第11話 法務官の館

 小さな石が敷き詰められた道を、二人で歩く。

 隣を行く小さな靴と歩幅を合わせ、ゆっくりと。


 片手には旬の野菜が詰まった布袋。

 青空の下、澄んだ冷気を肺に入れ、一日の始まりを確かめる。


 城郭都市ヴァイスの、朝の市場。仕出しに買い出しにと行きかう人波の中。


 グウェンは市場に並ぶ店先の品物を見て、


「果物もいい? ちょっと試してみたいお菓子があって」

「ああ、荷物ならまだ持てっしな」

「いいよ、果物はボクが持つから」


 迷宮の氾濫から数週間。俺達は引き続き、何事も無く暮らしている。


 ガランダと食事に出たり、各々の友人に会ったり、特に何もしなかったり。いつも通りの毎日を作り、積み重ねてる。


 特級のことはグウェンにも話したが、俺達はやはり引退することにした。


 二人で細々とやってくだけの貯えは充分あるし、何より、迷宮依頼を受ければ貴族に会う確率が高まる。


 幸い、この街でグウェンを魔女だと知る人間はみな好意的で、わざわざ言いふらす奴はいない。だから俺達は、このままがいい。


 まあ、肝心の降級願いはガランダに棚上げされちまったんだが……。


「おや、グウたん! おはよう、今日は何にする?」

「おはよう、おかみさん」


 行きつけの果物屋の前に立ち、グウェンは店のおかみさんと世間話を交えての品定めを始める。


 グウェンは、それが趣味ではないと言っているが、実に沢山の食い物を作れる、料理上手な奴だ。


 グウェンの友人は人目を気にするグウェンのことを考え、遊ぶ時は各自の部屋で集まっての食事会にしてくれることが多かったそうで。微笑しい繋がりだが、今はそいつらの気遣いに感謝せにゃならん。


 あとあまり考えたくねえが、イリーザと同じ動機でグウェンを囲いたい奴がいたんだろう。俺には、よく分からねえ……。


「じゃあ、今日は木苺と林檎だね? 林檎はいいよ、寒くなってきたから、中に沢山蜜が詰まってる。ほら、エマ。袋を出しな」

「ううん、おかみさん。それはボクが持つから」


 言って、グウェンは買い物用の布袋をローブから取り出した。


 荷物を空間倉庫に入れりゃ手ぶらで歩けるが、街中じゃあれを使わねえと決めている。スリだなんだと疑われっし、この魔法を使って運び屋をしなかったのも、ピンハネだ何だと難癖付けられたくなかったからだ。


 おかみさんは、果物を入れた袋をグウェンに渡し、


「支払いはどっち?」

「俺だ。全部は持ってかねえでくれよ?」

「ウチはいつでも適正価格よ!」


 支払いを済ませ、戻ってきた登録証を首に掛け直しながら、思う。


 十五年、必死に貯めた甲斐があった。俺の十五年をグウェンのために使えるなら、これ以上の喜びは無い。


 おかみさんに挨拶を済ませ、さて帰り道。俺は野菜を、グウェンは果物を片手に抱えながら、並んで歩く。


 グウェンは飲食店の並びを眺めながら、


「ルーガは故郷と違って色んなお菓子があって、凄いと思う」

「そうなのか。魔女の森ってのは全部が世界一なんだと思ってたぜ」

「でもないよ。魔法だってここの方が進んでる分野もある」

「つーと?」

「例えば、エマ」

「俺?」


 驚く俺に、グウェンは頷き、


「エマの魔法は驚きだった。同じ空間を操る魔法なのに、ボクの知る師匠のものと全然違っていたから。よくこんな使い方を思い付くと、感心した」

「俺のこれは苦肉の策ってやつだ。出来ることの規模が小せえから、こう使うしかねえんだよ」


 そこまで言って、俺は気付き、


「なるほど。お前の、魔女の発想は活用法に乏しいのか」

「そう。ボクら魔女は力ずくでなんとかしちゃうけど、普通の人にそんな力は無い。だから小さな力を集めたり、その力を本来とは違う用途で使う方法を考える。この国の人は力の使い方を発明するのが得意なんだ」

「なるほどなあ」


 魔力に不便をしていない魔女には、不便をしている常人の考えが分からない。


 合点がいった俺は、そこであることに思い至り、


「お前の性格なんだが、やっぱ魔女の力の影響受けてんだなあ。ゴリ押しってーか、結構大雑把なトコあるしよ。シチューとかスープは必ず大量に作ったりさ」

「大量に作って問題ないものを大量に作らない理由が分からない」

「それな、そういうトコな」


 グウェンは引き続き、いつも通りの落ち着いた表情で、


「ボクの研究は初期環境が無理やり過ぎて、どれも使えないってよく言われるんだ。リベリーやギルドの研究員には、学問としては面白いって言われたけど」

「はあん?」


 ははあ、リベリーめ。あいつ、随分前から仕込んでやがったな? まずグウェンを研究員として引っ張り、そっから俺をギルド職員にする算段だったと予想するぜ。あのクソ野郎。


「魔力を流す道筋、その組み合わせを見付けて方式を確立させるのが学者の仕事。それをどう使うか、使用の模索は技術者の仕事だ」

「現場だからこそ生まれる技ってのはあるもんだ。納得したぜ」


 いつも通りの夫婦の会話。いつも通りの路地を曲がると、宿の前、白いローブを着たギルドの受付嬢がうろうろしながら中を覗き込んでいた。


「よお、どうした?」


 宿の前まで歩き、受付嬢に声を掛けると、


「エマさん。すみません、朝早くから」

「何かあったのか?」


 俺が聞くと、受付嬢は懐から三つ折りの紙を取り出し、


「ギルドマスターから護衛の依頼です」







「で、何で俺だ? 護衛なら他に上級がいくらでもいるだろうに」


 野郎二人のでかいケツを窮屈な馬車に押し込み数時間。呼ばれてみればいきなり遠出と言われ、この有り様だ。


 目的地はヴァイスの街から南下し、領境を越えた王都郊外、らしい。


 隣に座るガランダは俺同様ケツの痛みに耐えているのか、難しい顔で、


「グウェンにはイリーザを護衛に付けた」

「何だって?」

「念のためだ」


 それ以上言わず、ガランダは黙り込む。


 詳しい話は聞かねえし、聞きたくねえ。


 何しろガランダも俺も、今日は一応正装。と言っても、俺はいつもの服に灰色のコートを一枚羽織っているだけなんだが、ガランダの方はきちんと襟の立ったシャツを着ている。


 これだけで今日の要件がどんなもんか分かるってもんだ。


 俺が暗澹たる気持ちでいると、ガランダは窮屈そうな首元に手をやり、


「お前は室内戦ならピカイチだからな」

「俺に貴族を斬れってのかよ」


 穏やかじゃない口ぶりに俺が聞き返すと、ガランダはガラス窓の外、丘の上に建つ白い館を見上げ、


「場合によっては、それも辞さん」







 法務官の館。


 この国の各地に点在する、法の要。ここはその支部の一つ。


 手入れの行き届いた見事なバラ園に囲まれた、質素な建築。


 床にはワインカラーのカーペットが敷かれ、壁には法律書? だかなんだかのブ厚い本がミチッと並んだ大きな本棚。彫刻やら装飾やらが殆ど見当たらない、落ち着いた雰囲気の一室。


 この部屋に通された俺は、呼吸もままならず、ずっと立ちっぱでいる。


 俺の前、上等なソファに座ったガランダが、


「早速ですが、エイゴス法務長官殿、ご用件を伺っても?」

「ガランダ主任、レガントでいい。私はこの会話に敬称は不要と考える」


 ガランダが問う先。大きなガラスを贅沢にはめた大きな窓を背に、大きな木の机の向こうに座る、貴族の男。


 撫でつけられた金髪に青い瞳。

 金のボタンが上品にあしらわれた藍色の礼服。

 両手にはめた白手袋と、シンプルな貴族の指輪。


 歳は俺とそう変わらねえようだが、やはり貫禄が違う。


 法務長官、レガント・エイゴス。


 だが問題はこの色男でなく、その後ろに控える黒衣の男だ。


 貴族とは思えないボサボサの長い黒髪。

 恐ろしく濃いクマに縁取られた、黒く鋭い眼の光。

 真っ黒なマントに身を包んだ、おそらくは騎士の男。


 俺と同じくらいの長身で、歳は俺より上のオッサンだと思うが、圧がやべえ。こいつの放つ威圧感のおかげで、俺はぴくりとも動けねえでいる。


 レガントはガチガチになった俺を気にした様子も無く、


「貴族に連なるものから魔女が現れた」


 今日の本題。レガントが口にした事態を前に、ガランダは一度息を飲み、


「それは、一大事ですな……。我々ギルドも討伐に参加すべきと?」

「いや、あなた方ギルドには不干渉を貫き通していただきたい。癒着を排除し、お互いの権益を守る。無用な混乱を未然に防ぐ、予防と思ってもらって構わない」


 レガントは一呼吸置き、


「親であるファイント貴族の夫婦は既に処刑がなされた。逃げているのは生活力の皆無な箱入り娘だ」

「野垂れ死にますかね?」

「いいや、相手は魔女だ。そうもいかんさ」


 レガントが首を振ると、俺の背後、部屋の外からノックの音が聞こえ、


「失礼致します」


 部屋に執事が入ってきた。


 年齢を感じさせない真っすぐな背筋と足取りの、白髪の爺さん。手に持つ銀盆の上には紅茶のセットとバラが一輪、そして何故か酒瓶が一本。


 執事と思われるその爺さんが、まずレガントの机に一輪挿しの白いバラを用意すると、


「ありがとう、トラバー」


 俺は耳を疑った。貴族が平民に礼を言うのを、初めて聞いたからだ。


 その執事は法務官の机に紅茶を、ガランダの前に酒とグラスを置いた。ガランダは流石にそれはと困惑したようで、


「失礼、これは……?」

「あなた方には、茶より酒かと思いましてな」


 執事の爺さんはそれだけ答え、来た時と同じ、しっかりとした足取りで退室していった。


 どうすべきか、俺ら平民勢が迷っていると、レガントは右手でティーカップを持ち、


「やりたまえ。彼がそう言うのならば、そうなのだろう。この庭で取れた自慢の茶葉を味わっていただけないのは、いささか残念ではあるが」


 レガントは音も無く紅茶を口にした。そして、


「人の仕事は素晴らしい」


 青い瞳に映る、紅茶の波紋。


「余裕のある行動は人を安心させる。優雅さこそ、上に立つ者に必要なものだ」


 こんな状況で優雅に酒飲めってか、無理言うな。


 しばらくして観念したのか、ガランダはグラスに酒を注ぎ、俺によこした。グラスに口を付けるガランダを見て、俺も一気に飲み干す。きっと上等なもんなんだろうが、味なんて勿論分からねえ。


 使い終わったグラスを、俺がガランダに渡すと、


「恐怖が足りない、そう思われるかね?」


 レガントはティーカップをソーサーに置き、机の上、白手袋をはめた両手を組み、


「ヴァイス領主の迷宮調査は正式な手続きに則ったものだ。例えそれがどのような理由によるものだとしても」

「仰る通りです」

「迷宮での貴族による横行を、残念ながら私達は知っている。彼らに法の畏怖が行き渡っているとは言い難いのが現状だ」


 ガランダの返答に、レガントは一瞬、背後の男に目をやった。


 そこで気付く。


 窓際に立つ黒い影。黒いマントの裾と前身頃からチラつく、一本の黒い得物。この部屋を包む威圧感の正体の一つ。


 冷や汗すら流れねえ。その存在を認識した今だからこそ分かる、異質な魔力。木と漆喰で作られている筈のこの空間が、魔力の霧に覆われているかのような錯覚。


 机の上、一輪挿しの白いバラだけが、この部屋で唯一自然を感じさせた。


 レガントはそのバラを一瞥し、


「受け入れてくれ、などとは言えん。だが許して欲しい、この歪な秩序を……」


 そう言うと、この国の法務長官様は白手袋に包まれた右手から指輪を外し、机の上に置いた。


「法とは、他人を見下すために纏う虚飾であってはならない」


 ありえない行動。この貴族は、この男は俺達と“会話”をしている。


「人は人であればいい……」


 レガントは何処を見ているのかも分からない、真っすぐな眼差しで、


「それ以上の存在になる必要などないのだよ」







「勘弁してくれよ、生きた心地がしなかったぜ……」

「俺だって同じだ。ああ、責任者なんかなるもんじゃねえな……」


 昼過ぎ、帰りの馬車の中。俺とガランダは固い椅子に腰を落ち着け、二人で脱力した。


「しかしまあ、あんたが俺を選んだ理由がよく分かったよ」

「すまんな。お前は隠しておきたかったんだろうが、俺には他に手札が無かった」


 当たり前だが、ああいう場での平民の帯剣はご法度。だが俺には空間倉庫がある。ガランダは全てお見通しだったって訳だ。


 やっぱこのオッサンにゃ敵わねえ。思いながら、横を向く。


 窓ガラスの外は麦畑。白、黒、藍色の地味な作業服を着た農民が、みな黙々と収穫作業をしている。この地域の、法務の下で働く使用人達だ。


 こいつらの顔、そしてあの執事の顔。この場所で暮らす平民の顔には不満が無い。むしろ逆だ。


 同じように外を眺めるガランダが、


「透明度の高い規律。正当な対価が保証された労働。それが叶えば、人は誇りを胸に今日を生きていける。体制ってのはそういうもんだ」

「俺にゃ縁の無い世界だね」


 何処までもまともだが、俺にはどうにも息苦しく感じてしまう。


 しかし、と俺は息を吐き、


「それよりも、気になるのはあの黒衣の男だ」


 俺が言うと、ガランダは厳しい目付きで、


「特務執行騎士、フォル・クローワ。逃げ出した魔女ってのは、どうやらマジモンらしいな」


 執行騎士。


 貴族を取り締まる貴族。法の執行官であり、この国の平和の調停者。


 思い出したくねえが、俺はあの騎士の迫力を思い出し、


「ありゃやべえよ。あんなのに目を付けられるお貴族さんが気の毒だぜ」

「殺し専門、対魔法戦の腕利き野郎だ。お前さんもあの魔剣を見たろう?」

「あの腰にぶら下げてたやつか」


 魔剣。魔法の剣?


 安直だが剣呑な響きに、俺は眉をしかめ、


「外装展開してただけじゃねえのか? 何が違う」

「常在型の魔力の塊だ。一般人が手にすると気が触れちまうってよ」

「そりゃまた……」

「堕とし子の心杭、奴の魔剣はそう呼ばれてる」


 話題を一区切りさせ、ガランダは長い長いため息を吐き、それから諦めたように、


「エマ、この国を出ろ」

「ああ、ケツまくらしてもらうぜ」

「言い出しておいて何だが、当てはあるのか?」


 その質問に、俺は再び馬車の外に目を向け、


「絶対感謝森都に行ってみようと思う」

「北か……」


 この国の法律と常識から切り離された場所。ルーガ王国の北に広がる、魔女の住まう禁忌の森。


 絶対感謝森都、ツェンタイル。


「あそこの魔女さんはグウェンの育ての親だって言うしよ。いずれ挨拶に行くつもりだったんだ。機会と思えば、何でもねえ」

「エマ、お前は色んなもんに気付くのが早い。だから見切りを付けるのも早い。見誤るなよ」

「努力はするが、自信はねえな」


 言って、この数週間を思い出す。ヴァイスで過ごした、何事もない日常を。


「どちらにせよ、俺達は一つ所に長く居られない。長く居つけば、成長しないグウェンは魔女だとバレっちまう」


 幸い、俺らの周りはいい奴が揃ってる。だからこそ、そいつらに迷惑が掛かるのを、あいつは良しとしねえだろう。


 分かり切った、しかし認めたくなかった事実を俺が口にすると、ガランダは大きな拳を固く握り、


「すまない。俺が、その場所を用意してやりたかった……」


 その言葉に、ただ感謝する。


 だがこんな台詞を吐くとは、やはりガランダも老けた。


「仕方ねえ。俺らの手には余って当然、話の規模がデガ過ぎらあ」


 こういう時、素面だと困る。だから俺は、無理に作った明るい声で、


「あんたの言う通りだった。迷宮豚の燻し焼きに魚の塩釜焼き、たっぷりの野菜を詰め込んだ鶏の丸焼き。ヴァイス名物はどれもうまいもんばっかだった……」


 馬車の中、俺達はお互い外の景色を眺めながら、


「またグウェンと二人、会いに来るさ。ガランダ……」


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