第3話 クソ貴族と迷宮と

 第四層。


 三層よりも道幅の狭い、石の迷宮。石畳に石の壁。直線的で、人工物を思わせる空間。ここの道順も、勿論頭に入ってる。


 道程を半分過ぎたところで、俺は何かの気配を感じ、


「いるな、一匹か」

『そうだね』


 道の先、十字路の中央に猪型の獣が立ち塞がっているのに気が付いた。


 俺は魔法の灯りを消し、右の剣を抜き、


「行くぞ、グウェン。一発で仕留める」

『うん、援護は任せて』


 魔物目掛け、俺が飛び掛かった、その時、


「うおっ!?」


 目の前を炎の波が通り過ぎ、一瞬で魔物が黒コゲになった。


 炭化し、崩れる死骸。俺が炎の出所を見ると、分かれ道から強烈な熱気を纏ったヒゲ面の騎士ががしゃりと現れた。


 ヒゲ面が右手に持つ炎の外装。俺の剣の優に三倍はあるだろう長さの、炎の剣だ。


 豪奢な鎧を身に着けた騎士を前に、俺は焦って右の剣を鞘に戻し、


「グウェン、地図を」

『うん』


 俺がグウェンから地図を受け取ると、連れの騎士共がぞろぞろと曲がり角から現れた。合計七人、貴族の探索部隊だ。


 魔物を焼き殺したヒゲ面が剣の炎を散らし、鞘に納め、


「探索者か、ハイエナめ……」


 不機嫌そのものの顔でこっちに近寄ってきた。


 俺は腰のポーチに入っていた手持ちを取り出し、グウェンの作った地図と共に差し出し、


「ありがてえ、助かっ……、りました。礼だが、今はこれだけでよ……」


 別に、俺だってあのくらいは無傷で倒せた。むしろ、消し炭になるくらいなら俺が仕留めて素材を回収したかった。だが、そんなことは関係ねえ。何故なら、こいつ等は貴族だからだ。


 そのお貴族さんは俺の手から回復薬と携帯食料、それから地図をひったくると、


「これっぽっちとは、使えん奴等だ」


 吐き捨てるようにそう言った。


 ヒゲ面の右手に光る、大きな宝石が設えられた指輪。貴族の指輪だ。


 あれがある限り、俺らは貴族に逆らえない。


 貴族はあの指輪で平民を使役する。命令に逆らうと、俺達の探索者登録証に犯歴が刻まれる。そうなれば、貢献度に関わる全ての機能が働かなくなっちまう。


 貨幣制度はとっくの昔に廃れちまったから、この世界での収支は全て貢献度を使用して行われる。それが使えないとなれば、物を買うことも、働くことも出来なくなる。


 事実上の排斥だ。


「税もまともに払わず、迷宮ではクソの役にも立たんと来た」


 言いながら、ヒゲ面は携帯食料の包みをバリッと開けた。中身は麦と木の実を蜜で固めた非常食だ。そして、


「おい、ノイモート」

「はい、お預かりいたします」


 副隊長らしき金髪猫目の兄ちゃんに、ゴミを渡す。俺達は出来るだけ無感情に、その様を眺めていた。


 ヒゲ面は携帯食料をバリボリ噛み砕きながら、


「もういい、行け」

「ああ、失礼すんぜ……」


 頭を下げ、俺達は再び石の床を歩き始めた。貴族の視線をなるべく集めないよう、奴等を刺激しないように。


 これが免税の代償。


 迷宮内での、貴族による不当な搾取。


 それだけじゃない。貴族はあの指輪で、俺達を自由に使いまわす。


 荷物持ちとして。魔物を引き寄せる囮として。罠を処理するための道具として。


 迷宮探索者の寿命は短い。直接の死因はどうあれ、その殆どは貴族の命令が原因だ。深層で食料を奪われ、そのまま還らなかった探索者は大勢いる。


 そして、指輪が無くとも俺達平民は貴族に従うしかねえ。


 何故か? 簡単だ。もし逆らったとして、歯が立たねえからだ。


 理由はリーチの差。


 貴族の強大な魔力によって生成された、圧倒的な間合いを誇る炎の剣。俺の短い双剣じゃ懐に入り込むことさえ出来ず、焼き殺されるだろう。


 石の床、石の壁。俺達はただ歩く。


 鎧の音が遠くなると、グウェンは氷の体をキシリと鳴らし、


『あいつらなんて、大嫌いだ……』

「ああ、俺も貴族は嫌いだよ」







「最後の最後でツいてたな」

『うん』


 第六層。


 岩肌をびっしりと覆う、苔と蔦。所々に淡く明滅する緑色の水晶が生えた、洞窟の風景。


 回復薬の素材である目的の苔は予定より浅い、ここ六層で見付けることが出来た。これなら半日仕事で済みそうだ。


 俺は採取した素材を瓶に収め、手元に開けた黒い穴にひょいと入れた。


 空間魔法のメインはこっち。容量無制限、いつでも何処でも取り出し可能な、便利な倉庫だ。


 引退後のため、俺が用意したのは貢献度だけじゃねえ。肉も野菜も、迷宮で採取した食い物をこの倉庫にたっぷり貯えてある。これがあるおかげで、補給を必要とせずに長期間迷宮に潜っていられる。俺の持ち味の一つ。


 冒険者なら隠し技は持ってて当然。知ってる奴はグウェンしかいねえ。


『エマ』

「おう」


 俺は隣で採取を続けるグウェンから瓶を受け取り、次に取り掛かるため腰をかがめた。


 それから、ふと、


「グウェンにはよ。叱ってくれる人間、いるか?」

『うん? うん。ギルドの友達や同業の知り合いや、まだまだ沢山、叱られてばかりだ』

「そうか。そういう繋がりはな、大切にしねえとだ。ガキの頃はよ、叱ってくれる人がいるから、我慢して、周りと帳尻合わせることを考えて成長できる。でもな、叱ってくれる人がいねえと、人間我儘になっちまうんだ」

『うん』

「そうなりゃ終わり。俺らが大嫌えな貴族の奴らと一緒になっちまう」


 岩肌にこびりついた苔を、削り取る。緑色のそれは、瓶の中に入れるとさらりとした液体に変わり、揺れて光る。


「そんなのは御免だからさ、ちゃんと言ってくれ。俺が間違いそうになったら、ちゃんと怒ってくれ」

『うん……』


 俺は瓶にコルク栓をして、また一つ倉庫に入れる。そこで俺は、あることに気付いちまった。


 お互いのねぐらが一人部屋だもんで、昨晩は自然と別になったんだが、帰ったらグウェンと一緒に寝泊まりすることになんのか。


 グウェンの外見だが、何つーか、可憐っつーの? ふっつーにかわいい女の子だ。隣のいかつい氷野郎と確かに同一人物なんだが。いや、野郎じゃねえ、女だ。いや違え、嫁だ。


 ……調子狂うな、おい。


 俺が頭の中でどうにか嫁の印象を定めようとしていると、


『エマ、おかしい』

「何だ?」


 頭上から掛けられた固い声に、俺は顔を上げた。すると、グウェンは大きな手で小瓶をつまむように持ちながら、


『魔力密度が、質が高すぎる。こんなの、浅い層じゃ普通生えない』

「まさか、迷宮が変成を始めたのか?」


 迷宮は生き物だ。迷宮の魔物が人を襲うのは、人を殺して迷宮に魔力を捧げるためだと言われている。


 そして迷宮は人を惑わすため、新しい生態系の魔物を生み出すために、頻繁にその作りを変える。新陳代謝みたいなもんだ。


 巻き込まれれば、厄介なことになる。


 グウェンはバイザーから覗く青い眼光を鋭く細め、


『分からない。でも、急いだほうがいいと思う』







「やべえな、こりゃあ」


 採取を終え、急いで五層に戻ると、迷宮の地形が様変わりしていた。


 第五層は六層同様、洞窟だった筈だが、今目の前に広がっているのは石造りの大きな円形の広場だ。


 高い天井。壁に灯る不気味な青い炎。その下には、細い通路に続く門がいくつも口を開けている。こういう場所はやべえのが来ると相場が決まってんだ。


 長居は無用。そう考えた俺達が足早に移動を開始すると、


「また貴様か……」


 対面の通路からさっきのヒゲ面が現れた。そして、


「なっ……!」


 思わず声が漏れちまった。他の入り口からもぞろぞろ騎士が入ってきて、広場が人で埋まっちまったからだ。ざっと数えただけで、三十人以上はいる。


 この、バカが。


 俺は礼儀を忘れヒゲ面に詰め寄り、


「おい、ここは迷宮だぞ!? すぐ人を散らすんだ!」

「よもやこんな浅い層に闘技場が形成されるとは、これだからハイエナの地図は役に立たん」

「聞いてんのか、隊長さんよ! 迷宮での行動は必要最小限の人数が基本! そうしねえと身動きが取れなくなっちまうだろうが!」

「しかし、これは好機だな。ここで部隊を再編制できれば、深層で指揮を執る手間が省けるというもの」


 話が通じねえ。流石貴族だ。


 俺が続けてまくしたてようとすると、ヒゲ面は突然グウェンに右掌を向け、


「動くな」


 炎撃。炎の塊を放ちやがった。ルーガ貴族のお家芸だ。


 当然、グウェンの外装には傷一つ付けられない。だが、そんなことは問題じゃなく、


「正気か!? 貴族と言えど、迷宮内での加害はご法度だろうに!」

「やかましい男だ。取り押さえろ」

「はっ!」

「何しやがる! おい、離せ!」


 兵士二人に腕を掴まれ、俺は動きを封じられた。抵抗する俺を無視し、ヒゲ面はグウェンの胸元に向けて指輪をかざし、


「デカブツに命じる。貴様は盾になれ」

『え……?』


 宝石が光り、外装に露出したグウェンのプレートに記述がなされた。貴族による強制力の行使だ。


 俺はあまりのことに激高し、


「何しやがる! その命令を取り消しやがれ!」

「犬め、言葉が通じんのか。お前はいらん、何処へなりとも消えるがいい」

「おい! ふざけんなよ! クソ、離せ! 強制力を解除しろ!」

「集合! これより我が隊は深層へ向けて進軍する!」


 ヒゲ面の掛け声で、広場に騎士が整列する。同時に、俺は叫ぶのを止めた。


 間に合わなかった……! 変成直後の迷宮で迂闊に魔力を使えば、どうなるか分かってんだろうに……!


 俺が歯を食いしばって覚悟を決めると、グウェンが天井を向き、


『エマ、上!』

「ああ、分かってる!」


 瞬間、石の天井に黒い霧が集まり、凝結し、その姿を形作っていく。


「何だ、うあっ!?」


 貴族共も気付いたようだが、もう遅い。広場に覆いかぶさるほどの大きな塊が、兵隊さんの真上に落ちてきた。


 でけえ。


 八本の太く長い足を持つ、高足蜘蛛に似た異様。着地と同時に潰された騎士の死体が、足先に備わった鋭利な刃に切り裂かれ、床に血潮を巻き散らす。


 変成の影響か、こんな浅い層にいていい魔物じゃねえ。


 魔物が頭部をもたげ、六つの複眼で俺達を捉える。ヒゲ面はその魔物を睨み返し、炎の槍を形成し、


「敵の動きを固める! 炎盾を構え、前に出ろ!」


 これ以上ないくらいアホな指示を出しやがった。


 不本意ながら、戦闘開始だ。


 俺を捕まえていた兵士も槍と盾を構え、蜘蛛の足目掛けて突撃していく。持ち場も何もあったもんじゃねえ。おかげで視界が人で埋まり、広場はしっちゃかめっちゃかの大混戦だ。


 兵士から解放された俺は双剣を抜き、グウェンの無事を確かめようと動き回り、


「グウェン、何処だ! うおっ!?」


 大蜘蛛の足に吹き飛ばされ、仰向けになった。振り下ろされる巨大な刃足を、二刀を交差させギリギリで受け止める。


 喉元に迫る、ギッチギチな刃を前に、


「クソ、強制力なんて知ったことか! 逃げるぞ、グウェン!」


 大声を上げて横を見ると、ようやく相棒を見付けることが出来た。


 最前線。


 氷の両碗で大蜘蛛の両前足を掴み、敵を抑えている氷の背中。


 そうだ、あいつは逃げねえ。大嫌いな貴族の命令だろうと、それが仕事だからと最後まで残り、責任を果たす。


 こんな状況でも、あいつは……!


「よくやったぞ、デカブツ! よし、矛先の出力を上げろ!」

「おい、何を――」

「魔槍、伸長!」


 俺が止める間もなく、ヒゲ面一同は槍を突き出し、氷の鎧ごと魔物を貫いた。そして、


「炎撃、伝射!」


 騎士達が槍の柄頭に掌を添えると、グウェン共々、魔物が炎に包まれた。


 爆炎にけぶる、そのあり得ない光景を前に、


「何てことしやがる! やめろこん畜生!」

「このまま押し込め! 総員、攻――」


 直後、黒煙から突き出された刃足に、ヒゲ面達の体はあっさり切り裂かれた。


 舞い上がる火の粉。引き延ばされる時間感覚。床に巻き散らされる人や道具や、様々な物の破片。視界の全てがのろのろと動き、周囲の音が遠のいていく。


 全部が全部、散っていく。


 誰かさんがこさえたピカピカの鎧も。俺が渡した回復薬も。グウェンが記した地図も。グウェンが守った奴等の命も。


 バラバラになって、散っていく。


 これが貴族だ。


 人のしたことを全部無駄にしやがる。


 体感時間が元に戻り、広場の喧騒が再び耳に届き始めた。


 煙幕の晴れた先。炎の槍で刺し貫かれながらも、依然健在な氷の背中を見付け、


 よかった。


 そう思った、その時、


『エマ! 逃げて!』


 大蜘蛛の前足を押さえ付ける氷鎧の言葉に、俺は息が止まりそうになった。


 違えだろ。何で他人の心配だ。


「バッ……カ野郎!」


 いつもそうだ。あいつは最後の最後まで、体張って踏ん張りやがる。


 そんな奴を、俺が見捨てられる筈ねえだろうが!


「ど、けよ! クソが!」


 俺は両腕に渾身の力を込めて刃足を跳ね返し、立ち上がる。


 体勢を整え、走り出す。


 人ごみを、魔物の足を潜り抜け、一直線に。


 あいつのもとへ。一刻も早く、グウェンのもとへ。


 左の剣を鞘に戻し、半身を空ける。踏み出し、飛び込む。


 そして左手を、氷の巨躯へと思い切り伸ばし、


「グウェン! 外装解除しろ!」


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