第8話 イケメンさんの正体。その2
「雪野、おはよう」
「斉木さん、おはようございます」
出勤早々、斉木さんがそっと近寄ってきた。
何事か起こったのだろうか?
「担当、変更になったよ。まさかの橋田さんだって」
「えっ……相原さんじゃなくて?」
あの厳しい橋田さんになるなんて、どういう経緯でそうなったんだろう?
「社長が直々に指名したらしいよ。浮わついた気持ちで仕事をしているって噂が届いたんだって」
「あははは……気の毒に」
社長が指名したなら、断れないものね。
橋田さんに負担が行ったのは申し訳無いけれど、これでご子息が少しは大人しくなってくれるかな……。
「そう言えば……遼太郎さんから聞いたんだけど、雪野に彼氏がいたって本当なの?」
「えっと……それはですね、彼氏ではなくて知り合いです。佐川さんに納得してもらう為に、彼氏のフリをしてもらったんです」
キャットがいなかったら、今頃どうなっていたことか……。
間違いなく、佐川さんの取り巻きが聞き付けてきて、私に精神的ダメージを与える事をしていたに違いない。
「なんだ、そうなのね。雪野がやっと新しい恋愛を始めたんだって喜んだのに」
「期待通りじゃなくてごめんなさい。今は、まだ……。なので、それまでは斉木さんの応援をしていますから」
フラれた時は余裕が無かったけれど、斉木さんが叱咤激励してくれているお陰で、人の幸せを喜べるまでになれたんだもん。
私だって応援してあげたい。
「ありがとう。でも、雪野も幸せにならなくちゃ」
「そうですね」
「雪野にまた春が来たら、祝ってやる」
「長野主任、ありがとうございます。その時は、ご馳走になります」
「あぁ、任せておけ」
いつの間にか背後から現れたら主任は、お弁当の包みを大事そうに机の引き出しにしまっていた。
お弁当の包みが赤のギンガムチェック柄だった。
斉木さんはチェック柄が好き……ということは、あのお弁当は料理上手な斉木さんの手作りかもしれない。
良いなぁ、きっと美味しいだろうなぁ……。
長野主任、斉木さんに愛されて幸せそう。
「雪野ちゃん、おはよう。随分楽しそうだね」
「さ、佐川さん……おはようございます」
何処から話を聞かれていたのだろう。
周囲がざわついていたのに、会話に夢中になっていて気が付かなかった。
「あの彼氏、凄くイケメンだったよね。俺には劣るけどさ」
「あはは……」
私には佐川さんの方がキャットより劣っている気がするけれど、そこは言わないでおこう。
「雪野さん、彼氏居たんですか?しかもイケメン!?写メあります?凄く見たいです!」
「……相原さん、期待しても無理。あっても見せないから」
イケメンワードに敏感なのね。
でも、この妙な空気を感じないのかな……普通は遠慮すると思うけど。
相変わらず空気が読めない子だわ……。
「雪野ちゃん、彼に伝えておいて『また会うかもしれないよ』って」
「えっ……?」
「橋田さんが呼んでいるみたいだから行くよ。またね」
「あ、あの……佐川さん、今のってどういう……」
聞きたいことがあるのに、佐川さんは橋田さんを探しに事務所を出て何処かへ行ってしまった。
それより、今の言葉の意味は?
キャットに会いに来るっていう事?
それとも、会ったら挨拶くらいしようよっていう事?
もぉ、訳がわからない!
せっかく佐川さんから解放されたと思ったのに、また難題がやって来そうで怖い。
「タマ……ただいま」
「美羽、おかえり。また何かあったのか?変なもの背負っているみたいなオーラが出てるけど」
「あはは……変なオーラが出ちゃってるの?動物ってそういうのも見えるんだね」
「いや、他の奴は知らないけど……今のは、ものの例えだよ。疲れた感じがしているっていう意味だよ」
あ、なるほどね。
確かに、佐川さんのせいで普段より疲れが倍増しているのかも。
佐川さん担当が外れて喜んでいたのに、橋田さんが忙しいからと言われ、また私に戻されてしまった。
それで、あれやこれやと質問攻めで仕事の邪魔をされ、自分の仕事が出来たのが……定時後。
タマが私の帰りを待っているから、猛烈な集中力と気力で仕事を終わらせて、残りの体力でなんとか家に辿り着くことが出来たのだ。
「夕飯……遅くなってごめんね。今から作るから」
「美羽、気にするな。それより、先に風呂に入ってこいよ。夕飯はその後で良いからさ」
「あ、うん。ありがとう」
「ゆっくり入ってこいよ」
タマは疲れた私を気遣って、優しい言葉を掛けてくれた。
こんなセリフを男性に言われたら、心を撃ち抜かれるかも。
タマは顔立ちが良いから猫界でモテそうだし、もしかしたらプレイボーイなのかしら?
さてと、お言葉に甘えてお風呂の準備しよう。
先にお湯を出し、部屋へ戻り上着を脱いだ。
そして着替えを持って廊下を通り、浴室へと向かっていった……。
ん、あれ?誰かがいる。
居間を通る時に、開いたドアの隙間から黒い影が見えた気がした……。
タマかな?
でも、大きめだったような気がしたんだけど。
もし泥棒だったら、タマが対応してくれる筈。
それなのに、騒ぐ事はしていない。
と……言うことは、ただの気のせい?
でも気になるから……居間をそっと覗いてみよう……かな。
見ると、タマがソファーにいて……?
ううん、違う。
タマが……大きくなって、キャットになった!?
私……疲れて幻覚まで見えたのかな。
でも、やっぱり見間違いではなくて。
「キャット……」
「あ、あぁ、美羽」
「ちょっと聞いて良いかな?」
「何?」
「少し前まではそこにタマがいたんだけど、でも今はキャットがいるのは……どういう事?」
「そうだったか?」
「キャットがタマなの?タマがキャットなの?」
キャットは平静を装っているけれど、内心慌てているだろう。
まさか、私に見られるなんて思っていなかったから。
猫が人間になるなんて事が現実に起こる訳がない。
でも、人間の言葉を話す猫がいるという時点で、すでにありえない現実がここにあるから。
「何を言っているんだ?」
「私、見たの。本当の事を教えて」
「本当の事?」
「うん、どうしてタマがキャットになれるのか」
「はぁ……、ここまでか」
キャットは、もう誤魔化しきれないと判断したのか、大きく溜め息を吐くと、秘密を話始めた。
「俺の本当の姿は、黒猫だ。猫界から来た。キャットは本当の名だよ。クロノ・キャットっていうんだ」
「……黒猫」
「あぁ、冗談みたいな名前だよな。でも、この名は他の人に言わないで欲しい。王族だと知られたくない」
「うん、わかった」
どうして話してはいけないのか。
それは、キャットがこの世界に来た理由でもあったらしい。
「俺は、異世界にある猫界の国王の息子。だけど、多い兄弟の中の末の息子だから後継者から外れた子だった。だから、気楽に暮らしていたんだ。
でも、成人した跡継ぎ以外の王子は国を出る決まりがあった。この国以外なら、どこでも自由に旅立てと言われていた。迷わず俺は同名で同族の黒猫がいるこの世界を選んだ。そして、異世界へ通じる扉を使ってここに来たんだ」
「キャットの国には、異世界への扉があるのね」
「あぁ、でも片道しか無い。戻りたいなら、ある条件が必要なんだ」
「ある条件って?」
「さぁな。俺には、元の世界に戻るなんて考えは無かったから、聞かなかった」
「そっか……」
キャットは何故元の世界に戻りたくないのだろう……。
故郷が恋しくなったりしないのかな。
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