初めてのベビーリーフ前編

 あいこがなすびを見た時の第一印象は、『キレーな人だなあ』だ。

 腰まで届く長い黒髪は、そよ風が吹くとカーテンのように揺れる。透き通るような肌と長い脚も合わさって美しく、その立ち姿は様になっていた。右のこめかみ辺りにある3つの茄子の髪留めも、その落ち着いた色合いが彼女とマッチしていた。


 この時、あいこは中学生の時に髪を伸ばしてオトナっぽくなろうとした時があったことを思い出した。

 周りからのやめておけという声を押し切り髪を伸ばしたが、全然似合わなかったのだ。それで彼女は今まで通りのセミロングに戻すことにした。


 それ故に、最初は物陰から見ていたのだ。


「ええ、そうですけど」


 なすびは問いに辛うじて返事をする。それを見て満足げに頷くと、『戸間あいこです、1年A組です』と自己紹介をした。


「わたしは1年C組の千両なすびです」

「そうだんだ、同い年だね、あとC組ってゆたかさんのクラスだね」

「ゆたかさん……?」

「落合ゆたかさんだよ」

「ああ、あの人ね」


 フルネームで言われ、やっとわかった。苗字はともかく、下の名前までは把握していなかった。


「ねえねえ、その茄子柄のエプロンかわいいね、手作りなの?」


 あいこの興味はなすびがつけているエプロンに移る。気ままな子だなあとなすびは思った。


「ええ、自家菜園をしている時から使ってるエプロンよ、土で制服が汚れるといけないから家から持ってきたの」

「そっか、そうだよね、ねえなすびちゃん」

「えっ?」


 『えっ?』には2つの意味が込められている。1つは『ねえなすびちゃん』の返事としての意味、もう1つはいきなり下の名前で呼ばれたことに対する困惑としての意味だった。

 もう1つの意味の方は構わずに、あいこはプランターを指差す。


「それが育ててるお野菜なの?」

「ええ、そうよ、レッドカーテンっていう品種のサニーレタスなの」

「レタスかあ……あのね、レタスと言えば、わたしはレタスとキャベツの違いがわかるよ、レタスはふわっとしてて、キャベツはギュっとしてるんだよね」

「うーん……」


 なすびは一瞬何かツッコミを入れようかと思ったが、考えてみればその通りだったため何も言えず、心の中に言葉では表せないしこりを残しつつ『そうね』と同意した。


「このレタスは結球、つまり、丸くならないレタスなの」

「そっか、まだちっちゃいけど色もキレーだね」

「そうね」


 あいこはなすびの隣でしゃがみ込み、にこやかな顔でサニーレタスを見つめていた。そよ風が吹くと『ねえねえ、今揺れたよ! ふわって!』とはしゃいでいた。これ見ているだけでもこの子なら3時間は過ごせるのではないかとなすびは思った。


「ねえなすびちゃん、これからは何をしようとしてたところなの?」

「ああ、それはね、『間引き』をしようとしてたの」

「ダメだよなすびちゃん! 早まらないで! お店の商品を盗むなんて!」

「それは万引き」

「ええ……なすびちゃんってチョココロネを細い方から食べる派だったの、それはちょっとないよ」

「それはドン引き、あと内容もどうでもいいレベルだし」


 ついでにチョココロネは太い方から食べる派なのだが、それを言うと更にややこしくなりそうなのでここはグッと自分を抑えた。


「なすびちゃんツッコミうまいね、これからもお金を払ってでもやってほしいぐらいだよ」

「試されてたの、わたし……」

「ところでマントヒヒだっけ? 何をするの?」


 『これ以上は脱線がひどくなりそうだから先進むね』となすびは前置きした。


「今、サニーレタス同士が混み合ってるでしょう?」

「うん、キュークツそうだね」

「そう、だからどこかの株を抜いて隙間を作ってあげるの」

「そっかあ、これからもすくすく育っていくもんね」


 そう言ったところで、あいこは首を傾げる。


「あのさ、引っこ抜いたサニーレタスは別のところで育てるの?」

「ううん、植えなおしたりはしないわ」

「そんな! かわいそうだよ! せっかくここまですくすく育ったのに!」

「うん、でも抜かないと窮屈になっちゃうから」

「うう……」

「じゃ、じゃあ、間引きするからね」


 なすびはうるんだ目で無言のまま訴えかけてくるあいこを余所目よそめに間引きを始める。

 比較的に育ちの悪い株、見た目に異常のある株を選んで引っこ抜いていき、それらを全てビニール袋に入れていった。


「やっぱり、捨てちゃうんだね、それ」


 なすびは『ううん』と言って首を振る。


「これはね、ベビーリーフとして食べようと思うの」

「べびーりーふ?」

「その名の通り人間でいう赤ちゃんみたいな状態で、できてすぐの状態の葉物野菜をベビーリーフと呼ぶの、栄養がギュッと詰まってておいしいよ」

「そっか、じゃあ安心だね、捨てられなくてよかったよ」


 あいこは胸をなでおろした後、チラチラとなすびの顔とベビーリーフが入った袋を交互に見る。


「……もしかして、食べたいの?」

「えへへ、バレちゃった」

「よかったらこれ、全部持って帰っていいよ」

「ほんと!? でもせっかくならみんなで食べたいね、量もいっぱいあるし……そうだ!」


 あいこはなすびの左手首を右手で掴む。


「えっ? 戸間さん、いったい何を?」

「いいこと思いついちゃった! なすびちゃんを連れていきたいところがあるんだ! 一緒に来て!」

「いやっちょっと」


 なすびの制止の言葉を聞かず、あいこはそのまま駆け出した。

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