第2話 奥様は魔女
「は?」
結婚?
誰が? 俺が? 誰と?
「グウェン! おめでとう!」
その声に振り向くと、いつの間にかそこにいた氷の鎧が受付嬢達に囲まれ、祝いの言葉を浴びていた。
ぽかんとした俺の目の前、氷の鎧がほどけ、中から一人の少女が現れる。
肩まで伸びた銀髪に青い瞳。
雪みてえな真っ白い肌に、白いチュニック。
水色の靴と、一応魔法使いな仕立ての水色のローブ。
首からは長い鎖に繋がれた、鉄の探索者登録証をぶらさげている。
見た目十二、三歳くらいの小さな女の子で、知った顔だ。
呼び名は、「駆けつけ一杯」
ギルドの飲み会によく顔を出してた娘で、乾杯一気で即轟沈することから、そう呼ばれるようになった。てか、俺もそう呼んでた。つか、何でガキが酒飲んでんのか、ずっと不思議だった。
「みんな、ありがとう」
その少女は受付嬢達のハグにハグで返しながら、そう言った。
「グウェン? こいつが?」
我に返った俺がその少女を見下ろし、いぶかしむと、
「エマ、何言ってるんですか? まさか知らなかった訳じゃあないですよね?」
「いや、だって声が違えし……」
「外装使いにはよくある話じゃないですか。え、今まで気付いてなかったって、本当に……?」
カウンターの向こう、リベリーがマジ顔で眉をひそめやがった。
いや、外装うんぬんはごもっともなんだが。グウェンがこんな小っさい、しかも女だなんて、ギャップも相まって想像だにしなかった。中身はごっついインテリマッチョだと、勝手に思ってたわ。
そういや、グウェンが外装解除する瞬間を見たこと無かったな……。
だから結婚なんて寝耳に水だし、嫁なんてお断りだ。
俺がそう考えていると、隣の少女が絶望的な顔で、
「エマ……、気付いてなかったの……?」
「う、お、まあ、その……」
やべえ、言える雰囲気じゃねえ。
リベリーは俺に軽蔑的な視線を向けてきやがるし、受付嬢達はそれを超えた、殺意みたいな波動を飛ばしてきやがる。
どいつもこいつも、「信じられない」といった感じだ。
「あー……」
俺は言葉を濁し、そこで思う。
これ、何の問題もなくねえか?
リベリーの言う通り俺がボケだっただけで、グウェンに落ち度がある訳でも無し。それに何より、俺のグウェンに対する信頼が変わった訳でもねえ。
ああ、何の問題もねえな。
思い直した俺は正直に、
「グウェンはグウェンだ。何も変わらねえよ」
小さな銀色の頭を左手でぽんと叩き、
「お前の外装があんまりにもゴツくてよ。中にこんなに綺麗な顔が入ってるなんて、思わなかったんだ」
「エマ……」
その一部始終を眺めていたリベリーが、納得したように右手を差し出し、
「改めて、結婚おめでとうございます」
「ああ、ありがとう。リベリー」
俺はその右手を握り返し、頷いた。
そして、
「で、お前が脇に避けたそいつも受領してもらわにゃ困るんだが」
「何のことです?」
「おまっ! 俺あもう引退するって言ってんだろーが!」
書類を取り戻そうと右手を伸ばす俺に、リベリーはカウンターから身を乗り出してがばっと組み付き、
「降級なんて勘弁してください! 面倒な残務処理とか、面倒な貴族の護衛とか! エマがいなかったら、僕は誰を頼りにすればいいんですか!」
「それをしなくて済むように! 俺は引退すんだっつーの!」
「使い勝手のいい経験豊富な中級なんて、エマ以外他にいないんです! 僕はこれから誰に面倒事を押し付ければいいんですか!」
「お前認めやがったな! 押し付けてるって認めやがったな!?」
「みんなみんな我慢してるんです! だからもうちょっとだけ、一緒に我慢しましょうよ!」
「知らねえよ! 離れろクソ眼鏡! 俺は野郎にすがり付かれる趣味なんざねえんだよ!」
全力で引きはがそうとする俺に、リベリーはイケメン面を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、
「エマ! 僕はもう、君がいないとダメなんです!」
『ごめんね、昨日で最後だった筈なのに……』
「いいさ、最後のひと稼ぎと行こうぜ」
大きな雲が流れる青空と、地平線の向こうまで続くなだらかな道。迷宮に吹く風が、麦の穂を揺らし通り過ぎていく。
「よお、採集か? 気を付けてな」
「ああ、道具屋の婆ちゃんの使いでよ」
丘の上から挨拶を投げてきた馴染みに、手を振り返す。
俺達が引退し損ねた、その翌日。グウェンが受けてきた最後の依頼をこなすため、俺達は迷宮を歩いている。
依頼内容は回復薬、増血剤とも言うが、その原料の採取。長い間世話になった道具屋の婆ちゃんの頼みだ。無下には出来ねえ。
空を仰ぎ、風を吸い込む。
ここはファイント山麓迷宮、第一層。常識的に考えればここは屋内の筈だが、頭上には紛れもない空が広がっている。
迷宮の門をくぐれば、そこは異次元。何処にあるのかも分からない、別の世界だ。
迷宮の基本構造は全世界共通、全五十階層。これは何処も同じで、一層二層までは地形もめったに変わらない。
地上よりも豊富な魔力と安定した気候で農作や採取が出来ることから、一層二層は生産層として利用される。この世界に生きる俺ら人間の生命線だ。
風を楽しみながら麦畑を抜けると、石造りの大きな階段の降り口が現れた。そこで俺達は自分達のなりを、装備を改めて確認する。
俺は袖の短い上着に紺のズボン。革手袋に革のブーツ。
腰の裏側に双剣。道具入れのポーチ。
前衛、攻撃の捌き役としては信じられねえほど軽装だが、これが俺のスタイルだ。
後ろを歩くグウェンはいつもの外装姿。
トゲトゲしい氷の鎧の首元には、鉄の探索者登録証が露出している。
装備の確認を終えた俺達は頷き合い、迷わず下層へ。
二層は樹林地帯。
一層とは違う作物が植えられ、育てられ、その恵みから様々なものが作られる。
一層と同じように抜け、更に地下へ。
第三層。ここから先が本番だ。
階段を降りると、そこは一層二層とは打って変わった、暗い洞窟。
迷宮は生物で、ここはさながら内臓だ。生きているかのようにその地形をころころ変え、様々な魔物が人を襲う。
俺は岩場になった地面を歩き、周囲に人の気配が無いのを確認したところで、
「グウェン、改めて聞きたいことがあるんだが……」
『なに?』
昨日ギルドで見た、グウェンの素顔と人としての姿形。十年間、変化のない外見。とすれば、思い当たることは一つ。
「魔女ってのは、ホントに歳を食わねえんだな……」
『うん……』
通常、魔力は男性より女性の方が強い。その女性の中でも、特に強大な魔力を持って生まれてくる奴がいる。
そいつが魔女だ。
血で生まれてくる訳でも、環境で生まれてくる訳でもない。完全な突然変異。膨大な魔力をその身に宿した、不老の生命体。
『エマは魔女がどんな存在か知ってる?』
「いや……」
『ボクの師匠も魔女だけど、ボクはあんなふうに振る舞う、あんなふうに生きていく自信がなかった。だから師匠の森を離れたんだ。でも、この国に来て思い知った。魔女がこんなに異端視されてるなんて、思いもしなかった……』
仕方ねえ。
魔女の力は強大。その力故、人々に多大な期待を寄せられる。国の相談役、自然との交渉役。どっかの国は魔女の施しで食ってるなんて話も聞く。魔女は公人。いや、偉人だ。
だが、この国じゃ別。
悪い子は魔女にさらわれて、ツェンタイルの森で奴隷にされてしまいますよ。
俺達の住むこの国、ルーガ王国に生まれた奴等ならみんな知ってる。ガキの頃からきっつく言い聞かせられる、脅かし話だ。この国じゃ、魔女は毛嫌いされる存在。とはいえ、平民である俺らにゃ魔女に対する忌避感は殆どない。
問題はこの国の貴族共。
この国の貴族の魔女嫌いは異常としか言いようがない。バレたら石投げられるくらいじゃ済まねえ。貴族の執行官によって、魔物以下の扱いで排斥される。
「お前さんは不器用だからな……」
忌み嫌われながら細々と生きるか、よいしょされてズ太く生きるか。グウェンは前者を選んだ。
分かるさ。こいつの性格じゃ、そうだろうよ。
『外装を纏ってれば、訳あり冒険者だと思われるから』
「正に隠れ蓑、か……」
『それでも、十年やってきたんだ。同性の友達は沢山出来たし、上手くやってると思う。でも……』
迷宮は世界中にあり、人間は迷宮に依存して生きている。探索者ギルドは迷宮内での生産、採取活動を可能な限り公平に行うための、言わば国際管理機関。
それぞれの地方国家から完全に独立している訳でもないが、ある程度の自治が認められている。
その中立性故か、ギルドは魔女を敵対存在として認めていない。ギルドはグウェンの素性を隠匿したまま依頼をこなせるよう、取り計らったそうだ。
当たり前だが、魔女なんて滅多にいるもんじゃない。その先入観を活かし、何とかやってきたんだろう。俺だって本物を目にするのはグウェンが初だ。
常に人目を避け、外装を展開しながらの生活。個人の信用を積み、細々とした依頼で食い繋ぐ。
でも、そこまでだ。
貴族に関われないとなれば仕事は大幅に減るし、パーティーになど在籍できる筈もない。グウェンがはみ出し者だった理由は、能力だけじゃなかった訳だ。
『エマだって、ボクが魔女だと知ってたら、一緒に……』
「あー、そのことなんだが、マジで気付かなかったっつーか……」
グウェンには心底すまねえと思うが、ぶっちゃけ俺には余裕がなかった。
女なんざ二の次、とにかく仕事の十五年。依頼の下調べや道具の買い出し、やらにゃならんことはいくらでもある。貢献度を貯めるのに必死で、自分の時間を作る暇も、心の余裕も全く無かった。
だからまあ、
「見た目の変わらないのが何かいるなー、とは思ってたんだ」
『何かってなに!? 飲み会じゃいつも隣に座ってたのに!』
「お前の飲み会なんざ乾杯即轟沈で終わりだったろうが。てかな、俺は貴族じゃねえんだ。魔女に対する関心なんざ、そんなもんさ」
『エマは他人に関心が無さすぎる!』
「お、おう……」
その通り過ぎて、ぐうの音も出ねえ……。
ギチギチ怒る氷の鎧を振り返り、俺は何だか可笑しくなった。グウェンとこんな話ができるなんて、思いもしなかったからだ。
俺が先頭、グウェンは後方警戒。俺達のいつものやり方。辺りが暗くなってきたんで、俺は右手に小さな火球を作り、先を照らす。
ずしずしという鎧の足音だけが響く、岩の迷宮。
足音はグウェンのものだけで、俺の足音は響かない。そのカラクリだが、俺は三層に入ってからある魔法を展開し続けてる。
大別すんなら、空間魔法。
依頼主の魔法使いが報酬を用意出来ねえってんで、その代わりにと無理やり伝授させられたもんだ。訓練すりゃ色々出来るようになるらしいが、俺には才能が無かった。
出来るようになったことと言えば、手の届く範囲にちょいと穴を開けるくらい。
だが、それも使いよう。
空間の穴を靴底に展開させると、こういうことが出来る。
間隙歩法。
空間に開けた穴、その外周に触れることに気付いた俺は、それ自体を足場に出来ねえかと考えた。つまりは、空間魔法の性質を利用したカンジキだ。
更に、空間の穴は俺が意識したもの以外をはじくことが出来る。地面に設置された罠なんかもこれで無効化できっし、空間を宙に固定すれば、ある程度なら空中制動が可能だ。
今のところ、迷宮の構造に変化は無し。戦闘は極力避け、目的の階層まで最短の道を行く。
俺の歩みに続き、グウェンは地図の情報を更新しながら、
『ズルいやり方なんて、いくらでもあったんだと思う。逃げ出したり、嘘を吐いたり、誤魔化したり。でもそんなボクに、友達が出来たとは思えない。エマのおかげで、ボクは嫌なヤツにならなくて済んだんだ』
「買い被りすぎなんだよ、お前は」
そう、こいつは逃げねえ。他の奴がトンズラこいても、それが仕事だからと最後まで残り、身を挺して人を守る。請け負った責任は、最後まで果たす。
俺がこの世で一番信用してる奴だ。
笑う俺に、グウェンはしゅんと声をすぼませ、
『でも、ごめん。この鎧はまだ、脱げそうにない……』
「いいんだ。俺の方こそ、すまねえ」
情けねえな。
こいつが女だから、嫁になったからとかじゃねえ。それ以前に、相棒として情けねえんだ。
だってよ、十年も一緒にいて、俺はこいつに居場所を作ってやれてねえ。俺がもっと早く気付いてりゃ、こいつは外装無しで外を歩けてたかもしれねえのに。
石の床、靴底に空間を開きながら、歩く。
十五年。生活に追われて、あらゆることに対しての憤りを溜めこんで、燻る毎日。引退して何がしたいとか、考えたこともなかった。ただ、楽になりたかった。
薄暗い迷宮の先に目を向けながら、思う。
これからの人生で、俺はこいつの居場所になれんのかな……。
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