第6話 迷宮隆盛都市ヴァイス
「ここも久びさだなあ」
「そうだね」
ちぎれ雲を橙色に染める夕焼け空の下。馬車から下りた俺達は、周囲の風景をぐるりと見回した。
慣れ親しんだファイントとは違う、小ぶりな石が敷き詰められた道。遠く街並みの向こう、地平線を遮るように連なる、堅牢な城郭。
この国の首都に次ぐ大きな街、ヴァイス領。
俺はグウェンを左腕に抱えて大通りを歩き、宿場街へ。露店が並ぶ広場には、大都会らしい人波と声が溢れてる。
賑やかな広場を右に曲がり、目的地はその突き当り。古びたオレンジ色の瓦と、木枠の少ない武骨な石壁。二階建ての大きな宿屋だ。
頑丈に立てつけられた自由扉を押し、俺が宿に入ると、
「おおい、誰かと思えばエマじゃないか! 久しぶりだな!」
カウンターで記帳をしていたおやっさんが俺に気付き、顔をほころばせた。小太りな体に禿げ上がった頭は昔のままで、懐かしさに思わず頬が緩む。
俺は首の登録証を外してカウンターに置き、
「そっちも元気そうで何よりだ。んで、しばらくヴァイスでゆっくりしようと思ってよ、家族用を一部屋頼みたい」
「分かった、一階の奥だ。鍵は自分で掛けてくれ」
おやっさんは俺の腕に抱かれるグウェンを見て相好を崩し、それ以上何も聞いてこなかった。探索者相手の商売は慣れたもんで、こっちの事情に深く立ち入らない。そこがいい。
俺は支払いを済ませた登録証を首に戻し、
「でよ、おやっさん。俺あもう引退することにしたんだ」
「何だって? 勿体ないじゃないか。お前ならもっと上に行けただろうに」
「世辞はいいよ」
「世辞じゃねえ。酒代宿代、どいつもこいつも値切ろうしやがる探索者の中で、お前は一度だって払いを誤魔化そうとしなかった。ちゃんとした奴だ」
「おやっさん、労働にはな……」
「正当な対価が支払われるべき、だろ? だから俺はお前を信用してるんだ」
「そうか……」
思いもしなかった評価に俺が黙ると、おやっさんはカウンターに続く酒場を指差し、ホクホクな笑顔で、
「ま、そういうことなら楽しくやってきゃいいさ。ご存じの通り、うちの料理は何処に出しても負けやしねえ。勿論、酒もだ」
「そうさしてもらうよ。あと一つ、頼みがある。俺らがここにいることを、ギルドに報せねえでくれ」
「なんだ、そんなことか。悪いがそれは不可能だ」
「何だって?」
「後ろ見てみな」
言われるままに振り返ると、入り口の扉の前、ドでかいジョッキを持った大柄なオッサンが一人立っていた。
その男は酒をあおり、口元のヒゲに白い泡をびっしり付けた笑顔で、
「よ~お! 久しぶりだなあ、エマ!」
「認められんな」
宿に併設された大きな酒場。笑い声や罵り声、酒と香辛料の匂いが立ち込める、石と木の空間。
机を挟んで座る俺に、その男は不機嫌そのものの顔でそう言った。
短い黒髪にアゴと口元を覆う黒いヒゲ。
黒い瞳に、えんじ色のシャツと茶色のベスト。
俺と同じくらいの背丈に、これでもかと筋肉を詰め込んだ大男。
ヴァイス領の探索者ギルド、そのマスター。ガランダだ。
俺は当たり前のように用意された陶製のジョッキを掴み、
「いきなり酒かよ」
「手塩に掛けた教え子が、俺より先に引退するとぬかしやがる。これが飲まずにいられるかってんだ。大体だ、お前みたいな出来る破壊屋を下ろす理由が見当たらん」
ガランダはジョッキをあおり、ヒゲに付いた泡をぬぐいながら言い切った。
部位破壊。
通常、浅い層の魔物は獣に近く、殺してもその死骸はそのまま残る。
だが深層にいる強力な魔物の骸は魔力となって霧散し、迷宮に吸収されちまう。そうなる前、生きてる内に素材を回収するやり方だ。
俺の空間斬撃なら魔物に無駄な傷を付けず、状態のいい素材を回収できる。俺の稼ぎの殆どは部位破壊で得た報酬だった。
迷宮によって生息する魔物の種類は違う。魔物から得られる素材はそのまま地方の特産になる。破壊屋は主役になれない脇役だが、世の中そういう仕事で回ってるもんだ。
俺は小さく息を吐き、仕方なく酒に口を付けた。中身は麦の発酵酒だ。
「降級は自主的なもんだ。処分しろと言ってるんじゃねえ」
「なおさらだ」
ガランダもまた酒に口を付ける。そして、
「お前だってまだまだこれからだ。何かのきっかけさえありゃ、上級にだって推薦してやれる」
「そんで、また手柄だけ貴族に横取りされる訳だ」
「上級はお前の目標だったろう。それに、上級はある意味ギルド直属。そうなりゃグウェンに確かな身分を用意できるかもしれん」
その言葉に、俺は机に肘を突いて身を乗り出し、
「ガランダ、あんたはグウェンの素性を知ってたのか?」
「ああ、俺は責任者だからな」
ギルドがグウェンに便宜を図った理由は二つ。
一つは、とても単純なことだが、グウェンはこの国の人間じゃない。だからこの国の貴族に何を言われようが、本来なら裁かれようがない。
もう一つは、グウェンの身寄り。
魔女の森はお伽話の存在じゃない。世界にその存在が認められた共同体だ。しかもこの世界のどこより優れた技術を備える、魔導先進国。
グウェンの言う師匠とは、北の森ツェンタイルで崇拝される魔女その人だそうだ。ギルドはその魔女を刺激しないよう、グウェンの面倒を見ることにした。
聞いた噂じゃ、その魔女さんは相対するだけで人に理性を失わせ、自分の奴隷にしちまうんだとか。相手がそれじゃ、この国の奴等が慎重になるのも当然だ。
ガランダは俺の目を見ず、ジョッキに視線を落としたまま、
「これは俺個人の見解だが、グウェンはありゃ森の魔女とは違う、普通の女の子だ。だからこそ、あの子にゃ静かな場所で、平穏に暮らして欲しい」
「俺もそう願ってるよ」
ちなみに、そのグウェンは馴染みに挨拶して来ると、宿を出てどっかに行っちまった。
ガランダはまたひと口酒を飲み、左手でヒゲをぬぐい、
「エマ、十年前とは状況が違う。今のお前には後ろ盾になってくれる奴が沢山いる。リベリーだって力を付けたろ」
「ガランダ、あんたに迷惑かけたくねえんだ。あとな、リベリーはクソ野郎だ」
俺も酒をひと口飲み、眉間を押さえて体の熱を沈み込ませた。長く息を吐き、そして、
「憤るのに疲れたんだ……」
「それはお前が野心でなく保身の男だからだ。名声を得て突出するより、周囲との調和を重んじる。その生き方のせいだ」
「我ながら情けねえ性格してるよと思うよ」
「俺は責めてる訳じゃない。お前の行いのおかげで、助かった奴だっていた筈だ」
「恩の押し売りをしてきたつもりはねえし。その恩が返された記憶もねえ」
酒の残るジョッキから手を放し、俺は首を振り、
「ガランダ。俺は、俺等はちゃんとやってきた。やってきたってのに……」
「それは気の毒だと、すまないと思ってる」
騒々しい酒場の中で、俺達の机にだけ沈黙が降りる。俺は苦い酒の残る口で、絞り出すように、
「もう疲れたんだ。グウェンと二人、腰を落ち着ける場所を探して回ろうと思ってる」
「この街じゃいかんのか? 一層の迷宮豚に二層の魚。燻し焼きに塩釜焼き。たっぷりの野菜を詰め込んだ鶏の丸焼き。ヴァイス名物は沢山あるってのに、倹約だなんだと、お前は結局食わず仕舞いだったじゃないか」
「当時は余裕が無くてな」
貢献度ってのは、貯めるだけじゃ認められねえ。稼いだ貢献度を誰かのために使う、支出も含めてギルド内の、社会的評価になる。
稼いで使わにゃ経済は回らない。
俺は貯めるばかりで、殆ど支出をしてこなかった。総貢献度的には中級止まりで当然の男だ。
黙り込む俺に諦めたのか、ガランダはジョッキを空にして立ち上がり、
「とにかく、降級は先送りだ。呼び出すから、メシには付き合え」
「オゴりか?」
「ふざけろ」
入り口近くの給仕に貢献度の払いを済ませ、酒場の外に出ていった。
残った酒に口を付けながら見渡す、酒場の風景。
店には様々な顔が揃っている。
採取依頼を受けに来た出稼ぎの農民。その農民と同じ、銅のプレートを首から下げた駆け出し探索者の若者。俺と同じ鉄のプレートの中級探索者。
そして、首から金色のプレートを下げた上級の一団。
探索者は競争稼業。隆盛と凋落は激しく、また目まぐるしい。この顔ぶれも、きっとすぐ様変わりしちまうだろう。
その波に乗ろうと必死になって、ただの一度も追い付けなかった。パーティーの看板も、実績も。俺達には掲げられるものが何もない。
俺が酒で思考を濁らせていると、入り口の向こうに知った顔が見えた。
赤いポニーテールに橙色の瞳。
軽装の鎧に赤茶色のズボンと革のブーツ。
すらりと背の高い褐色肌の女性で、首からは金のプレートを下げている。
ヴァイス領を拠点とする上級探索者、イリーザだ。
そのイリーザがパーティーの面子と一緒に、グウェンと何かを話している。
イリーザとは何度も組んだことがあるが、いつの間にか疎遠になった。受ける依頼の違いもあったが、あいつらがグウェンの同行を認めなかったからだ。
しばらくして話を終えたのか、イリーザはグウェンに手を振り、何処かに行ってしまった。グウェンもイリーザも笑顔で、俺はそこに違和感を覚えた。
自由扉を開け、こちらに来たグウェンに、
「あいつ等、お前の事情を知ってんのか?」
「うん、友達なんだ。結婚おめでとうって、言ってくれた」
意外だった。仕事と友情は別ってやつか。
イリーザ達は女性四人編成。魔力の高い女ならではの柔軟さで、四人全員が前衛、後衛を受け持てる。高次元でまとまったパーティーだ。
速攻型の戦術で、深層まで一気に潜るその速度は他の追随を許さない。ヴァイスが誇る、いや、このルーガ王国が誇る、最も優秀な上級だ。
グウェンは背もたれの無い簡素な木の椅子にちょこんと座り、
「お酒飲んでるなら、ボクも飲みたい」
「お前は一杯で寝ちまうんじゃ、いや、いいか……」
ここまで飲んだらせっかくだ。俺は給仕を呼び、食事と一緒に酒を頼んだ。
グウェンは隣の机、金のプレートを下げた客に目をやり、俺と同じことを思ったのか、
「イリーザ達は凄いね」
「ああ、そうだな」
実力だけじゃ迷宮探索者はやっていけない。だが、あいつらは実力だけで上級に上がった、疑いようのない本物だ。運を手にする力も、それを逃さない頭もあった。
「凄えよ、ホントに凄え……」
俺はジョッキをひと口で干すと、次の酒を給仕に頼んだ。
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