はみ出し夫婦は引退したい ~君がいないとダメなんだ~
Monjiroh
第1話 俺、結婚したわ
「そろそろ、引退しようと思ってる」
石の壁、石の床。
静かな空気がこだまする、迷宮の夜。
大岩に腰かけ、床に灯した魔法の火を眺めながら、俺は言った。
手に持つ木のカップからはミルクと蜂蜜の柔らかい香りを伴う、白い湯気がたなびいてる。
『そう、なんだ……』
灯りの向かい側。石の上に座る氷の塊が、くぐもった声でそう言った。
俺の相棒、グウェン。
所々角の生えた、青白い氷の鎧。
バイザーから覗く、二つの青い眼の光。
立ち上がれば俺より頭ひとつ分でかい、見た目のいかつい氷の巨漢。
グウェンはデカイ図体を縮こませるようにカップを持ち直し、俯いた。
俺達は迷宮探索者。冒険者とも言う。俺は双剣使いで、こいつは魔法使い。
階級はうだつの上がらない、万年中級。
死に物狂いで努力はした。大金星を挙げたのだって一度や二度じゃない。それでも、探索者ってのは実力だけで上に行ける職業じゃなかった。
仕事の殆どは他人の尻拭い。投げられたクソを片付ける毎日。契約違いだ、こんな筈じゃなかったと逃げ出す輩は後を絶たなかった。
そして何より、貴族の存在。奴等が出しゃばってくれば、その功績を全て取り上げられちまう。
搾取されるだけの十五年。
そんな中、必死になって貢献度を貯めた。
三千万。
これだけありゃあ、どっかの田舎に引っ込んで細々と暮らすにゃ充分だ。
俺が首に下げた鉄のプレート、探索者登録証を指でなぞっていると、
『ボクも、一緒に行っていいかな……』
その言葉に、俺は顔を上げた。
グウェンは確か、俺より四つ歳下の筈だ。
「お前はそれでいいのか? 魔法使いなら、研究者になる道だってあるだろう」
『いいんだ。迷宮探索者だって、本当はやっていける自信がなかった。今までやってこれたのは、エマがあの時、ボクに声を掛けてくれたから……』
思い出す。
グウェンと初めて会ったのは、迷宮の入り口だった。人ごみから外れ、でっかい図体晒して途方に暮れてたのを、俺が声を掛けたんだ。
噂は聞いてた。使い勝手の悪い、足の遅い新人がいると。
通常、魔法使いに要求されるのは得物が届かない場所への遠距離攻撃。なのに、グウェンは防御と近接戦闘に特化した魔法使いだ。
だが、その身に秘めた魔力は只者じゃなかった。こいつは伸びると踏んだ俺は、パーティー内での連携は俺が受け持つからと言って、他の奴らを納得させたんだ。
「じゃあ、一緒に行くか」
こいつとの付き合いも、もう十年だ。
嫁なんざとっくの昔に諦めてっし、ダチと一緒に酒飲みながら枯れてくのも悪かねえ。
何より、グウェンは一緒にいて落ち着く奴だ。
俺の返事に、グウェンは青い眼光をふるふる揺らし、
『ありがとう、エマ。今まで、ボクを捨てないでいてくれて』
「何言ってんだ。俺がお前を置いてくなんてこと、一度でもあったか?」
『ない……。なかった……』
「だろ?」
俺達は今二人ぼっち。まともにパーティーに所属出来なかった、はみ出し者だ。特にグウェンは一切キャリアが積めずにここまで来ちまった。グウェンの言う通り、これから先の仕事だって望めるかどうか……。
無意識に、カップを持つ手に力が入る。
「労働はな、正当な対価があってこそだ。それを損なわせんのは、誰であろうと許せねえ……」
悔しさで、声が震えた。
こいつと組んだ十年が、今まで組んだ奴等の顔が、頭の中を通り過ぎていく。
そうだ。グウェンは働いた。
戦術的な欠点があるとはいえ、その働きぶりは常人以上。こいつはどんなクソ仕事でも、律儀に最後までやり遂げてきた。
だのにどいつもこいつも、それは魔法使い本来の役割じゃないからと、貢献度を払おうとしなかった。同じ時間を費やした筈なのに、奴らはグウェンの苦労を報いずに、結果だけを取り上げていった。
グウェンは俺だ。俺と同じなんだ。
そんな奴を、見捨てられる筈がねえ。
床の火から、氷の鎧に目を移す。その表面に映る、人の顔。
くすんだ短い金髪に緑色の瞳。
左の眉の端に刻まれた、古い傷跡。
眼窩の底から疲れたように繋がる、深い溝。
俺の顔だ。
おっさんに、なっちまったなあ……。
暗く硬い石の迷宮。
向かいには、十年来の相棒が座ってる。
俺達は二人、小さな明かりを眺めながら、
「戻ったら、好きに生きよう」
『うん』
「うっし、
天気は雲ひとつない快晴。迷宮から上がった翌日の、朝一番。
窓枠や装飾に木組みが取り入れられた、石造りの大きな建物。ファイント領の迷宮探索者ギルドを見上げ、俺は気合を入れた。
入り口の自由扉を押し、俺がギルドに入ると、
「おっと、失礼」
「いいよ、こっちもすまない」
右腕に大柄な篭手を身に着けた一団と肩をぶつけちまった。奴等の篭手はグウェンの鎧と同じ、魔力を固めて体に纏う技術。
外装。
魔装、とも呼ばれたりする。外装は個人の能力や装備に関わるもんで、必要な奴は常時展開してるのが当たり前だ。
そいつ等に道を空け、ロビーに足を踏み入れた俺は、改めてその場所を見渡した。
石の床に、吹き抜けになった高い天井。応接、待ち合い用の長椅子に長机。朝のピークタイムを過ぎたのだろう。閑散としたロビーには、俺以外誰もいなかった。
石でできたカウンターを隔て、白いローブを着た受付嬢たちが忙しなく働いている。ここに通うのも長い。受付の顔ぶれも、随分変わっちまった。
カウンターまで歩き、俺がその一つに腕を乗せると、
「エマさん、おはようございます」
「ああ、おはよう。今日はこいつを頼まあ」
俺が差し出した紙は四枚。
昨日の依頼達成報告書が一枚、俺の降級希望書が一枚。それと、グウェンから預かったものが二枚だ。
下級探索者ってのは迷宮での採取が許されただけの完全下っ端で、一般人と扱いは同じ。降級してしまえば中級、上級の依頼に関わることが出来ない。事実上の引退届だ。
迷宮探索者は国や領地をまたいで働くことも多く、在籍している間は国へ納める税が免除される。探索者証明は一定の貢献度を稼ぎ続けなけりゃ更新できないが、浅層での採取依頼だけで充分維持し、誤魔化していける。
ズルいやり方だとは思うが、今までが今までだ。これくらいは勘弁してもらうさ。
受付の嬢ちゃんは俺が提示した書類を見るなり、
「承りま……、お、お待ちを! マスター! ギルドマスター!」
血相変えて裏に引っ込んじまった。代わりに現れたのは、線の細い優男。
青い瞳に細いフレームの銀眼鏡。
背中でひとまとめにした長い金髪。
白い肌にゆったりとした白いローブ。
首にはギルド所属を証明する銀のプレート。
ファイント領は探索者ギルドのマスター、リベリーだ。
「やあ、エマ」
「ああ、リベリー」
歳は俺と同じ二十九で、長い付き合いの男だ。俺がクソの始末をしている間に、こいつはコツコツ積み上げ、今じゃここの頭を張ってる。
リベリーは受付の向こうに立ち、書類に目を通し、
「本気ですか? エマ」
「ああ」
「では、ここに署名を」
うん? 記入漏れなんてしたっけか。最後だってのに、締まらねえな。
俺が受付のペンで記入を済ませると、
「もう一つ、見届け人の記入が必要なのですが」
「お前でいいよ。頼めるか?」
「僕でいいのですか?」
「何言ってんだ、お前はここのマスターだろ?」
「分かりました。そうですか、エマ。とうとう……」
そう、とうとうだ。
リベリーは綺麗な文字で署名を済ませると、生っ白い手を差し出してきた。俺がその手を握り返すと、リベリーは涙目になって笑いながら、
「結婚おめでとう、エマ!」
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