初めてのベビーリーフ後編
「さっ着いたよ」
「ここって……」
あいこに連れていかれたのは、食器を置く音がしきりに聞こえてくる家庭科室だった。
ここで、あいこがやろうとしていることになすびは気付く。
「まさか、これを家庭科部の人たちに」
「うん、お料理してもらおうと思うんだ」
「やっぱり……でも、やめたほうがいいよ、食器の音が聞こえるってことはもう片付けに入ってるってことだから」
「あっそっかあ」
どうしようかなあとあいこが唸っていると、中から丸メガネをかけたおさげの少女が出てきた。彼女は2人を見るなり、『あっ戸間さん』と言って歩み寄る。
「あと……千両さん、だよね?」
ゆたかはあいこと話す時に比べて、なすびと話す時はぎこちなくなっていた。
それに合わせるようになすびもまた、ぎこちない声を出す。
「落合さん、家庭科部だったんだね」
「うん、でもどうして千両さんがここに?」
「同好会を見学しに来た戸間さんに連れてこられて」
「ああ、そうなんだ」
あいこならやりかねないなと思い、ゆたかは微笑んだ。そこにあいこが『見て見て』と割り込む。
「これね、なすびちゃんのところで採れたベビーリーフなんだって!」
あいこは袋の中身をゆたかに見せつける。
「すごい、これってサニーレタスのベビーリーフ?」
「ええ、一応、学校菜園同好会で育てたの」
「へえー、それで、どうしたのかな?」
「あのね、これでなんかお料理してほしいな、それでね、みんなで食べようよ、きっとおいしくて楽しいよ」
『そうねえ』と言って、ゆたかはどうしようかと考えた。
ベビーリーフはせいぜい3、4人分しかないが、葉を包丁で切れば家庭科部を含めても、少なくとも一口は食べることができる。
「わかった、ちょっと貸してもらっていい?」
「うん!」
「時間がないから簡単なものになっちゃうけどいいよね?」
「もちろんであります!」
背筋を伸ばし、あいこは敬礼した。
『できたら呼ぶから待っててね』、最後にそう言い残してゆたかは家庭科室に戻っていった。
それから1分後に引き戸が開き、ゆたかが小声で『千両さん、ちょっといい?』と手招きしてきたため、なすびは家庭科室に入った。
「ごめんね、1つ聞きたいことがあるんだけど」
「ええ、いいけど何?」
「サニーレタスを包丁で切ったら切り口から乳液みたいなのが出てきたんだけど、大丈夫なのかな?」
「ああ……あれね」
以前、それが気になったことがあって調べたのを思い出した。
「あれはレタス類が持ってるもので、葉に傷がついたときにばい菌がそこから侵入するのを防ぐ役割があるの、食べても問題ないし、逆に切った瞬間乳液が出るのは新鮮な証拠なの」
「そっか、採れたてだものね、ありがとう千両さん」
「ううん、こちらこそ戸間さんがわがまま言ってごめんなさい」
2人は知らぬうちに、自然と笑って話をしていた。
「わたし、また外で待ってるから」
「ううん、そろそろできそうだから戸間さんも呼んできて」
「うん」
なすびは廊下にいるあいこを呼び、中に入れる。
ゆたかはガラスのボウルの中身を大スプーンですくいあげ、それをまんべんなく振りかける。
「ごま油と醤油ベースの簡単なドレッシングだけど、これでベビーリーフサラダの完成ね」
あいことなすびから見えるように、サラダが盛られた皿を机に乗せる。
あいこは更に顔を近づける。
「なすびちゃん、おいしそうだね」
「ええ」
なすびがその様子を一歩引いた位置で眺めていると、あいこが顔をあげて、大きく息を吸い始めた。
「みんな! 一緒に食べよう!」
あいこの声に反応し、家庭科部員たちは片づける手を止めて一斉にあいこの方に視線を向ける。
「人数が多いから一口ずつだけどね」
少しだけ申し訳なさそうにあいこはそう付け加える。
部員たちは何だろうと思い、あいこの前にぞろぞろと集まった。
「あのね、これは学校菜園同好会のなすびちゃんが採ったベビーリーフなんだって!」
部員たちの視線が一斉に向けられ、なすびは恥ずかしくなって俯く。
「ゆたかさん、食べていいよね?」
「うん」
「それでは、なすびちゃんとゆたかさん、そして、ここまですくすく育ってくれたベビーリーフちゃんへの感謝の気持ちを込めて、いただきます」
あいこに続いて、周りもてんでんばらばらに『いただきます』と口にする。あいこはすぐさま葉を1枚指でつまんで口に放り込むと、手のひらを頬に当てて『おいひぃ~』と
全員が遠慮がちに固まっているのを見て、あいこは皿を持ってまずはなすびとゆたかに『食べようよ』と言う。2人が1つずつつまんで取ったのを確認すると、今度は家庭科部員たち1人1人のところへと巡っていき、『はい、どうぞ』と一口ずつベビーリーフを行き渡らせた。
空になった皿に向けて、あいこは『ごちそうさまでした』と言う。それに続いてみんなが言う『ごちそうさまでした』は、先程の『いただきます』とは違ってバラバラではなく、緩やかで安らかなものだった。
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