第7話 二人になった日常

「おはよう」

「あ、ああ。おはよう……」


 なんてことはない朝の挨拶と、焼き立てのパンの芳ばしい香り。


 目を覚ますと、グウェンが部屋に戻ってきたところだった。外か宿屋の厨房で調達してきたのだろう、両手で大きなバゲットを抱えている。


 寝床で半身を起こした俺は、そんなグウェンの姿に目を奪われ、戸惑っちまった。


 そうか、俺は結婚したのか。


 独り身の時は何をするにも自分でこなさにゃならねえが、今朝からは違う。嫁のいる生活ってのを、今まさに実感してるとこだ。


 グウェンは部屋に備え付けられた調理台の上にバゲットを置き、


「エマ。起き抜けに悪いけど、お肉出して。あと、スープ」

「こっちこそ寝過ごしてすまねえ。今、出す」


 掛布を脇によけ、俺は大きなベッドから起き上がった。それから魔法で水を出し、顔を洗い口をゆすぐ。


 この部屋は調理台、風呂場、手洗いが付いた広いものだ。家族で探索者をやってる人間のため、宿はこういう部屋を用意している。


 俺は空間倉庫から寸胴鍋を出し、調理台のゴトクの上に置いた。魔法でゴトクの中心に火を置き、温めなおす。貴族のような攻撃には使えねえが、料理に使うくらいなら俺等平民でもこの通りだ。


 隣では氷の塊を足場に、グウェンがバゲットを切り始めている。俺は倉庫からレタスを出してその横に置き、次に布で包んだ肉塊とフライパンを出した。


 肉を手ごろな大きさに削ぎ、焼く。


 献立は、パンに肉と野菜を挟んだ簡単なもんと、作り置きの野菜スープ。俺は多め、グウェンは少なめ。


 肉を挟んだバゲットは平皿に乗せ、スープは俺達の癖っつーか、皿でなく大き目のカップに入れる。


 俺達は出来上がったものを机に運び、


「いただきます」

「ああ、いただきますだ」


 つつがなく朝食を開始。


 グウェンが窓を開けてくれたのか、外から小鳥の鳴き声が聞こえてくる。備え付けの地味なカーテンが風に揺れ、部屋の空気が今日のものに入れ替わっていく。


 これ以上ないほどダラーッとした、朝の時間。


 俺は何の気なしにグウェンの顔を眺めながら、口を動かす。


 グウェンはあまり表情が変わらない。少女の顔に不釣り合いな冷静さと、理知的な光を宿す青い瞳。二十五年生きてきたことを証明するような、落ち着いた所作。


 小さい体に難儀しているのか、ものを食う時に無理して大きく口を開けるのが微笑ましい。


 てな感じで、朝食を腹に収め、


「お先にごっそさん」

「うん。お茶入れるから、茶葉を出して」

「あいよお」


 俺は言われた通り倉庫から茶葉の入った缶を出し、机の上に置いた。それから使い終えた皿を水の魔法でサッと洗い、空間倉庫へ。これも迷宮の癖だ。


 俺がスープに使ったカップを洗っていると、グウェンが紅茶の缶をポンと開け、


「エマ、今日はどうしよう?」

「あー、ヴァイスは色んなもん揃ってっからなあ。しばらくは買い出しでいいんじゃねえか?」

「それじゃ、ボクは本屋に行ってくる」

「道は大丈夫か?」


 グウェンは魔法で浮かせた水球を沸騰させ、紅茶の葉を泳がせながら、


「うん、分かる」







「うーい……」


 窓から降り注ぐうららかな日差しと、部屋に漂う紅茶の残り香。


 うたたねから目を覚まし、体を起こして首を鳴らす。グウェンが出掛けたので、俺は二度寝をかまさせてもらった訳だ。


「おあーっ……」


 あくびを噛み締め、ベッドから起き上がろうとして、やめた。もう一度転がり、木の天井を見上げながら、思う。


 あー、すっげえ楽。今、すっげえ気楽。


 キツイ依頼に時間を縛られることもなければ、貴族の無理難題に付き合わされることもねえ。明日のことを考えてきりきりする必要が無いのは、最高だ。


 リベリーやガランダにゃ引き留められたが、引退を決めてよかった。


 やりたいことを自分のやりたい時に出来る。こうなると、人間やる気が湧いてくるってもんだ。


「さってと」


 ベッドから起きた俺は机に向かい、空間倉庫から木の塊を引っ張り出した。細工用の小さなノミや彫刻刀、ヤスリなど、次々に道具を取り出し机の上に広げていく。


 作業の段階を思い出し、指示線を入れた木の表面を彫刻刀で削る。


 俺が木の塊を手に作業していると、


「ただいま」

「ああ、おかえり」


 扉を開けて帰ってきた小さな声に、俺は顔を上げた。目当てのものが見付かったのだろう、片腕に本を三冊抱えている。


 魔法で水とインクを操作し、情報転写技術と組み合わせることで、本の複製は一気に一般化した。おかげで本が安価に買えるし、ありがたいこった。


「これ、しまっておいて欲しいんだけど」

「分かった。読みたくなったら言ってくれ」


 道具を置き、本を受け取る。内容は俺にゃ縁のない魔法研究書のようだ。


 グウェンは黒く丸い穴を開けた俺に、


「本が開いたりはしない?」

「ああ、空間に入れたもんは状態を固定できっからな。日に焼けたりとかもしねえよ」

「便利だよね、空間魔法。師匠が使い手なんだ」

「へえ、そりゃ一度ご教授願いてえな」


 魔女の森は世界で唯一奴隷制ってのがあるやべえ場所らしいが、それでもグウェンの故郷だ。件の魔女さんがグウェンの育ての親だと言うなら、挨拶がてらいつかは足を運ばにゃならん。


 俺が本をしまい、今後の予定を考えていると、グウェンが不思議なものを見るような顔で、


「エマ、それは?」

「これか? 作れるもんは自分で作っとこうと思ってよ。そうすりゃ支出が抑えられる」

「違くて。エマがそんなこと出来るなんて知らなかった」

「迷宮じゃ役に立たねえからなあ」


 俺は笑い、細く切り出した部分に息を吹いて木屑を飛ばした。木屑は机の上に広げた紙の上に落ち、丸く反って積み重なる。


 再び道具を手に作業をしながら、ふと昔を思い出し、


「俺の親父は木工職人でよ。口数の少ねえ男だったが、俺に技術を教えることだけは怠らなかった。感謝してんだ」

「お父さんは、今……」

「俺が十四の時、戦争で死んじまった。東部戦線に引っ張られたんだ」

「そう……」


 物心付く前、流行り病で母親を失った俺は、親父一人に育てられた。生きるための様々なことを、俺は親父に教えられた。


 細々とした、親一人子一人の生活。だが、その生活も唐突に終わった。


 ある日、工房に兵隊が現れたと思ったら、有無を言わさず親父を連れて行った。二カ月経って、人の減った工房で作業をしていた俺のもとに再び兵隊がやってきて、言った。


 親父のいた部隊は全滅したと。


 そして、今度は俺が連れてかれた。


 俺は連れてかれた先でよく分からねえまま兵隊の、貴族の言うなりになって、泥の中を走り回った。


 あっちにあれを運べ、こっちにこれを持ってこい。ここで槍を持って朝まで立ってろ。逃げろ。声を上げろ。


 そうして二週間が経って、またまた突然、何処へなりとももう消えろ、と言われた。


 故郷に戻った俺はボロボロになった工房を整理し、独りぼっちになった。戦争が終わったと知ったのは、そのずっと後だ。


「戦争で森が焼けちまって、木が手に入らなくなってよ。けど、迷宮に行けば木が手に入る。だから俺は資格を取って、探索者になったんだ」


 俺の話を、グウェンは何も言わずに聞いていた。そんなグウェンの前に、俺は空間から手ごろな木を取り出して置き、


「カップを作ろうと思うんだが、大きさはこれでいいか?」

「ボクの?」

「ああ、必要だろ?」


 グウェンはその木を両手で包むように持ち、


「これでいい。取っ手は少し大きめで」

「分かった。カップの肌に何か掘るか?」


 俺は倉庫から机の上へ、練習で彫ったサンプルの板を取り出し、並べて見せた。


「鳥に狼。葉や花、蔓。親父の伝えてくれた模様なら、今も手が覚えてる。手に職ってのは本当のことだ」


 部屋に残る紅茶の香りが薄まり、代わりに柔らかい木の香りが立ち込める。そろそろ昼食の時間だ。


 小さな手で木の塊をくるくる回すグウェンに、俺は彫刻刀片手に口の端を上げ、


「カワイイのは期待すんなよ?」

「うん」


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