第9話 今の二人に出来ること
走り、剣を抜き、魔物を断つ。
足を止めず、次へ。そしてまた次の階層へ。
夜空に星が瞬く氷の平原を、霧深い沼地を抜けて階段を下り、第八層。森の中の湖にぽつりぽつりと小島が浮く世界で、ようやく一つ目のパーティーを見付けた。
浮島の一つ、水棲型の大蜥蜴に囲まれている探索者の一団。そこに向かい、俺は空中からグウェンを投擲。
グウェンはすぐさま氷の鎧を身に纏い、右の拳を振り下ろす。蜥蜴の群れを一撃で粉砕。八層全ての水場を容赦なく凍らせ、階段までの足場を作った。
浮島に着地し、外装解除したグウェンに探索者達が駆け寄り、
「いい腕だ、嬢ちゃん! 助かったぜ!」
「ありがとう。あなた達は無事?」
「見ての通りさ! ちっと凍っちまったがな!」
「あ、ごめんなさい……」
俺も続けて陸に着地。狩り残しが無いか辺りを見回し、ひとまずの安全を確保。
浮島にいたのは上級のオッサン二人に、下級の嬢ちゃんが三人。五人とも無事なようで、体に付いた霜をはたいて落としている。
話を聞くと、変成に巻き込まれ、身動きが取れなくなった下級の嬢ちゃん達を、上級のオッサン二人が守っていたのだとか。手間が省けてこっちも助かった。
俺が救助に来たことを話すと、金のプレートを下げたオッサンが悔しそうに俯き、
「すまねえ、ホストを上に逃しちまった。俺達で食い止めておきたかったんだが……」
「何言ってる。よく生き残ってくれたぜ」
ここでそんな台詞を吐くとは、流石ヴァイスの上級。大したガッツだ。
俺は空間倉庫から人数分の紙の包みを取り出し、五人に渡した。中身は肉と野菜をパンに挟んだ簡単なもの。そう、人間まずは食いもんだ。
「ありがてえ。そりゃ空間に穴開けてんのか? 面白い技だな」
「お貴族様にゃ秘密だぜ?」
「誰が言うもんかね」
オッサンは笑い、包みを開いてすぐそれにかぶりついた。他の奴等も同じように包みを開き、食事を開始。
迷宮に訪れる、つかの間の休息。
グウェンに地図の更新を任せ、俺が周囲を警戒していると、嬢ちゃんの一人が突然その場にくずおれ、
「あ、ありが、ありが、ご……」
口いっぱいにパンを頬張りながら、ボロボロと泣き始めちまった。
キツかったろう。
食料が尽き、地形は変成して帰り道すら分からない。上級でも途方に暮れる事態で、下級の駆け出しにゃ辛過ぎて当然だ。
俺が掛ける言葉を見付けられないでいると、もう一人、上級のオッサンが嬢ちゃんの傍に膝を付き、
「もう大丈夫だ、もうひと踏ん張りで帰れる。だから頑張ろうな」
「はい……。すみま、すみません……」
肩を叩き、その嬢ちゃんを慰めてくれた。
その様子に俺が安心していると、ペロリと食事を平らげたオッサンが、指に付いたソースを舐めて、
「なあ、この娘さん達を上まで送り届けちゃくんねえか。俺等は下から上がってくる魔物を足止めせにゃならん」
「その必要はねえ。上がホストを潰せば、奴が下から引っ張ってきた魔物も弱体化する。それによ……」
俺は右手の親指で上層に続く階段を示し、
「あんたらがここから上がりゃ、ホストを挟み撃ちに出来んぜ」
「そりゃいい。やってやるさ」
「思う存分、奴の尻を掘ってやんな。グウェン、地図は?」
「出来てる。これどうぞ」
そのオッサンさんはグウェンから地図を受け取り、
「おお、もうこんなに詳しく……。助かるぜ」
「上の七層は気を付けろ、変成前とは別物だ。完全に足場が水没してやがる」
言い終えた俺がグウェンを抱え、下層に続く階段に足を向けると、
「お前達は戻らないのか?」
「更に深層、もう一組取り残されてるらしい」
「何てこった、そりゃあ……」
オッサンは神妙な顔で頷き、右手を差し出してきた。俺は振り返ってその手を固く握り返し、
「また地上でな」
「おうとも、上で待つ」
オッサン達と別れた俺は、再び深層を目指し走り始めた。
青空の次は夜空、そして次は曇り空。目まぐるしく移り変わる迷宮の景色は人の時間感覚を狂わせ、季節感を奪う。
幅広い石の階段を降り、第十一層。
大きな石柱が瓦礫のように横たわる、荒れ果てた廃墟のような世界。
複雑に入り組んだ石の迷路を進むと、グウェンが腕の中、前方を指差し、
「見付けた、イリーザ達だ」
開けた石の広場。狼型の魔物に追われている女性四人組を発見。
流石だ、ここまで上がってきているとはな。
俺は迷うことなく広場に突っ込み、狼の鼻っ面に右の剣を叩きこんだ。グウェンは俺の腕から勝手に飛び降り、外装姿に。俺は双剣で、グウェンは氷の両碗で狼の群れを片っ端から潰していく。
敵を全滅させ、グウェンがもとの少女の姿に戻ると、
「あなた達……」
「イリーザ、よかった……」
倒れるように膝を突いたイリーザを、グウェンが抱き止めた。
イリーザはグウェンの小さな体に腕を回し、力の無い声で、
「アムネアをお願い。左腕の傷が深いの……」
四人は満身創痍。疲弊し、憔悴し切っている。
イリーザ達は最低限の物資で探索を終わらせる、身軽な速攻型。さっきの奴等同様、食料も既に尽きてたんだろう。普段なら何も問題なかったんだろうが、氾濫じゃ仕方ねえ。
俺とグウェンは四人を守りながら階段近くまで移動し、蔦の這う石壁の部屋に目を付けた。
「腰を落ち着ける場所を作っから、もうしばらく踏ん張ってくれ」
後続の魔物がいないかを改めて確認し、空間倉庫から四組の大きな布袋を出す。次に小さな袋を倉庫から取り出し、中身の粉末を布袋に入れていく。
その袋にグウェンが魔法で水を入れると、布袋が布団になった。さっきの粉末はゲル化剤。これで簡易水布団の完成だ。
出来上がった即席の休息所を前に、グウェンが、
「みんな、傷を診るからここにお願い。装備を外して、ブーツも」
「ありがとう……」
イリーザ達四人はその上に腰を下ろし、装備を外し床に置いていく。グウェンは両手に魔法の水を纏い、四人に水を飲ませ、順に傷を治していく。氷ほどじゃないが、水も得意なグウェンは人を癒す力に長けてる。
イリーザは傷の消えた体をあちこち確かめながら、
「流石ね、痕も残らないなんて」
「これで大丈夫なんて保証はできない。地上に戻ったら必ず検査して」
「分かったわ……」
痛みから解放され、安堵の表情を浮かべる四人を横目に、俺は倉庫からスープの入った寸胴鍋とゴトクを取り出した。鍋の下に火を置き、お次は倉庫から肉の塊とフライパンを取り出す。
いきなり料理を始めた俺に、イリーザは、
「あんた、正気なの?」
「すぐ済む」
「ていうか何よその空間の穴は」
「俺の技だよ」
「聞いてないわよ」
「言ってねえからな」
迷宮じゃありえねえ匂いと音。だが今は緊急時で、他に方法が無い。
空間倉庫に人は入れらんねえ。だから、イリーザ達にゃ自力で上がってもらわにゃならん。そのために、少しでも体力を回復させる必要がある。
肉を切り、出来るだけ柔らかく焼く。
グウェンが治療を終えたのを確認し、皿にパンとフォークを添え、四人に渡す。
食う気力さえない、そんなイリーザ達にスープをよそったカップを渡し、
「無理してでも詰め込んでくれ」
「……ありがとう、いただくわ」
一度口を付けたら、イリーザ達の手が止まることは無かった。あっという間にパンと肉をたいらげ、スープに手を伸ばす。
イリーザは両手でカップを包み、
「おいしい、染みるわ……」
「グウェンの仕込みだ」
「何ですって? もっと寄こしなさいよ」
「もうねえよ。食ったら寝ろ」
「ここで?」
「ああ、そうだ」
言って、俺は四人から皿とカップを回収した。イリーザは何か言いたいような顔をしていたが、限界だったんだろう。横になった途端、静かな寝息を立て始めた。
俺は倉庫から毛布を取り出し、寝入った四人に掛けて回った。それからグウェンに食事を渡し、俺も急いで食事を済ませる。
片付けを終えた俺は、その場に腰を下ろしてあぐらをかき、
「グウェン、俺も仮眠を取る」
「どのくらい?」
その質問に、俺は倉庫から小さな砂時計を取り出し、グウェンに投げ渡した。グウェンが砂時計を地面に置くと、その体がたちまち氷の鎧に覆われる。
それを見届けた俺は腕を組み、瞼を閉じて、
「二回ひっくり返したら起こしてくれ。そしたら出発だ」
『分かった』
「後ろは付いてきてるか!?」
目覚めた俺達は布団などの道具をその場で焼却し、迷宮を上り始めた。
難所の沼地である第七層を抜け、今は第六層。随分上がってきたが、まだ気は抜けねえ。氷原を走り、頭に角の生えた白い熊型の魔物を空間斬撃で黙らせる。
グウェンは腕の中で体を捩じり、俺の肩越しに、
「イリーザ! 攻撃は忘れていい! 道はボクたちが拓く!」
「そうさせてもらうわ! もうそんな余裕ないの!」
背後から聞こえた声に頷き、俺を見上げ、
「エマ、少し緩めて」
「了解だ」
第七層の沼地に続き、ここは雪と氷の足場。間隙走法で進む俺と違い、地形の影響をモロに受けて難儀しているのだろう。白い息を吐く四人を先導し、俺達は第五層へと続く階段を上がる。
イリーザ達から離れないよう、焦らず急ぐ。
五層を抜け、第四層。今度は炎天下の熱帯雨林だ。肌に張り付く熱気と粘つく湿度に、息が上がりそうになる。
「うだァ!」
頭上から飛び掛かる虎型の魔物。その首を右手の剣で落とし、息を整える。
正直、キツイ。
ある程度グウェンが捌いてくれるとは言え、会敵した魔物は俺一人で片付けにゃならん。しかしホストがどうなったか分からない以上、俺達には急ぐ以外の選択肢はねえ。
葉に蔓に草に、緑の世界を抜けて第三層に続く階段を駆け上がると、ようやく人の声が聞こえてきた。
「帰ってきた! おい、あいつら上がってきたぞ!」
「もうかよ! すげえ速度だ!」
数時間ぶりの大空洞。
暗い岩の空間に、いくつもの光が浮かんでいる。片手に魔法の火を灯した、ヴァイスの探索者達だ。
「イリーザ達は無事だぞ! 道を空けろ!」
誰かさんの指示で光が両側に避け、道が出来る。その間を走り、手を振る奴等に会釈を返しながら、無事ホストが倒されたのだと確信した。
だが、まだだ。まだダメだ。
俺はまだ出口に辿り着いちゃいない。イリーザ達を送り届けていない。
気を抜いちゃなんねえ。そう、ここはまだ迷宮だ。
上層への階段に向かい走っていると、八層で会ったオッサンが俺達に気付き、
「見てくれ! どうだい!」
「ああ! 大したもんだ!」
大きな角を掲げる姿に、賛辞を返す。ホストに一撃くれてやったのだろう。あのオッサン、本当にやりやがった。俺はそのことを心の中で素直に祝い、喜ぶ。
だが、俺はまだ止まっちゃなんねえ。
生存者確認、素材回収にと動く三層の奴等をそのままに、俺達は階段を駆け上がって第二層へ。樹林を抜け、とうとう第一層に到着。
広大な麦畑、その真ん中に通った道を、ひた走る。青かった筈の空が橙色に染まっている。今が何時かなんて、もう分からねえ。背後はグウェンが気にしてくれる。俺は足を動かすことだけを考える。
右の足を出したら、次は左。そしてまた右の足を。
やがて地平線に大きな建造物が見え、稲穂の波が割れ、
「エマ、グウェン! よく戻った!」
外に続く門の前。待っていたとばかりに両手を広げる大男。
ガランダだ。
門前の広場に辿り着くと、グウェンが俺の腕からぴょんと飛び降り、
「ガランダさん! 担架を!」
「分かってる! 救護班、急げ!」
ガランダが声を上げると、待機していたギルドの白ローブ達が担架を運んできた。倒れこんだイリーザ達を担架に乗せ、白ローブはグウェンと共に門の外へ。次いでガランダが門を潜る。
俺は速度を緩め、ガランダの背中を追うようにして迷宮の門を潜り抜けた。
転移の白い光が薄れると、視界には夕暮れの空。魔力の霧は晴れ、今は遠く紫色の雲が流れている。
林の向こうに落ちる、真っ赤な陽。
迷宮の外の世界。俺達が生きる世界。
広場では沢山の人間が働いている。怪我人を運び、素材を運び、みな何かの目的のために動いている。
その人だかりの中心まで進み、俺はようやく足を止めた。
茜色の空の下、右手の剣を鞘に納める。全身汗だくのまま、大きく息を吐き、
「ふーっ……」
「よく戻った、エマ。本当に、よく戻ってきてくれた……」
「ああ……」
隣に立つガランダに頷いた。
それから大きく息を吸い、伸びをするように腰を反らせ、
「なに、軽いもんさ」
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