第10話 周りを見渡せば
翌朝。
泥のように眠った俺は、ギルドの医療施設に顔を出した。
薬草やら何やらの独特な匂いが立ち込める屋内。小さな窓枠が並ぶ木の廊下を、静かに歩く。
目当ての部屋を見付けると、丁度中から看護師が出てきたところだった。断りを入れ、扉を開けて中に入る。
両側に四台ずつベッドが並ぶ広い病室。右手には下級の嬢ちゃん達が三人揃って眠っている。
廊下と違い、大きな窓が設えられた部屋。俺はその一番奥まで歩き、
「よお、イリーザ。経過はどうだ?」
「エマ……。昨日は助かったわ、ありがとう」
もう起きてやがった。他の奴等はまだぐっすりだってのに、やはりイリーザは格が違う。
ベッド脇の小さな椅子を引き寄せ、俺がケツを下ろすと、
「あれは何?」
「あれって?」
「あの子を抱き上げて走ってたでしょ」
ああ、と俺は頷き、
「グウェンに外装纏わせるのをやめたんだ。俺の足がありゃ、グウェンの魔法をもっと活かせると思ってな」
「なるほどね……。で、どうだったの?」
「どうって?」
首を傾げて聞き返すと、イリーザは俯き、掛布を握りしめた。そして、その体をわなわなと震わせ、
「太ももよ……」
「あ?」
「グウたんの太ももはどうだったかって聞いてんのよ!」
ドバブと鼻血を吹き出しながら顔を上げたイリーザに、俺はここが病室だということも忘れ、
「おい、血が出てんぞ! どっかヤベエんじゃねえか!? 頭か!?」
「私は何処までも正常で、これは漲る情熱よ! 見りゃ分かんでしょ!!」
「分かんねえよ! てか、迷宮内だぞ! んなこと考える余裕なんてあっかよ! オメーこそ何考えてんだ!」
「グウたんのことに決まってんでしょうが!」
あまりにもはっきりとした切り返しに、俺はそのまま混乱し、
「え、太もも……? いや、こう尻を支えてたから、うん?」
「お尻ですって!?」
「片手で抱えるにはそうすっしかねえんだよ! 他の意味なんてねえよ!」
「グウたんのお尻はどうなの? ぷにぷになの? つるつるなの? ふわっふわなの?」
「つる、なに?」
「さっさと思い出しなさいよ、グウたんのお尻の余韻を!」
分からねえ。柔こいだけで、詳細な記憶なんかねえ。いやそうじゃねえ。何言ってんだこいつは。
俺が分からねえでいると、イリーザは顔を伏せ、掛布に涙と情熱を落としながら、
「あんたに、あんたなんかに私達のきゃわゆいグウたんが盗られるなんて! グウたんは私達が囲って、一生養ってあげたかった! 私達でメロメロに甘やかして、もっちゃんもっちゃんにしてあげたかった! 食べ物もひと口ひと口あーんしてあげて、お風呂で全身くまなく舐め洗って、着替えも全部私達が、特に靴下は必ず私が履かせてあげて……! それで、私はグウたんが脱ぎ捨てた服を思いっきりはすはすしたりくんかくんかしたかったのに……!」
……っべーわ。何言ってっか全ッ然分っかんねえ。
泣き崩れるイリーザに、正直、割と引いた。そういやグウェンの奴、ファイントの受付嬢達にもやけに好かれてたな……。
しかし、と。俺は膝の上に肘を突き、改まった。
内容はともかく、イリーザがここまでグウェンに入れ込んでるとは思わなかったからだ。
「お前等は、グウェンのことを避けてるのかと思ってたよ」
「グウたんの実力は私だって分かってる。でも、グウたんは絶望的に足が遅いから……」
「ああ、そうだな」
「私は、私達は他にやり方を選べなかった……」
その言葉だけで、充分だった。
イリーザはグウェンを嫌って切り捨てた訳じゃないと、知ったからだ。それに、そういう事情はお互い様だからだ。
お手々繋いでみんな仲良く一等賞。残念ながら、この世界の仕組みはそんな結果を認めない。そうだったら、俺も諦めねえで済んだんだろう。
言葉を無くした俺に、イリーザは掛布をきつく握りしめ、
「イラつくのよ! あんだけグウたんに好意と信頼を寄せられながら、それを当たり前だと思ってるような男は!」
「あー、そのことなんだがよ。実はその、グウェンの外装の中身を知ったのはつい最近ってーか」
「は? 気付いてなかったの? サイッテー!」
涙と鼻血でぐっちゃぐちゃになったイリーザに、俺はごもっともと閉口した。まあ、その罵りは当然だわな。
すると、イリーザは火が消えたような小さな声で、
「アンタはグウたんが魔女だから、グウたんの気持ちを無視してるのかと思ってたわ……」
「魔女だなんだは関係ねえよ。グウェンはグウェンだ」
「アンタはグウたんがどんな時も一緒にいて、彼女を一人にしなかった。そのことだけは、認めてあげる」
そう言うと、イリーザは再び俯き、白い掛布にぽたぽたと涙だけを落とし、
「結婚、おめでとう。エマ……」
「ありがとな、イリーザ」
俺が礼を返すと、イリーザはキッとした目付きで顔を上げ、
「グウたん悲しませたら、あんたのこと殺しに行くから」
「殺す」「殺すわ」「殺しますね」
「起きてたのかよ、お前等!」
周囲のベッド、パーティー面子全員から上がった殺害予告に、俺は思わず叫び返しちまった。三人共全力で情熱を漲らせ、寝たままこっちを睨み付けてきやがる。鼻血。
とにかく、イリーザ達は無事。そのことが確認できた俺は立ち上がり、椅子を脇によけ、
「肝に命じとくよ」
殺意の視線を浴びながら入り口まで戻り、そこで俺は目当ての人物を発見した。部屋の隅、小さく丸まって床に寝ている、一人の少女。
グウェンだ。
俺はグウェンを起こさないよう慎重に抱き上げ、顔に掛かかる銀の髪を手で梳いた。微塵も起きる気配が無い。徹夜で働き、疲れ果てているのだろう。
グウェンを左腕に抱え、右手で扉のノブに手を掛けたところで、俺はふと振り返り、
「イリーザ」
「あによ」
「グウェンの尻なんだが、触り心地はふにゃふにゃだ」
「死ね!」
呪詛の言葉を背中に浴び、病室を後にした。
慣れ親しんだ重さを感じながら歩く、施設の廊下。
小さな窓から見える、狭い風景。手入れされ、刈り揃えられた緑の芝生。冬を前に、葉の少なくなった枝を揺らす細い木々。
なあ、グウェン。
腕の中、あどけない寝顔で小さな胸を上下させる、小さな小さな氷の魔女。
気付くのが遅れたけどよ。俺達を認めてくれる人間だって、ちゃんといたんだな。
「あれだけ時間を掛けておいて、何故これだけしか情報が揃わんのだ!」
「変成直後に全階層の地形を把握するのは不可能でして」
「役立たずが! 貴様等に任せたのがそもそもの間違いだった!」
「ええ、全くその通りですな……」
自由扉を開けギルドに入ると、ガランダが誰かさんと話を終えたところだった。
丸く黒い帽子に先の尖った変な靴。
赤い装飾が随所に施された、上等な布地の黒いコート。
右手の指には大きな宝石が輝く、趣味の悪い貴族の指輪。
くすんだ灰色の瞳をギラギラさせた、頬のこけた白髪のジジイ。
俺が脇に避けて道を開けると、誰かさんは鼻息荒く出ていった。
ヴァイスのギルド本部。石造りのロビーを見渡すと、男が一人疲れていた。その周囲、床や机の上には大量の書類と酒瓶、いくつものグラスが乱雑に置かれている。
俺は小さく息を吐き、荒れた一角に近寄り、
「朝から酒かよ」
「頭お花畑なクソ領主と素面で話せってか? 冗談言え」
「なるほど、あれがここの領主様か」
納得する俺にガランダは顔を上げ、酒の入ったグラスに口を付けた。
背もたれのある、大きなソファ。ファイントのものより上等な椅子にグウェンを座らせ、俺はその隣に腰を下ろす。そして断りを入れず、近場にあったグラスに酒を注ぐ。中身は木樽で寝かせた麦の蒸留酒だ。
俺はそのグラスを片手に持ち、
「そんで?」
「貴族の連中が迷宮の調査に入るとよ。安全を期すため、俺達はしばらく出禁だそうだ」
「やっぱりこうなるのか……」
「ヴァイスは迷宮で栄えた。だがそれは中心部のこの街だけで、他の地域は五十年前から何も変わらん。領主は迷宮産業に躍起になるばかりで、領内の普請に全く手を付けない。だからだろうな、奴の国内での立場は相当悪いらしい。それでも奴は迷宮以外での稼ぎ方を知らんから、こうやって俺達の頭を押さえに来る」
俺はため息と一緒に酒を飲み込み、
「俺も人のことは言えねえが、どうして気付けんかね」
「希少素材独占からの大儲けで味を占めたんだろうさ。中央の法務に目を付けられて何度もやりあってるが、それでも懲りんと見える。……エマ、登録証を」
俺は言われた通り登録証を外し、ガランダに渡した。ガランダは自分の銀のプレートと合わせ、情報を更新し、
「補給に使った物資はこちらで補充する。あとで申請してくれ」
「分かった」
戻ってきたプレートを指でなぞると、刻まれていた文字が歪み、数字に変わる。この依頼で得た貢献度だ。
「多いな」
「それでも少ないくらいだ。お前は人の命を助けたんだぞ?」
言って、ガランダは一息で酒をあおり、空いたグラスを机に置いた。
机の上、散乱する書類の数字をざっと舐め、理解する。氾濫の打撃はデカいが、全く実入りが無かった訳じゃなさそうだ。
ガランダは転んでもただじゃ起きねえ。素材回収のための時間稼ぎをし、今朝方まで貴族の介入を許さなかった。ギルドマスターとしての手腕は見事のひと言に尽きる。
俺が酒を飲みながら感心していると、ガランダはカウンターの向こうに届くよう、大きな声で、
「今日はもう上がってくれ! あとは俺がやる!」
「いいのかよ」
「事務だって徹夜仕事だ。俺達はもう休ませてもらう」
しばらくすると、カウンター横の扉からギルドの職員がぞろぞろと現れた。みなガランダに頭を下げ、疲れた顔でギルドを後にしていく。
人気の無くなったヴァイスの探索者ギルド。入り口の自由扉がきいきいと揺れ、やがて音が消え失せる。
静まり返った空気の中、俺はガランダが空けたグラスに酒を注ぎ、空間倉庫から別の書類を取り出した。
気の毒だが、仕事はこれで終わりじゃない。
これは今回の依頼の報告書。地形や魔物の所見、その他もろもろだ。こういう仕事はグウェンが主だが、俺だってこのくらいはまとめられる。
書類を受け取ったガランダは渋い顔をし、
「迷宮の変成状況は?」
「かなり変わってる。五層から先は資料とは別モノだった。特に七層がヤバい。水場に囲まれてっから、足場を確保するのに時間が掛かるだろう」
「また地図を書き直さなきゃならんな……」
ガランダは俺の報告書を机に置き、脇に避けていた別の書類を引き寄せ、
「正さにゃならんのは、お前達の戦力評価もだ。何だこりゃ、こんなことが出来んならもっと早くやってくれ」
その書類、この依頼での俺達の能力評価。
常識破りの進行速度と安定した戦闘結果、そして補給能力。人の目に映り、言葉になったその結果をなぞり、思い知る。自分でやっといて何だが、これは異常だ。
ガランダはグラスを手に、ソファに深く身を沈め、
「お前達を特級にする」
特級。
上級の上、探索者の頂点。……って訳じゃねえ。
戦力特化。分析特化。生産特化。能力別に特化した奴等を区分けし、特定の依頼のみに従事させるための特別階級。
そして、依頼遂行中の特級はその完遂が最優先事項となるため、貴族の介入が許されない。
俺は降って湧いた突然の結果に顔を拭い、
「二年前、三年前に気付いてりゃな……」
「お前がバカなせいだ。グウェンの気持ちはずっとお前に向いてたってのに、さっさと気付いて安心させてやりゃよかったんだ」
「ぐうの音も出ねえや」
乾いた笑いを漏らす俺に、ガランダは口元を緩ませ、
「泣かすなよ」
「イリーザに脅されたよ」
隣を見れば、静かに寝息を立てるグウェンがいる。
朝の柔らかな光を反射する、銀色の髪と銀色のまつ毛。無意識に生み出しているのだろう、透き通るような白い肌の上を、雪の結晶がふわりと舞って散っていく。
ああ、綺麗だ……。
「迷宮を死に場所に、そう考えてた時期だってあったんだ……」
だけど今は、こいつがいる。
俺が机に目を戻すと、ガランダは何をバカなといった顔で、
「いや? お前が死ぬ時は、グウェンの追っ掛けに集団リンチされる時だと思ってたがな」
「うおぉい!!」
「でっけえ声出すない。グウェンが起きちまう」
ガランダはグラスを空け、また酒を注ぎ足す。
俺もグウェンもガランダも、今日はもう何もしない。酒を飲んで、寝るだけだ。
琥珀色に揺れる液体を眺め、体に入れる。そんな時間の果て、ガランダは改まった様子で、
「なあ、今ならお前さんの言う“ちゃんと”ってやつをやれる。お前達の働きを無駄になどさせんさ」
そしてまたひと口酒を含み、重いものを飲み込むように嚥下し、
「探索者としてのお前に止めを刺せなどと、俺に言わないでくれ。お前は終わりだなどと、俺に言わせないでくれ……」
深い眼窩の奥に揺れる、真っ黒な瞳。白髪の混じる黒髪に、黒いヒゲ。グラスを持つ、節くれ立った大きな手。
その姿を前に、俺は自分が思い出の印象でガランダを見ていたことに、ようやく気付いた。
この男はこんなに疲れていただろうか。この男の目尻のシワは、こんなに深かっただろうか。
十四の時に親父を喪った俺は、その歳から探索者になった。ガランダは新米の俺に探索者のイロハを仕込んでくれた、もう一人の親父みたいなもんだ。
俺はゆっくりと息を吸い、体に残る古巣の空気を確かめ、
「あんたの言う通り、俺はヴァイス名物を食い逃し過ぎた。だから、まだしばらくはこの街にいようと思う」
俺の言葉に、男が顔を上げる。俺はその男と真っすぐ向き合い、
「食いに出る時は呼んでくれ。グウェンに酒の飲み方を教えにゃならん」
男の顔に笑みが戻る。俺も笑い、二人で一気にグラスを干し、また酒を注ぐ。
それから俺は、ガランダとグラスを合わせてチンと鳴らし、
「オゴるよ、ガランダ。店は任せる」
そう、貯めこんでばかりじゃ世の中回らねえ。
たまには、支出もしねえとな。
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