……」


 言って、あらゆる意味で微妙な気分になった。


 脱力した俺は、グウェンの振るうフライパンに目を向け、


「ほいじゃま、メシにすっか……」







 夕食を終え、灯りを消した夜の洞穴。


 ギーリは布団を用意すると笑顔で横になり、秒で爆睡してしまった。俺はその隣で布団に横になり、グウェンは俺の上にうつ伏せで転がってる。


 ギーリが完全に寝静まったのを確認し、俺は胸の上、銀の髪を散らすグウェンに、


「グウェン、お前はどう思う?」

「同情はしたくない。境遇はどうあれ、あの子は貴族だ」


 ほぼ同感。


 しかし、と俺はため息を吐き、


「俺が貴族と会ったのは、殆ど迷宮でだ。イリーザに聞いたこともそうだが、俺は奴等の実態を知らなかった。だからギーリのことは、正直意外でよ」

「あれはあの子の個性だと思うけど」

「ああ、そりゃまあ、そうだろうな……」


 だが、戸惑う。


 一緒に連れていく訳にはいかねえ。かといって、貴族に突き出すのも違う気がする。というより、俺達は未だギルド登録中の探索者。法務の館で聞いた限り、選ぶべきは不干渉。


 つまり、このまま無視すりゃいい。


 しかし、しかしという言葉が頭の中で回りやがる。


 結論を出せないまま、俺は掛布をたくし上げ、グウェンの頭に手を添えた。


 グウェンは俺の胸に顔を埋め、小さな声で、


「同情はしない。したくないんだ……」


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