第53話 聖なる王。その4
カチャリ……。
音を立てないように兄上の部屋に入る。
既に寝てしまっているのか灯りが消えていたが、窓からの月明かりで部屋の状態が見えた。
誰もいないのか。
気配が全く感じられない。
寝室を覗いてみても、やはり兄上の姿は無かった。
一体、何処にいるのだろう。
下手に動くと見回り中の兵士に見付かるし。
さて、どうしたものか……。
とりあえず、もう少し待ってみるか。
「ナディア、その者は……」
「王太子様、いらしてくださったのですね。この者はクロノの連れの者です。驚きましたでしょう?」
「あ、あぁ……」
ふふっ、やはり動揺なさっているようね。
美味しいお茶菓子を御馳走したいとお誘いしたら、サーラに似た者がいるんですもの。
私だって驚いたのに、王太子はそれ以上でしょうね。
未だに放心状態で、心ここにあらずですものね。
王太子に会わせたのは正解だったわ。
「王太子様ですよ。ご挨拶なさい」
「は、はい。はじめまして、私は……」
「サーラ……」
サーラ?
さっきから聞かされているこの名前、この二人の知り合いみたいだけれど誰のことだろう?
「いいえ、サーラではありません。この者は美羽といって、クロノ王子が連れてきた者で……」
「いや……サーラだ。生きていたんだ……死んだと聞かされていた。でも、本当は、クロノが連れ去っただけだったんだな……」
「いいえ、王太子様違います。この者はサーラではありません」
ナディアという人(猫)がいくら訂正しても、王太子様は私がその『サーラ』という人(猫)だと断定してしまった。
私も違うと訴えたかったけれど、王太子様が取り乱してしまって、どうすることも出来ずにいた。
「王太子様、落ち着いてください。誰か、王太子様をお部屋に」
「はっ、はい。只今……」
「ダメだ、私はまだ話があるんだ!」
「王太子様、一旦お部屋へ行きましょう」
「ナディア、サーラと話をさせてくれ……」
ナディアさんに呼ばれたお城の方々がやってきて、嫌がる王太子様を部屋の外へと連れ出していってしまった。
タマのお兄様は悪い人(猫)だと聞いていたけれど、見ていて何だか可哀想になってしまった。
だって、とてもそうは見えなかったんだもの。
でも、私は『サーラ』という方について何も知らないから話せない。
一体、その人(猫)はどんな方なのだろう……。
「サーラ、サーラに会わせてくれ!」
「王太子様、落ち着いてください」
「サーラに会えたのに、何故引き離す!?」
サーラ?
サーラとはあの……幼なじみのサーラだよな。
ドアの外で騒ぎがあり、兄上の部屋から出るタイミングを逃したが、兄上が城の者に連れられて戻ってきた。
しかし、様子が変だ。
かなり取り乱している。
何があったのだろう……か。
「……兄上」
「クロノ?牢の中にいる筈のお前が、何故ここにいる!?」
そうだった……牢屋から勝手に出てきたんだった。
ここに来るまで色々ありすぎて、兄上に会うという事以外はすっかり忘れていたよ。
「兄上にお話があり、出てきました」
「私はお前に話などない」
「いえ、兄上にもある筈です」
「私にも……?」
「はい。例えば……『サーラ』の事とか」
「サーラ!?やはり、ナディアの側にいた者はサーラだったんだな。クロノ、お前という奴は、どこまで私を苦しめれば気が済むのだ」
サーラの事なら……と思ったが、兄上の怒りが更に増してしまって、俺に飛びかかりそうな勢い。
ただサーラを死なせたのは、俺ではないと言いたかっただけだったのにな。
「兄上、私は何か誤解をなされているのではと思い、国から追放された身ではありますが……こうしてやって来たのです」
「誤解だと?」
「はい」
「話を聞こう。皆、部屋から出ていろ。決して誰もこの部屋へは近付けてはならぬ」
「畏まりました……」
兄上は少し落ち着いたのか、それとも俺が真剣に話をし始めたからか、周囲の者を部屋から遠ざけ、俺に椅子に座るよう促してきた。
良かった……これで誰にも邪魔されず安心して話せる、と思えた。
「……それで?私が何を誤解しているというのだ?」
「『サーラ』の事。それと、王位継承の件と言えば察しがつくと思います」
「あぁ、その事か。クロノ……お前がサーラを殺し、国に居られなくなった為、異世界へ逃げた事。それと……こうして私の前に現れて、私の命を奪い、王位を奪おうとしている事。それは誤解ではなく、事実ではないか」
兄上は苦笑し、すぐに私を殺すのか?と、俺を見下した表情をしていた。
こんなの兄上じゃない。
私が知っている兄上は、とても優しくて誰にでも慈悲深い……民に愛される方だった。
俺がここを離れていた間に何があった?
あの兄上がこんなに変わってしまわれたのが……とても悲しい。
「それは違います。全て事実ではありません!私が……大切に思っている者を殺すなんて……。そんな事、出来る訳が無いでしょう!」
「いいや、お前はそれを容易く出来る。お前と離れるのが嫌で、どうしてもついていくと泣いていたサーラが邪魔になり、殺したのだろう?私がとても可愛がっていたと知っていたし、私のモノになってしまう事も恐れていたと聞いたが?」
「………………」
「どうした?先程の勢いはどうした?私の口から事実を聞いて、声も出なくなったのか?」
何だその話は……。
兄上は誰からそんな馬鹿げた内容の話を聞いたのか。
呆れて何も言えなくなってしまった……。
そうか、だから俺をこんなに憎み、恨み、蔑んでいたのか。
やっと腑に落ちたが、今までの兄上を思うと心がとても傷んだ……。
「……サーラは、共に連れていけませんでした。家族に黙って行く事を悩んでいましたから。それに、兄上がどんな王になるのか見届けたいとも言っていました」
「『聖君』になって欲しい……会う度にそう言っていたな」
「はい。お優しい兄上なら、民を慈しむ聖君になれる筈だと。王位を継承する事で不安に思っていた兄上を勇気づけていましたよね」
「……そうだったな」
いつも優しかったサーラ。
国からの便りで、俺が去ったすぐ後にサーラが亡くなったと聞いた時は、サーラを国へ置いていってしまった事を後悔したし、何も出来ない自分を責めもした。
生まれた国へは戻れず、異世界で頼る者も無く、一人淋しく死ぬのか……とも思った。
「サーラとはただの幼なじみで、恋や愛という感じでは無かったのかもしれません。私より……兄上を頼りにしていましたし、当時は私も若く、他に親しい女人はいませんでしたしね」
「そんな事はない。いつもクロノを心配していた。クロノは大丈夫ですか……と私に言っていたぞ」
「えぇ、でもそれだけです。サーラと私は幼い頃に将来の約束をしましたけど、成長すると共に俺ではなく違う人を見ているのだと、うすうす感じていましたから」
「……それなら何故、クロノと共に行くと言ったのだ?正直に気持ちを話してくれれば……私だって」
「ナディアがいます。父に言われたみたいです。兄上の相手には姉のナディアと決まっていると。だから、私と共に行こうとしていたのでしょう」
「そんな……。そうとも知らず、私は……なんて愚かな選択を……」
兄上は話終えると静かに涙を流した。
サーラを思って悲しんだのか、自分の過ちを嘆いて泣いたのか、俺には分からない。
ただ一つ言えることは、兄上と俺とのわだかまりは、その悲しみの涙によって流されたという事だけだった。
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