第4話 ありのままの世界へ

 氷の鎧がほどけ、雪の結晶が散り、中から白い少女が現れる。


 小さな体が腕の中に収まったのを感じ、俺は加速。靴底に空間の穴を展開し、襲い来る刃足を潜り抜け、壁を蹴って魔物の直上へ。


 着空。


 足を曲げ、腰を下ろした姿勢で静止。


 腕に伝わる、微かな震え。俺は左腕で力いっぱいその体を抱きしめ、


「もう大丈夫だ。深呼吸しろ」


 グウェンは腕の中、俺の顔を見上げ、


「お、重くない?」

「軽過ぎらあ。ちゃんとメシ食ってんのか、心配になるくれえだ」


 右手に剣を、左腕に小っちゃな尻を抱え、俺は空中で立ち上がった。広場を見下ろし、状況を確認。そして、


「さあ、反撃だ。行けっか?」

「うん」

「防御は頼む」

「任せて」


 重心を前に傾け、倒れるように落下する。俺達に向け、大蜘蛛が器用に繰り出す前足目掛け、


「おらぁ!」


 右の剣を振り抜き、黒い足を切り飛ばす。


 防御無視の空間斬撃。


 空間魔法の穴ってのは、何もないとこにしか開けらんねえ。既にそこにある物体に空間の穴を開けようとしても、作れねえ。


 だが、何もないとこに開けた穴に剣を引っ掛け、無理やり引っ張り物体に干渉させることで、硬度やその他の抵抗一切お構いなしに対象を切断できる。とにかく射程が短い上に、防御に向かねえ使い勝手の悪い技だ。


 俺は連続で空中制動をかけ、魔物の足を、背面装甲を削っていく。続けて振り上げられる刃足は無視し、空中で方向転換。


 普段は左の剣で敵の攻撃をいなすんだが、今はそう、グウェンがいる。


 あらゆる角度から襲い来る大蜘蛛の刃を、グウェンが氷盾で受け止める。腹部から射出された黒い糸も、グウェンが凍らせ無力化する。


 グウェンの正体を知り、真っ先に思い付いたのがこれだった。


 リーチの短い俺。足の遅いグウェン。俺達は超接近戦型のピーキーな探索者。


 だが、グウェンの魔法を足の速い俺が補えば、こんなふうに出来ることの幅がグンと広がる。


 魔物の上を飛び回り、右の剣を振るいながら、俺はまた可笑しくなった。


 初めてのフォーメーションなのに、不思議と迷わない。当然だ。十年間、俺はこいつに背中を預けてきた。俺はグウェンが何をしたいか、グウェンは俺が何をしたいか熟知してる。


 今日で最後、探索者稼業ともおさらばだ。だのに、最後の最後で仕上がっちまうなんて、思いもしなかった。


 しかし、だ。攻撃を続けながら、迷う。


 俺の剣は短く、鉈に近い叩き切る形状のもの。この相手はデカ過ぎて、致命の一撃をかませない。何より、地上の騎士共が邪魔で上手く狙いが定まらない。


 俺が逡巡した、その時、


「生存者は壁際まで後退! 盾を構えて待機! 何をしている、早くしろ!」


 金髪猫目の副隊長の叫びで、兵隊さんに統制が戻る。人波が魔物の足から離れ、指示通りに壁際へ。そして、


「はあっ!」


 副隊長さんが腰に溜めた剣を抜き放つと、火柱が上がり、魔物を囲むように円形の炎の壁が出来上がった。


 あの猫目の兄ちゃん、分かってんじゃねえか。


 好機と見た俺が空中で身を翻すと、グウェンが俺の左腕から身を乗り出し、


「かますよ」

「ああ! 派手にやってやんな!」


 俺は躊躇なしに、グウェンを宙に放り出した。膨大な魔力が放出され、その体が再び氷の鎧に覆われる。巨大な魔物の胴体、その中心に向かい、氷の巨鎧は自重を利用した右の拳を振りかぶり、


『どっせい!』


 直下に繰り出される、氷の剛拳。


 氷結、粉砕。


 胴が割れ、魔物は軋むような悲鳴を上げて動きを止めた。グウェンの魔力を乗せた特大の一撃。流石の威力だ。


『右複眼の奥! 首の付け根!』

「おうともさ!」


 空中制動から地上に降り立ち、俺は指示された場所に走りこむ。狙いは魔物の核。グウェンが魔力伝導で場所を感知した、その場所に飛び込み、


「これで、引退だ!」


 空間ごと、核を両断。


 着地し、すぐさま反転。グウェンの落下地点に滑り込み、外装を解除した小さな体を左腕で受け止める。


 振り返ると、魔物の残骸はぶすぶすと霧散し、迷宮の床に吸い込まれていった。


 討伐完了。


「よくやった」

「あれくらいは当然」


 再び腕の中に戻ったグウェンに笑いかけ、右の剣を納めた俺に、


「見事な腕ですね」

「ああ、勿体ねえお言葉で」


 同じく、剣を鞘に納めた副隊長さんが近付いてきた。それから、右手の指輪をグウェンに向けて魔力を灯し、


「強制力を解除しました。ご協力に感謝します」


 続けて、腰から上質な紙を取り出した。魔力で書字出来る高級品だ。副隊長さんはそれに何かをサッとしたため、三つ折りにし、


「この報告書をギルドにお願いできますか?」

「承知した」


 正直、助かった。貴族とのいざこざは魔物とやりあうより厄介だからだ。


 俺が紙を受け取り安堵していると、壁際の騎士達ががちゃがちゃと鎧を鳴らして集まってきた。


「副隊長!」


 猫目の副隊長さんは残った部隊を見渡し、


「負傷の具合は? 歩けますか?」

「はい……!」

「何とかもたせてください。総員、撤退です」


 言って、副隊長さんは一瞬剣を抜き、即納刀。すると石畳に炎が走り、俺が切断した大蜘蛛の刃足とヒゲ面さん達の痕跡が全て焼き尽くされちまった。


「何かの依り代になられたら困りますので」


 赤い炎に照らされながら、笑う。その手際を見て、俺は確信した。こいつ、やはりやり手だ。


 部隊に指示を出し、広場から脱出させた後。副隊長さんは柔らかな物腰で、


「お名前を伺っても?」

「エマだ。こいつはグウェン」

「あなた方には個人的に協力を仰ぎたいのですが、勿論、ギルドに話は通しておきます」

「お貴族さんよ、失礼ぶっこいていいか?」

「何でしょう」


 俺はグウェンを左腕に抱えたまま、疲れ切った顔で口の端を上げ、


「あんたらの使いっ走りなんざ、死んでも御免だね」


 超失礼な俺の言いぐさに、副隊長さんはくすりと笑い、


「それは残念」







「何だよ、エマ。こんなとこで逢引きか?」

「新婚なんだよ、水差すな」


 丘の上から声を掛けてきた馴染みに、手を振り返す。


 土の道に麦畑。紫色の夕空と、茜色の千切れ雲。一層に戻ってきた俺達は、こうして無事麦畑を歩いてる。


 俺は左腕にかかる心地よい重しに向け、


「ただの素材集めのつもりが、ひでえ目にあっちまったなあ」

「そうだね。ボクはもう、早く帰って眠りたい」


 言いながら、グウェンは俺の胸にこてんと頭を預け、小さく息を吐いた。


 結局、グウェンを左腕に抱いたまま、ここまで上がってきちまった。グウェンは、まるでそこが最初から自分の居場所であったかのように、しっくりきてるっぽい。


 いいさ、ガキ一人担いで動き回るくらい造作もねえ。十五年かけて鍛えた筋肉が無駄にならずに済んだって訳だ。


 顔を上げ、息を吸う。


 見渡せば、夕焼けに染まる金の穂波を、涼風が撫でていく。


 麦畑を抜け、道が途切れたところで、俺は足を止めた。目の前にそびえる、巨大な石の門。この迷宮の入り口。俺たちの住む世界への帰り口だ。


 俺は武骨な作りのそれを見上げ、


「魔女だと知ってたって、俺はお前を誘ってたさ」


 右腕を上げ、小さな体に手を添え、


「お前はもう、人目を気にすることなんかない。そのまんまでいい。迷宮でも、何処でもだ」


 腕の中、銀色の髪を見下ろし、


「俺が傍にいるからよ……」


 その言葉を伝えると、グウェンはふっと俺を見上げてから、青い瞳を扉に向けた。それから、微かに震える小さな声で、


「ありがとう。でも、大丈夫だから……」


 返事を聞いた俺は頷き、足を踏み出した。


 石の扉が開き、俺達の体が白い光に包まれる。その光が、俺達をここではない何処かへと送っていく。迷宮の外へ、外の世界へ。


 そう、ガキなのは見た目だけ。


 こいつの中身が強い奴だって、俺は分かってる。







「災難でしたね……」

「相手は貴族だ。諦めてるよ」


 ファイント領の探索者ギルド。


 広々としたロビーの長椅子に腰を下ろし、俺はようやく体から力を抜いた。向かいには俺同様、疲れた顔のギルドマスター、リベリーが座ってる。


 俺が机の上に書類を出すと、リベリーは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、


「グウェンは?」

「道具屋の婆ちゃんがオイオイ泣いちまってよ、なだめてる」

「あの人も歳ですからね……」


 手持ちのペンで依頼完了の手続きを終えてくれた。続けて、貴族に渡された魔力紙を開き、


「貴族の部隊に遭遇したという探索者の報告は聞いています。しかし、そんな大所帯だったとは。こちらには何の連絡も入ってませんよ」

「あんだけの部隊で? 功を焦っての独断か? バッカじゃねえの?」

「バカなんですよ。現場のことを知ろうとも、分かろうともしない。迷宮に足を踏み入れて自分の目で確かめても、それを認めない。全部自分達の思い通りだと勘違いして、押し通す。それが貴族という生き物です」

「で、それの内容は?」


 渋面を浮かべるリベリーに先を促すと、


「グルベン隊長の失策により部隊は半壊。隊長は戦死。フラザー・ノイモート副隊長が臨時に指揮を執り、撤退。この旨、ギルドを通して議会に報告するように、とのことです」

「ああ、なるほどな」


 つまりあの副隊長さんは、上司を蹴落とす機会をずっと伺ってたんだ。で、俺達はまんまとその証人にされちまった訳で。


 俺はやはりな事実に脱力し、


「人の生き死にをいちいち利益に変えないと気がすまねえ。これだから貴族は……」

「全くですね。派閥だか何だか知りませんが、それで政務が滞っては本末転倒でしょうに。最近議会の顔ぶれがころころ変わって、こちらも困ってるんですよ」


 机を挟み、俺達は深く嘆息した。あとはお互い帰るだけなのに、疲れて腰が上がらねえ。


 吹き抜けになったギルドのロビー。高い位置にある窓からは夜空が覗き、小さな星が瞬き始めている。


 やがてリベリーは俯いたまま、思い出したように、


「僕は、嬉しかったんです……」


 眼鏡の向こう、金のまつ毛を伏せ、


「察しの通り、ギルドには魔女を切れない事情があります。しかし貴族の目を考えると、何もかもが上手くいかなかった。グウェンには不利益を、不自由ばかりを強いらせてしまった。それでも、僕達以外で魔女を、グウェンを見捨てない人間がいる。そのことに、僕達がどれほど救われてきたか……」


 リベリーの語るギルドの内情に、俺はため息を吐いて体を起こし、


「いいか、リベリー。労働ってのはな」

「正当な対価があってこそ、でしょう? 僕らギルドはそれを保証する立場ですが、実現なんて夢のまた夢。歯がゆいことばかりです」

「俺だってもういい年齢だ、そんなのは分かってる。それでもだ、リベリー」

「君がそういう人間だから、僕達は安心して仕事を振れるんですよ」


 そしてリベリーは一転、いたずらっぽく笑い、


「エマがグウェンのことに気付いてなかったのは、驚きましたが」

「俺も自分の間抜けっぷりに驚いてるよ」

「全くですね」


 男二人、俺らが笑っていると、自由扉が揺れて小っこい影がロビーに入ってきた。


 グウェンは俺達の机までちょこちょこ歩き、


「ごめん、遅くなった。この街にはまた来るって言ってるのに、お婆ちゃんが離してくれなかったんだ」

「あの婆ちゃんも歳だからなあ……」


 そう、俺とグウェンはこの街を離れる。この稼業も今日で引退。明日から二人で、腰を落ち着ける場所を探して回るんだ。


 そんな訳で、俺は改めて降級届を机に出し、


「リベリーよ、今度こそ頼まあ」

「ええ、分かりました。では、こちらに署名を」

「ああ」


 やけに素直なリベリーが別の書類を前に寄こした。よく分からねえが、これも必要な手続きってやつなんだろう。


 ペンを持ち、俺がその書類に署名しようとすると、


「エマ、駄目。ちゃんと読んで」

「お? おお……、うん?」


 グウェンが小さな手で遮った先。書類上部に記載された、その文言。


『ギルド職員雇用契約書』


 俺は落ち着いてペンを机に置き、リベリーの胸元を掴み上げ、


「なんだあこりゃあ!」

「探索者の実績と経験を活かした最良の進路をご用意しました! ギルドに勤めれば安定した収入と将来が望めますし、面倒な依頼もこなし放題です! それにほら、銀のプレートもきらきらして綺麗じゃないですか!」

「んなもん、いらねーっつの!」


 はっきり拒否する俺にリベリーはひるまず、逆にガシッと組み付き、


「離れませんよ! ええ、僕は行かせませんとも! ヤダーッ! エマー! 行っちゃヤですー!」

「ですーじゃねえよこの野郎!」


 俺は涙と鼻水とヨダレでぐっちゃぐちゃになったギルマスを引きはがしながら、


「俺らはもう、引退するって言ってんだ!」


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