よろしくね!

 ベビーリーフを完食した後、あいこはサラダを作るために使った道具や盛りつけに使った皿を洗って布巾で拭いてからゆたかに返し、なすびと一緒に家庭科室を後にした。


 ベビーリーフを食べた後に、なすびは家庭科部の部員たちから、『おいしかった』『自分で作ってるんだ、すごい』『よかったらまた持って来てよ』などの感謝や賞賛の言葉をかけられた。

 中には社交辞令や世辞も混じっていることは承知していたが、それでも嬉しかった。それに対して口下手が災いしてうまく返事できなかったのを彼女は悔やんだ。


「なすびちゃんはどうして同好会を作ろうと思ったの?」

「ああ、それはね――」


 廊下を並んで歩きながら、2人は同好会ができたきっかけについて話をしていた。日は落ち始め、外の街路灯は薄暗くなった景色を照らしている。

 経緯を説明すると、あいこは『すごいね! 行動力あるね!』と言った。


「そんなことないわ」


 これは謙遜けんそんではなく本心だ。引っ込み思案な自分は『行動力』とは無縁な存在であると思っているからだ。むしろ、1人で趣味に没頭できる場所や機会が欲しいと思ってた部分があり、それが同好会を作る大きな動機の1つであったのは間違いない。


 その話が終わり、職員室近くまで来たところで突然あいこは『決めた!』と言ってその場で立ち止まる。


「どうしたの?」

「決めたよ! わたし、学校菜園同好会に入りたい!」

「えっ!?」


 なすびは驚いた。あいこみたいなタイプは部員の多い部活に入って楽しく過ごすタイプだと思っていたからだ。


「なすびちゃん、いいでしょう?」

「ええ、でもどうして……」

「楽しそうだなって思ったの、こうね、なんていうのかね、頭に電撃が走ったみたいな、そんな感じがしたの」

「そう……」


 要するに直感かとなすびは思った。そして同時に、1人でいたいと思っていたはずなのにそれが嬉しいという気持ちもあった。


「あなたがそう思うなら、わたしは歓迎するわ」

「ありがとう! よろしくね! なすびちゃん!」

「こちらこそ、よろしく」


 2人はその場で握手した。舞い上がったあいこはその場でジャンプして握った手を大げさに上下に振った。


「こら、廊下で騒がないの」


 職員室から出たところでそうやんわりと注意したのは、なすびの担任教師である京橋きょうばしだ。28歳の若手女教師で、英語を担当している。


「ごめんなさい」


 あいこは素直に頭を下げて謝る。それに続く形でなすびも『あっすみません』と頭を下げた。


「まあそれはいいとして、いったいどうしたの千両さん?」

「えっと、こちらの戸間さんが学校菜園同好会に入りたいということで」

「戸間あいこです! ねえなすびちゃん、顧問の先生は誰なのかな?」

「戸間さん、同好会の場合はその会長のクラスの担任が顧問になるから私よ」

「てことは先生に入部届を出せばいいんだね!」

「うん、入部届は持ってる?」

「はい!」

「じゃあ書いて私に出してくれればいいからね」

「はーい」


 京橋は最後に『それじゃあ私はこれで』と言い残して階段へと歩いて行った。



 2人で校舎を出ると、家が逆方向だったためそこでお別れとなった。

 帰り道を歩く中、なすびは考え事をしていた。あいこから『エプロンが欲しい!』と言われたのだ。自分と同じように野菜の柄が入っている方がいいというので好きな野菜は何かと聞くと、トマトだと答えた。

 そうなるとエプロンを作る材料が必要になるため、ホームセンターに寄る必要がある。糸の備蓄は十分なので、生地さえ揃えれば良い。近所にあるホームセンターは『ホームセンターサカタ』、裁縫用品だけではなく日用品、一部家電、保存食、園芸用品、大工用品も取り扱っているので、日常生活にも同好会活動にも世話になりっぱなしの場所である。


 その目の前に来たところで後から声をかけられた。振り返ると、そこにはゆたかがいた。


「やっぱり千両さんだ」

「あっどうも」


 なすびはぺこりと頭を下げる。


「もしかしてお買い物?」

「ええ、実は――」


 なすびはあいこが学校菜園同好会に入会することを決めたこと、そして、彼女からエプロンをねだられたことについて話をした。

 エプロンについての話の時は、『あはは、戸間さんらしい』と笑っていた。


「あっそうそう、戸間さんと言えば今日部活動の見学に来たんだけど、今日の家庭科部はいつもより明るい雰囲気だったんだ」

「そう、よかったわね」

「多分戸間さんのおかげかな」

「戸間さんの?」

「うん、戸間さんはね、部員の1人1人のところを回って料理をしてた人には『おいしそう』とか『いい匂いだね』って、裁縫をしてた人には『綺麗な柄だね』とか『すごい! 今一発で針に糸が通ってたよ!』というように声をかけてたの、それからは彼女がいなくなってもずっと明るい雰囲気だったの」

「そうなんだ……」


 その話を聞いて、なすびの中に罪悪感が生まれた。場の空気を明るくする才能を持つ人物を独り占めするのは、罪深い行為ではないのだろうか。

 そんななすびの思いを知らずに、ゆたかは『羨ましいなあ』と口にする。


「あっ引き止めてごめんなさい」

「ううん、さようなら落合さん」

「またね、千両さん」


 『また』という機会が来るかはわからなかったが、なすびは心の中で『またね』と返す。

 彼女は作ったエプロンを渡し、あいこが無邪気に喜ぶ姿を想像する。そうだ、確かに彼女の独り占めは罪深いかもしれないが、それは彼女自身が楽しい未来を信じて選んだ道でもある。

 それなら自分もあいこの期待にこたえなければならない。


(よし、わたしも頑張らないと)


少しだけ軽くなった足どりで、なすびは店内へと入っていった。

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